ピンポーン。
夕食の準備を始めようとしたその時、翔大の家のインターホンがけたたましく鳴り響いた。
「はーい、来たよー!」
インターホンの向こうから聞こえてきたのは、聞き覚えのある横浜弁。画面を覗くと、ニヤニカと笑う玉田、鼻の下を伸ばした荻中、長身を揺らす村上の姿があった。
「えっ!?なんでいきなりみんなで来とんねん!」
翔大が呆然としながら玄関のドアを開けると、3人は遠慮なくズカズカと上がり込んできた。
「お世話になるだがん!」と荻中が威勢よく靴を脱ぐ。
「来てやったピー」と村上も後に続く。
「いや、だから何しに来たんや!」
詰め寄る翔大に、玉田がドヤ顔で人差し指を立てた。
「いやさー、実は学校でね……『峰川とモナちゃんが本当に怪しい関係じゃないか確かめる!』って作戦を立てたわけじゃん!」
そう、今日の昼休みのことだった。
荻中が「一度でいいからモナちゃんの手料理を食べたいがん!」と言い出し、村上も「モナちゃんのご飯なら宇宙一美味いに決まってるピー、俺が言うくらいだぜぇ〜」と乗っかったのだ。
それを聞いたモナが「ダーリンのお友達なら、最高の手料理を振る舞うっちゃ!」と大喜びで約束してしまい、この夜襲に至る。
台所では、翔大の母・佳子も「あらあら、お友達がたくさん来てくれたのねぇ」と、モナの料理を手伝ってくれていた。
しかし、佳子はまな板の上の異様な光景に目を丸くする。
「あら、モナちゃん……隠し味に、このお酢と、ソースと……ゴーヤ、セロリ、フキノトウに、カカオ豆まで丸ごとミキサーに入れるの……?」
「はいっと! 仕上げに、このお豆腐の『ニガリ』もドバドバ入れるっちゃ!」
モナは満面の笑みでニッコリ。地球の「苦い食材」をちょっと(かなり)誤解して集めまくった、未知の「宇宙風料理」が着々と完成に近づいていた。
やがて、居間のテーブルに大皿が並べられた。
紫色の怪しい湯気が立ち上り、何かがパチパチと爆ぜるような音がしている。
「お待たせしたっちゃ! モナ特製・ハートたっぷり愛情ディナーだっちゃ!」
「お、おお……見た目はアバンギャルドだけど、モナちゃんが作ったなら絶対に美味いと思うよ!」
玉田がごくりと唾を飲み込んだ。
「「「いただきまーす!」」」
嬉しそうな声をあげて、3人が一斉に箸を伸ばす。 その様子を、翔大は冷や汗を流しながら遠巻きに見ていた。
(知らんぞー……あいつら、完全に見た目に騙されとるわ……)
「私目から!」と玉田が一口目をパクリ。
「うまっ……も、げ、ぷーっ!?」
次の瞬間、玉田の目が白目を剥いた。猛烈な苦味とアクが脳天を突き抜けたらしい。玉田はそのまま畳の上へ真っ逆さまに気絶した。
「おい玉田!? 頼りないがん!モナちゃんの手料理、手料理ぃ〜♪」
荻中は能天気に歌いながら、大きめの一塊を口に放り込んだ。
「うっ……ひ、ヒデブゥーッ!?」
吐き出す暇さえ与えられない超絶な苦さの破壊力。荻中は奇妙なポーズを決めたまま、石のようにピキピキと固まって動かなくなった。
残された村上が、引きつった笑顔で二人を見下ろす。
「ち、ちみたち、行儀悪いよ!厳しいよ!俺が言うくらいだぜぇ〜、レディの料理は味わって食べなきゃ……」
村上はプライドを保ちながら、上品に一口。
「――っぶ、じょわーーーっ!!」
口に入れた途端、村上は噴水のように料理を吐き出し、そのまま魂が抜けたようにフリーズした。
「あーあー、だからいわんこっちゃーない。しかし、すごい破壊力やな。地球の食材だけで、ここまでバイオハザードみたいな状況作れるんか……」
ある意味で芸術的な、三者三様の倒れ方を眺めていると、ふと、同じ食卓のすぐ隣の席が翔大の目に留まった。
そこには、普段から大人しくて車が大好きな弟の彰宏が座っていた。
彰宏は、兄の友人たちが食べるよりも前に、一足先に「お肉が入っていない唐揚げ風の何か」を一口齧っていたのだが……その姿勢のまま、完全に白目を剥いて彫刻のようにフリーズしていた。
箸を持った右手は空中で静止し、口元からはわずかに魂の欠片のような白い気体が漏れている。彼の意識は今、どこか遠くの果てしない銀河へ、終わりのないドライブに出かけてしまっているようだった。
だが、この世の終わりのような地獄絵図のただ中で、さらに異様な、圧倒的な存在感を放つ二人がいた。翔大の父母である。
父・文司郎は、腕組みをしながらじっと皿を見つめ、
「……佳子。この、中央の紫色の湯気が特に濃いゴーヤの塊は、地雷だ。箸をつけん方が良さそうだな」
と、極めて冷静に分析していた。
すると、いつも笑顔で穏やかな母・佳子も、上品にトントンと箸の先を揃えながら、
「そうですね、お父さん。こちらのカカオとセロリが絡んだ部分は、モナちゃん特製のニガリ豆腐と一緒に、息を止めて一気に飲み込むと、意外とすんなりお腹に落ちますよ。ほら、お父さんもどうぞ」
