Identity. 作:安眠一兎
海上に建設された特殊収容施設は、晴天の下で見ても物々しかった。
灰色の外壁。
幾重にも重なる防波設備。
接岸できる場所は限定され、海上にも複数の監視設備が浮かんでいる。
遠目には研究施設にも見える。
だが、その実態は。
「能力犯罪者専用の矯正収容施設……ですか」
連絡船の窓から建物を見上げ、皆本光一が呟いた。
「正確には、その中でも一般の矯正施設では収容が難しいエスパーを扱う施設ですね」
隣に立つ柏木が資料を閉じる。
今回の訪問は、皆本個人の興味によるものではない。
ザ・チルドレンの現場運用主任へ就任したばかりの皆本に、バベルが保有する主要施設と、そこで行われているエスパー管理の実態を学ばせるための研修。
その一環として組まれた公式視察だった。
特務エスパーを運用する以上、能力犯罪者を制圧した“その後”も知っておく必要がある。
逮捕されたエスパーがどのように収容され、能力を管理され、そして社会復帰へ向けて何をするのか。
皆本にとっても無関係な話ではない。
「ザ・チルドレンが将来こうなる、という意味ではありませんよ」
柏木が釘を刺した。
「分かってます」
「顔に出ていましたから」
「……そんなに分かりやすいですか?」
「ええ」
柏木が微笑む。
「そして、局長があなたをここへ寄越した理由の一つではあるでしょうね」
「というと?」
「力の大きなエスパーを、管理するだけではないということです」
皆本が資料を見る。
能力抑制。
心理療法。
教育課程。
職業訓練。
社会復帰支援。
再犯防止。
そこに並んでいるのは、戦闘訓練とはまるで違う言葉だった。
「捕まえれば終わりではありません」
「……はい」
「それと」
柏木が少しだけ視線を逸らした。
「この施設については、資料だけでは分からないことも多いので」
「それはどういう――」
「着けば分かりますよ」
意味深な言葉を残したところで、船が接岸した。
◆
「ようこそ」
施設入口で待っていたのは、白い人物だった。
銀白色の髪。
白を基調に金と赤を差した衣装。
場違いなほど目立つ姿で、空蝉はいつものように片手を広げる。
「我が城へ」
「刑務所ですよね?」
「細かいことを気にしてはいけないよ、皆本君」
「最初からそれですか……」
「柏木君も久しぶりだね」
「先月会いましたよ」
「私には十分久しいよ」
「はいはい」
柏木は慣れた様子で流した。
皆本がそのやり取りを見る。
「柏木さんもよく来るんですか?」
「定期監査や書類関係で何度か」
「空蝉さんに任せきり、というわけにもいきませんから」
「随分な言い方だね」
「あなた、書類を溜めるでしょう」
「現場を優先しているだけだよ」
「それを世間では溜めていると言います」
空蝉が視線を逸らす。
皆本は少し安心した。
どうやら、ここでも空蝉は空蝉らしい。
「さて」
空蝉が踵を返す。
「まずは施設を一周しよう。能力抑制区画、医療区画、作業場、面会室。その後で更生プログラムについて説明する」
「お願いします」
「硬くならなくていいよ。囚人に食べられたりはしない」
「そこは心配してません!」
「なら結構」
◆
施設内を歩いて十分。
皆本は早くも奇妙な違和感を覚えていた。
「管理官!」
収容区画の向こうから声が飛ぶ。
「来週の資格試験、教材追加できるか?」
「申請書を出したまえ」
「昨日出した!」
「なら届いていないね」
「職員がなくしたんじゃねえの?」
「もう一度書きたまえ」
「めんどくせえ!」
「試験に落ちるよりはましだろう」
「くそっ!」
別の房。
「管理官、面会時間増やせないか?」
「理由は?」
「息子が来る」
空蝉が足を止めた。
「何年ぶりだね?」
「……五年」
「なら検討しよう。ただし通常枠を圧迫しない範囲でだ」
「分かった」
囚人が素直に引っ込む。
さらに歩く。
「空蝉さん」
「ん?」
「……皆さん、随分普通に話しますね」
「普通?」
「もっとこう……緊張感があると思ってました」
「あるとも」
空蝉は前を向いたまま答える。
