『青春の星空』   作:幾星 巡

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第17話:期末テストと、理論派の飾らぬ双眸(そうぼう)

「あのねぃ。この世界史の論述問題はさー、単に年号を覚えるだけじゃダメなんだってば。歴史の因果関係をロジカルに理解しないと、点数は取れないからさー!」

 

放課後の図書室。物知りの玉田が、いつものようにドヤ顔で人差し指を立てて解説を始める。その様子は相変わらず説明したがりで楽しそうだ。

 

そんな中、モナは手元の物理の参考書を眺めながら、ぽつりと呟いた。

 

「この教科書の数式は、とってもまどろっこしいっちゃ。重力加速の計算なら、星の軌道計算の基礎を使えばもっとピピッて一瞬で解けるっちゃ」

 

そう言ってモナがノートにサラサラと書き込んだのは、高校数学を遥かに超越した代数幾何の超難問の答えだった。しかも、ほんの2、3分程度で。

 

それを見た玉田の動きがピタリと止まった。彼の飾らぬ剥き出しの瞳が、かつてないほど鋭く細められる。

 

「……モナちゃん。君、さっきから代数幾何の難問を解くスピードが半端ないじゃん。それに、星の軌道計算って何?」

 

図書室にピリッとした緊張感が走る。翔大は冷や汗を流し、思わず息を呑んだ。

 

(ヤバい、さすがの観察眼や……。玉田のやつ、モナの規格外な部分に気づきすぎとる!)

 

翔大が必死に言い訳を考えていると、机の下で、不意に自分の制服の裾がぐいぐいと引っ張られた。

 

驚いて隣を見ると、モナがいたずらっぽく微笑みながら、テーブルの隙間からそっと手を伸ばし、翔大の左手をぎゅっと握りしめてきたのだ。驚くほど柔らかくて、温かい手。

モナは玉田に背を向けたまま、翔大にしか聞こえないほどの小さな声で囁いた。

 

「ダーリン、これで合ってるっちゃ?うち、頑張ったから、後でいっぱいなでなでしてほしいっちゃ……」

 

上目遣いでじっと見つめてくるモナの破壊力に、翔大の心臓がドクンと跳ね上がる。この健気な少女を生涯かけて愛し、守り抜くと心に誓ったばかりの翔大にとって、この不意打ちのおねだりは刺激が強すぎた。

 

(ア、アホ! みんなの前で手ぇ繋ぐな、顔から火が出るわ……!)

 

「み、峰川? 何さっきから顔を真っ赤にして黙り込んでるわけ?」

 

玉田の鋭い視線が翔大に向く。

 

「い、いや! 何でもないわ! 世界史のロジックが凄すぎて感動しとっただけや!」

 

翔大が裏返った声で誤魔化そうとしたその時、のそのそと隣から近づいた村上が、玉田のシャツの裾を指先でちょんちょんとつまんだ。

 

「玉プィー、そんなに真剣になるなよぉ〜。モナちゃんが天才なのは、当たり前ピー、俺が言うくらいだぜぇ〜」

 

「うわっ、気持ち悪いな!だからぁ~村上、その『玉プィー』って呼び方をやめなさいつーの!」

 

玉田は露骨に嫌そうな顔をしてみせたが、すぐにいつもの悪戯っぽい笑みを浮かべた。そして、人差し指を顔の横にピシッと立てて、面白おかしく皆を見回す。

 

「もう、かみちゃんはこういう時、真剣にならなくちゃいけないんだってー!」

 

玉田のコミカルな仕草に、翔大とモナは思わず吹き出した。ぎゅっと握られていたモナの手が離れ、図書室の張り詰めた空気が一気に和んでいく。

 

そこへ、赤点ギリギリで本気で焦っている荻中が、頭を抱えながら声を荒らげた。

 

「おいおいお前ら、ふざけとる場合じゃないがん!早く勉強やろうだがん!俺、このままだと夏休みに補習で潰れるがや!」

 

「あ、そうだった! 荻中の赤点回避が最優先だった!」

 

「そうけ? じゃあ、わしに世界史教えてよ、玉プィー」

 

荻中の悲痛な叫びに皆が我に返り、再びノートに向き合い始めた。翔大も玉田のおかげで冷や汗を拭い、なんとか勉強会を再開することができた。

 

――そして迎えた、期末テスト本番。

 

最初の世界史の試験。問題用紙を開いた翔大は、大問の最後に書かれた発展論述問題を見て思わず目を丸くした。

『20世紀末における情報技術の飛躍的発展とグローバル資本主義の拡大が、21世紀初頭の国際社会や日本経済にもたらす波及効果および潜在的リスクについて、考察を述べよ』

 

(……うおっ、発展問題とはいえ、えげつない角度から攻めてきたな!? でも俺、これ『将来のリスク』どころか、リーマン・ショックもITバブルも激動の現場でガッツリ体験してきた未来そのものやんけ!!)

