Identity.   作:安眠一兎

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EP7 帰郷万歳! 京娘と白い麗人

「京都?」

 

 

 葵がぱちりと目を瞬かせた。

 

 

「そうだ」

 

 

 皆本は手元の資料をめくりながら頷いた。

 

 

「ここ三日ほど、京都市内で原因不明の転移現象が続いてる」

 

「転移?」

 

「物品だけじゃない。昨日は人間も一人飛ばされた」

 

 

 皆本がテーブルの上へ写真を並べる。

 

 一枚目、『閉店後の商店から、商品の一部が数百メートル離れた路地へ移動』

 

 二枚目、『駐車されていたスクーターが、突然近隣の公園へ出現』

 

 三枚目、

 

 

「うわ」

 

 

 薫が顔をしかめた。

 

 

「これ、人?」

 

「ああ」

 

 

 写真に写っているのは、寺院の庭に倒れ込んだ男性だった。

 

 

「自宅の台所にいたところ、約二キロ離れた場所へ突然転移した。幸い軽傷で済んだけどな」

 

「能力者本人やないん?」

 

 

 葵が写真を手に取る。

 

 

「本人には能力反応なし。現地の予知と警察の調査では、外部からのテレポート能力による可能性が高い」

 

「能力犯罪?」

 

「それが分からない」

 

 

 皆本は眉を寄せた。

 

 

「盗難目的にしては、飛ばされる物に一貫性がない。財布や貴金属もあれば、椅子や植木鉢もある。それに人間まで飛ばしてる」

 

「めちゃくちゃね」

 

 

 紫穂が資料を覗く。

 

 

「能力制御に失敗してるんじゃない?」

 

「予知課もその可能性を見てる」

 

 

 皆本は葵を見る。

 

 

「そこで、同系統の高レベルテレポーターとして葵に現象を見てもらいたい」

 

「なるほどな」

 

 

 葵が胸を張る。

 

 

「うちの出番っちゅうわけや」

 

「そういうことだ」

 

「なら今回はうちと皆本はん?」

 

「……行きたいんだけどな」

 

 

 皆本がちらりと横を見る。

 

 薫と紫穂。

 

 

「えー」

 

 

 薫が露骨に不満そうな顔をした。

 

 

「京都いいなー」

 

「遊びじゃないぞ」

 

「でも京都だろ?」

 

「京都でも仕事は仕事だ!」

 

「八ツ橋買ってきて」

 

 

 紫穂が言う。

 

 

「紫穂まで」

 

「あたしは生八ツ橋がいいわ」

 

「注文するな!」

 

「皆本はん」

 

 

 葵が笑う。

 

 

「諦めた方がええで」

 

「誰のせいだと思ってるんだ!」

 

 

 皆本がため息をついた。

 

 

「明日はこっちでも二人の任務がある。僕は東京に残る」

 

「ほな、うち一人?」

 

「いや」

 

 

 皆本の顔が少し微妙になる。

 

 

「能力犯罪者への対応経験がある人間と組ませる」

 

「誰?」

 

 

 その答えは、後ろから来た。

 

 

「私だよ」

 

 

 全員が振り返る。

 

 

「……」

 

 

 白い服。

 

 白い髪。

 

 いつもの胡散臭い笑み。

 

 空蝉だった。

 

 

「なんや」

 

 

 葵が言った。

 

 

「なんだね、その反応は」

 

「いや、もっと普通の人来ると思ってたから」

 

「失礼だな」

 

「空蝉が言う?」

 

 

 薫が笑う。

 

 皆本は真面目な顔のまま空蝉を見る。

 

 

「空蝉さん。今回は現地の捜査協力が目的です。勝手に別件を追ったりしないでください」

 

「信用がないね」

 

「過去の実績です」

 

「酷い言われようだ」

 

「それと」

 

 

 皆本は葵を見る。

 

 

「葵をお願いします」

 

「うむ」

 

「本当にお願いしますよ」

 

「二度言われた」

 

「三度言ってもいいくらいです」

 

「皆本はん」

 

 

 葵が呆れる。

 

 

「うち、京都くらい一人で行けるで?」

 

「そこは心配していないんだ」

 

「過保護だねえ」

 

 

 空蝉が言う。

 

 

「心配の種はあなたです!」

 

 

 

 

「で」

 

 

 京都駅。

 

 葵は改札を抜けたところで足を止めた。

 

 

「なんで空蝉さんがうちの後ろついてきとんの?」

 

