暗黒生命体調査計画   作:彼岸花ノ丘

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食物連鎖

 それなりの数の暗黒生命体を食べた事で、耐え難い空腹感は解消した。

 これにより生存時間を確保出来た。恐らく数分後にはまた空腹に見舞われるだろう。あまりにも短い時間に思えるが、暗黒生命体化が進んだ今のナオミは、ほんの一秒でバイオロイドが数百時間思考するのと同等の処理を行える。数分もあれば十分だ。

 『余暇』を確保したナオミは、いよいの自分の身体について本格的に調べ始める。

 先程の食事で能力については色々把握出来たが、こんなものは暗黒生命体の一部に過ぎない。何よりナオミが知りたいのは、宇宙を食い滅ぼす生命体の生態ではない。いや、ナオミ個人はそれも知りたいが、優先すべきは裏世界との安全な通信を可能にする能力が備わっていないかの方だ。生態について詳しく調べるのは、軍人としての役割を果たしてからで良いだろう。

 という訳で自分の身体について理解する事にしたが、これは簡単な話ではない。

 

「(自分に何が出来るか、なんて分からないのが普通だし)」

 

 生物というのは、存外自分に出来る事を知らないものだ。例えば人間は自分の耳で聞き取れる音の周波数なんて知らないし、体温調節のために血管が伸縮する事も分からない。

 暗黒生命体も同じようなものだろう。

 ……だとしても、あまりにも分からな過ぎる気もするが。確かに生物は自分に出来る事を知らないが、同時に「あれが出来る」という確信もあるものだ。確信というのは知性の有無に限らず、当然のようにそうするという意味である。

 クモは誰に教わらずとも狩りのための網を張るし、イソギンチャクは獲物が触れれば毒針を撃ち込む。カエルは自分の粘ついた舌で虫を捕まえられると分かっているし、ヘビは赤外線の色合いを動物だと理解している。猫はヘビのように細長いものを嫌い、ミミズは暗い場所を目指して進む。

 これこそが本能。生理反応により引き起こされた衝動が、自身のすべき事を教えてくれる。暗黒生命体にも似たような機能はある筈だ。

 ところがナオミには何も分からない。何を食べるべきか、何を食べたいか、どうしたいかという衝動がまるで湧かない状態である。

 

「(精々お腹が空いたぐらいで、何かしたいって衝動は全然感じてないのよね)」

 

 言い換えれば本能(身体)の求めるものが、何も分からない。

 生物としてあまりに欠陥がある。人間文明を滅ぼした暗黒生命体が、こんな欠陥生命体とは考え難い。なんらかの問題がある筈だ。

 一体どんな問題があるというのか――――少し考えてみれば、ナオミは心当たりを思い付く。根拠や証拠はないが、間違いないと『確信』する。

 恐らく、脳が身体からの『信号』を正しく受け取れていないのだろう。

 

「(そりゃそうよね。バイオロイドの脳なんて、所詮人間のものをあれこれしただけなんだし)」

 

 暗黒生命体の身体能力は凄まじい。エネルギー吸収能力、エネルギー生成能力、超光速飛行能力、宇宙間移動能力……

 そのどれもが、バイオロイド文明でも原理すら分かっていない。例えばナオミが当然のように使っている飛行能力。細胞を組み込んだだけのDB型バイオロイドにも使用出来たが、その詳細原理は解き明かされていない。電磁誘導に似たものと考えられていたが――――異次元物質の存在を知った今となっては、その推測も甚だ怪しい。

 人類の知る電磁波とは似て非なるもの、即ち人間が生まれた宇宙には存在しない物理現象という可能性は、十分あり得るだろう。自分の宇宙に存在しない物理現象を感知するような仕組みは、人間の脳にはない。あくまでも人間をベースにして作られたバイオロイドも同じだ。ナオミの脳も、認識不可能な物理現象は感知出来ない筈である。

 だから暗黒生命体に侵食された身体が「あれをしたい」「これが出来る」と伝えても、ナオミの脳には何を言われているのか分からないのだ。

 或いはもっと単純に、神経系の作りが違う事も考えられる。生物種が違えば、神経が反応する物質も異なる。ましてや暗黒生命体は別宇宙の存在で、人間やバイオロイドとは生物学的繋がりが一切ない。暗黒生命体の神経が反応する物質に、人間の神経が微塵も反応しない事はむしろ当然だろう。

 どちらの理由にしても、生物的差異によるもの。原因が分かったところでどうにも出来ない。人間がミミズとの『対話』を試みるよりも遥かに無茶な話だ。

 いや、その無茶を可能とする方法もあるにはあるのだが。

 

「(もっと身体の暗黒生命体化が進めば、分かると思うけど)」

 

