十二月の夜気は、肌を刺すように冷たかった。 肺の腑まで凍りつかせるような冷気を吸い込み、吐き出すたびに、息は濃い白い煙となって、またたく間に冬の夜闇へと溶けて消えていく。
マフラーや手袋、ダウンジャケットで完璧な防寒対策を施した翔大たち五人は、町の街灯が届きにくい、小高い丘の上の広場に集まっていた。
「うわぁ……綺麗だっちゃぁ……」
モナが、白く染まった吐息混じりに感嘆の声を漏らし、夜空を見上げる。その大きな瞳には、満天の星々がまるで極小の宝石をぶちまけたかのように、キラキラと眩しく反射していた。
「ふふん、驚くのはまだ早いよ。今夜は空気の澄み具合が、僕の計算上でも絶好調だからさ。いつもより綺麗に見えるのは、大気による光の散乱が少ないため、理論上至極当然なわけよ」
玉田が少し鼻を高くしながら、愛用の天体望遠鏡の三脚をミリ単位で調整している。
「おい玉田、うんちくはいいから早く見せろがん!寒くて耳がちぎれて、どこかに飛んでいきそうだて!」
荻中が耳当ての上から両手で耳を必死に押さえ、足踏みをしながら急かす。すると玉田は、人差し指をチッチッと左右に振り、
「否!否!焦りは禁物じゃん。天体観測ってのは、宇宙の広大さとロマンを五感で愉しむものだからさー」
と、いつものお決まりのポーズでふざけてみせた。
「まったくぅ、玉プィーは焦らし上手んだからぁ〜ん」
すかさず、隣にいた村上が、吐く息をピンク色に染めそうな甘ったるい声を出す。手袋をはめた指先で、玉田のダッフルコートの裾をちょんちょんと、遠慮がちにつまんだ。
「うわっ!気持ち悪いから、この極寒の中で密着すんなつーの!ほら、峰川、ピント合ったから次はお前の番。覗いてみなよ」
「お、サンキュー。……どれどれ」
翔大はかがみ込み、望遠鏡の接眼レンズに片目を寄せた。
「……!うわ、ほんまや。めちゃくちゃ近くに見えるな……透き通るような星空や」
レンズの向こうには、冷たい暗黒の中に、自ら強烈な光を放つ星々が、まるでむき出しのダイヤのように浮き立っていた。昔、実家のベランダから見上げていた星空とは、まったく違う。吸い込まれそうなほど圧倒的な「宇宙の深さ」がそこにあった。
五重苦のような満員電車、理不尽な取引先からのクレーム、領収書の山……。50代のくたびれたサラリーマンだった頃には、仕事帰りにこんな風に夜空をじっくり眺める精神的な余裕なんて、1秒たりとも存在しなかった。それが今、高校生に戻り、バカなセリフを言い合える仲間と一緒に同じ星空を見上げている。ただそれだけのことが、翔大の胸の奥をじんわりと、言葉にできない温かさで満たしていった。
レンズから目を離し、すぐ隣に立つモナを見る。モナは望遠鏡を覗こうともせず、ただじっと、ある特定の方角の夜空を静かに見つめていた。その横顔は、普段の天真爛漫な「ダーリン、ダーリン!」と騒ぐ様子とは少し違っていて、どこか遠く、決して手の届かない遥かな場所を恋しがっているように見えた。
(あの方角に……モナのほんまの故郷があるんやろか)
切なさが胸をかすめたその時、モナがふと、周囲に聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
「……うちの故郷の星空も、あんな風にたくさんの星々が、青く綺麗に輝いていたっけなぁ~」
耳を澄ませていた翔大だけが、その切なすぎる独り言をはっきりと聞き取った。みんなが地球の星空にはしゃぐ裏で、モナが抱えていた故郷へのホームシックや寂しさに気づき、翔大の胸の奥がキュッと締め付けられる。
その直後だった。荻中が首をすくめながら、ふと夜空にぽつりと言葉を投げかけた。
「それにしてもさぁ……これだけ星がいっぱいあるとさ、この夜空のどこか遠くの星で、俺たちと同じように夜空を見上げとる宇宙人とかもおるんかねぇ」
「俺はいると思うぜぇ〜。なんたって、この俺がそう直感するくらいだぜぇ〜」
村上がなぜか誇らしく、薄い胸をペチペチと叩く。
「はいはい、あんたが直感したからどうだっつーの」
玉田は村上をからかうように笑い飛ばした。けれど、すぐにその視線を、ぼんやりと夜空を見上げていたモナへと向ける。
「でもさ、天文学の確率論から言っても、地球以外に高度な生命体が存在する可能性は、決してゼロじゃないからね。……あ、そうだ。モナちゃんはどう思う?」
不意に話を振られたモナは、さっきまで故郷を想っていた名残もあり、自分が『異星人であることを隠し、普通の女子高生として振る舞わなければいけない』という現在の絶対ルールを、その一瞬だけ、完全に忘れてしまっていた。
生来のおっとりとした、けれどどこか透き通るような美しい声で、当たり前の真実を語るようにぽつりと呟いた。
「宇宙は、生命(いのち)で満ちあふれてるちゃよー……」
しん、と丘の上の空気が一瞬で静まり返った。 吹き抜けていたはずの冷たい風の音さえ、ピタッと止まったかのような錯覚が一同を襲う。
「えっ……?!満ちあふれてる……!?」
最初に声をあげたのは玉田だった。目がぎょっと丸く見開かれ、腕を組んだ姿勢のまま、彫刻のように硬直している。荻中も村上も、冗談を言うのを忘れた顔でモナを凝視していた。
あまりにも確信に満ち、そしてどこか神秘的な響きをはらんだモナの言葉。全員が、理屈ではない「おかしな違和感」をその肌で感じ取ったのは明白だった。
(し、しまった――ッ!!)