「新しく来た者ほどね」
その言葉を証明するように、奥から怒声が飛んだ。
「おい! いつまでこんなもん付けさせんだ!」
若い男が能力抑制具を叩いている。
「俺が何したってんだよ!」
「器物損壊、傷害、能力を用いた強盗」
空蝉が即答した。
「結構しているね」
「うるせえ!」
「元気そうで何よりだ」
「馬鹿にしてんのか!」
「半年後にもう一度その質問を聞こう」
空蝉はそのまま通り過ぎる。
男が柵を蹴った。
少し離れた房から、年配の囚人が声を出す。
「やめとけ」
「何だよ!」
「その人相手に吠えても疲れるだけだ」
「飼い慣らされてんじゃねえよ!」
「はいはい」
年配の囚人は欠伸をした。
「俺も最初そう言ってたよ」
皆本が思わず振り返る。
空蝉は何も言わない。
◆
「こちらが作業区画です」
案内した職員は、大柄な男だった。
動きには無駄がなく、囚人への声かけも自然だ。
「危険物を扱う作業は能力傾向によって制限します。逆に、能力を安全に使える者は資格取得後に専門作業へ回すこともあります」
「能力を完全に封じたままではないんですね」
「出所後まで封じて生きるわけにはいきませんから」
皆本が頷く。
「なるほど……」
「彼は説得力があるだろう?」
空蝉が横から言った。
「ん?」
「彼も昔はここの収容者だったからね」
皆本の動きが止まる。
「……え?」
職員が苦笑した。
「管理官。初対面の人に毎回それ言うのやめてもらえません?」
「事実だろう?」
「言い方ってものがあるでしょう」
「元受刑者……なんですか?」
「ええ」
男は平然と頷いた。
「能力使用による殺人未遂。8年いました」
「それで今は……」
「出所後にバベル系列の会社へ入れてもらって、3年ほど働きました。その後に資格を取ってこっちへ」
「怖くなかったんですか? またここへ戻るの」
「最初は嫌でしたよ」
男は笑う。
「でもまあ、自分みたいなのの話を聞ける奴が一人くらいいてもいいかと思いまして」
「空蝉さんが勧めたんですか?」
「候補には挙げたよ」
空蝉が答える。
「採用を決めたのは本人と人事だ」
「再犯の危険は?」
皆本の問いに、空蝉は迷わなかった。
「ある」
「……あるんですか」
「人間だからね」
あまりにも当然のように言う。
「ゼロになるなら刑務所など必要ないよ」
「それでも社会に戻す?」
「刑期を終えたならね」
「……」
「監視もする。支援もする。必要なら仕事も探す。だが、永遠にここへ閉じ込めることを更生とは呼ばないよ」
皆本は黙った。
職員の男が肩をすくめる。
「この人、昔からこんな調子ですよ」
「昔から?」
「俺が入った時にはもういたんで」
皆本が空蝉を見る。
空蝉は口笛を吹く真似をした。
◆
重犯罪区画。
ここへ入ると、さすがに空気が変わった。
隔壁は厚く、能力抑制設備も明らかに強化されている。
「この先は?」
柏木が確認する。
「視察予定通りだよ」
「皆本さん、ここからは少し離れないでください」
「はい」
空蝉が一つの房の前で止まった。
中には、細身の男が一人。
長い黒髪を後ろへ流し、椅子へ腰掛けて本を読んでいる。
「芦田君」
男が顔を上げた。
「……客か」
「新任主任の研修だよ」
芦田の目が皆本へ向く。
「子供たちの?」
「皆本光一です」
「そうか」
男が小さく笑う。
「大変な役目を引いたな」
「よく言われます」
「子供は扱いが難しい」
空蝉が横から口を挟む。
「君が言うと妙に腹が立つね」
「なぜだ」
「旧犯罪組織を三つまとめ、その人員を使って国家転覆まで企てた人間が教育論を語らないでくれるかね」
「昔の話だ」
「ついこの前だった気もするね」
「老人の感覚だな」
「はて、最近耳が遠くてね」
柏木が小さくため息をついた。
皆本は芦田を見る。
「この人が……」
「収容者の中でも大物だね」
「本人の前で大物と言うな」
「褒めているんだよ」
「どこがだ」
芦田は本を閉じた。
「安心しろ。今の私に逃げる気はない」
「別に疑ってませんよ」
「良い目だ」
「え?」
「人を疑っている目だ」
