考えてみれば、これまで「デートらしいデート」なんて、まともにしたことがなかった。
時空を超えて17歳に戻り、ドタバタと同居生活を始めてからというもの、毎日が嵐の連続だったからだ。
だからこそ、目の前ではしゃぐモナの姿は、まるで夢のように眩しかった。
「ダーリン!見てみてっちゃ!観覧車がすっごく大きいっちゃ!」
やってきたのは、街外れにある遊園地。 冬の澄んだ青空の下、モナは翔大の手をぎゅっと握りしめて、子供みたいに目を輝かせている。その小さな手の温もりが、翔大の胸を優しくくすぐった。
「そんなに引っ張らんかて、観覧車は逃げへんよ。ほら、まずはあっちのジェットコースターから乗るか?」
「乗るっちゃ!ダーリンと一緒に、お空を飛ぶっちゃ!」
意気揚々と乗り込んだ絶叫マシーンだったが、時速百キロを超える風の中で、二人のリアクションは完全に対極だった。
「きゃあー!楽しいっちゃぁー!」と両手を上げて大喜びするモナ。対して、中身50代の翔大は、激しい重力に魂が口から飛び出そうになり、安全バーを壊れんばかりの力で握りしめていた。
「だ、ダーリン、お顔が真っ白だっちゃ……大丈夫け?」
コースターを降り、ベンチで魂が抜けかけた状態でへたり込む翔大。その顔を、モナが心配そうに覗き込んでくる。うるうるとした大きな瞳がすぐ目の前にあって、翔大は思わずドギマギしてしまった。
「あ、いや、ちょっと三半規管がどっかに旅行に行ってしまっただけや……。次は、もっとこう……落ち着いたやつにせえへんか? ほら、お化け屋敷とか」
「お化け屋敷? ……ひゃっ!? ダーリン、それ、お化けが出るお部屋っちゃ!? いやだっちゃ!怖いっちゃ!」
さっきまで絶叫マシーンで爆笑していたモナが、今度は翔大の腕にがっしりと抱きついて離れなくなった。
「ちょっとモナ、密着度が!胸、胸が思い切り当たってるって……!」
「離さないっちゃ!お化けが来たら、うちはダーリンに守ってもらうんだっちゃ!」
お化け屋敷に入ると、モナは終始、翔大の背中に顔をうずめて「だっちゃだっちゃ」と泣きべそをかいていた。 暗闇から作り物の幽霊が飛び出すたびに、「きゃあーっ!」と叫んで翔大の腰にこれでもかと抱きつく。
(うわ、これはヤバい。ある意味お化けより心臓に悪いわ……!)
情けないサラリーマンだった前世では、女の子にこんな風に頼られ、しがみつかれることなんて一度もなかった。翔大は内心のデレデレ顔を必死に隠し、「大丈夫や、俺がついてるからな」と、ちょっと格好をつけてモナの手を力強く握り直した。
お化け屋敷をなんとか脱出して、広場へやってくると、遊園地のマスコットキャラクターである、ピンク色のかわいいウサギの着ぐるみが歩いてきた。
「はぁ、焦った……。あ、モナ、あのウサギのキャラクター、めっちゃ愛嬌あって可愛いない?」
何気なく翔大が言った、その一言だった。 モナの動きがピタッと止まる。
「……ダーリン。今、あのピンクのうさぎのこと、可愛いって言ったっちゃね?」
モナの目が「すうっ」と細くなり、その背後に般若のような、あるいは超重力波のようなドス黒いオーラが立ち上る。
「え,いや、ただの着ぐるみやし、マスコットやで!?」
「だめだっちゃ!ダーリンは、うちのことだけ『可愛い』って言ってほしいっちゃ! ダーリンの浮気者っ!」
モナはツンとそっぽを向いて、怒ったように頬を膨らませる。さらに間の悪いことに、通りがかった親切な女性スタッフが「よろしければ、お二人のお写真をお撮りしましょうか?」と声をかけてくれた。
翔大が「あ、ありがとうございます!」と爽やかに笑顔でお礼を言った瞬間、モナのヤキモチメーターは完全に限界を突破(オーバーヒート)した。
「ダーリンの、大ばか者っちゃーーー!!!」
「わわわ!モナ、違うって!ほんまにモナが銀河一、いや、宇宙一可愛いから!」
「……ほんとっちゃ?」
モナは上目遣いで、じとーっと翔大を見つめる。
「本当や!嘘偽りなく、モナが一番可愛い!」
「じゃあ……それを証明してほしいっちゃ。ここで、うちをぎゅーって、抱きしめて!」
「えっ!?ここ、人混みのど真ん中やぞ!?」
「しないと、一生口きかないっちゃ!」
ぷいっと顔を背けるモナに降伏し、翔大は顔面を真っ赤に染めながら、意を決してモナの小さな肩をそっと抱き寄せた。周りの高校生や家族連れからの視線が痛いほど突き刺さる。
