自分の手を、握ったり、開いたりしてみる。
問題なく動く。むしろ思った以上にスムーズな動きだ。力の強さも、今までの比ではない。何より身体を動かすだけで、凄くしっくり来る。今着ている服が高性能な(首から足先までを包むライダースーツに似たデザイン。肌と生地が一体化するようにフィットしている)もので、一切動きの邪魔をしないというのもあるかも知れないが、それを考慮しても快適だ。
今までの、NTL型の身体に不満があった訳ではない。しかしこの身体の馴染み具合を知ってしまったら……後で手放せと言われても、ちょっとごねてしまうかも知れない。
【BT004号。何か問題が発生したか】
ほんの少し口角を上げた程度だったが……ナオミは声を掛けられた。
自分が入っている大きな箱型容器、そこに備え付けられた通信機に。
ナオミは即答せず、僅かに沈黙した。答えられないから、ではない。気が緩んでいた事を自覚し、気持ちを整えなければつい笑顔になってしまうと思ったからだ。
「いえ、問題ありません。身体機能の再確認を行い、馴染み具合に好感を覚えていただけです」
【分かった。何かあれば適時報告するように】
話し掛けてきた通信機はそう告げると、ぷつりと切断。箱の中に静寂が戻る。
静かになった箱内でナオミは軽く辺りを見回す。
見回すといっても、箱自体はとても小さい。ナオミの身体がすっぽり入る程度の、高さ二メートル幅一メートル程度のものだ。奥行きなんて八十センチあるかどうか。かなり圧迫感のある作りであり、腕を動かすのさえ一苦労。背中側には柔らかなクッションがあるが、身体が埋もれる感覚は一層の圧迫感を覚えさせた。
あまりにも狭い。
しかしそれも仕方ない。この箱は軍が開発した最新鋭の『対人用別宇宙転送装置』……宇宙間の移動を可能とする装置なのだから。様々な機能を搭載し、一定の大きさに留めるため居住空間が犠牲になった。移民船の類なら船体サイズを拡大し、もう少し居住性を良くするだろうが、軍用なら個人の幸福度はそこまで重視されない。作戦の成功を最重要視し、そのためなら個人の不快さは無視される。
ましてやこの船が担う作戦は、暗黒生命体駆除作戦の第一段階。
暗黒生命体生息圏への侵入調査……ナオミが一月前に打診され、参加する事になった作戦だ。ただでさえ成功するかどうか分からないのだから、居住性を改善する余裕があるなら少しでも機能や性能を増強してほしいぐらいである。
「(いよいよね)」
自分の置かれている立場を再認識した後、ナオミは小さな息を吐く。そしてこれから行う作戦の概要を頭の中で思い起こす。
――――暗黒生命体生息圏への侵入調査は、ナオミ含めた百人のバイオロイドによって行われる。
全員、DB型バイオロイドの肉体に脳を移植した身だ。身体の適合確認など複数の試験を行い、稼働や思考に大きな問題がないかの確認はしている。
DB型バイオロイドの肉体は非常に優秀だった。真空中でも生存可能で、数億度の高温にも難なく耐える。レーザーなどの光学兵器は耐性どころか、吸収して活動エネルギーに変えてしまう。仮に手足が欠損しても、十分な資源補給があれば再生出来るなど極めて多才だ。光速の数百億倍ものスピードで移動が可能であり、他にも原理不明の身体能力を多数持つ。
また電磁誘導に似た力(詳細不明)により、無重力空間を推進機関なしで自由に動き回れる。宇宙に放り出されても、自力で目的地に進めるという事だ。そして最高速度で手足を振るえば、惑星さえも簡単に破壊してしまう。
