人類を救う。
壮大な目標を定めたナオミであったが、では何から始めるべきかは考えていない。背中に生えた翅の力で暗黒生命体がひしめく空間を飛び回りつつ、状況を整理するところから始める事にした。
「(なんにせよ、軍と連絡が取れさえすれば良い)」
軍に暗黒生命体とDB型バイオロイドの危険性について報告する。これが一旦の最終目標だ。
目標達成後については考慮しない。自身の安全さえも、だ。むしろ既に蝕まれている自分の身体は、最終的に処分すべきとすらナオミは考えている。生死に頓着しない思想と、暗黒生命体由来と思われる合理性のお陰で、死の恐怖は全く感じずに済んでいた。
しかし、どうやって連絡を取ればいいのか?
作戦が順調に進んでいれば、悩むような問題ではなかった。調査隊と共にこの宇宙へと送り込まれた物資の中には、裏世界と通信するための機材も含まれていたからである。
だが調査隊は暗黒生命体の襲撃により壊滅。持ち込んだ機材を護衛するメンバーもいたが、恐らく大した抵抗も出来ないうちに喰われただろう。そして星さえ喰らう暗黒生命体の前では、最新鋭の機械も餌に過ぎない。
「(機材がまだあるか探すのは、時間の無駄ね。あとリスクが大きい)」
翅が生えた事で、ナオミの飛行能力は大幅に向上している。
だがあくまでも前の自分に比べて、という話だ。翅が発達している、飛行能力に優れた暗黒生命体よりも速いという事はない。というより、先程襲ってきた犬型よりも明らかに遅い。あれから逃げ切れたのは横やりが入ったからだ。暗黒生命体から逃げ回りながら機材探しをする余裕はないだろう。
無駄な調査をする事は、危険に身を晒すのに等しい。喰われてしまえば細胞に蝕まれた身体も『処理』出来るので、最悪の事態は避けられるが、それは軍に連絡した後ですべき事柄だ。
なんにせよ機材を用いる方法は不可能。他にやれる事があるとすれば……
「(私自身の力で、なんとかするしかないかな)」
自力で、宇宙を超えて連絡する。
字面だけで見れば、無理を通り越して非常識だ。されど暗黒生命体は生身で宇宙を超えてくる生物。この力を応用すれば、宇宙を超えた通信も可能かも知れない。
不幸中の幸いと言うべきか、DB型バイオロイドは無声通信が可能だ。暗黒生命体由来の力であり、原理不明だからこそ使い方次第では裏世界まで届く可能性がある。
……やっぱり無理かも知れないが。
出来るとも出来ないとも断言出来ないが、それは仕方ない。バイオロイド文明でも、暗黒生命体は謎が多い存在なのだから。というよりその謎を解くために来たのがナオミ達だ。未だ『自分』の事さえよく分からない。こんな状態で何が出来るか、どうすれば良いのかなんて分かる訳がないだろう。
つまり人類を救うために、ナオミがすべき事は。
「(自分自身の力を理解する事、と)」
人類を救うために、自分について知る。目的のための道順がようやく見えてきた。
そのために一番簡単なやり方は、他の暗黒生命体の身体を調べる事だろう。DB型バイオロイドと暗黒生命体は別の生物だが、細胞などの働きは同じ筈。暗黒生命体の身体を調べれば、自然とナオミの身体に対する理解も深まるだろう。
しかし、今から小さな暗黒生命体を捕まえて解剖する、というのは早計だ。やらないという意味ではない。ただ、今はまだ早い。
腹がぐーぐー鳴っているのに、暢気に研究用サンプルを捕まえている暇などある訳がなかった。