モナは嬉しそうに「えへへ、だっちゃ!」と翔大の胸に顔を埋めた。その姿があまりにも愛らしく、翔大の心臓はもう、はち切れそうだった。
少し小腹が空いたので、遅めのランチとしてチュロスを購入した。ベンチに座ると、モナがさらに甘い「追撃」を仕掛けてくる。
「ダーリン、はい、あーんっちゃ!」
はにかみながら、自分のシナモンシュガーのチュロスを口元に差し出してくる。さっきの罰ゲーム(ハグ)で吹っ切れた翔大は、もはや照れを通り越し、美味しくチュロスをいただいた。口いっぱいに広がる甘さに、二人の笑顔は絶えなかった。
その後、腹ごなしにと歩いていると、少し怪しげな紫色のテントを見つけた。「手相・タロット占い」と書かれている。
「ダーリン、あれ何っちゃ?」
「占いか。面白そうやな、ちょっと入ってみる?」
テントの中には、水晶玉を前にした、いかにもベテランといった風情の占い師のおばちゃんが座っていた。
「いらっしゃい、若いお二人さん。どれ、手相を見てあげるよ」
まずはおばちゃんが、翔大の右手を引き寄せてまじまじと見つめる。だが、おばちゃんの表情がみるみるうちに不審なものへと変わっていった。
「……ちょっと、あんた。外見はピチピチの高校生だけど、手相がどう見ても『中間管理職の疲れ切ったサラリーマン』よ?胃腸も弱ってるっぽいし、領収書の山と上司の小言に追われてるような相が出てるわ。なんでこんなにすり減ってるの?」
「ぶっ……!げ、健康第一で生きてるからですかね、ハハハ……」
翔大は心臓が止まるかと思い、必死に誤魔化した。中身50代の生々しい手相がバレるとは、恐るべしプロの占い師。
次におばちゃんは、モナの手を引いた。すると今度は、おばちゃんが椅子からひっくり返りそうになるほど目を見開いた。
「な,何これ!?このお嬢ちゃんの手相……生命線が手のひらを突き抜けて、手首を一周してどこまでも伸びてるわよ!?地球の重力に収まってない!それに、この手の中心にある……見たこともない星の形のような線は一体何なの!?」
「あっ……!」
モナが慌てて手を引っ込めようとしたが、おばちゃんは興奮した様子で、二人の手を重ね合わせた。
「でもね……不思議だわ。二人の手を合わせると、すり減った男の子の運命線と、女の子の長い生命線が、ぴったりとパズルのように噛み合うの。……あんたたち、ただの恋人じゃないわね。お互いの存在が、お互いの時空を支え合っている。時空をも超えるほどの、決定的な強い絆で結ばれているわ」
「時空を、超える……」
モナはその言葉を嬉しそうに噛み締め、パッと顔を輝かせた。
「おばちゃん、すっごく物知りっちゃ!その通りだっちゃ!」
「あ,あはは、おばちゃん、ええこと言うてくれるなぁ!ありがとう!」
翔大はお金を払うと、これ以上何かを看破される前に、モナの手を引いて慌てて占いテントを後にした。
日が傾き始めた夕暮れ時。
二人は、園内の隅にある「思い出の丘」と呼ばれる場所にいた。沈みゆく夕日が街を茜色に染め上げる、恋人たちの願い事が叶うと言われているジンクスの丘だ。
「楽しかったなぁ、モナ」
「うん!うちは世界で一番幸せだっちゃ。ダーリンとずっと、こうしていたいっちゃ……」
モナは翔大の肩にそっと頭を預けた。夕日に照らされたモナの横顔があまりにも愛らしくて、翔大は何か、彼女にプレゼントをしたくなった。ポケットを探ると、いつも持ち歩いている自己流のオカリナに指が触れる。
「せっかく綺麗な夕日やし、モナに一曲、聴かせたるわ。下手くそやけどな」
「だっちゃ!ダーリンのオカリナ、大好きだっちゃ!」
モナが嬉しそうにパッと顔を輝かせる。
翔大はオカリナを唇に当て、優しく息を吹き込んだ。
――ピー……、ギ、ィ……。
冷たい秋風を切り裂いたのは、耳を疑うような不協和音だった。
「……あれ? おかしいな」
翔大は首を傾げた。指使いは間違っていない。いつも通りに吹いているはずなのに、音程がめちゃくちゃに狂っている。もう一度、今度は丁寧に息をコントロールして音を出してみた。
――ベ、ー……、ビ、シィ……。
出たのは、まるで楽器が悲鳴を上げているかのような、歪んだ音色の塊だった。
「なんでや……? 壊れてへんのに……」
翔大の背筋に、冷たいものが走った。50代の記憶を持つ彼は、ただの楽器の不調ではないことに気付いてしまった。
