「ごぶっ。ごほっ!」
ナオミは意識を取り戻した。
酷く咳き込む。痛みは特に感じないが、それはDB型バイオロイドの神経が数学的に感覚を処理しているため。全身の神経系から送信される情報を読み解けば、普通の人間なら身動きどころか悲鳴さえ上げられないほど酷い状態だと分かる。
一体、自分の身に何が起きたのか。
直前の記憶がない。そこに恐怖は感じないが、しかしこの後何が起きるか分からないのは問題だ。だから思い出すために記憶を辿っていく。
幸いな事に、ナオミの脳細胞は健在だった。
不幸な事に、最後の記憶は最悪なものだった。
暗黒生命体に襲われ、生きたまま腹を喰われた。挙句奇襲を仕掛けてきた別種の攻撃に巻き込まれ、身体をバッサリと切られた。そしてエネルギーの枯渇により、再生能力が停止した。
つまりは自分が殺された瞬間を、バッチリ思い出せたという事だ。
「(まぁ、こうして生きてる訳だから、殺されたってのは正確な言い方じゃないけど)」
常人ならば正気を失いそうな事実を、しかしナオミは平然と受け止める。事実を否定しても仕方ない。
それよりも考えるべきは、今、どんな状況に置かれているのか。
そして自分はどんな状態なのか、だ。
「……どれどれ」
まずは周囲を確認。自身に危機が迫っていないかを確認する。
結論を言えば、安全とは言い難い。
何故なら見渡す限りのあらゆる方角に、暗黒生命体の姿が見えたからだ。というより隙間がない。全天が暗黒色の生命体に埋め尽くされている。近くだけでなく遥か彼方にもいて、体長数センチ以上の個体に限定しても周囲数百メートル圏内に数億体はひしめき合っているだろう。
それでいて岩場や木陰なんてものはなく、身を隠せるような遮蔽物は皆無。『安全』な場所など何処にもない。辺りにいる暗黒生命体の一部でもこちら目掛けて突撃してきたら、その瞬間にお終いだ。
しかし暗黒生命体達は、ナオミを襲おうとする気配がない。
遠巻きに様子見している、という雰囲気でもない。その証拠に、時折小さな暗黒生命体がナオミの傍を通り抜けていく。一匹二匹の話ではない。だがこちらの身体を貪り食おうとするような、攻撃性は微塵も感じられなかった。
まるでこちらの事を餌ではなく、そこらに落ちている木や石のように無視している。先程まで奴等はナオミ含めたバイオロイド達を徹底的に食い殺していたのに。
「(……全員お腹がいっぱい、とか)」
あり得そうにない可能性を考えて、やはりあり得ないと即座に否定する。
注意深く観察すればすぐに分かる。周囲を飛び回る暗黒生命体達は、ごく普通に『生存競争』を繰り広げていた。小さな虫を、大きな虫や動物型の種が追い駆け回し、食べている。生物としてはあり触れた営みが、あちこちで見られた。
すると暗黒生命体は、敢えてナオミを無視している事になる。今後攻撃を回避する手段として使えそうなので原因を知りたいところだが、暗黒生命体について殆ど何も分からない現状、考えても答えは出そうにない。
それよりも分かりそうな事に思考を巡らせる方が合理的だとナオミは思う。分かりそうなだけで、分かるとは限らないが。
例えば、何故自分の身体が完全に再生しているのか、とか。
「(下半身、元に戻ってるわね)」
目視と五感で把握した限り、ナオミは自分の身体に一切の欠損がないように感じていた。流石に服は欠片も残っていないが、だからこそ一糸纏わぬ己の肉体に傷一つないと確信する。
ムカデ型に喰われ、角イモムシに切り裂かれたのは夢か何かか? 流石にそれはあり得ないだろう。『ダメージ』の記憶は確かに残っている。あれが夢の筈がない。
だとすれば傷は再生したと考えるべきだ。理論上は不可能ではない。暗黒生命体の細胞を持つDB型バイオロイドの再生力は優秀で、観測記録(自傷行為時のデータらしい)では腕や臓器までも再生したという。
ただしそれは、エネルギーが十分にあればの話。片っ端から何かを食べていたなら兎も角、暗黒生命体の生息圏を漂うだけでどうにかなるとは考えられない。
……考えられないが、意識した途端猛烈に空腹感を覚えた。
「(身体からエネルギーが枯渇しているのは間違いない。なら、実は身体に蓄えられていた分で足りていた、という事かしら?)」
