小さな三階建ての我が家。その中二階にある翔大の子供部屋のコタツを挟んで、二人は向かい合っていた。
モナの目の前に置かれているのは、お湯を入れて三分待っただけの、なんてことのない地球のカップラーメンだ。
「ダーリン、これ本当に食べられるっちゃ? 乾いた紐みたいだっちゃ……」
「紐ちゃうって(笑)。ラーメンや、ラーメン。まぁ騙されたと思って一回食べてみ?」
モナは恐る恐るフォークで細い麺をすくい上げ、小さな唇をすぼめてフーフーと息を吹きかけてから、口へと運んだ。
一瞬、ピキッと身体をフリーズさせるモナ。次の瞬間、トパーズのような大きな瞳をこれ以上ないほどキラキラと輝かせた。
「……んん〜〜っ!! おいしいっちゃ! ダーリン、これ最高だっちゃ! うちの星の高級栄養ペーストより一万倍おいしいっちゃ!」
「あはは、そんなにか。ただのインスタントやけどな」
「いんすたんと? 地球の科学も侮れないっちゃね~。こんな美味しいものをたった三分で作るなんて、うちの星団の宮廷料理人に見せてやりたいっちゃ! 宇宙の超技術に匹敵する大発明だっちゃ!」
小さなカップを両手で愛おしそうに包み込み、最後のスープ一滴まで綺麗に飲み干すモナ。その無邪気ではじけるような笑顔を見ていると、翔大の心までポカポカと温かくなってくる。56歳の大人としての視線で見れば愛くるしい娘のようであり、17歳の男子高校生の心で見れば、たまらなく魅力的な男の子の夢そのものの女の子だった。
しかし、宇宙人と地球人――文化の違いによる驚きは、これだけでは終わらなかった。
「モナ、テレビのチャンネル変えるで」
翔大がコタツの上に転がっていた黒いプラスチックの箱――リモコンを拾い上げ、ボタンをピッと押した。画面の野球中継が、一瞬で華やかな歌番組に切り替わる。
それを見たモナは、目を丸くして驚いた。
「ひゃあ……! ダーリン、今、何をしたっちゃ!?」
「え? いや、このリモコンでチャンネルを変えたんやけど……。あ、もしかしてモナの星にはリモコンなんてないんか?」
するとモナは、不思議そうに首をチョコンと傾げた。
「違うっちゃ。なんでそんな面倒な黒い箱を使うのかと思ってびっくりしたっちゃ!」
「えっ、面倒……?」
「うちの星のテレビはね、この指輪を付けて、見たい映像を頭の中で『想う』だけで、空間にホログラムが映し出されるっちゃ。地球人はわざわざそんな箱の突起を指でゴリゴリ押さないと、画面も変えられないっちゃ? 原始的だっちゃあ……!」
「げ、原始的って……。これでも昭和の地球じゃ大発明なんやけどな」
文明の圧倒的な格差をドヤ顔で突きつけられ、翔大はガクッと肩を落とした。リモコンを珍しそうに指先でツンツンと突き回すモナの姿に、翔大は苦笑いするしかなかった。
そんなハイテクな星からやってきたモナだったが、時には心臓が止まるような大騒動も巻き起こす。
「あー、トイレトイレ! 漏れるわ……」
二階から慌ただしく階段を下り、一階の廊下の突き当たりにあるトイレのドアを翔大がガラリと開けた、まさにその瞬間だった。
「きゃあーーーーーーっ!! ダーリンのエッチーーーーーーっ!!」
「うわあああ!? ごめんっ!!」
中には、便座に座ったモナがいた。信じられないことに、鍵どころかドアすら完全に閉めていなかったのだ。翔大は真っ赤になってバタンとドアを閉め、廊下の壁に思い切り額を打ち付けた。56歳の記憶があろうと、17歳の健全な男子の身体には刺激が強すぎる。
「ちょっとモナ! なんで鍵かけてへんの?! ドアも開いてたやんか!」
しばらくして、顔をリンゴのように真っ赤にしたモナが、頭のツノをツンと逆立てながら出てきた。
「うちの星には『といれ』のドアを閉める文化なんてないっちゃ! 入ったら外からは自動で見えなくなる仕組み(光学迷彩)になってるっちゃ!」
