Identity.   作:安眠一兎

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EP10 老獪激突!傍迷惑なお婆ちゃん

 B.A.B.E.L.郊外高出力訓練施設。

 

 市街地から十分に距離を置き、周囲を広い立入制限区域で囲んだそこは、レベルの高いエスパーが実戦を想定した訓練を行うための場所だった。

 

 地上には模擬市街、地下には観測区画。

 

 壁も道路も車両も、ある程度は壊れることを前提に作られている。

 

 言い換えれば、ここをわざわざ指定する時点で、少なくとも穏やかな用事ではない。

 

 

「……蕾管理官、いや不二子」

 

「なによ」

 

「ひとつ聞いても?」

 

 

 空蝉は辺りを見回した。

 

 人気のない模擬市街。

 

 今日は訓練予定も入っていない。

 

 その中央に立つのは、空蝉と蕾不二子だけだった。

 

 

「何?」

 

「どうしてここなのかな」

 

「静かだから」

 

「君が静けさを好むとは知らなかったよ」

 

「あら失礼ね」

 

「違ったかね?」

 

「違わないけど」

 

 

 即答だった。

 

 空蝉は嫌な予感を強めた。

 

 不二子は笑っている。

 

 この女がこういう顔をしている時は、たいてい周囲の誰かが酷い目に遭う。

 

 

「……では帰ろう」

 

「待ちなさい」

 

「嫌だね」

 

「まだ何も言ってないでしょう」

 

「君の顔を見れば十分だよ」

 

 

 踵を返す。

 

 背後から。

 

 

「ちょっと運動していかない?」

 

「断る」

 

 

 地面が爆ぜた。

 

 

「――ッ!」

 

 

 空蝉が消える。

 

 立っていたアスファルトが、轟音とともに大きく陥没した。

 

 数十メートル先。

 

 模擬ビルの屋上へ、空蝉が現れる。

 

 

「君は!」

 

 

 声を荒げる。

 

 

「話し合いという文明を知っているかね!?」

 

「知ってるわよ」

 

 

 不二子がゆっくり浮かび上がる。

 

 

「今日は使わないだけよ」

 

「二度と文化人を名乗るな!」

 

「何よ、避けられたじゃない」

 

「だから何だ!」

 

 

 不二子が片手を上げた。

 

 地上のコンクリート障害物が持ち上がる。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 空蝉の顔が引きつった。

 

 

「……それを人に投げるつもりではないよね?」

 

「避ければいいでしょ」

 

「老人虐待だ!」

 

「誰が老人よ!」

 

「ここには老人しかいないだろう」

 

 

 飛来。

 

 空蝉が消える。

 

 建物の上半分がまとめて吹き飛んだ。

 

     

 

 

 最初の数分。

 

 空蝉はひたすら逃げた。

 

 転移。

 

 念動による受け流し。

 

 ごく短い催眠による射線外し。

 

 不二子が撃つ。

 

 空蝉が避ける。

 

 そして文句を言う。

 

 

「まだやるのかね!」

 

「まだ逃げてるでしょう?」

 

「君が追うからだ」

 

 

 不二子の念動が路面を薙ぐ。

 

 空蝉が飛び退く。

 

 跳んだ先。

 

 既に別の力が置かれている。

 

 

「……!」

 

 

 転移。

 

 一瞬前までいた空間が潰れた。

 

 

「あら」

 

「なんだね」

 

「随分と逃げ方が変わったわね」

 

「年寄りも新しいものを覚えないとね」

 

「あんたが言う?」

 

「君にも言えるだろう」

 

「私はまだ若いわよ」

 

 

 空蝉が黙る。

 

 

「何その顔!」

 

「いや、何も」

 

「腹立つわね!」

 

 

 攻撃。

 

 

「理不尽極まりない!」

 

 

 再び転移。

 

 だが。

 

 回数を重ねるほど、不二子の攻撃は空蝉の逃げ先へ近づいていた。

 

