放課後の教室。夕日が長く影を落とし、オレンジ色の光が机を斜めに照らす中、玉田は翔大を呼び出した。
机の上に愛用のノートを広げ、いつになく真剣な目つきで翔大を見つめる。
「峰川、単刀直入に言うよ。モナちゃんは……いや、君たち二人は、何か大きな秘密を隠してるよね?」
心臓がドクンと跳ねた。翔大は内心で冷や汗をだらだらとかきながらも、そこは元サラリーマン時代に修羅場をくぐり抜けて培った、年季の入ったポーカーフェイスで何とか応じた。
「な、何言うてんねん玉田。隠し事なんか何もないで。ただの普通の高校生やんか」
「否!否!ごまかしても無駄だからさー。何か二人の関係性や、たまに起きる不思議な現象とか、明らかに科学で説明がつかない何かがそこにあるんよなぁー」
理論派の玉田は腕を組み、うーんとうなりながら、まるでレントゲンでも撮るかのように翔大を上から下までジロジロと観察する。
翔大は「そんなこと言われてもな……」と言葉を詰まらせた。いくら中身が五十代のベテラン頭脳であっても、玉田のこの恐るべき鋭い観察眼とロジカルな追及を、完全に「シロ」と言い切って煙に巻くのは至難の業だった。
「……まぁいいや。今日のところはこれくらいにしておくよ。でも、俺の目はごまかせないからさー」
玉田はそう意味深に言い残し、ノートを鞄に押し込んで足早に教室を立ち去った。
その日の帰り道、翔大はモナと並んで歩きながら、昼間のヒリヒリしたやり取りを打ち明けた。
「いやぁ、さっきはほんまにやばかったわ。玉田のやつ、かなり怪しんどる」
「ええーっ、玉田くんが?うち、普通に過ごしてるつもりだっちゃ。ダーリン、そんなに心配しなくて大丈夫だっちゃ!」
モナはまったく危機感のないケロッとした様子で、翔大の肩に自分の肩をこつんと預けてくる。その無邪気な仕草に翔大の17歳の肉体がドギマギする。
「いや、モナ。玉田は頭がええからな。これから学校では、あんまり無茶なことはしないようにしよう。な?」
「わかったっちゃ。ダーリンがそう言うなら、うちはおとなしくしてるっちゃ!」
モナは嬉しそうに微笑み、翔大の頬にちゅっとキスをせんばかりの勢いで顔を近づけてくる。仲の良さは相変わらず最高潮だったが、翔大の予感は的中していた。玉田の執念は、彼らの想像を遥かに超えていたのだ。
翌日からの学校生活で、玉田は様々な「検証実験」を仕掛け、モナの人間離れした力や能力の尻尾を掴もうと躍起になった。
ある休み時間、玉田がわざとらしくモナの足元に消しゴムを転がした。
「あ、モナちゃん。悪いけどそこにある消しゴム拾ってくれない?」
モナが「あ、いいっちゃ――」と拾おうとした瞬間、玉田はポケットの中でスマホのカメラを密かに構え、何か超常現象が起きないかとモナの手元を凝視した。
しかし、そこに凄まじい勢いで割って入ったのは荻中だった。
「おっ、モナちゃん!そんなの俺が拾ってがや!スライディングキャッチだて!はい、どうぞ!」
床を無駄に滑りながら消しゴムを差し出す荻中に、モナはパッと顔を輝かせる。
「ありがとっちゃ、荻中くん!」
「だーっ!荻中、お前余計なことするなよ!普通に手で拾うプロセスを見たかったのにさー!」
玉田が頭を抱えて叫ぶ。
またある時は、昼休みの激混みの購買部前。人混みの中で玉田がジリジリとモナに詰め寄り、罠を仕掛けた。
「モナちゃん、あの高い棚にあるパン、人混みをかき分けなくても……こう、浮かせたりして取れないよね……?」
玉田が目を皿のようにして観察しようとすると、今度は真後ろから村上がぬうっと現れた。
「あ〜ん、玉プィー!何一人でブツブツ言ってるんだピー!そんなことより今日のサッカーの試合の話を聞いてほしいピー!」
村上がいつもの甲高い甘えた声を出しながら、玉田の上着の裾を指先でちょんとつまむ。
「うわっ、気持ち悪いな!離れろよ村上!今大事な検証をしてるんだからさー!」
玉田が本気で嫌がって身をよじると、すかさず横から荻中がニヤニヤしながら首を突っ込んできた。
「あんたが検証したからどうだっつーの!」
「ケケケケッ!その通りだピー!」
玉田のお決まりのツッコミを完璧に真似てからかう荻中と、爆笑する村上。いつものように周囲はドタバタな笑いに包まれてしまい、仲間のちゃちゃのせいで、玉田ははっきりと確信を掴めずにいた。
だが――決定的な瞬間は、放課後の誰もいない廊下で、突如として訪れた。
翔大がクラスの催しで使った、視界を遮るほど大きくて重い教材用パネルを一人で運んでいた時のことだ。
前が見えにくく、不意に階段の近くで足を踏み外してしまった。
「うわっ……!」
支えを失った体がぐらりと後ろへ傾き、階段から真っ逆さまに落ちそうになる。
「ダーリン!!」
モナの悲鳴のような叫び声が廊下に響き渡った。
その瞬間、彼女が携帯する不思議な指輪の力が、翔大の危機に反応して発動した。
キィィィン――!