最早バイオロイドではなく、対惑星文明用大型兵器のような強さだ。ここまでの力が出せるのも、DB型バイオロイドに暗黒生命体の細胞が使われているからだろう。ちなみに電磁波も吸収するので普通だと通信も出来ないが、DB型同士なら『無声通信』を用いて会話可能だ。これは声ではない何か(原理不明)によって会話する力で、暗黒生命体のコミュニケーション手段と推測されている。
この優れた肉体を用いて、暗黒生命体の生息圏で生態調査を実施する。最優先事項は暗黒生命体の生態解明であるが、並行して活動拠点となる基地の建設を行う。また、可能ならば暗黒生命体のサンプルを採取。研究活動も実施する。
それと新兵器である『VC爆弾』の効果を確かめる。
「(まさか、こんなものが完成していたなんてね)」
VC爆弾はVacuum Collapse爆弾……つまり真空崩壊爆弾という意味だ。真空崩壊とは空間の持つエネルギーが相転移を引き起こし、空間自体の性質が破綻・変性する事。
簡単に表現すると、一定範囲内の空間と物理法則を破壊する爆弾だ。
最早威力云々なんてものではない。物理法則を破壊するという事は、その物体が存在するための概念自体が破壊される事に等しい。鉄の塊があったとして、その鉄を形作るあらゆる要素が有無を言わさず消滅するのだ。物理的な硬さでは決して耐えられない、究極の一撃と言えるだろう。
更に真空崩壊は連鎖する。一ヶ所が崩壊を引き起こすと、その余波により周りの空間も崩壊していくのだ。しかもこの連鎖は、空間が続いている限り途切れる事はない。光速で伝播するため、宇宙ほど広いと少々時間が掛かるが……理論上たった一発で、一つの宇宙を跡形もなく破壊出来る。
そうならないようVC爆弾は制御しているらしいが、果たして上手く動くのか。生成した別次元で実験ぐらいはしていると思うが、どんな兵器でも不良品は混じる事があるだろう。安全装置はしかと機能するのか。しなければ、自分達もろとも爆弾は広範囲を焼き尽くすのでは。
或いは、最初から自分達は爆弾を起爆させるための囮ではないか。仮にVC爆弾が暴走したところで、消し飛ぶのは暗黒生命体が支配した宇宙だけである。暗黒生命体の根絶を達成するという意味では、むしろ望ましい結果だ――――
「(まぁ、それでも良いけど。バイオロイドとしては勝利になるし)」
自分が使い捨てにされる予想をするも、ナオミは特段気にしなかった。自分の命に頓着しない彼女にとって、自爆特攻も効果があるなら嫌悪しない。無意味な特効は、絶対に拒否するが。
この作戦に参加する、他の軍人達も似たようなものだろう。恐らくそれがDB型バイオロイドの肉体に適合する気質だからだ。
恐らく、という表現になったのは、ナオミは他のDB型バイオロイドの人物像をよく知らないため。手術後の一ヶ月間はリハビリや訓練ばかり。他のDB型バイオロイドとは顔合わせぐらいで、きちんと交友する機会はなかった。精々データで相手の情報を学んだ程度。
『人間』からすると、チームで作戦を進めるのに交友関係を結んでいないなどあり得ないだろう。しかしバイオロイドからすれば、これは合理的対応だ。基本的にどの個体も対人思考に大きな差異はなく、製造時の性格特性から相性を計算可能だ。余程特異的な組み合わせか、計算間違いでもしていない限り、チームとして纏まらないほど相性が悪い事はない。そもそも最初から社会に適合するように製造しているので、気が合わない個体なんて早々いない。
だから交友に時間を費やすよりも、訓練や個人技能の習得、そしてチームメンバーのデータを記憶する方が重要だ。工業製品であるバイオロイドは、人間とはチームの在り方も違うのである。
仲間の情報が頭にあれば十分。ナオミには作戦への不安なんてない。
