「祭りのあと」というのは、どうしてこうも寂しいのだろう。
あれほど賑やかだった文化祭が幕を閉じ、校庭には少し冷たさを帯びた秋の風が吹き抜けていた。教室の片付けを終えたときの一抹の寂しさを、翔大は夕日に染まる帰り道を歩きながら、ふと思い返していた。
今は、その帰り道を五人で並んで歩いている。
「いや〜、それにしてもウチの演劇は大成功じゃん!俺の計算通りの演出がバシッと決まったからさー!」
玉田が物知り顔で自慢げに胸を張る。
すかさず村上が、ニヤニヤしながら玉田の後ろに回り込んだ。
「アドリブで場を盛り上げたのはこのわしだピー!俺が言うくらいだぜぇ〜」
「否!否!あんたが言ったからどうだっつーの!村上のアドリブなんか、ただの暴走じゃん!」
玉田がふざけて切り返すと、村上は「ケケケケッ!」といつものように腹を抱えて大笑いした。そして、甘えた声を出しながら、玉田の上着の裾を指先でちょんとつまむ。
「つれないなぁ、玉プィ〜♡」
「うわっ、気持ち悪いっ!だからぁー、服をつまむなよつーの!」
いつものように騒がしい二人を尻目に、荻中が遠い目をしてため息をつく。
「お前らは気楽でええなぁ……。俺はモナちゃんのお姫様姿に目を奪われて、セリフが全部飛びそうだったわ。あんな美人と一つ屋根の下に住んでいるなんて、峰川、お前やっぱり許せんだがん」
「なんで俺が責められなあかんねん。俺なんかただの通行人役やったやろ」
苦笑いする翔大の隣で、モナがふふっと嬉しそうに笑った。
「うちは、ダーリンと一緒の舞台に立ててすっごく楽しかったっちゃ!」
そう言って、モナが自然な動作で翔大の腕に自分の腕を絡めてくる。夕方の低い日差しに照らされたモナの横顔は、文化祭の興奮がまだ少し残っているのか、うっすらと赤みを帯びていて、たまらなく愛らしかった。
「ちょ、モナ、みんな見てる前でくっつくなて……」
「いいっちゃ!ダーリンはうちのダーリンなんだもん!」
「あーあ、見せつけてくれるじゃん。これだからアツアツのカップルはさー」
玉田がわざとらしくため息をついた、その時だった。アスファルトの上に、彼らの影が長く、濃く伸びているのが目に留まった。
「お、いい影が伸びとるなぁ」
荻中がニヤリと笑い、突然、玉田の影の頭の部分をローキックの動作で踏み抜いた。
「あ、荻中!今俺の影踏んだじゃん!」
「へへっ、影踏みだて!ほら、次は誰の影を狙おっかなー!」
荻中の一言を合図に、夕暮れの帰り道が、即席の遊び場へと変わった。
「俺の影には触れさせないぜぇ〜!」
村上が大袈裟なステップで身を翻し、それを見た玉田がまた笑い転げる。高校生にもなって影踏みなんて、と五十代の頭が一瞬冷めた目で捉えそうになるが、今の翔大の身体は17歳だ。
「ダーリン、逃げるっちゃ!うちがダーリンの影を捕まえるっちゃ!」
目を輝かせたモナが、翔大の影を目がけて飛び込んできた。
「おっと、そう簡単に踏ませるか硬気功!」
翔大は空手の足さばきを中途半端に繰り出しながら、モナの突撃をひらりと身をかわす。
「あーっ、ずるいっちゃダーリン!待つっちゃ!」
「おい木こり!今度こそモナ姫から引き離してやるがや!」と荻中が翔大の影を狙って回り込み、さらには村上まで「わしの神速のステップを見るピー!」と突撃してくる。
「大変っちゃ!ダーリンの影は誰にも踏ませないっちゃ!」
モナが両手を大きく広げて翔大の前に立ちはだかると、後ろから玉田が「おいおい、俺を忘れるなよぉー!」とモナをすり抜けようとして、五人はいつの間にか、もつれ合うようにしてお互いを押し合い、一箇所に固まってしまった。
夕日が真横から真っ赤な光を投げかける中、ふと足元を見ると、アスファルトの上で五人の影が完全に重なり合い、境目のない「ひとつの巨大な影」になっていた。
「うお、見ろよ!五人合体して最強の化け物みたいな影になったじゃん!」
玉田が声を弾めて笑うと、「ふっ、真ん中のコブになってるのがわしの筋肉の影ピー!」と村上が張り合い、荻中も「何言っとる、俺の名古屋の風の影だて!」とふざけ合う。
黄金色に染まる世界の中、みんなの笑い声が響く。息を切らしながら、翔大はその中心で自分の足元を見つめていた。五人の影が混ざり合ってひとつになっているその光景に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
――だが、その瞬間。
ふと、みんなが離れていくと、自分の足元から伸びる黒い影が、やはりどこか希薄に見えた気がした。
冷たい秋の風が、首筋を通り抜けていく。
脳裏をよぎったのは、鏡の中で見た、疲れ果てた50代の自分の瞳。不思議な指輪がもたらしている、この時空の「歪み」。その限界は少しずつ、しかし確実に近づいている。
(もし……この歪みが限界を迎えて、俺が元の未来に戻ってしまったら……?)