 転移直後を狙われる。

 

 次に選びそうな遮蔽物を先に潰される。

 

 広く逃げれば、移動先ごと面で薙がれる。

 

 空蝉は額の汗を拭った。

 

 

「……困ったな」

 

「あら。もう終わり?」

 

「まさか」

 

 

 不二子が構える。

 

 空蝉は自分の服を見る。

 

 普段通りの装い。

 

 動けない服ではない。

 

 だが、本気で近接戦闘を行うためのものでもなかった。

 

 

「管理官」

 

「何?」

 

「少し待っていたまえ」

 

「は?」

 

 

 空蝉が消えた。

 

 不二子が瞬きをする。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 三秒。

 

 

「……逃げた?」

 

 

 五秒。

 

 再び空間が揺らぐ。

 

 

「待たせたね」

 

 

 現れた空蝉を見て、不二子が目を細めた。

 

 白を基調とした戦闘装束。

 

 金と赤の装飾。

 

 手袋。

 

 先ほどまでの柔らかな立ち姿も消えている。

 

 足は僅かに開き。

 

 重心は低い。

 

 指先から余計な動きが消えていた。

 

 

「あら」

 

「何かな」

 

「やっとその気?」

 

「君が着替えさせたんだよ」

 

「その割に嬉しそうね」

 

「気のせいだ」

 

 

 不二子が笑った。

 

 

「そういうことにしておいてあげる」

 

 

 

 

 そこから、戦い方が変わった。

 

 不二子が撃つ。

 

 空蝉はもう大きく逃げない。

 

 頬を狙った念動を、首を僅かに傾けて避ける。

 

 数センチ。

 

 それだけ。

 

 空いた間合いへ自分から入る。

 

 不二子が腕を振る。

 

 空蝉の姿がぶれる。

 

 攻撃が空を切る。

 

 催眠。

 

 ほんの一瞬だけ、そこにいる位置を誤認させた。

 

 本物の空蝉は既に半歩横。

 

 低い姿勢から掌底。

 

 不二子が受ける。

 

 受けた腕へ念動。

 

 肉体を殴るのではなく、受けた腕そのものを押し込む。

 

 

「っ!」

 

 

 不二子の足が滑る。

 

 だが倒れない。

 

 

「やっと出たわね」

 

「何がだね」

 

「昔のあんた」

 

「失礼だな」

 

 

 空蝉が笑う。

 

 

「今も私だよ」

 

 

 不二子の拳。

 

 空蝉が沈む。

 

 頭上を抜ける。

 

 足元へ念動。

 

 不二子の重心が僅かに崩れる。

 

 転移。

 

 背後。

 

 肘。

 

 不二子が振り返らずに受け止める。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 互いに笑った。

 

 次の瞬間には、二人とも姿を消していた。

 

     

 

 

 同時刻。

 

 B.A.B.E.L.本部。

 

 

「局長!」

 

「どうした!」

 

「郊外訓練施設から高レベル能力反応!」

 

 

 桐壺帝三が顔を上げた。

 

 

「訓練予定は?」

 

「ありません!」

 

「能力者を識別しろ!」

 

「既に出ています!」

 

 

 職員が画面を見る。

 

 一瞬。

 

 

「……蕾管理官です」

 

「管理官?」

 

「それと」

 

 

 嫌な間。

 

 

「空蝉管理官」

 

 

 桐壺の顔から血の気が引いた。

 

 

「……車を出せ」

 

「え?」

 

「今すぐだ!」

 

     

 

 

「で、なんで俺まで呼ばれてんの?」

 

 

 車内。

 

 賢木修二が欠伸を噛み殺す。

 

 

「僕に聞かないでくれ」

 

 

 皆本が答える。

 

 

「お前、担当主任だろ?」

 

「空蝉さんの担当になった覚えはないよ」

 

