夕暮れ時の住宅街。茜色に染まる緩やかな坂道を、翔大とモナは歩いていた。
網戸越しにどこかの家から漂ってくるカレーの匂いや、ジリジリと鳴き止まないセミの声が、いかにも初夏の放課後というリアリティを醸し出している。
そんな二人の少し後ろ。電柱の陰や角に隠れながら、怪しい影が三つ、ぴったりと張り付いていた。
ストーカーさながらの怪しさで尾行を続けているのは、昨日クラスに編入してきたばかりの玉田宣道、荻中真二郎、村上佑行の三人組である。
(ふふん、前を歩くダーリンの後ろ姿、今日もうっとりするくらいカッコいいっちゃ〜)
翔大と一緒に歩きながらご満悦のモナだったが、ふと、超感覚的な「視線」を背中に感じて振り返った。
ブロック塀の陰から、目を皿のようにしてこちらを覗き込む男三人組。モナは一瞬「ん?」と首を傾げたが、すぐに「あっ!」とトパーズ色の瞳を輝かせた。
(地球の地球人さんたちは、こうやって隠れんぼしながら仲良くなるんだっちゃね! うふふ、ダーリンのお友達はみんなお茶目さんだっちゃ!)
モナは翔大に気づかれないよう、背中に手を回して「ばぁ!」と小さく手を振ってみせた。さらに、トパーズ色の指輪にちょんと触れ、ごくごく微弱なホログラム光線を送信。三人組の目の前の空間に、ゆらゆらと可愛らしいピンクのハートマークを浮かび上がらせてみせたのだ。
「っ……!? おい見ろよ荻中、モナちゃんが俺に向かって手を振って、なんかハートの光みたいなの送ってきたじゃん!!」
玉田が丸っこい体をガタガタと震わせながら電柱に抱きつく。
「バカ言え! 今のは確実に俺の名古屋仕込みのフェロモンに気づいて『あっちで待ってるっちゃ』ってサインを送ってきたんだがん!」
荻中が鼻の下を極限まで伸ばして悶絶する。
「ふん……俺が狙われてるくらいだぜぇ〜」
村上も例によって謎の自負をのぞかせ、玉田から「あんたじゃないっつーの!」と小声で突っ込まれていた。
モナの無邪気な神対応(勘違い)によって尾行の熱量が跳ね上がった三人組だったが、直後、決定的な瞬間を目撃することになる。
翔大とモナはごく自然な様子で玄関の鍵を開け、「ただいま」「お帰りだっちゃ、ダーリン!」と笑い合いながら、一軒の家の中へと消えていったのだ。
「否(いな)ーーーーっ! 否、否、否ァーーーーッ!!」
静かな住宅街の夕空に、玉田の絶叫が木霊した。小太りの体を小刻みに震わせ、地団駄を踏んでいる。
「あれは不純異性交遊の極みだからさー! 嘘でしょ!? さっき僕たちに愛想振りまいてたくせに、あんな宇宙規模の美少女転校生と同居だなんて、そんな都合のいいラブコメみたいな話、あってたまるかよ!」
「うう、モナちゃん……。俺という男がありながら、まさか峰川と同居しとるなんて、人生不公平だがん!」
「おい玉プィー、悔しいから俺のことも羨んでピー」
村上はねっとりとした声を出し、指先で玉田の制服の袖をちょんちょんとつまんだ。
「うわっ、本当に気持ち悪いからやめろって! 寄るな!」
悶絶する玉田をよそに、三人は「明日、絶対に学校で白黒つけてやる」と、真っ赤な夕日に向かって固く誓い合うのだった。
翌日、放課後の教室。
部活動へ向かう生徒たちが足早に去り、教室内が静かになったのを見計らって、玉田が翔大の机をバン!と叩いた。
「さあ、お白洲(しらす)の時間だからさー! 峰川、モナさん! 昨日の一部始終、僕たちはしっかり見たよ。言い訳は聞かないからね!」
三人がまるで刑事のように、翔大とモナの席をぐるりと取り囲む。翔大は「げっ……」と露骨に顔を引きつらせた。
モナの持つ不思議な宇宙テクノロジーのおかげで、高校生の姿になっているとはいえ、中身はしがないアラフィフのままだ。修羅場や詰め腹を切らされるような状況には、滅法弱い。
「え、あ、いや……これはその、なんて言うか、大人の事情というか……複雑な家庭環境的なやつでな」
「大人の事情って何だがん! 羨ましすぎて、俺は昨日の夜一睡もできんかったわ!」
荻中が嫉妬で目を血走らせて身を乗り出す。
「あーん、俺も納得できないピー」
村上も胸を張ったが、当然のように玉田から「だからあんたの基準は聞いてないっつーの!」とスルーされた。
「本当のところ、家ではどんな生活をしてるわけ!? 爪の先ほどでもいいからマジで教えてよ!」
玉田の必死の追及に、翔大はなんとかこの場を穏便に収めようと、真面目な顔を作って答えた。
「いや、本当に何も変なことはしてないって! モナは家事が得意やから、居候させてもらう代わりにちょっと手伝ってもらってて。俺はただ普通にご飯食べて、自分の部屋で寝るだけで……」