走る足を止め、翔大は自分の手をじっと見つめた。
17歳の瑞々しい肌。だけど、いつかこの世界から自分が消え、この指輪の力が解けた時、玉田や荻中、村上、そして――モナの記憶からも、自分が生きた証そのものが、綺麗さっぱり消え去ってしまうのではないかという、底知れない恐怖に駆られた。
どれだけ声を上げて笑い合っても、どれだけ強くモナの手を握りしめても、自分と彼らの間には、決して埋めることのできない「時間」という圧倒的な距離が横たわっている。
「……ダーリン?」
不意に、すぐ近くで鈴の鳴るような声がした。
気がつくと、モナが心配そうな顔で翔大の顔を覗き込んでいた。その小さな足は、翔大の影の端っこを、優しく、包み込むように踏んでいる。
「どうしたっちゃ?急に立ち止まって……どこか痛いっちゃ?」
「あ……いや、なんでもない。ちょっと息が切れただけや」
翔大は慌てて弱音を胸の奥に押し込み、17歳の少年としてのいつもの表情を何とか作り直した。
「もう、若いのにだらしないっちゃねー。はい、手を繋ぐっちゃ」
モナはそう言って、翔大の右手をきゅっと握りしめた。その手のひらは、驚くほど温かかった。二人の距離が深まるほどに、この温もりを失う怖さが増していく。
やがて影踏みも落ち着き、五人は再び並んで歩き出す。だが、先ほど一瞬見せた翔大の「暗い表情」を、鋭い観察力を持つ玉田は見逃していなかった。
文化祭の片付けで持ち帰る羽目になった重い辞書の山を抱えながら、玉田は翔大の顔をじっと盗み見る。
(峰川のやつ、さっきから時折、本当にしんどそうな顔をしてるじゃん。劇の前も顔を洗いに行って戻りが遅かったし……何か重大なことを隠してるな。)
玉田は確信に迫るべく、口を開こうとした。
「なぁ、峰川。お前さっきから――」
その瞬間、村上が二人の間に無理やり割り込み、玉田の腕から重い辞書の山をひったくった。
「俺の筋肉が唸りを上げてるぴー!どう?どう?玉ピー、すごいけ?」
いきなり荷物持ちを買って出た村上が、これ見よがしに力こぶを作って見せる。
「ちょっと村上、誰も、おまえに頼んでないじゃん!」
「ケケケケッ!まぁそう怒るなよ、玉プィ〜♡」
村上が玉田の袖を指先でつまみ、甘えた声を出す。
「うわっ、気持ち悪い!だから服をつまむなって!」
結局、村上の邪魔が入り、玉田は決定的な確信を掴めずにいた。けれど、玉田のその優しさは、翔大の心を十分に救っていた。
荻中と村上が先の方でまたふざけ合いながら歩いていく中、玉田は一歩引いて翔大の隣に並び、他の二人には聞こえないような低い声で、ぽつりと言った。
「……まぁ、峰川。お前がどんなに大変なことを抱えててもさ、俺たちはいつだって仲間じゃん。何かあったら、いつでも頼れよな」
その友を思う温かい言葉に、翔大は胸の奥が熱くなるのを感じながら、言葉少なく、しかし深く頷いた。
「……おう。ありがとうな、玉田」
隣のモナも、不安の消え去った顔にパッと喜びを咲かせ、玉田を見つめた。
「玉田くん, ありがとうっちゃ……!うち、すっごく嬉しいっちゃ!」
「おっと、これ以上アツアツの二人の邪魔をするのは野暮じゃん。じゃあね」
