日曜日の前夜。峰川家の子ども部屋は、まるで小さなファッションショー会場と化していた。
「ダーリン! こっちのひらひらしたスカートと、さっきのジーンズ、どっちがダーリン好みだっちゃ!?」
「だーかーらー……モナ、もうそれ着替えるの六回目やぞ……」
クローゼットの扉は開け放たれ、ベッドの上には色とりどりの服が山積みになっている。翔大はソファに深く腰掛け、眉間を押さえながら苦笑していた。
タイムスリップする前、50代のサラリーマンだった頃の翔大にとって、「休日に女の子の服選びにつき合う」なんて経験は皆無に等しい。17歳の若返った肉体であっても、中身のうろたえぶりは隠しきれなかった。
「どれも似合っとるよ。モナは何着ても可愛いんやから」
「どれもじゃダメだっちゃ!『これが一番好き』って、ダーリンに選んでほしいちゃ!」
モナは頬をぷくーっと膨らませると、服の裾をぎゅっと握りしめて翔大の目の前に詰め寄ってきた。トパーズ色の大きな瞳が、本気のおねだりの色で揺れている。
その真剣すぎる熱意に負け、翔大は「はいはい、分かったから」と立ち上がり、服の山から薄いパステルブルーのニットとシンプルな白いスカートを手に取った。
「じゃあ……これなんかどうや? 清潔感あって、モナの雰囲気にすごく合ってると思u
けど」
「……! ダーリンが選んでくれたっちゃ!」
モナの顔が一瞬でぱぁっと華やいだ。さっきまでの不機嫌が嘘のように、大事そうに服を抱きしめると、モナはカバンの中からあの「ペアストラップ」を取り出した。以前、アニメの聖地巡礼で手に入れた、合体するとハートになる魔除けのストラップだ。
モナは自分のお出かけバッグと翔大の愛用しているポシェットに、大事そうにそれを取り付け直す。カチャリと金属が鳴り、二つの小さなパーツがぴったり合わさって綺麗なハート型を作った。
「よしっ! これで明日、他の女の子が近づいてきても『魔除け』がバッチリだちゃ!」
「だから魔除けちゃうって……ま、いっか」
無邪気に笑うモナの姿に、翔大の胸の奥がじんわりと温かくなる。こうして二人で明日を心待ちにしながら過ごす夜すらも、翔大にとってはタイムスリップがくれた奇跡のように思えた。
そして迎えた、日曜日。
快晴の青空の下、翔大がモナを案内したのは、有名なテーマパークでも原宿のおしゃれなカフェでもなかった。翔大が連れてきたのは、昔ながらのアーケードが残る地元の商店街と、緑豊かな大きな市民公園だった。
(……いや、マジでこれで良かったんか……?)
手をつないで歩きながら、翔大の頭の中には猛烈な冷や汗と罪悪感が渦巻いていた。
元サラリーマンの感覚から言えば、高校生の女の子をデートに誘うなら、もっと若者に人気のスポットやSNS映えする店に行くのが「正解」のはずだ。しかし、50代の感覚が染み付いた翔大にはそんなおしゃれな知識もなく、結局自分が一番落ち着く「地元の散歩コース」を選んでしまっていたのだ。
だが、当のモナにとっては違った。
「ダーリン、見て見て!お魚がジュージュー焼けてるっちゃ!」
「あれはたい焼きや。魚やなくてお菓子やで」
「お菓子!?すごいっちゃー!」
商店街の香ばしい匂いに目を輝かせ、焼きたてのたい焼きを半分こして「あふあふ」と口をはにませながら食べるモナ。
「あーんしてあげるっちゃ、ダーリン!」
「えっ、ここでか!? 人目があるやろ……」
「いいから、あーんだっちゃ!」
モナに押し切られ、照れながらたい焼きを口に運んだその時、モナの胸が高鳴りすぎたのか、彼女の指にはめられた指輪が急に『ピカーッ!』とサイバーな光を放った。
「うわっ!? ちょっと待て、モナ! 指輪光っとる!たい焼きが浮きそうになってるやんか!」
「だ、だってダーリンが照れてて可愛いから、胸がキュンとなっちゃったんだっちゃ……!」
「こら人前で宇宙パワー使うな! 焦るわほんま……!」
翔大が慌ててモナの手を自分のポケットに隠し、冷や汗を拭う横で、モナは「えへへ」と申し訳なさそうに照れ笑いを浮かべていた。
公園へ移動すると、モナの目が店頭に並んだカラフルな「ガチャガチャ」の機械に釘付けになった。2400光年先からやってきた異星人にとって、カプセルの中に何が入っているか分からない地球の玩具は、最新のアトラクション以上の衝撃だったらしい。