【作戦開始時刻となりました。三十秒後に転送を開始します】
淡々と告げられた作戦開始の予告を聞いても、ナオミは動揺せず。
訓練通り、ナオミは両手両足を身体に密着させた起立の姿勢を取る。転送自体の安全性はある程度考慮しているし、多少の怪我は再生するが、それでも危険は少ない方が合理的。安定した姿勢で時を待つ。
カウントが十を切った。人間なら緊張ぐらいするだろうが、ナオミは特にどうとも思わない。
【三、二、一、転送開始】
淀みなく進んだカウント通り、ナオミを格納している転送装置が動き出した。
転送は一瞬で始まる。
装置の中にいた身体は、瞬きする間もなく眩い空間に放り出されていた。何もかも白く塗り潰され、周りを見る事は出来ない。
恐らく此処は宇宙間移動の時に通るとされている、『虚無領域』という場所なのだろう。虚無領域は宇宙の外側であり、物理法則が存在しない。よって普通の物質は、自己が存在する前提さえも失い、直ちに崩壊・消滅してしまう。
ところがナオミの身体は、何一つ問題を起こしていない。大気すらない筈の空間も、息苦しさを覚える事さえなかった。むしろ居心地が良いとすら思う。
居心地の良さは、DB型バイオロイドの肉体に組み込まれた暗黒生命体の細胞による影響か。奴等の生息環境が、この虚無領域に近いものなのかも知れない。
そんな思考を巡らせていられたのは、虚無領域を移動していた瞬きほどの一瞬だけ。DB型の優秀な思考速度のお陰で、如何にも長考したかのようにあれこれ考えられたナオミであったが、実時間にして一ミリ秒も経たずに虚無領域を抜け出し――――
ナオミの身体は、暗黒生命体の生息圏に飛び込んだ
瞬間、強い衝撃がナオミの身体を突き飛ばす。
「(えっ?)」
何が起きたのか? 戸惑いは一瞬。すぐに落ち着きを取り戻したナオミは、衝撃を感じた自分の腹部に目を向ける。
そこには、巨大な虫がいた。
虫といっても、地球の節足動物とは異なる存在だ。体長は推定四メートル、全幅四十センチ程度で、身体の厚みは三十センチ近い。身体の側面には脚ではなく、二枚で一対の翅が十二対も生えていた。翅の長さは一メートル近くあり、薄く半透明な作りをしている。背中と腹部は分厚い甲殻に覆われ、翅を生やしている側面数センチの部分だけ、イモムシぐらいの柔らかな『外骨格』が露出している。
体色は黒。暗黒と言えるほどの黒で、本来ならば凹凸などの陰影は見えない筈だが……不思議とナオミの目にはその構造が視認出来た。
しかし頭部は、残念ながらよく見えない。
何故ならナオミの腹の中に、がっつりと食い込んでいるのだから。肉を切り裂き、内臓がぐちゃぐちゃに噛み潰されている感覚もある。痛みはないが、これは神経情報を数値化しているからで、がっつりダメージは計測されていた。
「(成程――――ムカデ型の暗黒生命体に襲われている、と)」
冷静に状況を判断したところで、ナオミは大慌てで周囲を見回した。
侵入してすぐに、暗黒生命体の攻撃を受けた。
これ自体は想定内。観測のため侵入させたドローンが即座に食われている事から、暗黒生命体が生息圏への侵入者を積極的に襲う事態は想定済みだ。このため此度の潜入作戦では、襲われている仲間を見付け次第積極的に助けるようルール化していた。未知の世界を生き抜くには、仲間との協力が欠かせないという訳だ。
ナオミも早速仲間に助けを求めようとした。いの一番で救いを求める姿は情けないかも知れないが、生憎そんな感情的な考えをナオミは好まない。命が助かるならどれだけ情けなくとも構わない。