イマイチ釈然としないが、そう考える他ない。暫定的にだが、そうだと結論付けておく。
さて。身体が動くのであれば、何かしらの行動は出来るだろう。では何をすべきか。やはり一番の目標は――――と、ナオミは次の方針を考え始めた
途端にぞわりとした感覚が背中を走る。
悪寒、と言うべきなのか。不快感はないものの、衝動が掻き立てられる。身体を動かさずにはいられず、つい、勢いよく前へと跳び出す。地面などない無重力空間だが、電磁誘導に似た力を用いれば俊敏に飛翔する事が可能。
そうして数メートルほどの距離を瞬時に移動した直後、背後を何かが横切った。
「……………げっ」
思わず振り向いたナオミは、少しばかり血の気が引いた。
背後を通り過ぎたのは、巨大な暗黒生命体だ。翼を生やした、ドラゴンのような見た目の種。翼長は十五メートル近くあり、大きさだけで勝ち目がないと分かる。
ドラゴンの口にはツチノコのような、ずんぐりとした姿の暗黒生命体が咥えられていた。大きさは三メートル前後。今の高速移動で捕獲したのか。恐らくドラゴンはナオミではなく、ツチノコ型の暗黒生命体を狙っていた(ドラゴンからすれば明らかにあちらの方が『食べ応え』がある)のだろう。
しかしナオミを気遣う事もしない。だからナオミが棒立ちしていたら、そのまま突っ込んできたと思われる。今のナオミですら、ギリギリ視認出来たような猛スピードだ。たとえ噛まれずとも、あんな巨体と勢いで接触したらただでは済まない。
「ひゃっ」
そこまで想像したところで、またナオミの身体が勝手に動いた。熱いものに触れて手を引っ込めるように、身体が前へと跳び出す。
すると今度は、小さな暗黒生命体の大群がどっと押し寄せてきたではないか。
大半が体長一センチ未満の小型種。イモムシに四枚の翅を生やしたような、無数にいる暗黒生命体の中でも最もよく見る形態だ。
襲いに来た、という様子はない。何かから逃げているようにも見えず、恐らくただ通っただけなのだろう。だがその動きが激し過ぎる。DB型バイオロイドの動体視力でも追うのがやっとの速さで、数センチ先すら見通せない密度の群れが動いている。しかも群れの大きさは、ざっと直径数千メートル。長さに至っては、少なくともナオミの立ち位置からでは果てが見えない。見る限りこの空間に遮蔽物はないため理論上何処までも……それこそ数光年彼方だろうと見通せるのに。
もしもこの群れに飲み込まれたなら、さながら紙ヤスリで擦られるかの如く、接触時の摩擦で身体を削り取られていただろう。それも一瞬の事ではない。延々と削られ続け、群れ全体が通り過ぎた頃にはナオミの身体など跡形もなくなっている。
「わわわっ」
などと危険性を認識している暇もない。また感じた衝動に従い、慌ててナオミは横に数メートルほど飛び立つ。
今回やってきたのは暗黒生命体ではない。
七色の輝きを放つ『エネルギー体』だ。本当にエネルギーなのか、エネルギーならばどんな性質の力なのか。それらは一切分からないが……直径十メートルはある極大レーザーと思えば、当たればどうなるかだけは明白だ。
この攻撃を放ったのは、遥か遠方にいる暗黒生命体。
距離が離れているため、正確には分からない。だが推定体長が三十メートル近くある、暗黒生命体の中でも特に巨大な個体だ。クマのようにがっちりとした体躯をし、甲虫に似た頑強な翅が背中を覆っている。長く伸びた尻尾の先は、武器として使えそうなほど鋭く硬質化していた。頭部は肉食恐竜や鳥類を思わせる風貌だが、大きな口は左右に開く構造をしている。口の中には無数の鋭い歯が並び、獲物の肉を貫き、引き裂く事に特化していた。
如何にも獰猛そうな怪物、否、怪獣のような暗黒生命体だ。その怪獣と相対するのは、更に奇妙な怪獣。
例えるなら、イソギンチャクに魚の下半身を付けたような姿をしている。魚といっても地球の魚と違い、鱗もヒレも作りが違う。アシカのようなオール型のヒレが、何十枚も身体から生えて波打つ。イソギンチャク部分の触手は数百本も生え、にゅるにゅると蠢く。イソギンチャク部分は頭なのか、それとも胴体なのか。見た目からはよく分からない。