 暗黒生命体細胞の浸食が更に進み、脳も神経も侵されたなら。その時には身体の衝動を感じ取れるだろう。『暗黒生命体』なのだから当然だ。

 当然だが、これでは意味がない。脳まで蝕まれたら、それこそ身も心も暗黒生命体になってしまう。意気揚々と裏世界に乗り込んで、人類を滅ぼす存在になっては軍用バイオロイドの名折れ。それだけは回避せねばなるまい。

 人間的な理性があっては、身体の事は分からない。身体の事を分かる頃には、人間的な理性がない。なんとも儘ならない話である。

 しかし知るための道筋はある。

 

「仕方ないわね。こういう時は、先人に学ぶとしましょ」

 

 独りごちながらナオミは背中の翅をパタパタと動かす。無重力の空間をふわらと泳ぐように進み、ハンモックで昼寝をするような体勢を取った。

 そのまま目線を向けた相手は、そこら中にいる暗黒生命体達。

 空間(視界)を埋め尽くすほどに繁栄している暗黒生命体達は、ナオミの視線など気にも留めていない。あちこち飛び回り、自分より小さな生き物を襲い、同等の生物と争い、大きな生き物から逃げている。

 これらは暗黒生命体にとって、あり触れた生存競争の一環だろう。つまり本能のまま生き、本能のまま己の力を使う姿が見られる筈だ。

 そうした力の幾つかは、ナオミにも使える可能性がある。

 見ただけでは、やり方までは分からないだろう。だが、そういう事が出来る、と認識する事が重要だ。能力があると分かればやろうとするだけで出来るかも知れないし、何より練習の方向性を考えられる。自転車の存在を知らないうちに、「自転車の乗り方」を身に着ける事が出来ないのと同じだ。

 

「(あと私、生き物の暮らしとか見るの好きだし)」

 

 人類への脅威云々を抜きにしても、超生命体の生存競争は見てみたい。好奇心も後押しし、ナオミは暗黒生命体達の暮らしぶりを注意深く観察する。

 ほんの少し見ただけの印象を言うなら、暗黒生命体といえども生存競争は地球生命とあまり変わらないらしい。

 たくさん生息する小さな生き物を、それより少ない大きな生き物が捕食する。その大きな生き物をもっと大きな生き物が食べる。逆のパターンは見える範囲では確認出来ず。異次元物質で出来た生物も、基本的には大きな身体ほど『強い』らしい。

 他生物を襲う種は、鋭い爪や歯を持っている。鋭い針なども少なくない。襲われる側は素早く逃げる、硬い殻にこもって身を守る、といった行動が多い。中には突然ワープするものや、爆発・再集結というかなりエキサイティングな方法で逃げるものもいたが……やり方が異常なだけで、逃げられる理屈(爆発で驚かせた隙に逃げるなど)はナオミ目線でも破綻していない。

 そういう意味では、暗黒生命体といえども案外真っ当な生存競争や食物連鎖をしていると言えよう。

 ……更によく観察すれば、やはり異様だとも思うが。

 

「(以前から、謎だとは言われていたのよね。生産者らしきものが確認されない事については)」

 

 地球における食物連鎖は、何故途絶える事なく続くのか。

 物質が循環しているから……という答えでは不十分だ。何故なら生物は食べた物質の多くを、エネルギーとして消費している。消費と言っても消えるのではなく分解であり、例えば糖であれば水と二酸化炭素になってしまう。こうなるともうエネルギーを取り出せないので、排泄物や呼気の形で外に排出しなければならない。

 即ち、食べたものが百パーセント身になる訳ではない。哺乳類の場合、食べ物のうち身体の材料になるのはほんの一割程度と言われている。食物連鎖を重ねる度に物質は分解されていき、最後に残るのはエネルギーを取り出せない低分子ばかり。これでは連鎖が破綻してしまう。

 そこで重要になるのが、生産者と呼ばれる生物だ。

 無機物から有機物を合成する生物達である。一番身近な例は光合成によって、二酸化炭素と水からブドウ糖を作り出す植物だろう。光エネルギーを利用する事で、生物達によって分解された物質をまた大きな物質へと組み上げる。自ら作り出した物質により植物は育ち、動物達は植物から物質とエネルギーを摂取。こうして食物連鎖を延々と続ける訳だ。

 ところが暗黒生命体では、この生産者に該当する生物が見付かっていない。人間文明崩壊時、それとナオミ達が日々行っていたドローンによる観測でも、虫などの動物的個体以外は見付かっていない。生産者は植物とは限らないが、なんであれ無機物を積極的に取り込むような種は確認されていないのである。

 動物だけでは生態系が循環せず何処かで途切れてしまう。それに生産者が物質を合成するには外からのエネルギー供給が必要だ。植物が光合成をするには、太陽などの光が必要なように。