幸いと言うべきか、周囲に遮蔽物はない。いや、何もないと表現すべきか。岩や山どころか、惑星も大地もない。宇宙空間のど真ん中のような、無の空間が何処までも広がっている。
だから一緒にこの領域に踏み込んだ、ナオミの仲間であるDB型バイオロイドの姿は簡単に見付けられた。大きな声で叫べば、きっと彼等の下まで声は届くだろう。
だが、残念ながら助けは来そうにない。
ナオミに見える範囲で起きていたのは、阿鼻叫喚の地獄絵図なのだから。
「ぐああああっ!?」
筋肉隆々な男性バイオロイドが悲鳴を上げる。
その身体には、ほんの一センチ程度の虫が無数に群がっていた。黒いイモムシに翅を生やしたような姿をした生き物だ。暗黒生命体の小型種だろうが、数があまりに多い。バイオロイドの身体の半分以上を覆っているではないか。
更にその場で繁殖しているのか、沸騰した湯から湧き出す気泡の如く、ぼごんぼごんと暗黒生命体の身体から新たな羽虫が生まれ出る。分裂だけでなく産卵もしているようで、大量の小さな粒まで放出していた。
瞬く間に男性バイオロイドの身体は暗黒生命体に飲み込まれ、そして瞬きする間もなく羽虫達は飛び去る。後に、バイオロイドの姿は何処にもない。
食われたのだ、跡形もなく。
「くっ、この」
ある場所では可憐な女性バイオロイドが抵抗の声を上げた。いや、上げようとしていたというのが正しいだろう。
悲鳴を上げきる前に、彼女は巨大な怪物に掴まれてしまったのだから。
怪物は体長十メートル以上ある巨躯を有している。身体付きは一見して猿のようにも見えるが、頭部には節足動物のような左右に開く構造の大顎と、黒く巨大な複眼、それと触角が生えていた。尻尾は極めて長く、二十メートルはあるかも知れない。
手足はサルのように指が長く、それでいてやや華奢な作りをしている。とはいえ身体が十メートルもあるのだから、手のサイズも人間一人掴むぐらいどうという事もない大きさだ。女性バイオロイドの胴体をしっかり掴み、ぐしゃりと握り潰してしまう。
これでも女性バイオロイドは死んでいなかったが……怪物は大きく口を開け、女性バイオロイドを一口に飲み込む。咀嚼すらせず、丸呑みだった。
「ち、ちくしょ――――」
「止め……」
二人組の男女バイオロイドも、暗黒生命体に襲われる。チームワークで乗り切ろうとしたのだろう、が、暗黒生命体側は数千万以上いそうな小動物の群れだ。数があまりに多過ぎる。
互いの背中を守る暇もないまま二人は暗黒生命体に飲み込まれ、群れが通り過ぎた後には服の切れ端一つ残さず消え去った。
そうした光景は、一瞬ナオミの目に映っただけの一例に過ぎない。
暗黒生命体生息圏への侵入部隊百名。DB型バイオロイド軍団は、潜入してから一秒も経たないうちに壊滅状態に陥ろうとしていた。
「(ここまで一方的なんて……)」
軍は膨大な観測データを解析し、更に暗黒生命体の細胞サンプルまで得ている。得られた情報は僅かだったが、暗黒生命体の能力について多少は解明出来た。
その暗黒生命体と対等、または短期間の生存が可能なだけの性能はある――――軍はDB型バイオロイドの性能をそのように見積もっていた筈だ。
実際、『対応』は出来ているのだろう。ドローンはろくな記録も残せないほど一瞬で食われていたが、ナオミ達はわーわー悲鳴を上げるだけの猶予がある。光速以上の速さで飛んでくる暗黒生命体を視認し、それについて思考する事も出来ている。今まで黒一色で、凹凸すらろくに見えなかった暗黒生命体の姿もハッキリと確認出来た。襲われているDB型バイオロイドの叫びが聞こえるのも、彼等の発する無声通信が暗黒生命体に
通用はしている。だが足りていない。