 

グローバル資本主義の暴走、肥大化しすぎた金融市場が招く世界規模の暴落、そして日本企業を襲う空前の就職氷河期や派遣切り――元50代の翔大にとっては「未来の予言」どころか、胃が痛くなるような生々しい実体体験そのものである。

 

ついつい熱が入ってしまい、まるでノストラダムスか未来の経済アナリストのように、数年後に起きる世界金融危機の構造的メカニズムや日本の労働環境の変化といった、高校生の領域を完全に踏み外したディープすぎる予言解答を書きそうになる。

 

(アカンアカン! こんな完璧な未来予測書いたら『お前予知能力者か、どこの未来人や』って怪しまれるわ! 落ち着け俺、高校生の教科書レベルの考察に落とせ……!)

 

一人で冷や汗を流しながら必死に「高校生らしい解答」へとデチューンする翔大。大人の記憶と未来の体験が裏目に出るという、なんとも言えない葛藤と戦っていた。

 

続いての物理の試験中。

 

翔大が必死に数式と格闘していると、隣の席から静かな寝息が聞こえてきた。

 

パッと横を見ると、モナがすでに解答用紙を裏返し、机に突っ伏して気持ちよさそうに眠っている。時計を見ると、試験開始からまだ7分ほどしか経っていなかった。

 

(ば、化け物や、こいつ……。高校の物理のテストなんか、宇宙人の頭脳にかかれば赤子の手をひねるようなもんなんやな……)

 

呆れ半分、感心半分で翔大が自分の答案に戻ろうとした時、モナの机の上に置かれた「問題用紙」の端っこが目に留まった。

 

そこには、問題の余白を埋めるように、シャープペンシルで何かが書き込まれていた。

 

よく見ると、それは制服を着た翔大のイラストだった。少し下手ウマで、でも特徴をよく捉えている愛らしい似顔絵。その横には、大きなハートマークと一緒に、小さな文字でこう書かれていた。

 

『ダーリン、だーい好きだっちゃ。テストがんばるっちゃ!終わったらデートだっちゃよ』

 

(っ……!!)

 

翔大は思わず息を詰まらせ、答案の上にシャープペンシルを落としそうになった。動揺を隠すように慌てて口元を片手で覆う。嬉しさが胸の奥からじわじわと込み上げてくるのを止められないが、同時に強烈なツッコミが脳内を駆け巡った。

 

(何しとんねんお前、テスト中やぞ……!嬉しいけど、これじゃこっちの集中力が全部持っていかれるわ!)

 

顔のニヤけを必死に噛み殺しながら、翔大は再び自分の答案用紙へと視線を戻した。しかし、モナからの規格外で不器用なエールに脳内はすっかり覚醒し、ペンを握る手に自然と力がこもる。

 

(しゃあない、大人の意地見せたる。モナにええとこ見せんとな!)

 

キーンコーンカーンコーン……。

 

最終日の最後のチャイムが鳴り響き、教室中に「終わったーー!」という歓声が沸き起こる。

 

「あー、終わった終わった! 久々に頭をフル回転させて、めちゃくちゃ疲れたわー!」

翔大は伸びをしながら、ぐっと首を回した。

 

答案用紙の回収が終わり、解放感に包まれながら廊下へ出ると、向こうから進路委員の橘さんが歩いてきた。

 

「あ、峰川くん!テストの手ごたえはどうだった? この前相談に乗ってもらった世界史のところ、バッチリ出たよ!ありがとうね」

 

「おお、橘さん! それは良かったわ。俺もあの時代は……いや、なんでもない、手ごたえはバッチリや!」

 

翔大が爽やかに答えた、その瞬間だった。

 

「ダーリンーーーッ!」

どこからともなく飛んできたモナが、すかさず翔大の左腕をギューッと両腕で抱きかかえた。そのままプクッと頬を膨らませ、橘さんに向けて可愛らしく牽制の視線を送る。

 

「ダーリンのテストの手ごたえは、うちが一番よく知ってるっちゃ!」

 

「ちょ、モナ!? 急に抱きつくなって……!」

 

橘さんは一瞬驚いたものの、二人の仲睦まじい(?)姿を見て思わずクスリと笑った。

 

「ふふ、ごめんねモナちゃん、邪魔しちゃったかな。二人とも、夏休み楽しんでね!」

 

そう言って爽やかに手を振って去っていく橘さん。取り残された翔大は、腕にダイレクトに伝わる柔らかい感触と、嫉妬でムスッとしているモナの顔を見て、たじたじになりながら苦笑いした。

 

「お前なぁ……橘さんはただのお礼で声かけてくれただけやぞ?」

 

「関係ないっちゃ! ダーリンはうちのダーリンだっちゃ!」

 

そこへ、女子のクラスメイトたちが「モナちゃん、この後アイス食べに行こー!」とやってきた。

 

モナは翔大の顔をじーっと見つめ、語尾を少し寂しそうに揺らした。

 

