「今日は、七月三日かぁ……」
天井で頼りなく回る扇風機が、生ぬるい空気をかき混ぜている。セミの声が窓越しにチージーと響く教室で、翔大は自分の手のひらを見つめていた。
見た目は少し日に焼けた、引き締まった現役の17歳。しかしその中身は、50年分の人生をサボりサボり生きてきて、出世コースからも外れた、しがないアラフィフの元サラリーマンだ。
(確か、あいつらがこの学校に転校してくるのって……今日やったっけな。懐かしいなぁ……)
サラリーマン時代、たまに一人で居酒屋のカウンターに座り、ビール片手に思い出していた、かつての親友たちの顔。まさかもう一度、彼らの「初対面」の瞬間に立ち会えるなんて思ってもみなかった。
そんな感傷の引き出しをひっくり返していると、すぐ隣の席から「ダーリン!」と、涼やかで、しかし熱烈な声が飛んできた。
異星の美少女、モナだ。今日もその異次元の美貌と、不思議な軟膏で柔らかい飾りになっている角を揺らし、教室中の男子の視線を独り占めにしている。
「どうしてそんなに難しい顔をしてるっちゃ?うち、ダーリンが他のこと考えてると、胸がザワザワしてしまうんだっちゃ!」
「あ、いや、なんでもないて。ちょっと昔の……いや、これからの友達のことを思い出しててん。ほら、昨日おかんが買ってくれた三色団子みたいに、三つの個性がぎゅっと詰まったような奴らのことや」
「さんしょくだんごの、お友達……?もしかして、女の子だっちゃ!?もし女の子だったら、うち、絶対に許さないっちゃ!」
瞬間、モナのトパーズ色の瞳がスッと細くなり、焼きもちで肩を怒らせた。ヤバい、超高熱のジェラシー警報発令だ。
「男や!むさ苦しい男三人組やから安心せぇ!」
「男の人?ならいいっちゃ」
モナがほっと胸をなでおろした、まさにその瞬間だった。教室の引き戸が、ガラガラと乾いた音を立てて開いた。
「えー、急な話だが、今日から我がクラスに編入することになった三人だ」
担任の先生の後ろから、地方色豊かな強烈な個性を放つ三人の男が、ゾロゾロと入ってくる。翔大は思わず目を見張った。
(き、来た……!間違いない、あいつらや!)
「それじゃあ、一人ずつ自己紹介を……」
最初に一歩前に出たのは、背が低く、少しお腹の出た小太りの男だった。
「横浜から来ました、玉田宣道(たまだのぶみち)です!横浜出身で、毎日おしゃれなみなとみらいでデートばっかりしてまーす。……うそ、うそ!そもそもデートする相手なんか最初からいないからさー!」
滑らかな横浜弁の自虐ギャグに、教室内がドッと沸く。掴みはバッチリだ。
続いて、少しシャツの襟元を崩したチャラついた雰囲気の男が、ニカッと白い歯を見せた。
「名古屋から来た荻中真二郎(おぎなかしんじろう)だがん!みんなよろしくな!……って、おいおい、がっちりべっぴんがおるがや……」
荻中の視線がロックオンしたのは、案の定、翔大の隣にいるモナだった。早くも鼻の下が限界まで伸びている。
最後は、全身黒づくめの服装に独特のマイペースなオーラをまとった男だ。少し胸を張って、プライドの高そうな態度で口を開いた。
「鹿児島出身の村上佑行(むらかみゆうこう)。アニメオタク。サッカー好き。……俺の能力は底が知れないからな。俺が言うくらいだぜぇ〜!」
初対面にもかかわらず、堂々とビッグマウスを叩く村上に、すかさず玉田が横から身を乗り出して突っ込んだ。
「あんたが言ったからどうだっつーの!」
出会ったばかりとは思えないその絶妙なコンビネーションに、村上は「ケケケケッ!」と嬉しそうに腹を抱えて笑い出した。本当に呑気な男だ。