 

「(エネルギー生成能力があるから、続けようとするならどうとでもなる話ではあるんだけど……)」

 

 暗黒生命体にはエネルギー生成能力がある。無から創り出すエネルギーを用いれば、無機物から有機物を組み上げるのに制限などない。

 しかし観察する限り、この生成能力にも限度はある。それも恐らく生きていくために必要な分を補いきれない程度の限界だ。ならば外からエネルギーを補充している筈である。

 そのエネルギー供給源を断てば、生態系を破綻させ、暗黒生命体の増殖を著しく抑制出来るのではないか――――

 そんな期待を抱いて、ナオミは更に注意深く観察を行う。すると、思いの外簡単に暗黒生命体生態系のエネルギー供給源を発見する事が出来た。

 ……弱点とは、到底呼べないものだったが。

 暗黒生命体における生態系の流れは、以下のようなものだ。

 まず小型種、大半はイモムシ型であるが、これを中型種が食べる。その中型種を大型種が食べ、大型種を巨大種が食べる。巨大種は巨大種同士で争い、それによって死んだ後は小型種などが群がって食べる。もっと細かく見れば寄生や食性変化など、様々な形で循環の流れは変わるだろうが、大まかにはシンプルな円環を描く。これだけなら地球でも見られた普通の食物連鎖だ。

 特筆すべきは、この過程の合間合間の出来事である。

 暗黒生命体も、捕食者やライバルに襲われた時には必死に抵抗する。正に今、ナオミの視界に入ってきた巨大な(恐らく十メートル近い大きさ。大型種と呼んで良いだろう)イモムシ型暗黒生命体と、それより一回り大きなハエ型暗黒生命体の争いが起きていた。ハエ型の暗黒生命体は針のように鋭い口吻を持ち、これでイモムシ型の身体を突き刺している。イモムシ型は刺された部分から体液が溢れ出し、全身が血塗れになっていた。

 それでも生命力は尽きていないようで、イモムシ型は全身から『波動』を放つ。

 詳細はまるで分からないが、時空間が震えるほどの現象だった。直撃を受けたハエ型は大きく突き飛ばされる。その隙を狙い、イモムシ型は更に全身からビーム状のものを発射。ハエ型を更に遠くへと吹き飛ばす。とはいえハエ型の甲殻は硬いようで、ビームの殆どは弾かれていたが。前脚を振り上げる動作でビームを纏めて払い除けると、ハエ型は目にも止まらぬ速さで突進。イモムシ型の上半身を殴り、その肉体の三割近くを粉砕する。

 死闘と呼ぶべき激しい戦いであるが、注目すべきは大型種二体から少し離れた位置だ。

 小さなイモムシ型(大半が体長一〜三センチ程度の小型種)が、巨大な暗黒生命体の周りを飛び回っているのである。その数は、計算能力が発達した今のナオミでも数え切れない。恐らく数百万匹はいるのではないか。どの個体もかなり至近距離、大型種達から五〜十メートル圏内に留まっていた。

 小型種達は止まっている訳ではなく、常に大型種から一定の距離を保っている。大型種が動けば、その動きに合わせて移動。接触しないようにしている様子だ。

 しかしここまで近いと、大型種二体の巻き添えを喰らう事も多い。身体的接触は殆どないが、暗黒生命体の戦いは殴り合いだけではない。ビームや時空の震え、殴った際の衝撃波などは周囲に拡散。これらは小型種を直撃していた。

 ところが小型種はその攻撃を平然と受け止めている。

 それどころか攻撃を受けた後、大量の小さな粒を排出しているではないか。粒の数は数え切れないが、数万〜数十万はあるだろう。その全ての粒が一瞬で大きく膨らんで、小さいながらもちゃんとした形の、新たな小型種へと育つ。

 排出していたのは卵だ。集まってきた小型種は、大型生物の攻撃を受けた後に繁殖を始めたのである。ほんの一瞬で、数万以上の新しい個体を生み出す脅威の繁殖力を見せる。

 そしてこのような光景は、よくよく見ればあちこちで起きていた。小型種は周囲を埋め尽くすほど数が多いので分かり難いが、局所的に高密度の群れを作っていて、その中心では大きな暗黒生命体が争っている。そこで戦いの余波を受け、次々と繁殖を行っていた。

 どうやら小型種は暗黒生命体同士の戦いからエネルギーを吸収し、繁殖しているらしい。

 

「(つまり生存競争自体が、生産者が繁殖するための土台になっている……!)」

 