翔大の背中に、冬の寒さとは別の、凍るような冷や汗がドッと流れ落ちた。
「あ、あはははは!な、何言うてんねんモナは!お前、またテレビのオカルト番組の見すぎやろ!」
翔大は裏返った声を張り上げ、モナの前に割り込むようにして、みんなの視線を遮った。
「生命で満ちあふれてたらな、毎晩、夜空でUFOの渋滞が起きてまうわ!なぁ!?これはあれやろ、モナの『そうなったらファンタジーでロマンチックやな』っていう、ただの可愛い願望!女の子らしい妄想やんな!?そやな、モナ!?」
翔大は顔を引きつらせ、背中に手を回してモナの服をぐいぐいと引っ張りながら、「頼むから話を合わせてくれ!」と目玉が飛び出んばかりの猛烈なアイコンタクトを送った。
「あっ……!」
まわりの凍りついた雰囲気に、モナもようやくハッと我に返った。 大きな目をパチクリと泳がせながら、ちぎれんばかりに激しく首を縦に振る。
「う,うん!そうだっちゃ!うちの、ただの思いつきだっちゃ!」
モナは翔大の後ろから顔を出すと、必死に誤魔化そうと愛らしく微笑んだ。
「宇宙人がいっぱいたら、ダーリンと二人きりでデートするときに邪魔だもんね!だから、うちのただの妄想だっちゃ!」
「ほ,ほら見ろ!妄想や!乙女のファンタジーやって言うやつやな!」
翔大は「ハハハ!」と大げさに笑い飛ばした。
「なーんだ、焦せったがや」
「モナちゃんはロマンチストだぴー」
荻中と村上は顔を見合わせて納得したように笑った。
――シュッ、と。 その時、冷たい夜空を切り裂くように、ひときわ大きな流れ星が長い尾を引いて流れた。
「うおっ!今の見ただがや!めちゃくちゃデカかったぞ!」
「ああっ、消えちゃったぴー!三回願い事言うの忘れたぁ!玉プィーと結ばれますようにって言おうとしたのに!」
「だから結ばれなくていいつーの!落ちてきたの彗星の塵だからさー!」
男子たちが再びワイワイと騒ぎだし、望遠鏡に群がり始める。その喧騒のどさくさに紛れて、モナが翔大のダウンジャケットの袖をキュッと引っ張った。
「……ダーリン」
振り返ると、モナが寒さで少し鼻の頭を赤くしながら、上目遣いで翔大を見つめていた。その瞳は、流れ星よりもずっと眩しくきらめいている。
「さっきは、うち、うっかりしてごめんだっちゃ。ダーリンが助けてくれて嬉しかったっちゃ……だからね…」
モナは周囲に聞こえないくらいの小声で囁きながら、手袋越しに翔大の指に自分の指を絡めてきた。
「お詫びにうちが奢るから、明日……二人きりで、デートしてほしいっちゃ。だめ……だっちゃ?」
小悪魔のようにおねだりするモナの破壊力に、翔大の「17歳の心臓」がドクンと大きく跳ね上がる。50代の理性が「周囲の目を気にしろ」と警告するが、さっき自分のために必死で話を合わせてくれたモナの健気さを思えば、断れるはずがなかった。
「うまいこと言うなぁ……しゃあない。じゃあ~明日はどっか出かけよか!?」
「ほんとっちゃ!?やったっちゃ、やったっちゃ!」
モナはパッと顔を輝かせると、翔大の目の前で両手を合わせてぴょんぴょんと跳ね回った。
「おっ、おいおい!なんだよ二人してコソコソと!」
そこへ、すっかり盛り上がった荻中と村上がニヤニヤしながら割って入ってきた。
「怪しいぴー!明日も俺たちをハブる気だなー!いいなぁ、デートぉー」
翔大は「ちゃうちゃう!そんなんやないから」と慌てて顔を真っ赤にして否定する。モナは恥ずかしそうに翔大の背中に隠れながらも、どこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
寒さも忘れて、子どものように全身で純粋に喜びを爆発させているモナ。その無邪気な笑顔の裏にある、時折見せる故郷への切なさを思い出し、翔大は顔を赤くしながらも、今度はもっと強くモナの手を握り返してやりたいと感じるのだった。
しかし――。
天体望遠鏡の横に立つ玉田だけは。 レンズの光を反射する目の奥で、まだ鋭く、何かを測りかねるような強い視線を仲睦まじい二人の姿に注いだまま、静かに沈黙を守っていた。