「地元民に任せるのが効率的だからだよ」

 

「いや、仕事で来たんやろ?」

 

「そうとも」

 

「現場の場所知らんの?」

 

「住所は知っている」

 

「ほな行けるやん」

 

「君の方が詳しい」

 

「……」

 

 

 葵はじっと空蝉を見る。

 

 空蝉は平然としていた。

 

 

「ただついてくるだけやろ」

 

「それもまた旅行の醍醐味だね」

 

「旅行ちゃうわ!」

 

 

 朝から早くも疲れる。

 

 それでも、東京より少しだけ足取りが軽い自分に葵は気づいていた。

 

 聞き慣れた言葉。

 

 駅の空気。

 

 街並み。

 

 帰ってきた。

 

 たったそれだけのことなのに、妙に安心する。

 

 

「葵君」

 

「ん?」

 

「顔が違うね」

 

「何が?」

 

「いや」

 

 

 空蝉が笑った。

 

 

「なんでもないよ」

 

「変な人やなあ」

 

「よく言われる」

 

 

 

 

 最初の現場は、小さな古道具店だった。

 

 店主が困り果てた顔で二人を迎えた。

 

 

「昨日の夜ですわ。閉めて帰って、朝来たら棚がごっそり空になっとって」

 

「盗難かと思ったら?」

 

 

 葵が尋ねる。

 

 

「二筋向こうの駐車場に全部積み上がっとったんです」

 

「壊れてへんかった?」

 

「湯呑み一個割れてただけで」

 

 

 葵が現場を見る。

 

 棚。

 

 床。

 

 壁。

 

 窓に侵入の痕跡はない。

 

 

「普通に飛ばしたんやったら、かなり綺麗やな」

 

「そうなのかね?」

 

「物だけ選んで、壁とか棚ごと持ってかんかったんやろ?」

 

「ああ」

 

 

 空蝉は店内を見る。

 

 

「なるほど」

 

 

 葵がその横顔を見た。

 

 

「空蝉さん、テレポート詳しいん?」

 

「多少は」

 

「多少?」

 

「能力犯罪を見ていると色々覚えるのでね」

 

「ふーん」

 

 

 葵はそれ以上聞かなかった。

 

 次の現場。

 

 さらに次。

 

 飛ばされた物の種類はバラバラ。

 

 距離も数百メートルから数キロ。

 

 方角にも規則性がない。

 

 

「……これ」

 

 

 四件目。

 

 路地裏へ移動した自転車の前で、葵がしゃがみ込む。

 

 

「どうしたね?」

 

「飛ばし方が変や」

 

「変?」

 

「目的地を見て飛ばしてへん」

 

 

 空蝉が首を傾げる。

 

 

「分かるのかね?」

 

「うちやったら、まず行き先を決める。そこに何があるか見て、位置を合わせて、飛ばす」

 

 

 葵は自転車を見る。

 

 

「でもこれ、そうやない」

 

「では?」

 

「場所やなくて……距離だけで飛ばしとる感じ」

 

「二百メートル北、とか?」

 

「もっと雑やな。そこそこ、あっち……みたいな」

 

 

 空蝉が感心したように頷いた。

 

 

「面白いね」

 

「面白がるとこちゃうで」

 

「専門家の意見は貴重だよ」

 

 

 葵は少しだけ得意そうに鼻を鳴らした。

 

 

「まあな」

 

 

 その時。

 

 空蝉が横を向いた。

 

 

「どうしたん?」

 

「……いや」

 

 

 数秒。

 

 

「次は、人が飛ぶ」

 

「は?」

 

「近いよ」

 

 

 空蝉の表情が変わる。

 

 

「葵君」

 

「どこや!」

 

「東。おそらく一キロ以内」

 

「場所!」

 

「まだ定まらない」

 

「ほな上がるで!」

 

 

 葵が空蝉の手首を掴む。

 

 

「――おっと予想外」

 

 

 景色が消えた。

 

 

 

 

 一瞬後。

 

 二人はビルの屋上にいた。

 

 葵が周囲を見る。

 

 

「どっちや!」

 

「南東」

 

「何階?」

 

「低い」

 

「それじゃ分からへん!」

 

「待ちたまえ」

 

 

 空蝉が目を閉じる。

 

 断片。

 

 悲鳴。

 

 赤い看板。

 

 自動販売機。

 

 男が消える。

 

 

「商店街」

 

「どこ!?」

 

「赤い――」

 

「看板なんかいっぱいあるわ!」

 