 あまりにも不条理だ。

 これが事実なら、暗黒生命体にとっての太陽は、自分よりも大きな暗黒生命体となる。いや、ひょっとすると同族同士の争いでも、十分なエネルギーが得られるかも知れない。

 暗黒生命体が二体いれば、きっとどんな宇宙にも進出出来るのだろう。しかも戦えば戦うほど生態系が豊かになり、エネルギー生成能力も相まって餌で溢れ返るのだから、暗黒生命体はどんどん強くなる方に進化する筈だ。世代交代は必要だが、暗黒生命体は無限かつ急速に強くなる可能性がある――――

 

「……………ん?」

 

 と、暗黒生命体の恐ろしさを考察していたナオミだったが、違和感を覚えた。

 「暗黒生命体が無限かつ急速に強くなる」という理論について、ではない。

 何故今の暗黒生命体がそこまで強くないのか、という点が違和感なのだ。恐らくだが、オーバロード文明を滅ぼした時から暗黒生命体は無からエネルギーを生み出す力を持っている。

 つまりざっと一千年以上前から、暗黒生命体の生態系では際限のなくエネルギーが生み出されていた筈。その一千年の間、どんどん強大化する方に進化していた筈なのだが……人間文明に進出してきた暗黒生命体は、そこまで強くない。

 オーバーロード文明から提供されたデータ通りの強さだった、と言うべきか。オーバーロード文明ではろくに観測すら出来ていないため、あまり正確には言えないが、拡散速度などからの推測では劇的に身体機能が上がったとは思えない。もしナオミの想像通りに進化していれば、恐らく人間文明も存在の観測すら出来ずに滅ぼされていた筈だ。

 一千年もの間、何故暗黒生命体は殆ど進化しなかったのだろうか。

 

「(進化には長い時間が掛かる、って言いたいけど、コイツらにそれはないだろうし)」

 

 暗黒生命体は繁殖力旺盛だ。それは人間文明があった宇宙を瞬く間に埋め尽くした事からも明らかである。

 しかも、今目の前で起きている事からの推測だが……生産者に至っては、受けるエネルギー量が多いほど成長速度も上がるらしい。百メートル級の生物が放ったレーザーらしき攻撃を浴びた瞬間、小型種は大量の卵を生み、その卵が急速に成長するや産卵を始めるほどだ。大型種が数秒間戦うだけで、生産者の地位にいる種は何世代も経過するだろう。

 見たところ暗黒生命体は単為生殖で増えている(イモムシ型は交尾もせず全ての個体が卵を産んでいるようだ。見たところ他の種も交尾なんてしていない)。有性生殖ではないから進化が遅い――――なんて考えは、生物学的には正しくない。進化に必要なのは適した個体が生き残る『淘汰』、それと選別されるだけの多様性だ。単為生殖でも突然変異などで多様性が生じれば、それが淘汰を経て次世代に受け継がれる事で進化となる。

 そして突然変異は確率的に起きる事象なので、個体数が多ければそう珍しいものではない。暗黒生命体の膨大な個体数や産卵数を鑑みれば、突然変異も頻繁に起きているだろう。実際人間文明に入り込んだ暗黒生命体はイモムシ型の小型種数十体だったが、今この宇宙には多種多様な形態の種がいる。大きさも一センチから百メートルと幅広い。この一千年で急速に進化したのは間違いない。

 暗黒生命体の進化速度は飛び抜けて早い。早くなる理屈もちゃんとあり、その性能にも限界なんてない。なのに戦闘能力と繁殖速度が伸びていない。

 どうにもチグハグだ。

 

「(何か、理由があるのかしら?)」

 

 まさか暗黒生命体の細胞では、この増殖速度と戦闘能力が限界なのだろうか? 構造上の欠陥に由来するなら、確かにどれだけ条件が良くともそれ以上の進化は起きない。むしろ下手に進化するとバランスが崩れ、能力が低下する事もあり得る。

 だとするとこの構造を解明出来れば、暗黒生命体に対する有効な攻撃手段になるのではないか――――

 絶望的な強みだと思っていた部分が、弱点かも知れない。この考えに至ったナオミは、つい深く考え込んでしまう。

 それが失敗だった。

 此処は暗黒生命体の生息圏。あらゆる方向に、あらゆる距離に、数多の暗黒生命体達はひしめき、そして生きている。生存競争を勝ち抜き、己の子孫を残すために。

 そんな過酷な世界で暢気に考え込んでいる『獲物』を、どうして見逃すというのか。

 ちゃんと考えれば、ナオミも思い出せただろう。だが彼女はまだ暗黒生命体ではなく、人類への奉仕精神が組み込まれたバイオロイド。人類を守るための道筋が見えたら、自身の安全よりもそちらを優先してしまう。

 ナオミが己の失態を理解したのは、胸と心臓を鋭いものが貫いてからの事だった。

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