スペック不足だ。人類が想定していたよりも暗黒生命体は遥かに強大で、惑星の一つ二つを生身で破壊しようと、光速の数百億倍のスピードを出そうと、そんなのはこの世界では最低限のものでしかなかった。
「(だからって、諦めはしないけど)」
実力不足は理解した。だが何もしないつもりはない。スペック不足ではあっても、攻撃を認識出来るのならば対抗出来る可能性はゼロではないのだから。
とはいえどうすれば良いのかは、まるで分からないが。
兎にも角にも作戦が必要だと、一旦思考に集中しようとする。しようとしたが、突如眩い輝きがナオミの目を刺激した。光エネルギーではないと直感的に理解したが、眩しいように感じる。
何かと思って振り向けば、遠く離れた位置で真っ白な何かが煌めいていた。
一瞬呆けた後、ナオミは察した。あれはこの空間に持ち込んだ新兵器・VC爆弾だと。傍にいた誰かが咄嗟に起動させたのかも知れない。ここで全員食われて死ぬよりも、VC爆弾の威力で纏めて吹き飛ばす方がマシと判断したのか。
軍から提供されたデータ曰く、VC爆弾の影響範囲は直径十キロ。ここに宇宙一つ消し飛ばす現象を凝縮して発生させるという。ただでさえ太刀打ち出来ない破壊の力を、更に圧縮したならどれほどの威力となるのか。最早想像も付かない。
……その凄まじい力が炸裂する寸前に、三十メートル近い暗黒生命体が爆弾をぱくんと飲み込んだが。
ヒレが八枚あるクジラに似た姿の暗黒生命体の体内で、VC爆弾は起爆した。間違いなく全ての機構が動き、最大の火力で爆発したと、ナオミは身体で感じる振動から実感する。しかし爆弾を飲み込んだクジラ型暗黒生命体は、驚いたような素振りすら見せず、悠々と泳ぎ去っていく。
つまり、問題なく食べてしまったという事だ。
「(全然駄目じゃん)」
何が新兵器だと、いっそ笑いたい。
無論軍部も、自慢の新兵器が一口で食べられてしまうなんて思いもしなかっただろう。合理的なバイオロイドが敵能力を過小評価するとは考え難いので、単純な情報不足がこの喜劇の原因か。
だとしてもここまで予測と現実の『ズレ』があるのは違和感があるが……どんなに違和感があろうと、一方的にやられているのが現状だ。原因究明は戦略情報部が行う事で、仮に今ここで分かったところでナオミの生命を助けてはくれない。
今優先すべきは、腹を食らう暗黒生命体の排除。そこに思考と能力の全てを費やすしかない。
「こ、の! このっ!」
渾身の力で、ナオミは自分を喰らう暗黒生命体の背中側を何度も殴った。
全力で振るったDB型の拳の威力は絶大である。何故ならその拳は、光速以上の速さで動いているからだ。科学者曰く、時間と空間を操作する事で擬似的な超光速を再現しているらしいが……それでも惑星ぐらいなら破壊可能な威力。もしも今回の作戦のために生産されたDB型バイオロイドが一体でも暴れ出せば、バイオロイド文明はあっという間に滅亡しただろう。
正に超戦士と呼べる戦闘能力、なのだが――――
「(全然、効いている感じがしない。というか見た目からして傷も付いてないわね)」
自分を喰らう、ムカデ型暗黒生命体にはまるで通じず。それどころか背中側の甲殻があまり硬く、殴ったナオミの手の方が傷を負う。
当然の結果だろう。DB型バイオロイドの身体能力は、混ぜ込んだ暗黒生命体の細胞に由来する。暗黒生命体にとって惑星を破壊する怪力も、超光速移動も、全て『基礎』に過ぎない。奴等にとってそんなものは使えて当たり前なのだ。
ましてや甲殻というのは防御のための器官。仮に身体能力が互角でも、これを破壊するのは困難な筈である。