「では」

 

 

 空蝉が少し考え。

 

 

「走ろう」

 

「そこテレポートちゃうんかい!」

 

 

 二人が屋上から消える。

 

 葵は短距離転移を繰り返しながら街を探す。

 

 三回目。

 

 

「いた!」

 

 

 男性。

 

 買い物袋。

 

 そして。

 

 身体が歪む。

 

 

「まずい!」

 

 

 葵が手を伸ばす。

 

 男が消えた。

 

 

「っ!」

 

 

 同時に葵も消える。

 

 空蝉だけが残る。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 

「……これは大変そうだ」

 

 

 空蝉も消えた。

 

 

 

 

 現れた先は寺院の境内だった。

 

 

「うわあああっ!」

 

 

 転移させられた男性が空中に出現する。

 

 高さ、三メートル。

 

 葵が即座に転移。

 

 

「大丈夫や!」

 

 

 男性を掴み。

 

 地面へ。

 

 

「……ふう」

 

 

 着地。

 

 その数メートル横。

 

 空蝉も現れた。

 

 ただし。

 

 

「……」

 

 

 石灯籠の上だった。

 

 片足。

 

 妙な姿勢。

 

 数秒。

 

 葵が見上げる。

 

 

「何しとんの?」

 

「着地点を間違えた」

 

「何で!?」

 

「視認できていなかったのでね」

 

「移動先分からへんのに飛んだん!?」

 

「君を追った」

 

「座標だけで飛ぶな!」

 

 

 葵の声が境内に響く。

 

 

「壁の中とかやったらどうすんねん!」

 

「ここは屋外だよ」

 

「そういう問題ちゃう!」

 

 

 空蝉は石灯籠から飛び降りた。

 

 

「なるほど。難しいものだね」

 

「……」

 

 

 葵がじっと見る。

 

 

「何かな?」

 

「いや」

 

「言いたまえ」

 

「空蝉さん、テレポート下手やな」

 

「初めて言われたよ」

 

「そらそうやろな!」

 

 

 

 

 転移させられた男性に怪我はなかった。

 

 問題は。

 

 

「さっきの転移、直前に別の反応があった」

 

 

 空蝉が言う。

 

 

「別の?」

 

「ああ」

 

「誰かおった?」

 

「近い」

 

 

 二人は周囲を調べる。

 

 境内の外。

 

 住宅地。

 

 細い路地。

 

 やがて葵が足を止めた。

 

 

「……ここ」

 

 

 古い一軒家。

 

 玄関先に、小学生くらいの少年が座っていた。

 

 膝を抱えている。

 

 

「君」

 

 

 空蝉が呼ぶ。

 

 少年が顔を上げた。

 

 

「……誰?」

 

「B.A.B.E.L.の職員だよ」

 

 

 少年の顔色が変わる。

 

 次の瞬間。

 

 姿が消えた。

 

 

「あ!」

 

 

 葵も即座に消える。

 

 

「待たんかい!」

 

 

 声だけが残る。

 

 空蝉がため息をつく。

 

 

「早いねえ」

 

 

 一拍。

 

 

「さて」

 

 

 消えた。

 

 

 

 

「待ちぃ!」

 

 

 少年。

 

 葵。

 

 その後ろから少し遅れて空蝉。

 

 三者が京都の町を転々とする。

 

 公園。

 

 路地。

 

 橋の下。

 

 住宅の屋根。

 

 

「止まり!」

 

「嫌だ!」

 

「捕まえるんやないって!」

 

「嘘だ!」

 

 

 少年がまた消える。

 

 葵も追う。

 

 空蝉も。

 

 

「……」

 

 

 そして。

 

 空蝉だけがゴミ集積所へ出た。

 

 

「…………」

 

 

 猫が一匹、驚いて逃げる。

 

 

「葵君」

 

 

 通信機。

 

 

『何!?』

 

「私は今どこにいると思う?」

 

『知らんわ!』

 

「だろうね」

 

『せやから確認せえ言うたやろ!』

 

「善処しよう」

 

『善処ちゃう!』

 

 

 空蝉は周囲を見渡した。

 

 

「……これは要練習だな」

 

 

 

 

 最終的に少年を追い詰めたのは、葵だった。

 

 鴨川沿い。

 

 少年は息を切らしていた。

 

 

「来るな!」

 

「行かへんよ」

 

 

 葵は少し離れたところで止まる。

 

 

「でも、このまま飛び続けたら危ないで」

 

「平気だ!」

 

