『青春の星空』   作:幾星 巡

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第46話:最後の星空コンサート

さっきまでの猛烈な暴風雨が、嘘のようにピタリと鳴り止んだ。時空の境界線を覆い尽くしていた黒い嵐の雲が、まるで舞台の幕が上がるように、中心から大きく鮮やかに割れていく。その向こう側から現れたのは――息をのむほどに澄み切った、濃紺の満天の星空だった。

 

何百億もの星々が、まるで二人の最後のステージを祝福し、騒がしい下界を静めるように、静かに、優しく瞬いている。

 

「……嘘みたいっちゃ。あんなに酷かった嵐が、消えちゃったっちゃね、ダーリン」

 

モナが星空を見上げたまま、ぽつりと呟いた。その横顔は夜空の星屑を反射して、どこか透き通るように神聖で、美しい。

 

「せやな。まるで、俺らにちゃんとさよならを言う時間をくれたみたいやわ」

 

二人の周囲を、時空の歪みから漏れ出た淡いエメラルドグリーンの光の粒子が、蛍のようにゆっくりと舞い上がり始めていた。モナの体からも、星の瞬きと同じ光の淡いパルスが放たれ、彼女の存在そのものが、少しずつ夜の空気に溶け込んでいくかのように静かに揺らめいている。

 

「モナ。もう……時間なんやな」

 

「うん……。指輪の震えが、さっき止まったっちゃ。時空の歪みのエネルギーが、完全に安定しちゃった証拠だっちゃ。これが消えたら、うちはもう……ここにはいられないっちゃ……」

 

モナの瞳に、再び大粒の涙が溜まっていく。

 

翔大は、胸の奥が引き裂かれるような激痛に耐えながら、湿った指先でポケットからオカリナを取り出した。あのモナが編んでくれた赤い手作りの紐と、あの不格好なチャームがしっかりと結ばれた、世界にひとつだけの素朴な思い出の楽器。

 

「なぁ、モナ。俺には、お前をこの世界に引き留めるような特別な力は何もない。時空の科学も、宇宙の法則も、何一つ分からん。……でもな、これだけは、お前に届けられる。

いや、絶対に届けるんや!」

 

「ダーリン……」

 

「お前が『故郷の、一番優しい風の音に似てる』って言ってた、俺のオカリナや。不器用で、中途半端な俺の……これが魂の全部や! 聴いてくれ、モナ!」

 

翔大は肺にあるすべての空気を絞り出すように、オカリナに強く息を吹き込んだ。

 

――ピー……。

 

夜の静寂を震わせて、丸く、温かい音色が響き渡る。決して上手な演奏ではない。指使いは拙く、これまでの50年の人生のすべてがそうであったように、中途半端な自己流の旋律だ。けれど、その一本調子な音色の裏側には、50年分の孤独、もう一度高校生として駆け抜けた輝かしい青春への感謝、そして何よりも、宇宙の寿命をも超えて自分を愛し抜いてくれたモナへの、言葉にならない愛の絶叫が宿っていた。

 

モナは溢れ出る涙を両手でそっと拭うと、愛おしさに胸を震わせ、翔大を見つめた。

 

「嬉しいっちゃ、ダーリン……!本当に、宇宙一優しい風の音だっちゃ……。うちはね、この音が、この旋律が宇宙のどこにいたって……一番大好きなんだっちゃ!」

 

モナはそっと目を閉じ、その美しい唇を開いた。

 

翔大の拙いオカリナの旋律にそっと寄り添うように、モナの澄み切った歌声が、夜の「思い出の丘」に響き渡る。それは地球のどんな楽器でも、どんな歌手でも決して真似ことのできない、宇宙で一番切なく、一番美しいラブソングだった。

 

(――♪ ――♬)

遠い星の彼方凍えていた私の心に

響き渡った不器用で真っ直ぐなあなたの旋律(こえ)

「会いたい」そう願う思いが 何度も私の心を

穏やかに優しく包み 温めてくれた

名前も知らない私を求め続け 星の光に乗せて

愛を届けてくれたあなたに会いたくて

私は星を飛び出した 果てしない銀河の海を越えて

はじめたあなたに触れた時 なぜか懐かしい気がした

 

(――♪ ――♬)

見慣れた街の景色さえも あなたと歩けば輝きだす

悲しいニュースに沈む夜には 静かに寄り添ってくれた

季節が巡り風が変わっても 変わらないあなたの特等席

どんな宇宙のきらめきより この場所が一番温かい

あなたの歩くリズム ふざけ合う時間 私を呼ぶ愛しい声

みんな みんな 私のすべてになったの

 