「……軍に連絡するには、暗黒生命体について知らなければならない。暗黒生命体について知るには、しばらく生存出来る状態にならなければならない。そして今、私は――――とても、お腹が空いている」
『今』の自分の取るべき行動が、ようやく見えてきた。
食べる事。即ち食料確保である。
だが、これも困難なのが実情だ。調査隊は当然食料を持ち込んでいるが、機材と同じく食い尽くされているのが目に見えている。だから他のものを食べなければならない。
しかし他も何も、此処は暗黒生命体に食い尽くされた領域。此処には暗黒生命体しかいない。ならば食べられるものも一つだけ。
暗黒生命体だけだ。
「……食べられるの、あれ」
導き出した結論はとても論理的。だが、全く以て受け入れ難い。宇宙すら食い滅ぼす怪物を食べるなんて、いくらなんでも無茶ではないか。
それに食べるという事は、暗黒生命体の細胞を体内に取り込む事でもある。きちんと消化吸収出来れば、なんら問題はないだろう。だが無事な細胞が残れば、ますます身体を浸食されかねない。
……こんな風に駄目な理由は幾つか浮かぶが。
しかし『合理的』な思考が不安を打ち消す。暗黒生命体化しつつある身体なら、食べる事自体は問題ない可能性が高い。何故なら捕食した細胞を一つ残らず分解・吸収する方が、捕食する側としてはよりエネルギーを得られるため合理的だからだ。
見たところ暗黒生命体は共同体という訳ではなく、互いに食う食われるの生存競争を繰り広げている。暗黒生命体同士だからといって仲間という訳ではない。地球の動物であるネコとネズミが、地球生命同士だからといって友達ではないのと同じである。食べた細胞なんて一つ残らず消化してしまうだろう。
仮に、消化しきれず一部の細胞を取り込んだなら、それで一層暗黒生命体化が進む。すると消化能力が強化され、次の食事では確実に細胞を消化出来る。エネルギー効率が改善され、自身の探求に時間を費やせるようになるだろう。浸食が進むからといって、必ずしも問題しかない訳ではない。
大体他の手段がないのだから、やるしかないのだ。
幸いと言うべきか、ナオミは食にあまり関心がないタイプのバイオロイドだ。栄養が補給出来ればそれで良し。味は特段気にしない。美味しければそれに越した事はないが、不味くとも構わない。
「とりあえず、捕まえやすそうなやつでも食べてみようかな」
まずは小さなものを一口食べてみよう。そう思い、辺りを見回す。
いや、見回すというのは厳密には正しくない。真正面に、なんなら顔面スレスレぐらいの位置を、無数の暗黒生命体達がすいすいと飛んでいるのだから。
暗黒生命体の個体数は凄まじい。文字通りこの宇宙を埋め尽くすほどの数が存在している。
よくよく考えれば、これはおかしな事だ。暗黒生命体に襲われる前の宇宙には数兆の銀河が浮かび、その銀河は数千億から数兆個の星系によって出来ていた。一見膨大な物質に溢れているように思えるが、平均密度で見ると殆ど『無』も同然。無数の星の集まりである銀河でさえ、その平均密度は一立方センチメートル当たり十のマイナス二十五乗グラム……小数点の後に〇が二十四個続くほど小さいな量しかない。人間が悠々と収まるサイズの空間に、砂一粒すらないのが銀河の密度なのだ。宇宙全体で見ればもっと密度は小さくなる。
だから宇宙全てを食べ尽くしても、暗黒生命体が宇宙を埋め尽くす事は本来あり得ない。質量が全く足りないからだ。