玉田はいつものようにひらひらと手を振ると、ポケットに手を突っ込んで歩き出した。夕暮れの細長い影を引きながら、背中で語るように去っていく親友。先を歩く荻中や村上と合流し、三人の賑やかな声が遠ざかっていく。
気づけば、あたりはすっかり夕闇に包まれ、静まり返った帰り道に街灯がポツポツと灯り始めていた。
先を行く三人の姿がすっかり見えなくなったのを見届けたモナは、組んでいた腕をほどいて、翔大の前へとそっと一歩進み出た。
頭上の街灯に照らされ、昼間とは違う方向に、少し短い翔大の影が新しく伸びる。
モナはその場に立ち止まると、自分の身体を傾けるようにして、自分の影を翔大の影へと重ね合わせた。アスファルトの上で、モナの影の「胸」が、翔大の影の「胸」とぴったりと重なり合う。
「……影の中だけでも、ダーリンとずっとくっついてるっちゃ」
ぽつりと呟いたモナの声は、どこか寂しげで、けれど健気な愛に満ちていた。彼女もまた、時空の歪みが限界に近いことをどこかで理解し、この時間を手放したくないと切実に願っているのかもしれない。
影越しに抱きしめ合うようなその純粋な姿を見た瞬間、翔大の胸に言葉にできない愛おしさが込み上げた。50代の理屈や照れなんて、もうどうでもよかった。
翔大は一歩踏み出し、影ではなく、本物のモナの小さな身体を、その両腕で強く、愛おしそうに抱きしめた。
「あ……ダーリン?」
不意のハグに目を丸くするモナの耳元で、翔大は静かに、けれど固い決意を込めて囁く。
「幻でも、記憶から消えても関係ない。俺は今、ここにモナと一緒におる。だから……絶対に離さへんよ」
腕の中のモナが、一瞬息を呑んだあと、嬉しそうに「うん……!」と声を詰まらせて翔大の背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめ返してきた。
街灯の下、寄り添う二人の影は、夜の闇に溶け込んでいくかのように、深く、強く重なり合っていた。
その夜、自分の部屋に戻ったモナは、ベッドの上で静かに机の引き出しを開けていた。
そこには、文化祭で玉田たちと一緒に撮ったクラスメイトたちの写真や、みんなではしゃいだ時の買い出しのレシート、そして翔大が何気なくくれた小さなメモの切れ端などが、大切そうに並べられていた。
異星からこの地球へやってきたときは、すべてが未知数で、孤独だった。自分の正体がバレたらどうしようという不安しかなかった。けれど、この世界で出会った玉田や荻中、村上といった仲間たちは、いつだって温かく自分を受け入れてくれた。 そして何より――。
(ダーリン……)
モナは机の上に飾られた、翔大と並んで笑っている写真をそっと手に取り、胸元に引き寄せた。 彼の不器用な優しさも、50代の渋みと17歳の若さが混ざり合った不意に見せる大人の表情も、全部が愛おしくてたまらない。
モナは左手の薬指に隠された指輪をもう片方の手でギュッと包み込み、夜空の向こうの星々へと向かって、そして目の前にある現実の温もりに向けて、静かに、強く誓った。
「うちは、この世界でダーリンと一緒に生きるっちゃ。絶対に、未来をあきらめたりしないっちゃ……!」
その瞳には、切なさの色など微塵もない。そこにあるのは、愛する人を守り抜くためなら星の運命すら変えてみせるという、異星の姫君としての誇りと、一途で熱い決意の光だった。