運命のいたずらか、あるいは時空の粋な計らいか。三人の座席は、偶然にも翔大とモナの周りに配置された。机を並べると、まずは自然と互いに名乗り合う形になる。
「改めてよろしくな。俺は峰川翔大。兵庫出身の関西人や。空手とオカリナが趣味やけど、どっちも中途半端やから期待せんといてな」
「うちはモナだっちゃ!ダーリンの奥さんになる女の子だっちゃ!」
「「「奥さんっっっ!?!?」」」
三人が見事な三重奏で声をあげた。驚きを隠せない彼らに、翔大は「まぁまぁ、色々あんねん」となだめるように笑いかけた。
すると、名古屋の狼・荻中が、さっそく椅子をガタガタ言わせながらモナの席へにじり寄ってきた。
「いや〜、モナちゃんって言うの?めちゃめちゃ可愛いがや!どこから来たの?趣味は何?ねぇねぇ!」
「うちはダーリン以外の男の人には、1ミリも興味ないっちゃ!あんまり近づかないでほしいっちゃ!」
モナが露骨に嫌な顔をして、翔大の制服の背中をギュッと掴んで隠れる。すかさず玉田が荻中の襟首を引っ張った。
「おいおい荻中、初対面の女子にがっつきすぎだからさー。嫌がられてんじゃん!」
「峰ピー、おみゃあいつの間にこんな宇宙規模の美少女を射止めとるんだがん!羨ましすぎるがや!」
荻中が悔しそうに叫ぶ。翔大は「峰ピーって……まぁ、呼び方はええわ(笑)」と苦笑いしつつ、数十年分の懐かしさが胸の奥で爆発し、確信犯的な言葉を続ける。
「玉田、お前、物知りな割には結構小心者やろ。そういう荻中を注意しつつ、自分もモナの美貌に緊張して、さっきから足が震えとるんちゃうん?」
「否!否!僕が小心者なわけないじゃん!……って、ええええええ!?なんで初対面なのに、僕の性格を知ってるわけ!?」
玉田が文字通り椅子から飛び上がらんばかりに驚いた。そこへ、村上がのそのそと近づいてきて、玉田の制服の裾を指先で「ちょんちょん」とつまんだ。
「玉プィー、お腹すいたピー。購買の焼きそばパン、一緒に買いに行こうよぉ〜ぉ」
ねっとりとした甘えた声に、玉田が顔を引きつらせる。
「うわっ、気持ち悪いな! 村上、その『玉プィー』って呼び方やめろよ! だから裾を掴むなっつーの!」
「えっ、そんなに俺のこと好きなの〜玉プィーは」
「わわわ、マジで怖えよぉ〜」
本気で怯えて距離を取ろうとする玉田の姿を見て、翔大は心の底から大笑いしてしまった。50代の寂しかった日々が、この一瞬で完全に吹き飛んでいく。
「アハハ!やっぱりお前ら最高やな!村上、お前プライド高い割に、玉田には甘えん坊なんやな。かみちゃんって呼んでええか?」
「えっ、かみちゃん!?なんで俺の本名からそこへ飛ぶのか底が知れないが……でもなんか悪くない響き。悪い気はしない……それでいいピー!」
「な、なんなんだよ峰川くん。君、僕たちの幼馴染か何かなの? さっきからプロファイリングの精度が異常なんだけど!」
玉田が目を丸くして首を傾げる。
「細かいことはええやん。それより、購買のパン、俺が奢ったるわ。転校祝いや!」
翔大がポケットの小銭をチャリリと鳴らして胸を張ると、三人組の目が一斉に輝いた。
「マジで!?峰川ってめちゃくちゃ話がわかる奴じゃん!」(玉田)
「奢りならエビフライサンドと焼きそばパン三ついくがん!」(荻中)
「峰ピーは器が大きい男だ!俺が言うくらいだぜぇ〜」(村上)
「ただし!」
翔大は悪戯っぽく笑って、自分の腕にしがみついているモナの頭をポンと撫でた。
「モナにちょっかい出したら、俺の空手と、モナの強烈なお仕置きが待ってるからな。そこだけは覚えといてや」