「(しかも相手の方が身体も大きい。力で拮抗するのは無理。なら弱点を狙うしかない)」
例えば翅が生えている胴体側面。ムカデ型の身体は甲殻で守られているが、翅のある側面側には隙間がある。
恐らく翅を自由に動かすため、そこは守りを固められないのだ。此処ならば攻撃が通る可能性は高い。
身体能力では劣っても、人類には知能がある。賢く戦術的な戦いとしてナオミは暗黒生命体の身体側面に指を伸ばした。
瞬間、暗黒生命体は胴体をぎゅっと締める。
すると身体が内側へと圧縮。全体的に細くなった結果、背中と腹側にある甲殻の隙間も一気に狭まった。人間の指など簡単には入らない程度には。
どうやらこのムカデ型にとって、甲殻同士の間を狙ってくる事は想定済みらしい。普段は翅の可動域を維持するため大きめの隙間を開けているが、敵の攻撃が迫った時には閉じて防御を固めるのだろう。
そうとは知らず手を出し、呆気なく防がれた。知的生命体と呼ぶには間抜けと言うべきか、或いは暗黒生命体の生存競争はこれぐらい対応しなければ生き残れないのか。
「(不味いわ。防御を固められたら流石にどうしようもない)」
何か策はないかと考えてみるも、相手との身体能力差が大き過ぎてどれも出来そうにない。
このままでは、ナオミは暗黒生命体に食い殺されるだろう。
食われる事に恐怖はない。今回の作戦によって人類側が多くのデータを得られたならそれで良く、軍用バイオロイドである以上戦いで死ぬ事も想定内。
それでも死ぬ気は毛頭ない。
諦観と執着を両立させた、『人間』としては異質な思考。それ故にここまで追い込まれても、なおもナオミは平静を失わなかった。生存の可能性を常に探す。
残念ながら、意識したぐらいで生存可能性は上がらないが。
ムカデ型はついにナオミの腹を食い破る。背骨が切断され、腹の肉も食い尽くされてしまう。
ようやく暗黒生命体が、名付けた通りムカデに似た凶悪な頭を外に出した。それと同時に、ナオミの身体は腰から上を境にして真っ二つに両断されてしまった。腸が露出し、無重力の世界に血と肉片を撒き散らす。
それでもナオミは生きて、思考を続けていた。
「(まだ、よ……!)」
腰から下がなくなったため、当然足も失った。だが問題はない。元よりDB型は電磁誘導に似た力を用いて動いている。足などなくとも機動力は変わらない。既に出血も止まり、傷口の肉が蠢いて再生を初めている。
恐るべきDB型バイオロイドの、いや、暗黒生命体の生命力。しかし五体満足でも勝てない相手に、二本の腕だけで何が出来るというのか。時間と資源さえあれば、今からでも下半身の再生は可能に思うが……ムカデ型がその猶予をくれるとは考え難い。
それでもナオミは絶望しない。絶望なんて感情を持ち合わせていないかのように、生存のチャンスを掴むべくムカデ型暗黒生命体を直視する。ムカデ型が大きな、ナオミの指二本よりも太い牙状の大顎を左右に開いて食欲を露わにしても、ナオミは怯まず睨み返す。
ここまで追い込まれてなお生きようとするナオミの姿勢を前にして、ムカデ型は動きを止めた。嘲笑うでもなく、恐怖するでもない。
恐らく、警戒している。
一番厄介な反応だ。油断も狼狽もなく、淡々と処理する思考に隙など生じない。この瞬間、ナオミの
――――此処に他の生き物がいなければ。
「(えっ?)」
思わず、ナオミは呆ける。
ムカデ型の背後に、突如として別の暗黒生命体が現れたがために。体長は、恐らく六メートル近い大きさだ。
そして見た目は、巨大なアゲハチョウの幼虫に似ている。ずんぐりとした身体と、その先にある小さな頭。イモムシ型の身体は素早い動きが苦手そうで、一見して肉食動物とは思えない。