尤も、現実に暗黒生命体は宇宙を埋め尽くしている。なら暗黒生命体は何かしらの『インチキ』をしているのだろう。今の人類も平行宇宙から物質を取り出し、本来空っぽな裏世界を満たしているのだから、人類以上の力を持つ暗黒生命体なら何をしていてもおかしくない。
それに今から捕まえて食べようとしているナオミにとっては、数が多いのは好都合だ。
「(このイモムシみたいな奴なら、簡単に掴まえられるかな)」
最初に狙いを定めたのは、この空間で最も多く見られる暗黒生命体。イモムシのような身体に、四枚の翅を生やした種だ。
ずんぐりとした身体付きであるイモムシは、運動能力が低い。昆虫の場合、幼虫の時期は動き回る必要がない(繁殖相手を探す、産卵場所を求めるなどの理由がない)ため、栄養摂取と成長に最適化した身体の方が適しているからだ。それが効果的な戦略なのは、地球において昆虫という種族が繁栄していた事からも明らかであろう。
イモムシ型の暗黒生命体も、成長に特化した姿と思われる。バイオロイドを貪っていた個体は即座に産卵していたので、繁殖能力にも優れているかも知れない。翅があるので運動能力はあるが、そこまで俊敏ではあるまい。
ナオミは真っ直ぐ、イモムシ型に手を伸ばす。
するとイモムシ型は身を翻し、ナオミの手の横をするりと抜けていってしまう。動きは中々機敏。ナオミが動きに気付いた頃には、イモムシ型は手首の可動範囲の外に出てしまう。
「うーん、思ったよりすばしっこいわね」
少々甘く見過ぎていたか。そう思い、改めて他のイモムシ型を捕まえようと狙いを定めた。
今度は、視線を向けただけで周囲のイモムシ型が一斉に逃げ出す。
――――違和感を覚える。
だがやる事は変わらない。捕まえて食べる。ただそれだけ。強いて言うなら、ちょっと本気を出すだけだ。
「このっ……!」
追い駆けながら、無数にいるイモムシ型へと手を伸ばす。
するとイモムシ型達はさっと逃げ出す。手が届くよりも前に、遠くまで行ってしまう。
それでも意地になって追えば、今度は四方八方へと散開。狙っていた個体は他個体の影に紛れ、ならばと狙いを変えた傍からそれらも他の個体の裏へと隠れてしまう。狙いが定まらない。
右往左往していたら、真横から別のイモムシ型の群れがやってきた。今度こそは、と振り返った途端、イモムシ型の群れ全体がぐにゃりと歪み、ナオミを迂回するようなルートを通る。ナオミが迫れば迫る分だけ、イモムシ型は遠く離れていく。
「くっぬぅああっ!」
ならばと体当たりする勢いで飛べば……今度はイモムシ型の群れが一斉にナオミの方へと飛んできた。
速度というのは相対的なもの。時速百キロで走る車からは、対向車線を走る時速百キロの車が時速二百キロに見える。イモムシ型の場合も例外ではなく、ただでさえ素早い飛行速度がナオミ目線ではもっと速く感じる。
予想以上の速さにナオミの身体が僅かに硬直した。その隙を突いてイモムシ型暗黒生命体の群れはナオミの真横を通っていく。
己の失態に気付いた時には手遅れで、イモムシ型の群れは遥か後方まで逃げてしまった。いや、逃げただけならまだ良い。追跡するという選択肢もあるだろう。
ところがイモムシ型の群れは、突如
「はぁっ!? え、えっ!?」
何かの見間違いか。しかし目を何度瞬かせても、先程まであった筈の群れは見えてこない。