その翔大の言葉に、モナの胸はきゅんと熱くなった。普段はあまり意志を主張しない翔大が、自分のためにきっぱりと「男たちの壁」になって守ろうとしてくれた。それが嬉しくて、誇らしくてたまらない。モナはトパーズ色の瞳をキラキラと輝かせ、満面の笑みを浮かべた。
「そうだっちゃ! うちのダーリンを怒らせたら、承知しないっちゃ!」
モナが可愛く小さな拳を握りしめると、三人組は顔を見合わせ、一歩引いた。
「……出さない、出さない!人妻(仮)には手を出さないのが俺らの紳士協定だからさー!」
玉田のおどけたセリフを合図に、五人は購買部へと向かい、翔大の奢りでパンを美味しく平らげた。
そして放課後。中庭のベンチで、5人は購買のジュースを飲みながら談笑していた。
「あー美味かったがん!峰ピー、マジごちそうさま!」
満足そうにお腹を叩く荻中の横で、モナが自分のパックジュースのストローを翔大の口元へ差し出した。
「ダーリン、うちのピーチジュースも一口飲むっちゃ?はい、あーん!」
「お、おいモナ、みんなの前で『あーん』は勘弁してくれって……」
照れてそっぽを向く翔大だったが、モナは「ダーリンのケチ!」と甘えるように翔大の袖をぐいぐい引っ張り、そのままピタリと二の腕に体を密着させる。
その光景を、隣で紙パックの牛乳を飲んでいた玉田がじっと見つめていた。その瞳は、まるで事件現場の鑑識官のように鋭く光っている。
「……おい、峰川」
「ん? なにや、玉田」
「君たちは確か『遠い親戚』って設定……じゃなくて、説明だったよね?」
「お、おう。遠い親戚やで。それがどうしたん?」
翔大が何食わぬ顔で答えようとした、その瞬間だった。
「否!否!」
玉田がベンチから勢いよく立ち上がり、指をビシッと翔大に突きつけた。
「遠い親戚の距離感にしては、モナちゃんのパーソナルスペースの侵入速度と密度が異常じゃん! だいたい『ダーリン』って呼んでる時点で親戚の域を余裕で踏み越えてるだべ!」
「だ、だからそれは海外育ちのスキンシップというか……」
「さらに言えば!」
玉田は自信満々に不敵な笑みを浮かべ、人差し指をチチチと振った。
「さっきからモナちゃんが何か言うたびに、君の顔が『年頃の男子の焦り』じゃなくて、どこか『熟年夫婦の諦めと愛おしさ』みたいな悟りを開いた顔になってるんだよ! 17歳の高校生が醸し出していい空気感じゃないからさー!」
(……っ!? こいつ、洞察力が鋭すぎるやろ!!)
アラフィフの人生経験から出る「おっさん特有の空気感」まで見破られかけ、翔大は冷や汗をたらりと流した。営業マン時代に培ったポーカーフェイスで必死にかわそうとするが、玉田の探求心に完全に火がついてしまっていた。
「ふふふ……僕の『横浜ホームズ』の眼は誤魔化せないよ。君たちふたり、絶対に放課後も一緒にどこかへ帰ってるし、なにか『重大な秘密』を隠してるじゃん!」
「玉プィー、難しい話はいいから、アイスおごってピー」
「村上は黙ってて! 今いいところなんだから!」
冷や汗をかく翔大、無邪気に翔大にしがみつくモナ、嫉妬に狂う荻中、マイペースな村上、そしてニヤリと確信めいた笑みを浮かべる玉田。
ほんの数時間の付き合い。けれど、翔大の心の中にある「五十代の記憶」が、確信を持って告げていた。
(やっぱりこいつらは、俺の最高のツレや)
ピンク、白、緑――昨日食べた三色団子みたいに、バラバラな個性が集まって、ひとつの美味しい青春になる。そして玉田の鋭い執念深さが、早くも次の騒動の種をまこうとしていた。
二度目の青春の、本当のバカ騒ぎが、今ここからはじまろうとしていた。