目立つ特徴は頭部近くに一本の、巨大な角を生やしている事。実際には硬質化した小さな頭部の後ろから生えているので、角というより胸部突起だろうか。角は長く、一メートル近い立派なものだ。太さも、根本付近であればナオミの腕ぐらいはあるだろう。先端はかなり鋭く、それなりの武器になりそうだ。
一体コイツはなんなのか。今は目の前にいるが、遠くから近付いてくる姿は見ていない。突如出現したようにしか思えないが、何処からどうやって現れたのか。そして何を狙っているのか。
ナオミが困惑している中、角を持ったイモムシ(ひとまず角イモムシと呼ぶ)が動き出す。角をぶるりと震わせながら、頭を大きく振るったのだ。
途端、ムカデ型が後ろを振り向いた。猛烈な警戒心を露わにした動きだったが、もう遅い。
角イモムシが振るった角から、赤黒い輝きが放たれ――――ムカデ型の身体を切り裂いてしまったのだから。
まさかの切断攻撃。しかもナオミでは歯が立たなかった甲殻を、なんの苦もなく切断してみせた。凄まじい攻撃力であり、一体それがどのような原理の攻撃なのかナオミには皆目見当も付かない。
尤も、仮に分かったところで考える事は出来なかっただろう。
角イモムシの放った赤黒い輝きは、ムカデ型の後ろにいたナオミの身体も一緒に切り裂いたのだから。
「ごぶっ……!?」
肩から腹部に掛けて、深々とした切り傷が一瞬で刻まれる。
辛うじて攻撃は背骨までは届かなかった。だから身体は繋がっていたが、内臓が剥き出しになるぐらい大きな傷は出来てしまう。
そこに、ムカデ型の体液が飛んで浴びる羽目になった。傷口に入り込む異物感は、痛覚なんてないのに酷く染みる。
浴びるほど大量の体液を吹き出したからには、ムカデ型の傷も小さくはあるまい。尤もナオミと違いこちらは、真っ二つに切られた傍から再生してくっつき、一瞬で元通り。この程度のダメージなど大したものではないのか、後退せず角イモムシに戦いに挑む。大きな牙で噛み付き、果敢に攻撃を仕掛ける。
角イモムシもムカデ型に体当たりをお見舞い。突き飛ばし、角で切り裂く。
どうやら角イモムシはムカデ型を、なんらかの理由で襲ったらしい。捕食する気なのか、縄張り争いなのか。なんにせよナオミはその攻撃に巻き込まれ、大きな傷を負ってしまった。
「(あー……これは、駄目、だわ)」
意識が遠退く。身体から力が抜けていく。
少し、傷を負いすぎたのか。
暗黒生命体の再生能力は高い。その細胞を混ぜたDB型バイオロイドも同様だが、しかし無限の再生力がある訳ではない。身体からエネルギーが枯渇すれば活動停止に陥るのは、一匹だけで現れた暗黒生命体が休眠状態に移行した事からも明らかである。
大きな傷を何度も負ったナオミの身体も、殆どエネルギーが残っていないのだろう。傷口の再生が止まっていると、感覚的に理解した。
「(やっぱり、勝ち目、は、なかっ、た……)」
死への恐怖はない。やるだけはやったし、今も生存する気はあるが、それで命が繋げれば世の中は今頃不老不死だらけだ。
意識を継続するのに必要な生理機能が途絶えれば、気を失うのは必然。
極めて科学的にナオミは意識を失う。そしてもう、周りにナオミの事を救助してくれる仲間の姿はない。送り込まれた百名の軍人達のほぼ全てが、抵抗どころか仲間との連携も出来ないうちに食い殺されている。
第一次暗黒生命体生息圏侵入調査計画は、メンバーの全滅により失敗。
それを軍本部に伝える事も出来ないまま、ナオミの身体は暗黒の世界を、暗黒生命体の支配領域を、ゆっくりと流れていき――――