混乱しつつも、他の暗黒生命体を襲おうと近くのイモムシ型に狙いを付けた……が、今度は目の前でイモムシ型が消えた。本当に忽然と、一瞬で姿が掻き消えたのである。
痕跡は何一つ感じ取れず、何処に行ったのかも分からない。或いは単に姿を消しただけではないかと、諦めずに手を伸ばしてみるが、何も触れない。
そして一匹のイモムシ型が消えたら、周りにいる何万ものイモムシ型も一斉に消えた。消えたと思ったら、数メートル先に現れ、また消えた。
追い駆けようにも、何処にどれだけ動くか全く分からない。
「……………ふぅー」
いっそ清々しいまでの失敗。それはナオミに、少しばかり冷静さを取り戻す機会を与えてくれる。
何度も失敗した事で『経験』は積めた。実利はなくとも実りはある。
具体的には、自分の身体にある問題を認識出来た。それも二つも。
「身体能力の差が顕著、ね」
一つは、自分と暗黒生命体の身体能力の違いである。
ナオミは暗黒生命体の力を得た事で、以前よりも遥かに強力な身体機能を手に入れた。少なくとも自分狙いでない攻撃ぐらいなら躱せる程度には。だが、暗黒生命体の肉体はそれさえも大きく凌駕しているらしい。
あのイモムシみたいな生き物でさえ、ナオミの手の動きよりもずっと速い。姿が消えるのも厄介だが、追い付けないのだからそれ以前の問題だ。素早さで劣るのだから、追い駆けて捕まえるのは不可能と言えよう。
もう一つの問題は、エネルギー消費の激しさである。
「(ちょっと動き回っただけなのに、かなり疲れた……正直、空腹感もさっきよりかなり強まっている)」
どっと押し寄せてくる疲労感と空腹。無視したくても出来ないぐらい、強い衝動がナオミを襲う。
冷静に考えてみれば、これはおかしな事ではない。優れた身体能力を発揮するには、多くのエネルギーを消費する。暗黒生命体の身体機能の高さを考えれば、体力がすぐに底を突くのは必然と言えた。
更にエネルギー消費というのは、単なる疲労感では終わらない。身体に溜め込んだエネルギーは、運動だけでなく生命活動にも消費される。もしも備蓄が減ったなら、直ちに補給しなければ命が危うい。そこで空腹という形で身体はエネルギー補給を促す。
暗黒生命体の身体というのは、物凄く燃費が悪いようだ。いや、光速以上の速さで動き回り、生身での宇宙間移動をするスペックを考えればむしろ超効率的な部類だろうが……だとしても消費が多過ぎる。
恐らく数分でも食べ物を得られなければ、餓死の可能性があるだろう。
そしてこういう高機能な能力は、たとえ使わずとも『維持費』だけで多くのエネルギーを消費するもの。動き回るのを止めたところで消費は抑えられない。つまり無駄な狩りを控えたところで、状況は何一つ改善しないのだ。
「(いくらなんでも猶予がなさ過ぎる! こちとら狩りなんて初めてなのよ! 数分でどうにか出来る訳ないでしょ!)」
理不尽な時間制限に、脳内で悪態を吐く。
その悪態で、ふと気付く。
初めての狩り。それはナオミにとっての話だ。
しかし暗黒生命体達は違う。奴等はこの世界で生まれ、この世界で暮らしてきた生き物である。成体となるまでに、さぞや多くの天敵に襲われただろう。
天敵に襲われた時、一度の失敗も許されない。失敗して捕まれば喰われ、殺されるのだから。即ち今此処にいる、数え切れないほど多くの虫達は、全ての天敵から逃れてきた『猛者』なのだ。過去まで含めて考えれば、此処にいる全ての暗黒生命体は猛者の末裔でもある。
その猛者を初めての狩りで捕まえる?