「平気ちゃう」

 

 

 葵の声が少し強くなる。

 

 

「さっきのおっちゃん、飛ばしたやろ?」

 

「……」

 

「自分でも止められへんのやろ」

 

 

 少年が俯く。

 

 

「僕じゃない」

 

「そっか」

 

「信じるの?」

 

「嘘ついてる顔やけどな」

 

「……」

 

「でも、わざとやないんやろ?」

 

 

 少年の目から涙が落ちた。

 

 

「最近……触ったものが、勝手にどっか行くんだ」

 

「人も?」

 

「昨日から」

 

「怖かったな」

 

 

 葵が言った。

 

 

「……」

 

「テレポートってな」

 

 

 葵はゆっくりしゃがむ。

 

 

「飛べるから便利、だけやないんよ」

 

 

 少年が見る。

 

 

「行き先間違えたら、それだけで人が死んでまう」

 

「……」

 

「うちも最初から何でもできたわけちゃう」

 

「ほんと?」

 

「ほんま」

 

 

 少し後ろ。

 

 空蝉は黙って聞いていた。

 

 

「だから」

 

 

 葵が手を差し出す。

 

 

「一緒に練習しよ」

 

 

 少年が迷う。

 

 その時。

 

 

「ダメ!」

 

 

 能力が暴発した。

 

 周囲の空気が歪む。

 

 

「葵君!」

 

 

 路上にあったものが次々と消える。

 

 自転車。

 

 看板。

 

 ゴミ箱。

 

 通行人。

 

 

「っ!」

 

 

 葵が消える。

 

 一人目。

 

 救出。

 

 二人目。

 

 別方向。

 

 救出。

 

 

「空蝉さん!」

 

「分かっている!」

 

 

 空蝉も手を上げる。

 

 消える。

 

 現れる。

 

 一人の女性を掴む。

 

 

「うわっ!」

 

「失礼」

 

 

 また消える。

 

 

「そっちちゃう!」

 

 

 葵の声。

 

 

「右! もっと右!」

 

「こっちかね?」

 

「そこ川や!」

 

「なるほど」

 

「なるほどやない!」

 

 

 また一人。

 

 また一人。

 

 空蝉の転移は速い。

 

 出力もある。

 

 だが。

 

 雑だった。

 

 

「空蝉さん! 飛ぶ前に見る!」

 

「見ているとも!」

 

「座標やなくて周り!」

 

「注文が多いね!」

 

「うちの能力や! 言うこと聞き!」

 

 

 一瞬。

 

 空蝉が止まる。

 

 

「……」

 

「何?」

 

「いや」

 

 

 口元が少し上がった。

 

 

「専門家には敵わないと思ってね」

 

「笑っとらんで次!」

 

「はいはい」

 

 

 数十秒。

 

 最後の通行人が安全な場所へ転移。

 

 そして。

 

 

「今!」

 

 

 葵が少年の前へ飛ぶ。

 

 

「もう大丈夫や!」

 

 

 肩を掴む。

 

 

「うあああああ!」

 

「大丈夫!」

 

 

 少年の能力が暴れる。

 

 空蝉も隣へ。

 

 

「葵君!」

 

「抑えるで!」

 

「合わせよう」

 

「ちゃんと調整せぇよ」

 

「承知した」

 

 

 二つの転移能力。

 

 一つは正確。

 

 一つは荒い。

 

 けれど。

 

 暴走した空間の歪みが少しずつ収まる。

 

 最後に。

 

 音もなく。

 

 全てが止まった。

 

 

 

 

「……疲れた」

 

 

 葵がベンチへ倒れ込んだ。

 

 

「お疲れ様」

 

 

 空蝉が隣に座る。

 

 

「他人事みたいに言わんといて」

 

「私も働いたとも」

 

「ほとんどうちが指示しとったやん」

 

「適材適所だよ」

 

「テレポート使っとったんは空蝉さんやろ!」

 

「使えることと、上手いことは別なのでね」

 

「威張るな!」

 

 

 少年は無事保護された。

 

 どうやら能力の急激な成長に感覚が追いつかず、無意識に周囲の物体へ転移を起こしていたらしい。

 

 故意の犯罪ではない。

 

 今後は専門施設で訓練を受けることになる。

 

 葵はそれを聞いて、ようやく安心した顔をした。

 

 

「さて」

 

 

 空蝉が立ち上がる。

 

 

「仕事も終わった」

 

「帰る?」

 

「……」

 

 

 葵が見る。

 