芦田が笑った。
直後。
低い音が響いた。
海の底から何か巨大なものが施設を殴ったような衝撃。
床が跳ねる。
「っ!」
皆本が壁へ手をつく。
柏木が姿勢を低くする。
赤い警報灯。
『北西外壁損傷! 浸水確認!』
空蝉の顔から笑みが消えた。
二度目。
今度は明確な爆発音。
「柏木君」
「はい」
「皆本君を中央管理室へ」
「空蝉さんは?」
皆本が聞く。
「仕事だよ」
そう言って、空蝉は歩き出した。
◆
最初の攻撃は、超能力ではなかった。
工作船からの対物弾。
爆薬。
施設構造を狙った破壊工作。
能力反応の監視へ頼り切っていたわけではないが、それでも初動を僅かに遅らせるには十分だった。
さらに外壁へ穴を開けてから、ようやくエスパー部隊が動き出す。
「武装艇三隻!」
「接岸区画へ侵入者!」
「通信系統の一部が落ちています!」
中央管理室。
柏木が職員と情報を整理する傍らで、皆本は監視映像を見つめていた。
「要求が来ます!」
モニターに男が映る。
『芦田様を解放しろ』
皆本が振り向く。
「やっぱり……」
『我々は旧芦田派の正統後継組織だ! 芦田様を返せば施設への攻撃を停止する!』
別回線から空蝉の声が入った。
『本人に聞いてみたらどうかな』
『空蝉!』
『やあ。随分派手な面会だね』
『貴様が芦田様を洗脳したことは分かっている!』
『そうかね』
『今すぐ――』
『芦田君。聞こえているかい?』
別の画面。
房にいる芦田が映る。
『聞こえている』
『助けに来たそうだよ』
『迷惑だ』
即答だった。
襲撃者が固まる。
『芦田様!?』
『帰れ』
『しかし我々は、あなたの理想を――』
『知らん』
『組織を再建できます!』
芦田が心底嫌そうな顔をした。
『また逃亡生活をしろと?』
『ですが――』
『私はあと二年で仮釈放審査だ』
『……』
『帰れ』
通信が切れた。
皆本は思わずモニターを見つめた。
「……すごく現実的ですね」
「それも更生の一つでしょう」
柏木が答える。
「少なくとも、損得を考えず暴れていた頃よりは」
その瞬間。
三度目の爆発。
「第三収容区画、ロックダウン異常!」
「予備系統へ!」
「間に合いません!」
複数の房が開く。
監視映像の中で、若い囚人たちが廊下へ飛び出した。
「開いてる!」
「今だ!」
「船まで行けば逃げられるぞ!」
「短期収容者を中心に脱走行動!」
皆本が身を乗り出す。
「まずい!」
だが、他の房は動かない。
古参囚人の一人が、走り去る若者たちを見て呟いた。
『元気だねえ』
隣の房から声。
『俺、来月審査なんだけど』
『俺も』
『じゃあやめとくか』
「……」
皆本が言葉を失う。
「長く収容されている人ほど、ああです」
柏木が小さく笑った。
◆
施設放送が切り替わる。
『全収容者へ』
空蝉の声。
『現在、施設は外部から武装攻撃を受けている』
ざわめき。
『北西区画に浸水。負傷者が出ている。職員の誘導に従って避難すること』
一拍。
『指定された収容者について、一時的に能力使用制限を解除する』
皆本が振り返った。
「解除するんですか!?」
無線越しに空蝉。
『そうだよ』
「脱走者が増えるかもしれない!」
『かもしれないね』
「それでも?」
少しだけ間。
『能力を奪ったまま死ねとは言えないだろう』
通信が切れる。
柏木は何も言わなかった。
やがて能力制限が解除される。
施設のあちこちで変化が起きた。
崩れかけていた天井が浮き上がる。
『早く通れ! 長くは保たねえぞ!』
念能力者の囚人が避難路を確保する。
浸水区画では、水流が不自然に曲げられた。
火災区画では熱が壁から引き剥がされる。
テレポーターが負傷した職員を一人ずつ医療区画へ運ぶ。
『一回一人だ! 急かすな!』
「……」
皆本が監視画面を見渡す。
「戦わないんですね」
「え?」
柏木が見る。
「能力を返されたのに……まず避難を」
「そういう訓練をしていますから」
「訓練だけでできますか?」
柏木は少し考えた。
「それは、空蝉さんに聞いてください」
◆
その頃。