この二体の怪獣が取っ組み合いの争いをしていた。体格はクマ型の方が良いが、体長はイソギンチャク型の方が一回り大きい。体重的には互角なのか、二体は一進一退の攻防を繰り広げている。
そうした攻防の中で、イソギンチャク型が触手からビームを放った。
本当にビームなのかなんて、ナオミには分からない。少なくとも見た目上は、光り輝くものを一直線に放っている。あまり高出力の攻撃ではなさそうだが、触手は何百もあるのだ。ビームも何百と放たれ、一斉にクマ型に撃ち込まれる。
しかし攻撃は通じず。
クマ型の体表面で、ビームは雨水かの如く弾かれていたからだ。一本のビームが何十にも分散し、四方八方へと飛んでいく。拡散こそすれ、減衰はしていない様子から、ほぼ百パーセントの効率で弾いているのだろう。つまりクマ型の表皮は一切ダメージを受けていない。
そしてクマ型にとって、弾いた後のビームが何処に飛ぼうと興味もなかろう。
無論、偶々ナオミの頬を掠めていってもだ。
「わ、わわわ……!?」
全く反応出来ない速さだった。運良く当たらなかったが、直撃したらどうなっていたか分からない。
遮蔽物も何もないこの空間であの拡散ビームから逃れるには、兎に角遠くに離れるしかない。ナオミは急ぎこの場から離れるよう飛び立つ。
飛び立った先で、百メートルはある巨大イモムシとナマコのような暗黒生命体が戦っているのを目にした瞬間、逃げ回る事が馬鹿馬鹿しくなってきたが。
今の今まで、こんな巨大種はいなかった。逃げ惑いながらも周りを見ていたから間違いない。なのに突然現れて、目の前で戦い始めるとはどういう事なのか。
いっそ幻覚であってほしいが、ぶつかり合いによって生じた衝撃波で吹っ飛ばされては否定なんて出来ない。
「い、いくら、なんでも、滅茶苦茶よ!」
度重なる襲撃に、流石のナオミも悪態を漏らす。暗黒生命体達の生存競争はあまりにも激しい。こんな殺し殺されの世界で生き、子孫を残していくなど正気の沙汰とは思えない。
それと同時に、自分の身体に対する違和感も覚えていた。
意識を取り戻してから、ナオミは何度も暗黒生命体の攻撃を回避している。
実際には、どの暗黒生命体もナオミを直接は狙ってなく、進路上や攻撃範囲から退いただけというのが正しいだろう。だが、それでも恐らく……証拠はないが確実に、意識を失う前の自分だったらそれさえも出来ていなかったと感じていた。
以前よりも身体能力が向上した気がする。計測しなければ具体的な数値は分からないが、数パーセント程度の差ではない。数倍近い差があるのではないか。それだけでなく、気配に対し異常なほど敏感になったようにも思う。
しかし何故か。
当然ながら、DB型バイオロイドに隠れた能力なんてものはない。そんなものは軍上層部から聞いていないからだ。優れた機能ならば隠しておく必要がなく、欠点があるなら事故防止のためバイオロイド達に伝えるべきだろう。どう考えても話さないでおく理由がないのである。
「(だとすると、この肉体強化は後から発展したのかしら? でも、なんで?)」
意識を失う前に、何かあっただろうか。振り返ってみたが、殺されかけた事ぐらいしか思い当たらない。死にかけてパワーアップ、というのはフィクションではよくあるが、バイオロイドの機能にそんなものはない。
気になる点は他にもある。
それはナオミ自身の『意識』だ。元々自身の死に無頓着で、合理的思考を好み、感情論を蔑ろにする性格なのはナオミも自覚している。バイオロイドの中でも珍しい、僅かにだが
しかしナオミは決して無感情ではない。あまりにも異常事態が続けばパニックを起こす。先程のような襲撃が何度も続けば、落ち着くなんて無理な筈だ。ましてやバイオロイドの仲間達が喰われる瞬間を目の当たりにし、今や全方位に暗黒生命体がひしめく空間に一人ぼっち。錯乱とまでは言わないが、本来なら冷静さぐらいは欠いていただろう。
なのに、どうにも今のナオミはストレスを感じていない。思考も淡々とし、現実を理解している。
「(そこまで薄情なつもりはなかったんだけど)」
自身の反社会的思考を戒めても、やはり嫌悪も何もない。
過度のストレスで思考プロセスに変化が生じたのか? エネルギー不足で脳の一部が壊死したのか? 原因を考えるナオミだったが、それは失策だ。暗黒生命体達は、決してナオミを避けていた訳ではない。