モナの声が丘を満たした瞬間、奇跡のような光景が広がった。 嵐の恵みの雨をたっぷりと含んだ周囲の草木や名もなき野花たちが、モナの魂まで染み渡るような歌声に触れ、まるで歓喜に震えるように、一斉に葉を広げ始めたのだ。色彩を失いかけていた嵐の夜に、爆発するような生命の輝きが蘇っていく。

 

(――♪ ――♬)

もしもいつか離れ離れになる時がきても

私の心はあなたのすぐそばにいるから

もしもいつかお互いの存在を忘れそうになっても

私の声はいつもあなたの名前を呼んでいるから

 

モナの歌声に鼓舞されるように、花々は一瞬で蕾を膨らませ、夜だというのに色鮮やかな花を一斉に咲かせていく。世界全体が、二人の愛を讃えて呼吸を合わせているかのようだった。

 

(――♪ ――♬)

大好き 愛してる

あの日私を溶かしてくれた あなたの声を忘れない

あなたへの思いは 終わりなき星々の瞬きよりも永遠だから

どこにいたって 何度だって 命があなたを愛してる

大好き 愛してる…私のダーリン!

 

「ダーリン、うちの歌、届いてるっちゃ……!?」

 

歌の合間に、モナが涙混じりの声で問いかける

「届いとる! 届いとるぞ、モナ! お前の声が、俺の心の奥の奥まで、全部響いとる!!」

 

翔大はオカリナを吹きながら、必死に目配せで応えた。拙くも愛の詰まった旋律と、宇宙一の歌声が重なり合い、満天の星空の彼方へとどこまでも吸い込まれていく。

 

(――♪ ――♬)

たとえ時空(とき)の歪みが二人を引き裂こうとも

私は消えない あなたの記憶の 細胞の中で生き続ける

だから迷わずに私の名前を呼んで!

あなたの声が星の風になって 新しい宇宙の奇跡を起こすから

 

(――♪ ――♬)

もう二度と離さないで 二度と離れない あの日のように強く抱きしめて!

永遠の果てまで 何度だって 命が叫んでる

大好き 愛してる……私のダーリン……

 

やがて、最後の長い残響が夜空に溶けるようにして、静かに歌が終わった。

 

「モナァァァァァッ!!」

 

歌い終えた瞬間、翔大は手からオカリナを放り出し、モナの華奢な体を力いっぱい、自分の胸へと引き寄せた。

 

二人の間に、もう1ミリの隙間も残さないように。お互いの骨がきしむほど、狂おしいほどに強く、強く抱きしめ合った。

 

「あぐっ……!」

 

ぎゅぅぅ、と翔大が腕に力を込めるたびに、モナの頭部にある小さな角が、翔大の胸の皮膚を突き破り、肉の奥深くへと深く、深く食い込んでいく。

 

「ダーリン、痛いっちゃ! うちの角が、ダーリンの胸に……!」

 

「かまへん! このままもっと強く抱きしめさせてくれ!」

 

激しい痛みが翔大の全身を走る。しかし、翔大はその痛みを、むしろ狂喜をもって受け入れていた。

 

「痛い……。でもな、モナ! これが俺たちの愛の証や!この痛みが、俺の胸に一生消えへん傷跡になって……モナ、お前が確かに俺の胸の中にいたっていう、絶対に消せへん記憶の楔(くさび)になるんや!」

 

「ダーリン……っ!」

 

「俺はもうすぐ、あの冷たい現実の、50代の冴えないおっさんに戻る。みんなもお前もおらん、孤独な部屋で目を覚ますんや。そんな世界に戻ったら……俺の弱い頭は、この奇跡をただの都合のええ夢やったと思い込んでまうかもしれん。……だから、この痛みが欲しいんや! この激痛だけが、お前と過ごした日々が本物やったって、俺に証明し続けてくれるんやから!」

 

翔大の胸から溢れた一筋の赤い血と、モナの角から滲み出た神秘的な青い光の粒子が溶け合い、二人の胸元でまるで小さな『新星』のように美しく、眩く煌めいた。

 

「痛いっちゃね、ダーリン……。ごめんだっちゃ、でも……うち、ものすごく嬉しいっちゃ……! うちの星ではね、角を通して血と光が交じり合ったふたりは、魂が一つに結ばれた『夫婦(めおと)』の契りを交わしたことになるんだっちゃ……! ダーリンがそこまでうちを想ってくれてるなんて、うちは宇宙一の幸せ者だっちゃ!」

 