「ダーリン、これ何だっちゃ!? お金を入れるとポンって出てくるっちゃ!?」
「あー、ガチャガチャやな。百円玉入れてクルッと回すと、中のオモチャが出てくるんや」
翔大がポケットから百円玉を取り出して渡すと、モナは緊張した面持ちでハンドルに手をかけた。ゴトン、と出てきたピンクのカプセルを開けると、中から出てきたのは小さな猫のキーホルダーだった。
「出たっちゃー! すごいっちゃ! 地球の技術は魔法みたいだっちゃ!」
「いや、宇宙の超技術持ってる君に言われたくないけどな……」
無邪気に喜ぶモナを見て、翔大は思わず目元を緩めた。50代の落ち着いた目線と、17歳の肉体で感じる甘酸っぱい恋心が交差する中で、「もっと色んな世界を見せてやりたいな」という優しい気持ちがこみ上げてくる。
だが――公園の出口付近に差し掛かった時だった。 街頭の掲示板に、巨大なテーマパークの華やかなポスターが貼られているのが目に入った。煌びやかなアトラクション、大迫力の花火、そして楽しそうにはしゃぐカップルたちの写真。
モナが、ぴたりと足を止めた。 そのポスターを、じーっと食い入るように見つめている。
(……あ。)
それを見た翔大の胸に、ズキリと鋭い罪悪感が走った。
やっぱり、本当はああいうところに行きたかったんだ。口では喜んでくれていても、17歳の女の子なら誰だって、あんなキラキラした場所に連れて行ってほしいに決まっている。地元の商店街でたい焼きを食べて、公園でガチャガチャを回させただけの自分が急に情けなく思えてきた。
夕暮れ時。
オレンジ色のグラデーションに染まる川沿いの堤防道路を、二人の影が長く伸びながら並んで歩いていた。川面が夕日を反射してキラキラと黄金色に輝いている。
心地よい疲労感の中で、モナがふと足を止め、握りしめていた翔大の手をギュッと少し強く握り直した。
「……うち、今日はすごく嬉しかったっちゃ」
風がモナの柔らかい髪を静かに揺らす。モナは夕日を見つめたまま、心からの温かさを噛みしめるように呟いた。
「ダーリンと……デートできて。ほんとに、楽しかったっちゃ」
その言葉を聞いた瞬間、さっきからの罪悪感が限界に達し、翔大は困ったように頭をかきむしりながら苦笑いを浮かべた。
「そっ、そうかぁ…? いや、さっき、大きな遊園地のポスターじっと見てたやろ? こんな散歩みたいなデートで、大した場所にも連れて行ってやれんくてゴメンな。もっと服屋さんとか、あんなテーマパークとか……そういう所に行くのが本当のデートなんちゃうんかなとか思ってな……」
申し訳なさそうに、気まずそうに目を泳がせる翔大。
そんな翔大の言葉を聞いて、モナは目を丸くしたあと、ふっと柔らかく微笑んで首を振った。
「違うっちゃ、ダーリン。うちがポスターを見てたのはね……あそこに写ってたカップルみたいに、ダーリンとこうして、ずっとぎゅっと手を繋いで歩きたかったからだっちゃ。遊園地に行きたかったんじゃないっちゃ。ダーリンと一緒にいたかっただけだっちゃ」
「……そうやったんや」
翔大がぽつりと呟くと、夕暮れの橙色とトパーズ色の光が混ざり合う瞳で、モナは繋いでいた翔大の手を両手で優しく包み込み、胸の前へと引き寄せた。
そして、言葉では到底言い表せないほど、愛おしさと幸せが限界まであふれ出た、なんとも言えない愛くるしい表情を浮かべた。
少しだけ目尻を下げ、愛おしそうに頬をぽっと染め、甘くほころぶ唇。
「……うん……っ」
モナは、深く、優しく、噛みしめるように頷いた。
どこに行くかじゃない。何を食べるかでもない。ただ「ダーリンと一緒にいる」こと。手をつないで、同じ景色を見て、同じ風を感じること。それがモナにとって、どんな豪華な遊園地よりも素晴らしい、世界で一番のデートなのだと――その小さな言葉と表情の全てが物語っていた。
「……そっか。じゃあ、また行こな。今度はもっと遠くまで、二人で散歩しような」
「うんっ! 嬉しい! ありがとう! ダーリン!」
二人はカバンについたペアストラップと、さっきガチャガチャで当てた猫のキーホルダーを揺らしながら、しっかりと手を握り直した。
夕暮れの街を、二人だけの歩幅で。特別じゃない、けれど誰にも邪魔できない特別で満たされた二人の影が、我が家へと続く道をどこまでも寄り添って伸びていた。