 

「何その顔」

 

「何も」

 

「観光したいんやろ」

 

「私は何も言っていないよ」

 

「顔に書いとるわ」

 

「皆本君みたいなことを言うね」

 

「ほな」

 

 

 葵も立ち上がった。

 

 

「案内したるわ」

 

「それは助かる」

 

「ただし八ツ橋買ってや」

 

「薫君と紫穂君の分かな?」

 

「うちらの分もや!」

 

 

 

 

 その後。

 

 本当に観光した。

 

 甘味処。

 

 寺。

 

 古い街並み。

 

 空蝉は妙に何でも興味深そうに見る。

 

 

「空蝉さん、京都来たことないん?」

 

「あるよ」

 

「ほな何でそんな初めての観光客みたいなん?」

 

「以前とは随分違うのでね」

 

「いつ来たん?」

 

「昔」

 

「どれくらい昔?」

 

「昔は昔だよ」

 

「またそれかいな」

 

 

 葵が呆れる。

 

 道を歩いていると、女子学生の集団とすれ違った。

 

 数メートル先。

 

 

「なあ、あの人」

 

「宝塚の人ちゃう?」

 

「めっちゃ綺麗」

 

 

 葵が吹き出した。

 

 

「ぶっ!」

 

「何かね?」

 

「また言われとる!」

 

「何を?」

 

「宝塚!」

 

「何故だろう」

 

「鏡見てから言いや!」

 

 

 空蝉は不思議そうに首を傾げる。

 

 

 

 

「せっかくやし」

 

 

 夕方。

 

 葵が少しだけ躊躇してから言った。

 

 

「うち寄ってかへん?」

 

「どこへ?」

 

「実家」

 

 

 空蝉が目を瞬く。

 

 

「構わないのかね?」

 

「ここまで来て素通りしたら、後で怒られるし」

 

「ではお言葉に甘えよう」

 

「空蝉はんのこと、何て説明しよかな」

 

「嫌かな?」

 

「そうやなくて」

 

 

 葵が少し笑った。

 

 

「まあ、おもろそうやからええわ」

 

 

 

 

 玄関を開けた瞬間だった。

 

 

「葵!?」

 

 

 家の奥から大きな声が飛んでくる。

 

 

「帰ってくるんやったら連絡くらいせえ!」

 

「急に決まったんやって、お父ちゃん!」

 

 

 姿を現した大作が、呆れたように娘を見る。

 

 

「せやかて飯の用意とかあるやろ!」

 

「一人増えるくらい大丈夫や!」

 

「一人?」

 

 

 そこでようやく、大作の目が葵の後ろへ向いた。

 

 白い髪。

 

 白を基調とした服。

 

 すらりとした立ち姿。

 

 空蝉が丁寧に頭を下げる。

 

 

「突然お邪魔して申し訳ありません。B.A.B.E.L.の空蝉と申します。本日は葵君と仕事をご一緒していましてね」

 

「……」

 

 

 大作が空蝉を上から下まで見る。

 

 

「お父ちゃん」

 

「いや」

 

 

 大作が真顔で言った。

 

 

「なんや、宝塚の人みたいやな」

 

「またそれ言われた!」

 

 

 葵が頭を抱える。

 

 空蝉は少し嬉しそうだった。

 

 

「今日だけで何度目だろうね」

 

「数えんでええ!」

 

「あら、葵?」

 

 

 今度は奥から、柔らかな声。

 

 母のマリが顔を出した。

 

 

「おかえり。急やったんやねえ」

 

「ただいま」

 

「こちらの方は?」

 

「仕事で一緒やった空蝉はん。一応特務エスパーのくくりなんか?」

 

「初めまして」

 

 

 空蝉がもう一度頭を下げる。

 

 マリは空蝉を見て、少し目を丸くした。

 

 

「まあ……えらい綺麗な方やねえ」

 

「恐縮です」

 

「ほんま、舞台に立たはったら似合いそうやわ」

 

「お母ちゃんまで!」

 

 

 葵が叫ぶ。

 

 大作が横から頷く。

 

 

「せやろ?」

 

「お父ちゃんは黙っとって!」

 

 

 その騒ぎを聞きつけて、さらに一人。

 

 

「お姉ちゃん?」

 

 

 弟のユウキが顔を出す。

 

 

「ただいま、ユウキ」

 

「おかえり」

 

 

 ユウキは葵の後ろに立つ空蝉を見る。

 

 

「……その人は?」

 