いくら人類が高慢ちきな種族とはいえ、流石に舐め腐った考え方だろう。そんな態度で挑んで捕まえられるような相手ではない。
ましてや暗黒生命体は人類の敵であるが、生命体としては遥かに格上だ。敬意を払わず、小さいからなんとかなるなんて考えが通じる訳もない。
「(とはいえ、本気になってどうにかなるような相手でもない)」
ナオミにとってこれは初めての狩りであるが、それ以前に初めて暗黒生命体の身体を動かす状態でもある。
無論、DB型の肉体を動かすための訓練は受けた。しかし今のナオミの身体と比べれば、訓練時の身体スペックは恐らく数十分の一程度しかない。
三輪車の運転が出来るからといって、ロードバイクに乗ろうなんて二十年早いのと同じだ。ここまで性能が向上した身体を動かすには、別途訓練を重ねなければなるまい。いや、恐らく訓練だけでは不十分で、数十倍の速さに対応する脳や神経系の改造も必要だろう。よちよち歩く幼稚園児の身体機能では、どれだけ訓練してもロードバイクを乗りこなせないのだから。
身体能力と経験の不足。
冷静に自己分析してみれば、出てきた結果のなんと絶望的なものか。されど状況を正しく認識しなければ、現状の改善なんて見込めない。それこそ、現実が絶望的であればあるほどに。
事実、課題が見えた事でナオミは一つの解決策を思い付いた。
「(私じゃ無理なら、使える奴にやらせればいいのよ)」
自分では上手く出来ないなら、別の誰かに身体を明け渡せば良い――――脳移植で容易に身体を交換出来るバイオロイドだからこその発想だろう。
勿論暗黒生命体が支配する環境では脳移植手術なんて受けられない。そもそも暗黒生命体の身体を使いこなせるバイオロイドなんて、まず存在し得ないとナオミも思っている。
暗黒生命体の身体を十分に扱えるのは、暗黒生命体だけだ。
「(見方を変えれば、暗黒生命体なら経験値ゼロでもある程度は動ける筈)」
カマキリは卵から孵化してすぐに、獲物を捕まえられる。
クモも誕生した幼体はたった一体で、獲物を捕まえるための美しい網を貼り、そして捕まえる。
トカゲも、カエルも、魚も同じだ。子育てをしない生物の子供は、生まれてすぐに自力で餌を取れる。遺伝子の為せる技であり、出来なければ生き残れなかったとも言える。ましてや肉食動物であれば、他の動物を捕まえるのに足る力を有して生まれる筈だ。
暗黒生命体も例外ではあるまい。子育てをしない種であれば、生まれてすぐ自力で狩りが出来る能力が備わっていなければならない。
そして地球生命の場合、子育てというのは一般的な繁殖戦略ではない。育児には多くのコストが掛かるので、少数の子供しか育てられない。故に死亡率が高い=たくさんの個体を生まなければならない
「(なら答えは簡単じゃない)」
あれこれと理屈を考え、ナオミが辿り着いた方法はこういうもの。
自分の身体にある暗黒生命体の細胞に、身体の主導権を引き渡す。
人類の敵に身体を明け渡すなど、正気の沙汰ではない。人間のみならずバイオロイドからも批難される考えだろう。ナオミ自身、大分自分の脳が暗黒生命体に侵食されているような気がしてならない。しかし実際問題、これ以外に獲物を捕まえられる術はない。
バイオロイドのスペックでは暗黒生命体を扱いきれない以上、努力も根性も知能も問題解決には寄与しないのだ。明日行われるロードバイク大会の優勝賞金が欲しければ、自分や幼稚園児をスパルタで鍛えるより、プロのロードランナーに依頼すべきなのと同じである。
加えてナオミには、この方法が成功するという『確信』があった。
「(さて、じゃあ一旦やってみようかしら)」
思い立ったが吉日とばかりに、早速ナオミは身体にある暗黒生命体の細胞に主導権を渡す。
その方法は、意識を失う事。
工業的に製造されているバイオロイドの脳には、様々な機能が付属されている。そしてこれらの機能は、厳密には少し異なるが、『意識』するだけで操作可能だ。例えば脳機能を一時的に停止する事で、パソコンにおけるスタンバイ状態や、電源を落とした状態に移行する。
ナオミは脳の活動休止タイマーをセット。数秒後、自意識を一時的に停止させた。思考能力を失ったナオミの身体は、暗黒生命体のひしめく空間で人形のように力を失う。