空間が引き絞られるような甲高いきしみ音と共に、翔大の体が、まるで目に見えない巨大なクッションに受け止められたかのように、ふわっと一瞬だけ宙で完全に静止した。重力を無視した緩やかな軌道を描き、そのまま安全に床へ着地したのだ。
「え……?」
翔大はパネルを抱えたまま、呆然と自分の体を見つめた。今、完全に浮いた。
そして、その信じられない光景を、廊下の陰から玉田が完璧に目撃していた。
「なっ……!?」
玉田は心臓を激しく脈打たせ、慌ててポケットからスマホを取り出し、録画ボタンを押そうとした――その、まさに刹那だった。
「玉プィ~~~!!待ってピーーー!!」
廊下の向こうから、購買部で余った特大の段ボール箱を抱えた村上が、それを追いかける荻中と共に猛ダッシュで突っ込んできたのだ。
「うわあああ!?」
逃げる間もなく、二人は物陰の玉田の背中にノーブレーキで大激突。衝撃で玉田のスマホが手から離れ、床に派手に叩きつけられた拍子に画面が完全にフリーズしてしまった。当然、動画データの保存には失敗した。
「ちょっと二人とも、いきなり突っ込んできて何するわけ!?俺の歴史的スクープがぁぁ!」
頭を抱えて絶叫する玉田に、村上はのんきに段ボールを差し出す。
「いや〜、さっき購買部でパンのタイムセールがあってさ!残り全部格安で譲ってもらったから、早くみんなにあげたくて猛ダッシュしてきたピー!」
「そうだて!二個買ったら一個タダだったもんで、早く運ばんと購買のおばちゃんに悪いと思ってな!」と荻中も満面の笑みで頷く。
「何がタイムセールじゃん!今それどころじゃないし、そもそもお前ら、あそこで峰川が階段から落ちそうになって、モナちゃんが重力を無視して浮かせた決定的瞬間が見えなかったわけ!?」
玉田が興奮気味に指差すが、村上と荻中はキョトンとお互いを見合わせた。
「え?わしらパンを守るのに必死で前しか見てなかったピー」
「俺もだて。なんか廊下の先で峰川がドジ踏んでバタバタしとるな〜くらいにしか見えんかったわ」
あまりにもマイペースで悪気のない二人に、玉田は「もういい、お前らとは話が通じないじゃん……!」とガッカリ肩を落とした。
そんな三人の爆笑のドタバタ劇を遠目に、階段下では、翔大がまだ冷や汗を流していた。
「ダーリン!!無事でよかったっちゃぁぁ!」
モナが涙目で駆け寄ってくるなり、ものすごい勢いで翔大の胸に飛び込んできた。重いパネルごと翔大の身体をぎゅーっと力いっぱい抱きしめる。
「お、おいモナ!誰か見てるかもしれん、ここは学校の廊下やぞ……!」
翔大は50代の理性を総動員して引き離そうとするが、モナは翔大の首に腕を回したまま、絶対に離そうとしない。ぷくーっと頬を膨らませて翔大を見上げる。
「だめっちゃ!さっき学校ではおとなしくするって約束したのに、ダーリンが危ないことしたっちゃ!だからこれは、うちからのお仕置きだっちゃ!」
「お仕置きって、ただ抱きついとるだけやないかい……」
「もう……本当に心配したんだっちゃからね……」
腕の中で、モナが小さく声を震わせて翔大の胸に顔を埋める。その愛おしすぎる温もりに、翔大の心臓は別の意味でバックバクと早鐘を打った。
一方、村上たちの小競り合いからようやく解放され、フリーズしたスマホを握りしめた玉田は、遠くで抱き合いながらイチャついている二人をじっと見つめていた。
データには残せなかった。だけど、玉田は自身の目で見たあの重力を無視した光景と、二人のあまりにも深い精神的な結びつきを、脳裏にしっかりと焼き付けていた。
「――否!科学が証明できなくても、俺の目はごまかせない。やっぱり、二人は……」
玉田は胸の前でノートを強く抱きしめ、夕闇が静かに迫る廊下で、自らの仮説が紛れもない真実であることを、より一層深く確信するのだった。
放課後の騒動をどうにか切り抜け、並んで帰路につく翔大とモナ。
すっかり茜色に染まった夕空の下、二人は並んでゆっくりと歩いていた。道の脇に長く伸びるそれぞれの影を見つめながら、翔大はふぅと大きく息を吐き出す。
「いやぁ、今日はほんまに冷や汗もんやったな。玉田の野郎、あそこまで勘が鋭いとは……いつかほんまにバレる日が来るかもしれん」
翔大の言葉に、モナはふっと足を止め、上気した頬のまま翔大をまっすぐに見上げる。そして、心配そうな色を消し去り、いたずらっぽく微笑んだ。
「もし、玉田くんに全部バレちゃったら……どうするっちゃ?」
「そうやなあ……」翔大は少し考えてから、苦笑を浮かべてモナの頭にポンと軽く手を置いた。
「隠し通せるうちは隠すけど、もし隠しきれなくなったら……その時は、ちゃんと誠心誠意、隠し事なしで話すしかないやろな。玉田なら、きっと呆れながらも受け止めてくれるはずや」
「うん!」
モナは嬉しそうに目を細め、自分のバッグの紐を指先でキュッと掴みながら、一歩前に出て翔大の顔を覗き込んだ。
「その時は、うちからも玉田くんに特製の手料理をご馳走するっちゃ!だから……怖くないっちゃ。うち、ダーリンと一緒ならどんな未来が来ても怖くないっちゃよ」
その一途で力強い言葉に、翔大は胸の奥が熱くなるのを感じた。
秘密を抱える怖さも、時空の歪みというタイムリミットの不安も消えたわけではない。けれど、隣を歩くこの温もりがあれば、どんな壁だって乗り越えられる――翔大は夕暮れの街並みに目を向け、モナと肩を並べたまま、明日へ向かう歩調をしっかりと強めるのだった。