「うむ。なるほど、ニガリの凝固作用を豆腐で相殺するわけか。流石だな」
父母の二人は、明らかにヤバそうな発光部分やアクの強すぎる暗黒部位を、長年培った熟練の職人技のような箸さばきで、1ミリの狂いもなく正確に避けまくっていた。そして、何事もないかのように淡々と、静かに、優雅に食事を進めている。
長年連れ添った夫婦が、数々の家庭の危機を乗り越えて身につけた、恐るべき「サバイバル・スキル」と「大人のスルー技術」がそこにあった。白目を剥く次男を横目に、父母だけは完全に通常運転なのである。
「うーん、流石やな……親父もおかんも強すぎるわ……ギリギリで見切っている!」
翔大が感心していると、背後からズイッと不穏な気配が迫ってきた。
「なに関心してるっちゃー、ダーリン!」
モナが、紫色に輝くゴーヤをお箸でつまみ、目を爛々と輝かせている。
「ダーリンも食べるっちゃー!」
「うわあああ!来るなモナ!中身はおっさんやから刺激物はあかん!17歳のこのピチピチの胃袋でも、これは絶対に耐えられへんレベルや!」
「待つっちゃーーー!」
トレイを持ったモナが猛追してくる。翔大は必死で階段を駆け上がった。
2階の自分の部屋に逃げ込み、バタンとドアを閉めて鍵をかけようとしたが、モナのほうが一瞬早かった。
「どこにそんな力あんねん、離してー!」
「はいっと、あーんするっちゃ!」
「んぐっ……!?フンガ――ッ!!!」
その瞬間、翔大の口内に爆発的な衝撃波が走った。強烈な苦味とアク、セロリとカカオの不協和音が脳髄を直接シェイクする。あまりの衝撃に言葉を失い、翔大の17歳の若さ溢れる肉体をもってしても、膝から崩れ落ちるのを止められなかった。
(あ、あかん……意識が飛ばされる……! 耐えろ、これでも一応、中途半端なりに空手道場で揉まれてきたんや……! 三戦(サンチン)の構えで……いや、胃袋の構えで耐えるんや俺の根性……!)
ハァハァと荒い息を吐きながら、翔大はなんとか床を這うようにして立ち上がった。モナは「えへへ、ダーリン、おいしいっちゃ?」と満足げに微笑んでいる。
「お、おいしい……わけあるかぁ……」
虫の息の翔大は、モナに背中を支えられながら、ふらふらとした足取りで、1階の居間へと適当な愚痴をこぼしながら降りていった。
その頃、居間では、ようやく気絶から目覚めた玉田、荻中、村上の3人が「腹が……腹が割れる……」「トイレ空けろだがん……」と激しい腹痛に襲われ、畳の上を這いずり回っていた。彰宏はいまだに銀河をドライブ中だ。
「だからいわんこっちゃーない……」
地獄絵図と化した居間を見渡し、絶望的な口の苦さに耐えかねた翔大は、台所へと向かった。
(あかん、このままやと舌の細胞が全滅する……それに、一生懸命作ったのにみんなに倒れられて、モナが後で傷つくのもかわいそうやしな)
元サラリーマンの手際の良さで、翔大は冷蔵庫から卵、牛乳、食パン、そしてバニラアイスを取り出した。手慣れた手つきで卵液を作り、パンにサッと染み込ませてフライパンでじっくりと焼き上げる。仕上げにバターの香りを纏わせ、冷たいバニラアイスと蜂蜜を添えた「特製フレンチトースト」をあっという間に作り上げた。
「ほら、モナ。口直しや。次からは俺と一緒に練習しながら作ろうな」
翔大が温かいフレンチトーストの皿を差し出すと、モナは目を丸くした。
「ダーリンが……うちのために作ってくれたっちゃ?」
「おう。まあ、俺の舌を救うためでもあるけどな。ほら、あーん」
翔大が小さく切ったフレンチトーストを差し出すと、モナは「あーん」と大きな口を開けてパクリと食いついた。
「……! んん〜〜〜っ! あたたかくて、フワフワで、すっごく甘くておいしいっちゃー!」
ジュワッと広がるバターと蜂蜜の甘さに、モナのトパーズ色の瞳がキラキラと輝く。さっきまでの「暗黒物質作り」が嘘のように、頬を林檎のように赤く染めて幸せそうにハニかんだ。
「ふふ、良かった。これならみんなの胃袋も救えるやろ」
翔大が優しく微笑みながらモナの頭をポンポンと撫でると、モナはキュッと翔大の服の裾を掴み、上目遣いで甘えるように言った。
「うちは……ダーリンのご飯が世界で一番好きだっちゃ。今度はダーリンに、美味しい作り方をたくさん教えてほしいっちゃ!」
「よし、分かった。スパルタで料理の基礎教えたるから覚悟しとけよ!」
「うんっ! 楽しみだっちゃ!」
(よっしゃ!なんとかモナの機嫌を損ねず、ディナータイム終了!)
翔大は心でガッツポーズをとる。
畳の上で「うぐぐ……」「助けてくれだがん……」と虫の息でうめく三色団子トリオと、銀河から帰ってこない弟をよそに、台所の片隅には、フレンチトーストの甘い香りと二人の温かい笑顔が優しく広がるのだった。