「いや、でもここは地球やから! そんな未来の仕組みはないの! まんま丸見えなんや!」
「ええっ!? じゃあ、うちが用を足してるところ、ダーリンに全部見られちゃったっちゃ!?」
「だから閉めて鍵をかけろって言うてるやんか! 頼むから次は絶対閉めてな……ほんまに寿命が縮まるわ」
「もう……ダーリンのすけべ。でも、うちのハダカなら、もう見たっちゃよね?」
ジト目で睨んできたかと思えば、急にニヤリと小悪魔みたいに悪戯っぽく笑ってみせる。56歳分の人生経験をもってしても、1200歳の純粋無垢な少女(地球でいう17歳)の手の上で、翔大は完全にコロコロと転がされるばかりだった。
数日後、翔大はモナを連れて近所のスーパーへ買い物に出かけた。
モナは見るものすべてが新鮮なようで、カートを押す翔大の周りをピョンピョンと跳ねるように歩いている。
「ダーリン、あっちの赤い丸いのは何だっちゃ?」
「あれはリンゴ。甘い果物やね」
「こっちの、トゲトゲしたのは?」
「それはゴーヤ。めちゃ苦いでぇー、別名ニガウリ! モナにはちょっと無理かも……」
「にがいウリ!? うち、それがいいっちゃ!」
モナは目を輝かせて、ゴツゴツとしたゴーヤをカゴに放り込んだ。
その日の夕飯。母・佳子が作ったゴーヤチャンプルーを前に、翔大は少し心配そうに彼女の様子を伺っていた。大人でも顔をしかめるような、あの独特の強い苦味だ。
「モナ、本当に大丈夫か? 結構苦いで」
モナは一切れをパクッと口に入れた。
「……ん! おいしいっちゃ! この苦味がたまらないっちゃ!」
「えぇっ!? 平気なんか!?」
「うちの星の主食は、もっともっと苦い植物の根っこだっちゃ。だからこれ、すっごく懐かしくて美味しいっちゃ!」
そう言って、モナはゴーヤを心から幸せそうにモグモグと平らげていく。逆に、美味しそうなお肉の炒め物には一切手を付けようとしなかった。
「モナ、お肉は食べへんの?」
「うん。うちの星では、生き物の肉を食べる習慣はないっちゃ。お野菜と、この『にがうり』があれば、うちは大満足だっちゃ!」
地球のジャンクフードに目を輝かせたかと思えば、激苦の野菜を喜び、肉は食べない。なんとも不思議な生態だったが、故郷の味覚に目を細める彼女を見つめていると、翔大の胸にふと切ない愛おしさが込み上げてくる。
(遥か2400光年彼方の故郷を離れて、一人でこの知らない星にいるんだな……)
目の前の小さな肩を見つめながら、この愛おしい婚約者を自分が全力で守り、支えていかなくてはと、翔大は心の中で深く誓うのだった。
またある日の夕方、翔大が学校の補習で帰りが遅くなった時のことだ。
「ただいまー……」
疲れた足取りで玄関の戸を開けると、茶の間から「あははは!」「お母様、これですごーい!」という楽しげな笑い声が聞こえてきた。恐る恐る覗き込むと、そこには割烹着姿の母・佳子とモナが、並んで楽しそうに夕飯の準備をしていた。
「あ、翔大、お帰り。補習お疲れ様。モナちゃん、すっごく筋がいいのよ。ほら見てごらん」
母が嬉しそうに指さした先には、見事に綺麗に包まれた大量の餃子と、モナの手でぬか床から引き揚げられた立派なキュウリのぬか漬けがあった。
「うちの星……じゃなくて、前に住んでた国だと、料理はぜんぶ分子を合成する機械で作ってたから、こうやって自分の手で作るの、すっごく楽しくて面白いっちゃ!」
「まあ、分子? なんだか難しい機械で料理してたのねぇ。モナちゃんは手先も器用だし、素直で本当にいい子ね。不器用な翔大とは正反対やね~」
「……星? 分子?」と一瞬きょとんとした母に、翔大は冷や汗をダラダラ流しながら「あ、あの、モナが昔おった遠い国のアレや! なんか外国の最先端の料理器具の話やで!」と必死にフォローを入れた。当のモナはケロッとして餃子のひだを綺麗に折っている。