「じゃあ俺もっと関係ないじゃん」

 

「医療要員!」

 

「つまり怪我する前提?」

 

「その二人がやり合ってるんだぞ!」

 

「あー」

 

 

 賢木が納得した。

 

 

「まあ、怪我しても勝手に治るんじゃないか?」

 

「軽いな!」

 

「逆に聞くけど、お前俺に止めろとか言わないよな?」

 

「……」

 

「言わないよな?」

 

「……状況次第だ」

 

「帰っていい?」

 

「ダメだ!」

 

 

 前席。

 

 桐壺が震えている。

 

 

「訓練施設を……無断で……」

 

「皆本」

 

 

 賢木が小声になる。

 

 

「俺、現場より局長の方が怖くなってきた」

 

「奇遇だな。僕もだ」

 

     

 

 

 別車両からは、梅枝ナオミと谷崎一郎も呼び出されていた。

 

 

「高レベルの超能力戦闘、と聞きましたけど……」

 

「そうらしいな」

 

「私、制圧補助ですよね?」

 

「ああ」

 

「……誰を?」

 

 

 谷崎が少し黙る。

 

 

「蕾管理官と空蝉君」

 

「……」

 

 

 ナオミが前を見る。

 

 

「主任」

 

「なんだ」

 

「今から帰っていいですか?」

 

「気持ちは分かる」

 

     

 

 

 到着。

 

 皆本は車を降りた瞬間、立ち止まった。

 

 

「……」

 

 訓練施設が。

 

 少し。

 

 地形を変えていた。

 

 壁がない。

 

 舗装が剥がれている。

 

 訓練用車両が横倒し。

 

 遠くで轟音。

 

 

「派手にやってんなあ」

 

 賢木。

 

 

「感心してる場合か!」

 

「感心くらしかすることないだろうが」

 

 

 桐壺が先へ走る。

 

 

「急げ!」

 

 

 観測区画へ駆け込む。

 

 防護壁越し。

 

 二つの影が交差する。

 

 

「……速い」

 

 

 皆本が呟く。

 

 空蝉が消える。

 

 不二子は振り向かない。

 

 空蝉が現れるより先に、何もない空間へ攻撃。

 

 そこへ。

 

 空蝉が現れかける。

 

 

「――!」

 

 

 転移を途中で切り替える。

 

 別方向へ。

 

 不二子は既にそちらへ身体を向けていた。

 

 空蝉も驚かない。

 

 その攻撃が来る前提で身を沈める。

 

 反撃。

 

 不二子が受ける。

 

 さらに反撃。

 

 

「……何だ、これ」

 

 

 皆本の口から零れた。

 

 

「何が?」

 

 

 賢木が横へ来る。

 

 

「二人とも、相手を見てから動いてない」

 

「そりゃまあ」

 

 

 賢木も見る。

 

 笑いが消えた。

 

 

「……そうだな」

 

 攻撃を見て反応しているのではない。

 

 相手が次に何をするかを想定して、その次を選んでいる。

 

 外れれば即座に修正。

 

 当たればさらに先へ。

 

 一度通った攻撃は、次には通らない。

 

 同じ手を二度見せれば罠になる。

 

 

「能力の強さだけじゃない……」

 

 

 皆本が呟く。

 

 薫。

 

 葵。

 

 紫穂。

 

 三人とも強い。

 

 出力だけなら、既にこの二人を上回る部分すらあるだろう。

 

 だが。

 

 今ここへ入れたら。

 

 

「……勝てない」

 

 

 賢木が横目で見る。

 

 

「チルドレン?」

 

「ああ」

 

 

 空蝉が催眠で不二子の視線を一瞬ずらす。

 

 転移。

 

 死角。

 

 念動で足元を払う。

 

 不二子は倒れながら念動を返す。

 

 空蝉は既にそこにいない。

 

 

「今の三人じゃ」

 

 

 皆本は目を離さなかった。

 