狂っているのはオカリナではない。二人が立っているこの空間、この世界の空気が、微かに細かく震えているのだ。それは、二人が今いる「17歳の歪んだ時空」そのものが、限界を迎えて崩壊し始めている予兆だった。
「ダーリン……?」
モナの顔から、さっきまでの笑顔が綺麗に消えていた。彼女は自分の右手を胸元に当て、そこにある不思議な指輪をぎゅっと固く握りしめている。指輪は、まるで警告を発するように、鈍く冷たい光を明滅させていた。
「怖いっちゃ……。なんだか、この世界が、遠くなっていくみたいだっちゃ……」
モナの小さな身体が、冬の寒さとは違う理由で小刻みに震え始める。その瞳には、せっかくの初デートの幸福をかき消すような、深い焦燥と恐怖が浮かんでいた。
その時、翔大はふと、足元に伸びる自分たちの影に目を留めた。 息が、止まりそうになった。
夕日に照らされて地面に長く伸びる二人の影。それが、不自然に波打ち、まるでブレた写真のように重なり合って見えていていたのだ。
17歳の自分の影。そのすぐ背後に重なるように、くたびれた肩を落とした「50代の男の影」が、まるで幽霊のようにぼんやりと立ち現れている。 そしてモナの影もまた、人間の女の子の輪郭から静かにズレるようにして、見たこともない、けれど息を呑むほどに美しい「異星の少女の影」が、微かに重なって揺らめいていた。
(嘘やろ……影が、元の姿に引き剥がされようとしとるんか……?)
お互いが何者であるか。言葉にせずとも、この世界のきしみが、二人の隠された正体を残酷に暴き出そうとしていた。
このままでは、消えてしまう。この幸せな時間が。この大好きな人が。言葉にしなくても、二人の間に漂う不穏な空気がそれを物語っていた。
「モナ……!」
翔大は影から目を逸らすようにオカリナをポケットに突っ込むと、震えるモナの身体を、迷わずにその両腕で強く引き寄せた。
「大丈夫や。何があっても、俺がついてる」
自分の胸の奥で、心臓が早鐘のように鳴っているのが分かる。恐怖に押し潰されそうなのは、翔大も同じだった。自分がいつかこの世界から消え、みんなの記憶からも消え去るかもしれないという恐怖。
だが、腕の中にあるこの温もりだけは、絶対に離したくなかった。
「俺が、お前を守るから。だから、怖がらんでええ」
自身の弱気と不安をねじ伏せるように、翔大は翔大はモナの小さな背中を、さらに強く、壊れそうなほど強く抱きしめた。
帰り道のバス停。 街灯がぽつんと灯る薄暗い待合所で、二人は最終バスを待っていた。周囲の空気のざわめきは収まっていたが、さっきの出来事の動揺がまだ胸の奥で重く残っている。
「……ねえ、ダーリン」
モナが膝の上で両手をぎゅっと組みながら、俯いたまま小さな声でぽつりと言った。
「もし万が一、この世界の歪みがもっと大きくなって……うちが元の場所へ戻されちゃったら……ダーリンは、ダーリンはうちのことを忘れてしまうっちゃ?」
その瞳には、こぼれ落ちそうなほどの涙がいっぱい溜まっていた。必死に涙をこらえようとするその姿が、翔大の胸を激しく締め付ける。
「アホこと言うな!お前のことは何があっても、一生忘れるかい!絶対にそんなことないから、心配すんな」
「本当に……?約束してほしいっちゃ……」
「ああ、約束する!」
翔大は優しく微笑むと、ふと表情を和らげ、彼女に提案した。
「なぁ、お互いに名前呼び合わへんか?」
「えっ?」
モナは驚いた表情で目を丸くする。
「じゃ~俺からいくで!モナ、モナ、モナ、モナぁ~~!!」
翔大は両手で口をラッパの形にして、夜空に向かって力いっぱい叫んだ。不意を突かれたモナはきょとんとしたあと、少しだけクスッと笑顔になって、
「じゃあ、うちも負けないっちゃ!ダーリン、ダーリン、ダーリン、ダーリ~~ンっ!!」
モナも真似をして何度も名前を呼び、最後は両手を口に添えて大きな声で叫んだ。
その姿にお互い顔を見合わせ、次の瞬間、二人はぷっと吹き出して声を上げて大笑いした。先ほどまでの不安や恐怖が、その笑い声にかき消されていくようだった。
笑い声が静まったあと、翔大はふっと真剣なマジな顔に戻り、モナの目をまっすぐに見つめて言った。
「そうや。俺はここにいる。お前も、ここにいる」
その力強い言葉を聞いたモナは、安心したようにふわりと花が咲いたような笑顔を浮かべて、嬉しそうにはにかみながら、そっと自分の顔を翔大の胸に寄せた。
茜色の夕日と冷たい夜気が混ざり合うバス停で、二人はしっかりと温もりを確かめ合うように、身を寄せ合っていた。