空蝉は盛大に怒鳴られていた。
「雑ッ!!」
廊下に声が響く。
襲撃者が宙を舞い、壁の手前でぎりぎり止まる。
空蝉は掲げていた手を下ろした。
「今度は壁へ当てていないよ」
収容区画の向こうから古参囚人が叫ぶ。
「止め方が雑だっつってんだ!」
「しかし止まった」
「首ガックンなってただろうが! 最後だけ抜け!」
「最後だけ?」
「最初に押して、半分越えたら流せ!」
「なるほど」
「何で俺が教えてんだ!」
皆本が柏木と共に現場へ到着したのは、ちょうどその時だった。
「空蝉さん!」
「皆本君。ちょうどいい」
「何がちょうどいいんです!」
侵入者が炎を放つ。
空蝉が腕を払う。
炎が大きく横へ曲がる。
「そっちじゃねえ!」
別の区画から声。
「上だ上! 横へ流したら熱が残るだろ!」
「なるほど」
空蝉が角度を変える。
炎が天井方向へ抜けた。
「最初からそうしろ!」
皆本が目を瞬く。
「……なんであの人、空蝉さんの使い方にあんな具体的な指示を?」
「長い付き合いなのでね」
空蝉が答える。
古参囚人が鼻で笑う。
「付き合い長いくせに雑なんだよ!」
「専門家には敵わないよ」
「だったらもう少し聞け!」
何の専門家なのか。
皆本が聞くより先に、次の襲撃者が現れた。
空蝉の身体が一瞬硬質化する。
攻撃を真正面から受け止める。
「管理官!」
また別の声。
「肩までで止めろ!」
「何故だね?」
「全身やったら膝まで固まるぞ!」
空蝉が一歩踏み出そうとする。
止まった。
「……本当だ」
「だろうが!」
仕方なくそのまま体当たり。
襲撃者が吹っ飛ぶ。
「だから雑だって!」
今度は三方向から怒鳴られた。
柏木が額を押さえる。
「相変わらずですね……」
皆本が振り向く。
「相変わらず?」
「いえ。こちらの話です」
「柏木さん?」
「皆本さん、今は敵を」
さらりと流された。
◆
短期囚たちは別方向から接岸区画を目指していた。
「あと少しだ!」
「外の連中の船を奪えば――」
曲がり角。
白い影。
三人が硬直する。
「やあ」
「……」
「どこへ行くのかね?」
「避難です」
「避難区画は逆だよ」
「……」
「戻りたまえ」
三人が一斉に走った。
「話を聞かない子だね」
空蝉が片手を上げる。
三人の足が同時に床から浮く。
「うわっ!」
「管理官!」
遠くから例の古参囚人。
「そこで一気に締めるなよ!」
「分かっているとも」
「さっき分かってなかっただろ!」
空蝉が少し慎重に手を動かす。
三人がゆっくりと床へ押し付けられる。
「……これくらいかね?」
「そう! そこから固定!」
「こうかな」
「強い強い! 二割抜け!」
「注文が細かいな」
「雑なあんたが悪い!」
皆本がようやく追いつく。
「……今の人、本当にただの囚人なんですよね?」
「失礼だな、皆本君」
「どっちに言ってるんですか!」
空蝉は答えず、次の区画へ向かった。
◆
最深部。
襲撃部隊の主力は、ついに芦田の房へ到達していた。
「芦田様!」
隔壁が爆破される。
「お迎えに上がりました!」
芦田は本を閉じる。
「しつこいな」
「能力制限も解除されています!」
「知っている」
「なら!」
男たちが笑う。
「我々と共に!」
芦田が立ち上がった。
空気が軋む。
「芦田様!」
次の瞬間。
襲撃者全員が床へ叩きつけられた。
「がっ!」
「……芦田、様?」
「私は帰れと言った」
「なぜ……!」
「仮釈放審査が二年後だと言っただろう」
「そんなもの、空蝉に洗脳された結果です!」
芦田の眉が動いた。
「……何?」
「あなたほどの方が、こんな場所で従順に――」
圧力が強まった。
「私を馬鹿にするな」
男たちが呻く。
「空蝉は嫌いだ」
芦田が淡々と言う。
「人のことを妙に覚えている。こちらが忘れたいことまで掘り返す。説教は長い。話を誤魔化しても大抵逃がしてくれん」
「なら……」
「それでも信用はしている」
芦田が吐き捨てる。
「それとこれとは別だ」
足音。
「良いことを言うね、芦田君」
空蝉が現れた。
「聞いていたのか」
「途中から」
「最悪だ」