 

「能力での戦闘にすらならないだろう」

 

 

 賢木は答えなかった。

 

 ただ。

 

 

「まあ」

 

 

 少しして。

 

 

「今はな」

 

 

 とだけ言った。

 

 その声が届いたのかどうか。

 

 戦場の不二子が、一瞬だけこちらを見た。

 

 空蝉も。

 

 二人とも何も言わなかった。

 

     

 

 

「局長!」

 

 

 ナオミたちが到着する。

 

 

「梅枝君!」

 

「はい!」

 

「念動制圧の補助を――」

 

 

 ナオミが防護壁の向こうを見る。

 

 不二子が模擬ビル一棟分の瓦礫を持ち上げている。

 

 空蝉が、その中へ自分から突っ込んでいく。

 

 

「……」

 

「梅枝君?」

 

「いや、これ止めるのは私じゃ無理ですよ!?」

 

「何!?」

 

「無理です!」

 

「やる前から諦めるな!」

 

「規模が違います!」

 

 

 谷崎も覗く。

 

 

「まあ無理だろうな」

 

「主任!?」

 

「私もそう思う」

 

「そこで意見が合致されても困るのだが」

 

「本気では無いだろうが、実戦経験豊富な高レベルの複合能力者が2人は分が悪いでしょう」

 

「そうだろうが……」

 

 

 桐壺が頭を抱える。

 

 

「ではどうすればいいんだ!」

 

 

 谷崎が考える。

 

 

「終わるのを待つ」

 

「施設が保たんわ!!」

 

 

 賢木が横から言う。

 

 

「俺もそれが一番安全だと思いますけど」

 

「君まで! 何とかならんのか?」

 

「いや無理ですよ。俺、対超能力者向けじゃない上医者ですよ?」

 

「私が何人必要なんでしょうか」

 

 

 ナオミ。

 

 

「穏便に納めるならダース単位だろうな」

 

 

 谷崎が落ち着いた声色で呟いた。

 

     

 

 

 不二子が瓦礫を放つ。

 

 数十。

 

 それぞれ違う角度。

 

 空蝉が腕を上げる。

 

 皆本には、最初それが単純な防御に見えた。

 

 違った。

 

 止めない。

 

 一つ目の軌道を僅かに変える。

 

 二つ目へぶつける。

 

 三つ目は先端だけ押す。

 

 回転が変わり、四つ目と衝突。

 

 残った数個だけを横へ逃がす。

 

 必要なところに。

 

 必要な分だけ。

 

 ナオミの目が変わった。

 

「……あれ?」

 

 

 皆本が振り返る。

 

 

「どうしたんだ?」

 

「空蝉さんって」

 

 

 ナオミは戦場から目を離さない。

 

 

「色んな能力を使える代わりに、一つ一つの使い方は結構雑だって聞いてたんですけど」

 

「まあ」

 

 

 谷崎が答える。

 

 

「概ねその認識で合っている」

 

「ですよね?」

 

「ああ。能力によっては素人目に見ていても危なっかしい程だ」

 

 

 その間にも。

 

 一本の鉄骨が空蝉へ飛ぶ。

 

 空蝉は全体を止めない。

 

 先端だけ。

 

 ほんの数度、横へ振る。

 

 鉄骨は空蝉の肩を掠めるように抜け、地面へ突き刺さった。

 

 

「……」

 

 

 ナオミが眉を寄せた。

 

 

「精密操作だけなら」

 

 

 少し躊躇して。

 

 

「私と、そんなに変わらなくないですか?」

 

 

 谷崎がすぐには答えない。

 

 空蝉を見る。

 

 

「……そう見えるな」

 

「前からです?」

 

「いや」

 

 

 谷崎が首を傾げる。

 

 

「少なくとも、私はこんなのはあまり見たことがない」

 

「ですよね……」

 

 

 賢木が横から覗く。

 

 