「モナ……!」

 

「これでうちは、ずっとダーリンの身体的一部分になるんだっちゃね。何千光年離れたって、うちの星の科学がどれだけ引き裂こうとしたって……うちの愛は、この角の傷と一緒にずっとダーリンの胸の奥で生き続けるっちゃ!」

 

「ああ、消さへん、絶対に消さへんぞ! たとえ俺がどれだけ歳をとろうが、髪が白くなろうが……この胸の痛みがある限り、俺は宇宙でお前を一番に愛し続ける! モナ、モナ、お前は俺の、俺の、一生の、永遠の妻や!」

 

翔大の目から大粒の涙が溢れ、モナの肩を濡らす。モナもまた、翔大の胸に顔を埋め、声をあげて泣いた。そして、最後の瞬間を惜しむように、全身で翔大の温もりを記憶に焼き付けていた。

 

「ダーリン……出会ってくれて、あの星空の下からうちを見つけてくれて、本当にありがとっちゃ」

 

「俺の方こそ、ありがとうな。お前を愛せて、ほんまに幸せやった」

 

「……愛してるっちゃ、ダーリン。宇宙が始まってから終わるまで、何回生まれ変わったって……うちの心はずーっと、ダーリンだけのものだっちゃ……!」

 

その言葉を最後に、時空の歪みから溢れ出た、目の眩むような純白の光の奔流が、二人を完全に包み込んだ。

 

その光の奔流に飲まれる瞬間、モナの瞳にほんの一瞬、地球とは異なる、幾重ものリングをまとった美しい故郷の星の夜空が映し出された。そこには、モナの帰りを待ちわびていた仲間たちが優しく空を照らし、地球の方向へ温かい光のサインを送り続けている姿があった。故郷の仲間たちもまた、モナの胸にある愛の奇跡をそっと祝福してくれている――その温かな光景が、モナの心に深く広がっていく。

 

翔大が放り投げた手作りのチャーム付きのオカリナは、ふたりの周囲を舞う光の粒子に抱かれ、まるで奇跡のように宙に静かに浮かび上がっていた。風もないのに、オカリナの穴からは――『ピー……』と、優しく温かい旋律の残響が、二人のために鳴り続けている。

 

「モナ……!」

 

翔大は溢れる涙の向こうで、モナの顔を両手で包み込んだ。モナもまた、吸い込まれそうな一途な瞳で翔大を見つめ、そっと唇を寄せる。

 

二人の唇が、静かに、そして激しく重なり合った。

 

宙に浮かぶオカリナの優しい音色に包まれながら、引き裂かれゆく時空の真ん中で交わされる、涙に濡れた永遠の誓いのキス。モナの唇の、柔らかくて、どこか切ない温もりが、翔大の魂の奥深くに直接刻み込まれていく。離れたくない、離さない。激しい光の渦の中で、二人は世界が消え去るその瞬間まで、互いの存在を貪るように何度も、何度も唇を重ね合わせた。

 

しかし、無情にも光の奔流は強まり、二人の繋いだ手を、身体を、容赦なく引き離していく。

 

身体が粒子となって透けていく最後の最後、モナは飛び散る涙の中で、最高に弾けるような、世界一愛しい笑顔を咲かせて叫んだ。

 

「ダーリン! 未来に戻ったら……夜空を見上げて、オカリナを吹き続けてっちゃ! どんなに離れてても、うち、絶対に空からダーリンを見つけるっちゃーーッ!!」

 

翔大も血と涙でぐちゃぐちゃになりながら、届く限りの大声で、魂の限り叫び返した。

「吹き続ける! 死ぬまで、毎日吹き続けてやるからなーーッ!! モナ! モナァァァッ!!」

 

「ダーリン! ダーリン! ダーーリーーン……ッ!!」

 

光の彼方へと消えゆくモナの名前を、愛しい人の名前を、二人はちぎれんばかりの声で叫び合った。もうお互いの姿は見えない。それでも、二人の叫び声だけは、時空のきしみを超えて確かに重なり合っていた。

 

最後に触れた彼女の唇の柔らかさと、耳に残る愛おしい絶叫、そして胸に刻まれた激しい痛みを残したまま――世界は真っ白な光の彼方へと、完全に引き裂かれていった。

 

(――♪ ――♬)

宇宙が消えても、私達は離れない

この胸の痛みと、赤と青の紐が、いつまでもあなたを―― 私を、呼び続けるから

聞こえている?この星の風の音が――

私は永遠に、あなただけのものだから

――ずっと一緒だっちゃ、ダーリン…

 

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