「空蝉さん。仕事の人」

 

「どうも」

 

 

 空蝉が軽く手を上げる。

 

 

「今日は葵君に随分助けてもらったよ」

 

 

 ユウキが姉を見る。

 

 

「お姉ちゃんが?」

 

「なんやその言い方!」

 

「いや、別に」

 

「絶対なんか思ったやろ!」

 

 

 空蝉が小さく笑った。

 

 

「良い弟君ではないか」

 

「どこがや!」

 

 

 

 

「それでな」

 

 

 夕食が始まると、大作の質問は止まらなかった。

 

 

「東京ではちゃんとやっとんのか?」

 

「やっとるって!」

 

「飯は?」

 

「食べとる!」

 

「寝とるか?」

 

「寝とる!」

 

「怪我してへんか?」

 

「してへん!」

 

「ほんまか?」

 

「お父ちゃん、うるさい!」

 

「あなた」

 

 

 マリがやんわりと割って入る。

 

 

「せっかく帰ってきたんやし、もう少しゆっくり話したらええやないの」

 

「いや、せやけどなあ」

 

「大丈夫やって」

 

 

 葵がため息をつく。

 

 

「皆本はんもおるし」

 

「皆本さんいう人やね」

 

 

 マリが空蝉を見る。

 

 

「葵がお世話になっとるそうで」

 

「ええ。少々過保護なくらいですが、非常に優秀な主任ですよ」

 

 

 葵が箸を止めた。

 

 

「空蝉はん」

 

「何かな?」

 

「皆本はん本人がおらんと、えらい素直に褒めるな」

 

「本人の前で褒めると調子に乗るかもしれないのでね」

 

「乗らへんと思うで」

 

「そうかね?」

 

 

 ユウキが葵を見る。

 

 

「でもお姉ちゃん、楽しそうやね」

 

「……何が?」

 

「東京の話する時」

 

 

 葵が一瞬だけ黙る。

 

 

「そらまあ」

 

 

 少し照れ臭そうに笑った。

 

 

「薫も紫穂もおるしな」

 

 

 大作が頷く。

 

 

「ええ友達がおるんはええことや」

 

「うん」

 

 

 そのやり取りを、空蝉は黙って見ていた。

 

 

 

 

 食後。

 

 

「ちょ、お母ちゃん!」

 

 

 葵の悲鳴が上がった。

 

 

「何出してんの!」

 

「ええやないの、懐かしいわあ」

 

 

 テーブルの上に置かれたアルバム。

 

 幼い葵が写っている。

 

 ランドセル姿。

 

 着物姿。

 

 歯が抜けたまま笑っている写真。

 

 泣き顔。

 

 

「やめてや!」

 

「可愛いやないの」

 

「今見せる必要ないやろ!」

 

「空蝉さんも見ます?」

 

「是非」

 

「空蝉はん!?」

 

 

 空蝉は躊躇なくアルバムを受け取った。

 

 

「ほう」

 

「ほう、やない!」

 

「葵君にもこんな頃があったんだね」

 

「当たり前や!」

 

 

 ユウキが横から写真を指す。

 

 

「これ、お姉ちゃんが転移失敗して庭の池に落ちた時」

 

「言わんでええ!」

 

「へえ」

 

 

 空蝉の目が少し楽しそうになる。

 

 

「詳しく聞きたいね」

 

「聞かんでええ!」

 

 

 大作が笑う。

 

 

「昔はもっと無茶しよったんやで」

 

「お父ちゃんまで!」

 

「今もやろ」

 

「ユウキ!」

 

 

 騒がしい。

 

 写真一枚ごとに、誰かが何かを覚えている。

 

 あの時は泣いた。

 

 あの時は怒られた。

 

 この服を気に入っていた。

 

 この頃から負けず嫌いだった。

 

 空蝉は笑いながら、それを聞いていた。

 

 ただ。

 

 アルバムをめくる指だけが、少しゆっくりだった。

 

 

 

 

「ほな、そろそろ行くわ」

 

 

 玄関先。

 

 葵が靴を履く。

 

 

「もう帰るん?」

 

 

 マリが少し寂しそうに言う。

 

 

「仕事あるしな」

 

「今度はもう少しゆっくり帰っといで」

 

「分かっとるって」

 

「連絡もしてな」

 

「はいはい」

 

 

 大作が腕を組む。

 

 

「東京で無茶すんなよ」

 

「お父ちゃんもしつこい!」

 

「親やからな」

 

「……分かっとる」

 

 