「調子いい日なんじゃね?」

 

「念動力ってそういうものなんですか?」

 

「知らん。もしくは普段が手抜きか」

 

「医者にも分からんか」

 

「医者ですからね」

 

 

 ナオミはもう一度、空蝉を見る。

 

 何か引っかかる。

 

 だが。

 

 答えまではない。

 

 

 

 

 その頃。

 

 不二子にも小さな違和感があった。

 

 先ほどまで通っていたフェイントが通らない。

 

 右手を僅かに上げる。

 

 攻撃する――ように見せる。

 

 空蝉は動かない。

 

 

「……」

 

「あら」

 

「何かな」

 

「今の避けないの?」

 

「避ける必要がないのでね」

 

 

 不二子が笑う。

 

 

「急に勘が良くなったじゃない」

 

「元からだよ」

 

「そうだったかしら」

 

「老人だって成長するものだ」

 

「便利ね、その言い訳」

 

 

 次。

 

 今度は本物。

 

 空蝉は攻撃が生まれるより一瞬早く動いた。

 

 不二子の眉が僅かに上がる。

 

 観測区画。

 

 賢木が目を細めた。

 

 

「……ん?」

 

「どうした?」

 

 

 皆本。

 

 

「いや」

 

 

 賢木は首を傾げる。

 

 

「あの人、さっきより読み良くね?」

 

 

 皆本も気づく。

 

 確かに。

 

 先程まで、不二子のフェイントには何度か引っかかっていた。

 

 

「慣れたのか?」

 

「かもな」

 

 

 それ以上の理由は思いつかなかった。

 

 

 

 

「管理官」

 

 

 空蝉が不二子の攻撃を流す。

 

 

「何?」

 

「さっきから」

 

 

 転移。

 

 不二子の横へ。

 

 

「私が何を使うか」

 

 

 不二子が振り向きざまに拳。

 

 催眠。

 

 拳が僅かに外れる。

 

 

「見ているね?」

 

 

 空蝉の掌底を不二子が腕で受ける。

 

 

「今さら気づいたの?」

 

「性格が悪い」

 

「あんたに言われたくないわ」

 

「どういう意味かな!」

 

「そのまま!」

 

 

 不二子が空蝉を吹き飛ばす。

 

 だが。

 

 空蝉は空中で転移。

 

 今度は真正面。

 

 珍しく逃げない。

 

 

「……?」

 

 

 不二子が力を集める。

 

 大出力。

 

 小細工なし。

 

 正面から押し潰す。

 

 空蝉は一瞬考えた。

 

 そして。

 

 

「仕方ないね」

 

 

 同じように片手を上げた。

 

 二つの巨大な念動が正面衝突した。

 

 轟音。

 

 防護壁が震える。

 

 

「伏せろ!」

 

 

 皆本が叫ぶ。

 

 衝撃波が観測区画まで届く。

 

 ナオミが目を見開いた。

 

 

「今の……!」

 

 

 砂埃の中。

 

 不二子の足が、ほんの僅かに後ろへ滑っていた。

 

 空蝉も数歩下がっている。

 

 

「……」

 

 

 不二子が自分の手を見る。

 

 空蝉を見る。

 

 

「あらそれ」

 

「何かな」

 

「私の?」

 

 

 空蝉は袖の埃を払った。

 

 

「さてね」

 

「誤魔化す気?」

 

 空蝉が少し笑う。

 

 

「君相手なら真似しても構わないだろう?」

 

「……ふぅん」

 

 

 不二子の表情が僅かに変わった。

 

 それ以上は聞かない。

 

 

「変なところで律儀ね」

 

「意味が分からないな」

 

「そういうことにしておいてあげる」

 

 

 

 

 不二子が踏み込む。

 

 空蝉も。

 

 ここからは。

 

 出力ではなかった。

 

 認識。

 

 位置。

 

 重心。

 

 呼吸。

 