単にナオミぐらいの大きさの生物を獲物にする種が、今まで近くにいなかっただけ。
考え込むナオミの背後に現れた暗黒生命体は、ナオミをしっかり狙っていた。
「――――あっ」
ミスに気付いたナオミは、反射的に背後へと振り返る。
迫っていたのは、犬のような外見の暗黒生命体。
体長は三メートルほどあるだろう。足が六本生え、尻尾は二本ある。大きな耳のような、立派な角が二つ伸びていた。目玉は三つあり、どれも複眼らしい。左右に開く口の内側には、大きく鋭い歯が並ぶ。
犬型の暗黒生命体は、空間を真っ直ぐに飛ぶ。翅も何もないというのに、電磁誘導らしき力で飛ぶナオミ達よりも遥かに高速だ。そしてナオミの頭目掛けて突進している。大きな口で頭部を噛み砕くつもりか。
「(避け……)」
身体を仰け反らせて避けようとするが、犬型はナオミを複眼のような目で凝視している。ちょっとやそっとの動きでは方向を修正し、的確に追ってくるだろう。
これは流石に避けられない。ならば腕でも差し出し、それを噛んでいる間に腕を切り落として逃げれば――――
躊躇いなく脳裏に浮かぶ、自分の身体を犠牲にするやり方。確かに合理的な方法だが、あまりにも人間離れした思考だ。バイオロイドの基本思考は人間と同じであり、こんな方法を簡単に思い付くものではない。ましてや決断するのに躊躇がないなどあり得ない。
自分の考えにナオミ自身驚いて、結果動けなくなってしまう。
そう、動けなくなったのに。
何かに引っ張られるように、ナオミの身体は真下へと動いた。
「わぁ!?」
自分の意思と違う動きにまた驚くも、お陰で犬型暗黒生命体の攻撃を回避。犬型はナオミの事を追おうとするが、ナオミの身体は更に加速する。
とんでもない速さで飛翔し、ナオミは遠くに逃げ出す。全く、微塵も意識していないのに。
それでも犬型暗黒生命体の方が速かったが、しかしその犬型暗黒生命体は他の暗黒生命体(黒いヘビのような種)に襲われ、ナオミを狙うどころではなくなった。どうにか危機は乗り越えたが……ナオミの身体はまだ勝手に動き続ける。
「な、何? 何が起きてるの?」
自分の身体は一体、どうなっているのか。誰かが牽引しているのか。訳もわからず、けれども知ろうとして、ナオミはあちこちに目を向けた。
その時、ふと目に入る。
自分の背中から生える
「……翅?」
ぽつりと、無意識に呟く。
幻覚ではない。存在を認識した途端、翅と身体が地続きになった感覚を抱いたがために。周りが安全になった(それでも空間を埋め尽くすほどの暗黒生命体がひしめいているが)ところで意識してみれば、翅はナオミの思った通りに動く。翅の大きさは一メートル近くあり、形はトンボに似た細長いもの。
身体も思い通りに動く。元々電磁誘導のような力で無重力空間を動き回れたが、翅を使えばもっと素早く、なのにもっと精密に飛行出来た。一体どんな原理で飛んでいるのかは分からないが、この力で暗黒生命体は自由に飛んでいるのだと本能的に確信する。
そう。即ち翅の力は暗黒生命体のもの。それが背中に生えた。少なくともこの空間を訪れた後に。しかしDB型バイオロイドにこのような器官生成能力は搭載されていない。
ここから一つの可能性が、ナオミの脳裏を過る。
「(まさか、私の中にある暗黒生命体の細胞が活性化している……!?)」
DB型バイオロイドの身体は、暗黒生命体の細胞を含んでいる。この細胞の力を用いる事で、DB型バイオロイドは暗黒生命体に匹敵する身体能力を手に入れた。
そしてこの力は、バイオロイドの脳によりコントロールされている。
……と、誰もが思っていた。だが、この考えは誤りだったのではないか。暗黒生命体の細胞はコントロールされていたのではなく、活性しきっていないだけだったのではないか。
暗黒生命体の生息域に戻った事で、本来の活性を取り戻しつつあるのかも知れない。或いは角イモムシに切られた後に浴びた、ムカデ型の体液と共に新鮮な細胞が体内に入り込んで増殖した可能性も考えられる。あちらはそれこそ生きた細胞だ。暗黒生命体の生命力を鑑みれば、どちらが起きてもおかしくない。