しかし、隣に座るモナが、悪戯っぽくトパーズ色の美しい瞳を輝かせた。少し小悪魔的な笑みを浮かべると、翔大の腕にギューッと抱きつく。
「もう、ダーリンは照れ屋さんだっちゃ! うち、毎日ちゃーんと、ダーリンのお風呂で背中を流してあげてるのに」
「ぶふっ!?」
まずは面食いの荻中の鼻から、鮮血が綺麗に吹き飛んだ。
「それにね、ご飯の時は『あーん』ってしてあげて、夜寝る時は、寂しくないようにダーリンにぎゅーって抱きついて寝てるんだっちゃ!」
「ごふぉっ!!」
今度は玉田と村上が同時に鼻血を噴き出した。夕方の教室が一瞬にして阿鼻叫喚の渦に包まれる。
「背中流し!? あーん!? 抱っこ紐状態での就寝だとォーーーーッ!?」
「峰川! 貴様ァ! 俺たちというツレがありながら、裏でそんな破廉恥な桃源郷を築いていたがん!? 許せん、ギルティだ!」
「峰ピー……そうけ、そうけ、そんな羨ましいことを……! 俺が怒るくらいだぜぇ〜」
怒り爆発の大騒ぎである。机を激しく叩き、自分の髪をむしり、男たちの嫉妬の業火が教室の床を焼き尽くさんばかりだ。翔大は顔を耳まで真っ赤にして、全力で両手を振った。
「う、うそーだー! 全部モナの盛大な妄想や! 背中なんか洗ってもらってないし、あーんだってされてない! 抱きついて寝るのも……あ、いや、それはモナが夜中に勝手に布団へ潜り込んでくるだけで、俺は必死に抵抗して部屋から追い出そうと――」
「おい、今『入ってくる』ってハッキリ認めたじゃん! 否! 否ァーーーーッ!」
慌てふためき、必死の形相で全否定する翔大。その情けないほどの慌てっぷりと真っ赤な顔を見て、モナは「キャハハ!」と鈴を転がすような美しい声で笑い転げた。
「ダーリン、顔がゆでダコみたいだっちゃ! 面白いっちゃ〜、ダーリン、からかうと本当に可愛いっ!」
「モナ、お前なぁ……! 人の気も知らんと面白がるなよぉ……」
翔大はがっくりと頭を抱えた。サラリーマン時代、こんな風に女の子からからかわれ、翻弄されることなんて一度もなかった。心臓のバクバクが止まらないのは、17歳の若い心臓のせいだけではない気がする。
頭を抱える翔大の隣で、モナは本当に嬉しそうに、愛おしそうな視線を翔大に送っていた。二人の間に流れる空気は、確実に、そして少しずつ甘く深いものへと変化していた。
ひとしきり騒ぎ倒し、机の上に散乱したティッシュでようやく鼻血を押さえた三人組。玉田はフゥと息を吐きながら、ふと笑い合う翔大とモナの姿をじっと見つめた。
腕を組み、いつになく真面目な、観察するような目でモナを見つめる。
(……いや、待てよ。そもそもモナさんって、なんでいつも指輪つけてるのかな? 今まで見たことないデザインだし、昨日尾行してるとき一瞬光ったような気も……。ブランド物って感じでもないしなぁ。それに、時々話す内容が、なんかちょっと世間一般の常識からズレてるっていうか……)
学校の成績は優秀で、物知りな玉田の脳裏に、小さな引っかかりが浮かび上がる。
(まあ、海外生活が長かった帰国子女か何かなのかもしれないけど……何かこう、普通の女の子とは決定的に違う、大きな『秘密』が隠されている気がするんだよな……)
「どうしたの、玉プィー? またそんな難しい顔してさぁ。そうけそうけ、俺の男の魅力に見惚れちゃったピー?」
「だから、ガチで怖えからやめろって!!」
横から村上がのそっと顔を近づけ、制服の裾をツンツンと引っ張ってきたため、玉田の深い思考はそこで強制終了された。
すると、それまで様子を伺っていた玉田が、わざとらしくパンッと手を叩いてその重苦しい静寂を破った。
「――否! 否! このままここで睨み合ってたって、お腹は膨らまないじゃんね!? 峰川、お前、前にさー、なんか美味いもん掴ませてくれるって約束したべ?」
「お、おう、もちろんや。もう購買は閉まっとるから、帰りにあそこのコンビニで好きなパン、人数分買い込んで山分けや」
翔大が冷や汗を拭いながら乗っかると、荻中も目を輝かせて身を乗りしてきた。
「やった! だったら俺、唐揚げ棒もプラスしてほしいだがん!」
鼻血を拭いた三人組は、さっきまでの気まずい敗北感など忘れたように現金な笑顔に戻り、「よし、コンビニ突撃だべ!」と翔大の肩を組んで歩き出す。
その賑やかな背中を追いかけながら、モナはトパーズ色の指輪をそっと愛おしそうに撫でて、クスクスと笑った。
モナの隠された宇宙人の秘密と、ひとつ屋根の下での同居生活。 二度目の青春がもたらす賑やかなドタバタ劇は、まだまだ始まったばかりだった。