 ユウキが小さく手を上げる。

 

 

「またね、お姉ちゃん」

 

「おう。またな」

 

 

 空蝉も一歩下がって頭を下げた。

 

 

「突然押しかけたにもかかわらず、大変ご馳走になりました」

 

「いえいえ」

 

 

 マリが笑う。

 

 

「また葵と一緒に寄ってくださいね」

 

「機会があれば、是非」

 

 

 大作も頷く。

 

「次来た時はゆっくりしていってや」

 

「ありがとうございます」

 

 

 二人で家を出る。

 

 少し歩いたところで、葵が息を吐いた。

 

 

「……疲れた」

 

「随分楽しそうだったよ」

 

「家帰ったらいつもあんなんや」

 

「良いことじゃないか」

 

「そう?」

 

「ああ」

 

 

 空蝉は振り返らない。

 

 

「帰れば、よく帰ってきたと言ってくれる人がいる」

 

 

 葵が横を見る。

 

 空蝉はいつも通り笑っていた。

 

 

「……空蝉さんの実家って、どこなん?」

 

「さてね」

 

「さてね?」

 

「昔過ぎて忘れたよ」

 

「そんなわけあるかい」

 

「どうだろうね」

 

 

 それ以上、葵は聞かなかった。

 

 しばらく歩いて。

 

 空蝉が何気なく呟く。

 

 

「まあ、帰れる場所があるのは、ええことやね」

 

「……」

 

 

 葵が止まった。

 

 空蝉も数歩先で振り返る。

 

 

「何かね?」

 

「今」

 

「うん?」

 

「関西弁やったで」

 

「気のせいだよ」

 

「いやいやいやいや!」

 

「何をそんなに」

 

「『ええことやね』って言うたやろ!」

 

「京都にいたからでは?」

 

「一日でそんな綺麗にうつるか!」

 

 

 空蝉は涼しい顔で歩き出す。

 

 

「待ちぃ!」

 

「怖いねえ」

 

「誰のせいや!」

 

 

 その日。

 

 野上家で一番最後まで響いたのは、葵の声だった。

 

      

 

 

 翌日、B.A.B.E.L.本部。

 

 

「おはようございます」

 

 

 皆本が執務室へ入る。

 

 

「おはよう、皆本君」

 

 

 空蝉が椅子に座っていた。

 

 

「もう来てたんですか」

 

「少し前にね」

 

 

 皆本は机へ資料を置く。

 

 

「葵から聞いた京都の報告書、確認お願いします」

 

「ああ」

 

「ここに置きますね」

 

「うむ」

 

 

 皆本が振り返る。

 

 ぱっ。

 

 資料が消えた。

 

 

「……」

 

 

 空蝉の手元に現れる。

 

 

「……空蝉さん」

 

「何かな?」

 

「今、テレポート使いました?」

 

「そうだね」

 

「三メートルですよ」

 

「だから?」

 

「取りに来ればいいでしょう!」

 

「何故?」

 

「何故って!」

 

 

 そこへ葵が入ってくる。

 

 

「おはよー」

 

 

 空蝉の机を見る。

 

 

「……」

 

 

 資料。

 

 空蝉。

 

 皆本。

 

 

「今やった?」

 

「何をかね?」

 

「うちの前でしらばっくれる気か?」

 

 

 葵が睨む。

 

 空蝉はコーヒーカップへ手を伸ばした。

 

 空だった。

 

 

「……」

 

 

 ぱっ。

 

 カップが消える。

 

 

「ちょ!」

 

 

 皆本が叫ぶ。

 

 数秒後。

 

 ぱっ。

 

 湯気の立つカップが戻る。

 

 

「便利だね」

 

「便利ちゃうわ!」

 

「給湯室に人いたらどうするんです!」

 

「確認したよ」

 

「いつ!?」

 

「先ほど」

 

「だからって!」

 

 

 薫と紫穂まで顔を出した。

 

 

「何騒いでんだ?」

 

「空蝉さんが能力で怠けてる!」

 

「効率化だよ」

 

 

 薫が目を輝かせる。

 

 

「いいじゃん! あたしもやろ!」

 

「薫は歩け!」

 

「何でだよ!」

 

 

 紫穂が空蝉を見る。

 

 

「そのうち椅子ごと移動しそうね」

 

 

 沈黙。

 

 全員が空蝉を見る。

 

 

「……」

 

 

 葵が指を差した。

 

 

「今考えたやろ」

 

「何をかね?」

 