 空蝉が催眠を差す。

 

 不二子の視界の中で、空蝉が半歩だけずれる。

 

 拳が外れる。

 

 空蝉はその内側へ入る。

 

 念動で加速した拳。

 

 不二子が腕で受ける。

 

 その瞬間。

 

 空蝉は腕そのものではなく、不二子の足元へ力を掛ける。

 

「っ!」

 

 崩れる。

 

 転移。

 

 背後。

 

 肘。

 

 不二子は振り返る前に念動を撃つ。

 

 空蝉は来ることを知っていたように頭を下げる。

 

 そのまま脇腹。

 

「――!」

 

 入った。

 

 不二子の身体が数メートル飛ぶ。

 

 皆本が息を呑む。

 

 大技ではない。

 

 空蝉がやったことは。

 

 相手を一瞬だけ騙して。

 

 避けて。

 

 殴っただけ。

 

 それなのに。

 

 

「……実戦的だな」

 

 

 思わず呟く。

 

 薫ならもっと大きな力を使っただろう。

 

 葵ならもっと遠くへ飛んだ。

 

 紫穂ならもっと多くを読み取った。

 

 だが空蝉は。

 

 必要な分しか使わない。

 

 相手が一瞬だけ間違えれば。

 

 それで十分。

 

 そして不二子も。

 

 

「痛いじゃない」

 

 

 起き上がりながら笑っていた。

 

 

「君が始めたんだろう」

 

「でも」

 

 

 不二子が首を鳴らす。

 

 

「楽しんでるじゃない」

 

「気のせいだね」

 

「あんた戦闘服に着替えて戻ってきたのよ?」

 

「必要な措置だよ」

 

「今笑ってるし」

 

「……」

 

「ほら」

 

「君相手に一方的に殴られるのも癪なのでね」

 

「あら」

 

 

 不二子が笑う。

 

 

「やっぱり」

 

「何がだね」

 

「別に」

 

 

 再び。

 

 二人が構えた。

 

 

「そこまでだぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 轟く声。

 

 二人が同時に止まった。

 

 砂埃の向こう。

 

 桐壺が立っている。

 

 顔は。

 

 戦っている二人より怖かった。

 

 

「……不二子」

 

 

 空蝉が小声で言う。

 

 

「何?」

 

「逃げようか」

 

「奇遇ね」

 

「二人とも待てぇぇぇ!!」

 

 ◆

 

「正座」

 

「桐壺」

 

「正座です!」

 

「私は管理官よ?」

 

「知っています!!」

 

「私は一応、被害者なのだが」

 

「途中から戦闘服に着替えて戻ってきた人間が言う台詞ではないね!」

 

「……」

 

 

 空蝉が黙る。

 

 

「しかも自分から追撃していただろう!」

 

「必要な反撃だよ」

 

「笑っていたじゃないか!」

 

「……」

 

「どうなんだ!」

 

 

 空蝉は少し考えた。

 

 

「まぁ必要だが割と楽しかったことは否定しない。偶にならいいかもね」

 

「空蝉君!!」

 

 

 半壊した施設の管理棟。

 

 不二子と空蝉が並んで正座している。

 

 少し離れて。

 

 皆本。

 

 賢木。

 

 ナオミ。

 

 谷崎。

 

 

「……」

 

 

 賢木が皆本へ寄る。

 

 

「なあ」

 

「何だ」

 

「あれ正座させられる奴いたんだな」

 

「局長だからな」

 

「役職の話じゃなくて」

 

「僕も驚いてる」

 

 

 不二子が振り返る。

 

 

「聞こえてるわよ」

 

「すみませーん」

 

「賢木!」

 

「お前も言ってただろ!」

 

 

 ナオミが小声で谷崎へ。

 

 

「主任」

 

「なんだ」

 

「私、来た意味ありました?」

 

「怪我人が出なかった」

 

「私何もしてませんけど」

 

「良いことだ」

 