こう考えれば、今までの疑問にも一応の回答が出来る。暗黒生命体の細胞が活性化した事で、今までよりも身体能力が増大した。思考が冷静かつ合理的になったのも、これが暗黒生命体の基本的な思考だとすれば納得が行く。身体が治ったのも、ムカデ型の体液などを栄養にして細胞が増殖・回復したのだ。暗黒生命体の細胞ならば、同じ暗黒生命体の細胞を餌にする事は難しくない筈である。
――――だとすると、自分の身体や意思は暗黒生命体に乗っ取られつつあるのではないか。
物証は一つもない。だがこれだけ状況証拠が揃っていては、ナオミにはこの考えを否定する事が出来なかった。むしろ一番説得力のある仮説だろう。
「(これは、不味いわね)」
推測される自分の状態。それはナオミが考える限り、人類にとって最悪のものだ。
もしも元々あった細胞が活性化した事が原因なら、DB型バイオロイドは全てナオミのように『覚醒』する可能性がある。本来のDB型よりも圧倒的に優れた身体能力だ。一般的な軍用バイオロイドでは歯が立たず、DB型バイオロイドでも一対一だと勝てないだろう。覚醒後に暴走すれば、制圧する術がない。
しかも人格の変性がある。暗黒生命体がどんな価値基準を持ち合わせているかは分からないが……奴等はオーバーロード文明も人間文明も喰い滅ぼした。間違いなく人類なんて餌程度にしか思っていない。そしてバイオロイド自身に生殖能力はないが、暗黒生命体の細胞に乗っ取られた場合どうなるか分からない以上、繁殖の可能性もある。一つの宇宙すら一週間で滅ぼす大増殖が、バイオロイド文明の中枢で起きれば――――
DB型バイオロイドは危険だ。直ちに製造を中止し、廃棄すべきである。
最悪な事に、軍部はナオミ達の作戦が失敗した原因を知らない。それを伝えるための施設を作る前に、ナオミ達が全滅したからだ。これで計画が頓挫すればいいが、軍部がこの謎を解き明かすべく、もう一度DB型バイオロイドをこの宇宙に送ろうと計画する事も十分考えられる。しかも今度は更に大規模な部隊を編成して。そのバイオロイドの大量生産中に、万が一にも細胞の活性化が起きれば……
「……いえ、もっと最悪な事があるじゃない」
最悪を考えていたら、もっと悪い可能性を思い付く。
それはこの宇宙で暗黒生命体に人格を乗っ取られたDB型バイオロイドが、バイオロイド文明に帰還する事だ。
もしも暗黒生命体生息圏に送り込まれたDB型バイオロイドが、なんらかの方法で軍部に救助要請をしたなら。当然軍部はそのバイオロイドを救助・回収しようとするだろう。暗黒生命体の情報をたっぷりと得た、貴重な生存者なのだから。これで奴等と戦えると、嬉々としながら人類の本拠地に迎え入れる。
まんまとバイオロイド文明に入り込んだ『暗黒生命体』は、その場で繁殖を開始。奇襲攻撃を受けた軍部は隔離も避難も間に合わず、一瞬で食い尽くされる。そのまま暗黒生命体は裏世界中に広がり、不意を突かれたバイオロイドと人間は逃げる間もなく食べられていく。
最後には、何も残らない。
今度こそ『人類』は、一人残らず滅び去るのだ。
「(それだけは、阻止しなければ……!)」
人類にとっての幸運は、この可能性に気付いたナオミの中に未だバイオロイド文明への奉仕精神が残っていた事だ。
自分自身がその帰還者となる可能性を否定出来ない以上、早急に自己破壊をすべきだとはナオミも思う。しかしそれでは軍部が、バイオロイド文明がDB型バイオロイドと、暗黒生命体生息圏調査の危険性を知る事が出来ない。
知らなければ何度でもリスクを犯す。そしていずれ、致命的な事故を引き起こす。
人間は失敗から学べる。人間から設計されたバイオロイドも、失敗から効率的な学習を行う。だが暗黒生命体相手にそれは通じない。一度の失敗が全てを滅ぼすからだ。失敗の可能性を伝え、事故を起こす前に正す以外に対処法はない。
今、失敗の可能性を知っている自分が伝えなければ、人類は確実に滅ぶ。ならば自分がやるしかない。
「まさか、私なんかが人類の命運を預かるとはね」
下手をすれば、即座に潰れかねない重責。しかし暗黒生命体の細胞の影響か、殆どプレッシャーは感じない。
暗黒生命体がこの身体を利用するように、ナオミも暗黒生命体を利用して、人類文明を救うための行動を開始した。