『青春の星空』   作:幾星 巡

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第9話:中途半端なヒーローと、本気の誓い

放課後の教室。夕方の心地よい風が窓から吹き抜け、カーテンを緩やかに揺らしている。

 

そんな中、名古屋の狼こと荻中真二郎は、ここぞとばかりにモナの席の前に立ちはだかっていた。

 

「モナちゃん、いっつも峰川とばっかおるもんで、たまには俺とも遊んでよ。名古屋のええとこ、いっぱい教えてあげるがん。ほんまにめちゃめちゃ可愛いがや、今度デートせんだかん?」

 

前髪を大げさに指先でかき上げ、キザな三枚目スマイルで迫る荻中。その必死なナンパを、少し離れた席から見守る翔大は、焦るどころか呆れ顔で声をかけた。

 

「こらこら荻中、やめときや。それ以上いくと、本当に痛い目見るぞ」

 

「何言っとるんだがん、峰川!男なら当たって砕けろだがや!」

 

「デートなんて絶対に嫌だっちゃ!うちはダーリンだけのものだっちゃ!」

 

「そこをなんとか、一回だけでいいんだがん!」

 

モナが全力で嫌がり、荻中がしつこく食い下がって揉めている、まさにその時だった。一人の級友の女の子が、ノートを胸に抱えながら、おずおずと翔大の席へと近づいてきた。

 

「あの、峰川くん……。もしよかったら、この前の生物のノート、貸してもらえないかな? 私、その日風邪で休んじゃって……」

 

「あ、いいよ! ちょっと待ってね……確かこのへんに……ほら、これ。字が汚くて読みにくかったら遠慮なく言ってな」

 

「ありがとう! 峰川くんって、いつもさりげなく優しいよね」

 

ノートを挟んで、ごく自然に仲良く笑い合う翔大と女の子。だが、その光景を目撃した瞬間、モナの動きがピタリと止まった。

 

荻中への拒絶などそっちのけで、そのトパーズ色の美しい瞳の奥に、凄まじい嫉妬の炎がメラメラと燃え上がる。

 

「だ、だーりんと仲良くお話ししてるのは、どこの誰だっちゃーーーーっ!ダーリンはうちのもんだっちゃ!」

 

激しい焼きもちに狂うモナは、トパーズ色の指輪がはめられた手を突き出し、今にも異星のトンデモテクノロジーで教室ごと吹き飛ばしそうな、不穏なオーラを放ち始めた。周囲の空間がわずかに歪み、窓ガラスがガタガタと鳴り出す。

 

(ヤバい! このままやったらクラスが大パニックになる!)

 

元サラリーマンとしての危機管理能力が最速で働いた翔大は、女の子をそっと背中にかばいながら、慌ててモナの前に割り込んだ。とにかく、モナの気を何とか違う方向に逸らさなければならない。

 

「モ、モナ、落ち着いて!ほら、あそこに……あそこに凄く大きい虫がいるぞ!天井の隅っこや、見ろ!」

 

女の子から視線をそらすため、翔大はその場で思いついた突飛な嘘をついた。すると、大の虫嫌いであるモナは一瞬で青ざめた。

 

「ひゃああああっ!? 虫は嫌だっちゃーーーっ!」

 

嫉妬のことも一瞬で忘れ、翔大の腕にぎゅっとしがみつき、ブルブルと震えだす。

 

「だ、ダーリン、あいつをやっつけてっちゃ!うち、虫だけは絶対に無理だっちゃ!」

 

「よ、よし、任せろ!俺の空手であの虫を教室から完全に追い出してやるからな!」

 

モナの気を引くことに成功した翔大は、必死に話を合わせるため、教室の後ろの広いスペースに飛び出してスッと構えを取った。実際にはハエ一匹飛んでいない虚空に向かって、大声を張り上げる。

 

「いくぞ、ハッ! セイッ! そこか!」

 

翔大は気合いの声とともに、見えない虫を追いかけるフリをして空手の型を披露し始めた。しかし、日頃から趣味だと豪語している割には、その動きはどこか腰が引けていてキレがない。突きを繰り出すたびに、制服のシャツが不格好にバタバタと揺れるばかりの、まさに「中途半端」を絵に描いたような付け焼き刃だった。

 

それを作業の手を止めて眺めていた玉田は、心の中で鋭く突っ込んだ。

 

(う、うわあ……なんか、すげー自己流だし、ダサいじゃん……。あいつ、誰もいない空間で一体何と戦ってるわけ?)

 

だが、翔大はモナに格好いいところを見せようと、すっかりヒーローになりきっている。

 

「これでトドメだ! 飛び後ろ回し蹴りだァーーーッ!」

 

中身である50代の感覚のまま、17歳の動けてしまう肉体を過信してしまったのが運の尽き。脳内のイメージと若い筋肉のキレのアンバランスさを無視して、翔大は見栄を張った大技に挑戦した。

 

空中で体をひねり、存在しない虫に向かって足を華麗に振り抜いた――までは、確かに格好良かった。しかし、着地した瞬間。

 

「あぐっっっ!?」

 

ぐにゃり、と右足首が妙な方向に折れ曲がった。思いきり足をくじいたのだ。翔大はそのまま、水から上がったカエルのようにつぶれて床に転がった。

 

「ぶはははは! 何だがん今の! 着地失敗しとるがや!」

 

「あはは! 否! 否ォーーーッ! 決まるどころか盛大な自爆じゃん!ダサすぎるからさー!」

 

荻中と玉田は腹を抱えて大爆笑。

 

「あ〜ん、今の峰ピーめちゃくちゃウケる〜!」

 