「そういうものでしょうか……」

 

「それにあの瓦礫の撤去は人手が必要だろう」

 

 

 桐壺の説教は続く。

 

 

「そもそも事前申請もせず――」

 

「申請したら許可した?」

 

 

 不二子。

 

 

「するわけないでしょう!」

 

「ほら」

 

「ほらじゃありません!!」

 

 

 空蝉が頷く。

 

 

「その言い訳は今度使わせて――」

 

「空蝉君は黙っていなさい!」

 

「はい」

 

 

 

 

 日が傾く頃。

 

 ようやく解放された。

 

 

「酷い目に遭った」

 

 

 空蝉が肩を回す。

 

 

「あんたが途中から乗るからでしょう」

 

「最初に襲ったのは君だよ」

 

「逃げ続ければよかったじゃない」

 

「君が逃がさなかっただろう」

 

「まあね」

 

「ほら」

 

 

 二人は施設の外を歩く。

 

 少しして。

 

 空蝉が口を開いた。

 

 

「それで?」

 

「何?」

 

「何を見たかったのだね」

 

「さあ」

 

「惚けるな」

 

「珍しいわね。あんたが聞くなんて」

 

「いきなり襲われれば聞きたくもなるよ」

 

 

 不二子は前を向いたまま。

 

 

「最近」

 

「うん?」

 

「あんた、ちょっと変わったでしょ」

 

 

 空蝉はすぐには答えなかった。

 

 

「そうかね」

 

「そう見えるわ」

 

「老眼かな」

 

「もう一回やる?」

 

「遠慮しよう」

 

 

 不二子が少し笑う。

 

 

「前なら」

 

 

 そこで言葉を止めた。

 

 

「……いや」

 

「何だね?」

 

「別に」

 

「気になるじゃないか」

 

「自分で考えなさい」

 

「不親切だね」

 

「昔からでしょ」

 

「それもそうだ」

 

 

 二人は少し歩く。

 

 不二子が何気なく言った。

 

 

「最近、楽しそうよ」

 

 

 空蝉の歩調が少しだけ遅くなった。

 

 

「そう見えるかね?」

 

「見える」

 

「……そうか」

 

 

 それだけ。

 

 不二子もそれ以上は言わなかった。

 

 遠く。

 

 皆本たちがまだ施設の損害確認をしている。

 

 不二子がそちらを見る。

 

 

「今日はあの子たち来なかったのね」

 

「チルドレンかね?」

 

「そう」

 

「学校だろう」

 

「ふぅん」

 

 空蝉が不二子を見る。

 

 

「何かな」

 

「別に」

 

「今日はそれが多いね」

 

「便利なのよ」

 

 

 不二子は歩き出す。

 

 

「じゃあ帰るわ」

 

「送ろうか?」

 

「いらない」

 

「つれないね」

 

「あんたの運転、昔一回乗ったから知ってるのよ」

 

「無事だったろう?」

 

「結果論よ!」

 

 

 数歩。

 

 不二子が振り返る。

 

 

「空蝉」

 

「何かな」

 

「今のあんた」

 

 少し考えて。

 

 

「悪くないんじゃない?」

 

 

 空蝉が露骨に嫌そうな顔をした。

 

 

「……君に褒められると落ち着かないね」

 

「あらそう」

 

「気味が悪い」

 

「もう一発いっとく?」

 

「遠慮しよう」

 

「賢明ね」

 

 

 不二子は手を振って去っていく。

 

 空蝉はその背中を見送った。

 

 しばらくして。

 

 自分の手を見る。

 

 今日。

 

 随分と色々なことをした。

 

 以前なら選ばなかったやり方も。

 

 以前なら使わなかった場面も。

 

 

「……変わった、ね」

 

 

 呟く。

 

 その言葉が何を指しているのか。

 

 空蝉自身にも。

 

 まだ、はっきりとは分かっていなかった。

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