普通に考えれば、全てを喰らう暗黒生命体だらけの中で意識をなくすなど自殺行為である。
しかしナオミは既に一度、この状況を経験していた。
――――そう、思い返せば奇妙なのだ。
ムカデ型に襲われ、角イモムシに切られた後、ナオミは意識を失っていた。宇宙さえ食い尽くす暗黒生命体が、食う食われるの激しい生存競争を繰り広げる野生生物が、ぷかぷか浮かぶ
目覚めたばかりの頃は情報がなく、だからこそ幸運と思うしかなかったが……今なら断言出来る。暗黒生命体相手に運など通用せず、生き延びたのであれば必然の結果に過ぎないと。
「……………」
ぱちりと、ナオミは目を開く。
しかしまだ脳の停止タイマーは終わっていない。だからその身体にナオミの意識はない。
にも拘らず、ナオミは目をギョロギョロと動かす。頭もぐりぐりと回し、身体も右に左に大きく傾かせた。背中から生える二枚の翅を忙しなく羽ばたかせると、不意に手足から力を抜く
瞬間、ナオミの身体は動いた。
未だナオミの意識は戻らない。だがその身体は、今までの動きこそが寝惚けていたかのような俊敏さを発揮する。一瞬でイモムシ型暗黒生命体の群れに肉薄したナオミの身体は、迷いなく腕を伸ばす。光速を超え、時空さえも歪めるほどの速さ。ナオミがこれまでに繰り出した手など、止まって見えるほど。
しかしイモムシ型はこの速さも見切り、寸でのところで躱す。
これでも捕まえられない――――人間ならば落胆するところだがナオミは、いや、ナオミの身体を動かす暗黒生命体の細胞は、こんな事に一喜一憂しない。
捕まえられなかった事など気にも留めず、次の手を繰り出す。それが空振りに終われば反対の手を動かし、これも外せばまた反対の手を振るう。
失敗など意識しない。兎に角手数を繰り出す。これがナオミの身体にある細胞が導き出した、イモムシ型を捕まえるための最適な方法。
そしてついにナオミの手は、イモムシ型を一匹握り締めた。
大きさ五センチはあろうかという大きなイモムシ。強く握れば当然潰れる。ぐちゃりとした感触が伝わったが、ナオミの身体はぴくりとも反応せず。寸分も迷わず、握り潰したイモムシを口に頬張った。
「くちゃくちゃくちゃくちゃくちゃ」
無表情で、無心で、ナオミの身体はイモムシ型を咀嚼する。食事のマナーなんて知らないとばかりに、口を半開きにした咀嚼だ。
更に食べながら次の獲物を狙う。イモムシ型の群れを追い、手を伸ばし、何度かの失敗を経てまた捕まえる。
「はふっ、くちゃくちゃくちゃくちゃ」
捕まえた暗黒生命体は、まだ中身が残っていても口に押し込む。
そしてまた手を伸ばす。ひたすらに、闇雲に、そこにある命を食い荒らす。
――――全て、ナオミの想定通り。
角イモムシに切られた後、暗黒生命体の細胞がナオミの身体を支配していた。そして多数の暗黒生命体を捕食し、失われた下半身や肉を再生するだけのエネルギーを得ていたのだ。更に再生する過程で暗黒生命体の細胞数が増加し、強大な身体能力を得た。襲い掛かる暗黒生命体から逃げ、生き延びてきたのも、暗黒生命体の細胞がやってくれた事。
今ナオミが生きているのは、暗黒生命体のお陰である。
その事実をナオミは知覚していない。だが知らずとも状況証拠から予測出来る。だから己の命運を、己の細胞に託したのだ。
ついでに、暗黒生命体の細胞だけでは人類がいる裏世界には戻れないとも踏んでいる。もし裏世界の存在を暗黒生命体の細胞が知っていて、戻るための能力があれば、最初に意識を失った時点で進出している筈だ。あそこなら天敵はなく、人類という名の餌が食べ放題で、侵入しない理由がないのだから。絶対ないとは言えないが、許容出来る程度の低リスクではある。
結果として暗黒生命体の細胞は、彼女の空腹を満たすだけの獲物を捕まえてみせた。裏世界にも戻らず、暗黒生命体が支配するこの世界に留まっている。全てがナオミの期待通り。
だからしばらく経って意識が戻った時、ナオミは自分がたくさんの暗黒生命体を頬張っている事に驚きなんて抱かず。
「まっずぁ!?」
味の悪さという全く予想外のダメージで、極めて感情的な悲鳴を上げるのだった。