「やけどおかん! 人のこと不器用とか言うなよな~!俺かて器用やないかもしれんけど、いつだって一生懸命やってるわ!」
翔大がムッとして言い返すと、モナとおかんは顔を見合わせて「くすくす」と楽しそうに笑い出した。
手際よく夕飯を仕上げた後、三人でテーブルを囲んだ。食後、佳子が押し入れから古びた一冊のアルバムを引っぱり出してきた。
「ほら翔大、これ見てごらん。懐かしいわねぇ」
そこには、幼稚園の学芸会で泣きじゃくっている姿や、裸でプールではしゃぐ幼少期の翔大の写真がズラリと並んでいる。
「きゃあ〜! ダーリンの小さい頃、すっごく可愛らしいっちゃ! このお尻がたまらないっちゃね!」
「うわあああ指さすな! 見るなモナ! おかんも勝手に見せるなよぉ~!!」
顔を真っ赤にしてアルバムを奪い取ろうとする翔大を、モナとおかんが挟み撃ちにして楽しそうにからかう。
そんな二人の仲睦まじい姿を笑いながら見つめていた翔大の胸に、ふと熱い塊が込み上げてきた。
(お母さんな、あんたのお嫁さんと一緒に仲良く好きな料理を作るのが夢やねん)
――56年の人生を歩む前、かつて生前の母がふと漏らしていたあの言葉。病気で早逝してしまい、本来の歴史では叶えてやることができなかった母の小さな夢が、今、目の前で鮮やかに叶っている。
過去へタイムスリップし、2400光年彼方から舞い降りてきた奇跡の少女のおかげで、二度と見られないはずだった母の満面の笑みがある。胸の奥がじんわりと熱くなり、翔大は込み上げる涙を悟られないよう、慌てて「喉かわいたからお茶淹れてくるわ」と立ち上がった。
夜になり、お風呂と歯磨きの時間になった。
「モナ、これが『はみがきこ』。こうやってブラシにつけて、ゴシゴシするんや」
洗面所で翔大がお手本を見せると、モナは真似して口に歯ブラシを突っ込んだ。
「んぐ……ふぇっ!? 泡がいっぱい出てきたっちゃ~! お口の中がスースーして爆発しそうだっちゃ!」
「吐き出して! 水でブクブクしてペッてするんや!」
「ぷはっ! ……ふええ、地球人は毎日こんな過酷な試練をこなしてるっちゃ?」
涙目で口をゆすぐモナの姿がおかしくて、翔大は思わず吹き出した。
「よう頑張ったな」
翔大が頭を撫でてやると、モナはくすぐったそうに目を細めた。
その後、お風呂から上がったモナを引き連れ、二人は再び二階の子供部屋へと戻った。モナは湯気の中にのぼせた顔をしており、あの獣の皮の服ではなく、母・佳子が貸してくれた大きめのTシャツを着ている。ぶかぶかの首元から覗く華奢な鎖骨が、妙に目に毒だ。
「ダーリン……地球のお風呂、すっごく気持ちよかったっちゃ。身体が芯からポカポカするっちゃ」
「そうか、気に入ってくれてよかったわ」
「うち、ダーリンのいるこの星が、だんだん大好きになってきたっちゃ」
モナはコタツに潜り込み、満足そうに無邪気に笑った。その笑顔は、嵐の夜に鋭い目で見つめてきた異星人とはまるで別人だった。
テレビからは昭和ののんびりとしたニュースが流れている。一階からは、おかんが鼻歌を歌いながら片付けをする音が聞こえる。
失ったはずの愛しい日常。そして、そこに新しく加わった、宇宙一チャーミングな婚約者。
(この先、俺たちの生活は一体どうなっていくんやろな……)
翔大はコタツから抜け出し、いつも星空を見上げていた二階の窓辺に立った。
窓の外には、静かで美しい夜空が広がっている。あの2400光年彼方のクリスマスツリー星団から、彼女は自分をめがけて降ってきたのだ。
ふと振り向くと、自分の勉強机に突っ伏して、早くもスースーと健やかな寝息を立て始めたモナの寝顔があった。不安がないと言えば嘘になる。だけど、この苦くて甘い、ワンダーな日常を、ずっと守っていきたい――56歳の知恵と、17歳の情熱を持った翔大の胸の中で、静かな決意が形を作りはじめていた。