「絶対やめてや!」

 

 

 

 

 三日後。

 

 ぱっ。

 

 執務室の中央に。

 

 椅子へ腰掛けたままの空蝉が出現した。

 

 足を組み、片手にはコーヒー。

 

 

「おはよう諸君」

 

「歩けぇ!!」

 

 

 葵の怒声が響いた。

 

 薫が腹を抱えて笑う。

 

 

「本当にやった!」

 

「効率的だろう?」

 

「怠けとるだけや!」

 

「効率と怠惰は紙一重だよ」

 

「紙一重ちゃう!」

 

 

 皆本は呆れながら、その光景を見ていた。

 

 

「……」

 

 

 空蝉がまた消える。

 

 今度は机の向こう。

 

 ほんの数メートル。

 

 着地点も安定している。

 

 

「空蝉さん」

 

「ん?」

 

「上手くなりましたよね」

 

 

 葵が即座に答えた。

 

 

「そら毎日アホみたいに使っとるからや!」

 

「実地訓練だよ」

 

「コーヒー取り寄せんのを訓練言うな!」

 

 

 皆本は笑わなかった。

 

 葵から聞いた京都での超能力使用。

 

 最初の転移。

 

 石灯籠の上。

 

 ゴミ集積所。

 

 葵に何度も怒鳴られていた空蝉。

 

 そして今。

 

 日を追うごとに、明らかに精度が上がっている。

 

 

「……」

 

「皆本君?」

 

「あ、いえ」

 

「何かな?」

 

「空蝉さんって」

 

 

 皆本は少し迷う。

 

 

「……京都より前から、テレポート使えました?」

 

 

 葵の顔も動いた。

 

 

「……あ」

 

 

 空蝉が皆本を見る。

 

 

「使えるよ」

 

「今の話じゃありません」

 

「では?」

 

「京都で初めて見た時、明らかに慣れてなかった」

 

「そうだったかな」

 

「石灯籠に乗っとったで」

 

 

 葵が言う。

 

 

「ゴミ捨て場にも出た」

 

「葵君」

 

「事実や」

 

 

 皆本が続ける。

 

 

「でも、京都以来ずっと使えてる」

 

「できているね」

 

「だったら」

 

 

 少しだけ声が低くなる。

 

 

「何で、それまであんなに下手だったんです?」

 

 

 ほんの短い沈黙。

 

 空蝉がコーヒーを飲む。

 

 

「使っていなかったからでは?」

 

「……」

 

「能力も使わなければ鈍るものだよ」

 

「ほんまに?」

 

 

 葵が見る。

 

 

「何かな?」

 

「前から使えたん?」

 

「使えるとも」

 

「ちゃうねん」

 

 

 葵の声音が少しだけ変わった。

 

 

「使えるかどうかやなくて」

 

 

 一拍。

 

 

「前から使っとったんかって聞いとるんや」

 

 

 空蝉は葵を見る。

 

 少しだけ。

 

 笑った。

 

 

「似たような質問では?」

 

「全然ちゃうで」

 

 

 皆本も黙っている。

 

 

「……」

 

 

 空蝉がカップを置いた。

 

 

「さて」

 

 

 ぱっ。

 

 椅子ごと消えた。

 

 

「あ!」

 

「逃げた!」

 

 

 廊下から声。

 

 

「逃げてはいないよ」

 

 

 葵が扉を開ける。

 

 

「能力使って逃げんな!」

 

「歩くより早いのでね」

 

「待ちぃ!」

 

 

 葵も消える。

 

 皆本は取り残された。

 

 

「……」

 

 

 薫が横から顔を覗き込む。

 

 

「皆本?」

 

「なんだ」

 

「なんか気になる?」

 

「……いや」

 

 

 少しだけ考える。

 

 

「まだ分からない」

 

 

 紫穂が笑う。

 

 

「じゃあ、分かるまで考えるんでしょ?」

 

「まあね」

 

 

 廊下の向こうから。

 

 

「空蝉はん!」

 

「何かな?」

 

「そこちゃう! 会議室や!」

 

「せやったね」

 

「――今また言うたな!?」

 

 

 皆本は思考を止めた。

 

 

「……まあ」

 

 

 頭を抱える。

 

 

「今はいいか」

 

 

 京都以来。

 

 空蝉のテレポートは日に日に上手くなっていた。

 

 そして同じくらい。

 

 時々、その口から妙な関西弁が出るようになっていた。

 

 本人は。

 

 頑として認めなかった。

 

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