「安心したまえ。記録には残すよ」
「もっと最悪だ!」
芦田が空蝉を睨む。
「今日の行動、審査で考慮しろ」
「それは私が決めることではないよ」
「貴様……!」
「ただし」
空蝉が少し笑う。
「適切な能力使用だったとは報告しておこう」
芦田がしばらく黙る。
「……それでいい」
◆
襲撃開始から一時間余り。
侵入者は全員拘束。
脱走を試みた短期囚も全員回収。
死者なし。
施設設備はかなりの被害を受けたものの、収容者の大半は指定された避難区画を守り、負傷者の救助へ協力した。
「管理官!」
「何かね?」
「食堂の壁、俺らじゃねえぞ!」
「確認しているよ」
「修繕費取るなよ!」
「君が壊した分でなければ取らないとも」
「ならいい!」
模範囚が去っていく。
別の方向から声。
「管理官!」
「今度は何だ!」
「第三隔壁閉まらねえぞ!」
「職員を呼びたまえ!」
「全員忙しい!」
「では君が直せるかね?」
「俺は電気工じゃねえ!」
皆本はその光景を眺めていた。
柏木が隣に立つ。
「どうでした?」
「……資料で読むのと全然違いますね」
「でしょうね」
「囚人に能力を返すなんて、正直怖かったです」
「私もですよ」
柏木はあっさり認めた。
「毎回、正しい結果になる保証なんてありません」
「それでもやる」
「必要なら」
皆本は空蝉を見る。
囚人と職員の間を行ったり来たりしながら、文句を言われ、指示を出し、時々怒鳴り返している。
「空蝉さん」
「なんだい、皆本君」
「どうして皆、逃げなかったんです?」
「逃げた者もいるよ」
「そうじゃなくて」
皆本が言葉を探す。
「長くいる人ほど……あなたの指示を聞いていた」
「管理官なのでね」
「それだけですか?」
「それ以上必要かな」
「能力だって返したでしょう」
「彼ら自身を守るためだ」
「裏切るかもしれないのに?」
「人間だからね」
空蝉は当然のように答えた。
「裏切ることもあるだろう」
「それでも?」
「それでもだよ」
皆本は少し黙った。
「信じてるんですか?」
空蝉は考えるように首を傾げる。
「信じる、という言葉は少々便利すぎるね」
「じゃあ?」
「私は彼らが何をしてきたか知っている」
いつもの穏やかな声。
「失敗したことも、嘘をついたことも、約束を破ったこともね」
空蝉は収容区画へ視線を向けた。
「それでも今日までここで暮らしてきた。それだけだよ」
遠くから声が飛ぶ。
「管理官! ぼさっとしてねえで来い!」
「君たちは私を何だと思っているんだ!」
「管理官だよ!」
「ならもう少し敬いたまえ!」
「仕事してから言え!」
空蝉が眉間を押さえた。
皆本は思わず笑う。
「……随分慕われてますね」
「どこを見たらそうなるんだね?」
柏木も小さく笑った。
「皆本さん」
「はい?」
「この施設、資料に書けないことが多いでしょう?」
「……よく分かりました」
その向こうで、古参囚人の声がまた響く。
「管理官! 次あれ使う時、さっきみたいな雑な真似すんなよ!」
「善処しよう」
「善処じゃなくて覚えろ!」
「専門家は注文が多いね」
「誰のせいだ!」
皆本は少しだけ眉を寄せた。
何の専門家なのか。
そしてなぜ、彼らは空蝉の力の使い方をあれほど詳しく知っているのか。
「空蝉さん」
「ん?」
「さっきから気になってたんですが――」
「皆本君」
空蝉がにっこりと笑った。
「世の中には、知らない方が面白いこともある」
「まだ何も聞いてませんよ!」
「では問題ないね」
そう言って、空蝉は呼ばれた方向へ歩いていく。
「管理官! 走れ!」
「廊下は走らない主義なんだ」
「緊急時だぞ!」
「もう終わっただろう?」
「壁は終わってねえよ!」
怒鳴り声と笑い声が、壊れた廊下の向こうへ消えていく。
皆本はその背中を見送りながら、改めて施設内を見渡した。
犯罪者を閉じ込める場所。
罪を償わせる場所。
そして、いつかここから出ていくために、もう一度自分の力との付き合い方を覚える場所。
その中心で。
白い管理官だけが、相変わらず何者なのかよく分からなかった。