「ダーリンはこれからどこいくっちゃ……?」

 

翔大は優しく微笑み、モナの頭をポンポンと撫でた。

 

「俺は玉田たちと駄菓子屋さんでもいってるよ。安心して、女の子の友だちとたまにはゆっくりしておいで」

 

「……うんっ!わかったっちゃ!すぐ終わらせてダーリンのところに行くっちゃ!」

 

モナは嬉しそうに頷くと、クラスメイトたちと賑やかに廊下を走っていった。

 

モナを見送った後、男子4人は一足先に下校し、校門を出てすぐのところにあるレトロな駄菓子屋の軒先に集まっていた。

 

「勝った……勝ったんだがん……!赤点回避だてーーーっ!!」

 

荻中が100円のチューブアイス(チューペット)を天高く掲げて咆哮する。

 

「まあ、自己採点ではギリギリだったけどねー」と玉田がラムネの瓶を鳴らしながら笑い、村上はかき氷アイスを頬張りながら「今年の夏は、わしの伝説が始まるピー」と遠い目をした。

 

ベンチに腰掛け、冷たいサイダーを飲んでいた翔大も、どこか誇らしげに笑う。

 

「お前ら、夏休みの予定はどうすんねん?」

 

「決まっとるがん! 海! 花火大会! バーベキューだて!」

 

「いいねー。当然、モナちゃんも誘うんでしょ? 峰川、お前モナちゃんをエスコートするなら、バイトでもして予算計算しとけよー?」

 

玉田の冷やかしに、翔大はガクッと肩を落とした。

 

「うぐっ……高校生のお小遣いじゃ、デート代も限界があるからなぁ……。大人のクレカ使えたら一発なんやけど……」

 

「何言ってんの!峰川さぁ~男なら足で稼げよー!」

 

「そうピー! 薩摩の教えでは『金は天下の回りもの』だぜぇ〜」

 

「お前が言うな!」

 

駄菓子屋の前で、くだらないことでギャーギャーと騒ぎ立てる4人。冷たいジュースと、ジリジリと照りつける夏の太陽。何でもないこの時間が、翔大にはたまらなく愛おしかった。

 

女子会を終えたモナと合流し、二人はオレンジ色に染まる坂道を並んで歩いていた。周囲には誰もいない、静かな二人きりの帰り道。

 

翔大はポケットに手を突っ込みながら、思い出したように隣のモナを見た。

 

「そういえばさ、モナ。テスト中に問題用紙に描いてくれた似顔絵……嬉しかったけど、正直焦ったわ。何であんなこと書いたん?」

 

モナはパッと表情を明るくし、トパーズ色の瞳を輝かせた。

 

「えへへ、気づいてくれたっちゃ? あのね、うちの星ではね、大切な人に送る『おまじない』なんだっちゃ」

 

「おまじない?」

 

「そうだっちゃ。遠い星に行ったり、時空の波にのまれそうになった時……大切な人が迷子にならないように『うちはここにいるよ、ダーリンはここに戻ってくるんだよ』って教える、約束の言葉なんだっちゃ」

 

モナの言葉に、翔大はハッと息を呑んだ。

 

以前、不意に襲ってきた頭痛と、モノクロの過去のフラッシュバック。モナは翔大の心がどこか遠くの過去や罪悪感へ引きずり込まれそうになっているのを本能で察し、あのテストの最中ですら、翔大を繋ぎ止めるための「おまじない」をかけてくれていたのだ。

 

(ほんま……どこまで健気なんや、お前は……)

 

胸の奥がギュッと締め付けられるような愛おしさと切なさが溢れ出す。

 

翔大は立ち止まり、モナの前に向き直った。そして、夕日に照らされる彼女の柔らかい髪にそっと手を置き、優しく、けれどしっかりと頭を撫でた。

 

「……ありがとうな、モナ。おまじないもしっかり伝わったで。でも、もう心配いらんで」

 

「ダーリン……?」

 

「俺は、どこにも行かへん。お前がここにいてくれる限り、俺の居場所もここや。どこにも迷子にならへんよ」

 

モナは一瞬ぽかんと目を丸くした後、パァッとひまわりが咲いたような最高の笑顔を見せた。

 

「……うんっ! ダーリン、大好きだっちゃーーーっ!」

 

嬉しさを爆発させたモナが、勢いよく翔大の胸に飛び込んでくる。翔大も倒れそうになりながら、しっかりと彼女の身体を受け止めた。

 

西の空には、燃えるような美しい夕焼け。そして耳を澄ませば、もうすぐ訪れる本格的な夏の到来を告げる蝉の声がうるさく聞こえていた。

 

明日からは、待ちに待った夏休み。

 

眩しい太陽と、最高の仲間たちと、そして世界で一番愛おしい異星の少女と共に過ごす、一生に一度の特別な夏が、今まさに始まろうとしていた。

 

 

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