村上もお腹をくの字にして笑い転げながら、涙を流している。そのまま玉田の制服の裾をツンツンと引っ張り、笑いすぎて苦しそうに呼吸を荒くしていた。

 

「痛たたた……シャレにならん、マジで痛い……」

 

男たちの容赦ない爆笑が響く中、翔大が涙目で足首を押さえていると、モナが真っ青な顔で駆け寄ってきた。

 

「だ、ダーリン大丈夫っちゃ!? ごめんね、うちが変な焼きもち焼いて怒ったりしたから、ダーリンが怪我しちゃったっちゃ……! ごめんねだっちゃ……!」

 

モナは大きな瞳に大粒の涙をいっぱいに溜めて、心底申し訳なさそうに翔大の手をギュッと握りしめた。虫の恐怖も嫉妬もどこかへ吹き飛び、ただただ翔大を心配している。

 

「あ、いや、モナが謝ることじゃないよ。俺が勝手に格好つけて自爆しただけやから。大丈夫、大丈夫!」

 

必死に引きつった笑顔を作る翔大。モナの健気で一途な優しさに触れ、胸がじんわりと温かくなると同時に、大人の男としての情けなさが身に染みるのだった。

 

その夜、二人の家。

 

リビングのソファで、翔大は右足首に冷たい湿布を貼ってもらっていた。

 

「もう、ダーリンは無茶しすぎだっちゃ。うちは本当に心配だったんだっちゃよー」

 

モナは甲斐甲斐しく手当てをしてくれながらも、隙を見つけては「えいっ」と翔大の脇腹をつついたり、太ももを指先でツンツンと小突いたりして、いちゃいちゃとちょっかいをかけてくる。

 

「こら、モナ、くすぐったいって。……でも、手当てしてくれてありがとうな」

 

苦笑いしながらモナの相手をする翔大。しかし、その柔らかい手触りや、自分のために一生懸命になってくれるモナの顔を見つめているうちに、翔大の胸の奥で、サラリーマン時代には完全に忘れていた熱い感情がふつふつと湧き上がってきた。

 

(……今日は何とか嘘でごまかせたけど、モナの指輪の力は強大や。感情が高ぶったら何が起こるか分からん。それに、荻中はいいとしても、これからも荻中みたいな奴らが言い寄ってくるかもしれない。何より……俺は、この子をちゃんと守れているんだろうか?)

 

中身は50代の男。だけど、この二度目の青春のなかで、一途に自分を愛してくれるモナを、誰の手も借りず、自分の力できちんと守りたいと、本気で思い始めていた。

 

(何事も中途半端な自己流じゃダメや。高校生の、この動ける身体があるうちに……よし、学校の近くの空手道場に、本格的に通おう)

 

「ダーリン、どうしたっちゃ? 難しい顔して」

 

「ううん、何でもないよ」

 

翔大はそう言うと、手当てをしてくれているモナの顔をじーっと見つめた。

普段は見せない、大人の男としての真剣で優しい眼差し。それを真っ直ぐに向けられ、モナは一瞬びっくりしたように目を丸くする。やがて、頬をぽっと林檎のように赤く染め、少し照れくさそうに視線を泳がせながら、翔大の広い胸に顔をうずめた。

 

「……んもう、そんなに見つめられたら恥ずかしいっちゃ……。でも、ダーリン大好きっちゃ」

 

モナが嬉しそうにぎゅっと抱きついてくる。その心地よい温もりを抱きしめながら、翔大は心の中で静かに、しかし二度と揺るがない強い決意を胸に刻むのだった。

 

数日後、放課後。

 

足の怪我もすっかり良くなった翔大は、モナと一緒に学校の近くにある「南聖館空手道場」の見学に訪れていた。

 

威勢の良い掛け声と、帯が擦れる音が道場内に響き渡る。

 

「よし、今日からここで本気で鍛え直すぞ……!」

 

道場の入り口で気を引き締める翔大。だが、その少し後ろの電柱の陰から、またしても怪しい影が三つ覗いていた。

 

「おい玉田、やっぱり峰川の奴、モナちゃんを連れてデートじゃなくて道場に入っていったぞ!?」

 

荻中が信じられないといった様子で玉田の肩を揺さぶる。

 

「否! 否! 嘘でしょ!? あいつ、こないだ教室で超絶ダサい自爆しておいて、モナちゃんにいい格好見せるために本気で空手習おうとしてるわけ!?」

 

「あ〜ん、峰ピーってば意外と負けず嫌いなんだねぇ〜」

 

村上がのんきに感心する中、玉田は腕を組み、道場の中でぎこちなく立ち方から教わっている翔大の姿をじっと見つめた。

 

(……いや、待てよ。峰川の奴、ただの見栄じゃなさそうだぞ。あいつの顔、こないだ自爆した時とは全然違う。本気で『誰か』を守るための顔をしてるじゃん……)

 

玉田はフッと口元を緩めると、急に道場の窓に向かって大声を張り上げた。

 

「おい峰川ぁーーーっ! 拳の位置が低いんだよ! ちゃんと脇締めろよなー!」

 

「なっ!? 玉田、荻中……!? なんでお前らこんなところに……!」

 

驚いて振り返る翔大に、荻中も負けじと窓から顔を突っ込んで叫ぶ。

 

「そうだがん! 蹴りを繰り出す時はもっと腰を入れるんだがん! こないだみたいにまた足くじいて自爆したら、俺がモナちゃん奪うでね!」

 

「俺も応援してるピー!」

 

「お前ら、指導員気取りで外から勝手に叫ぶな! 気が散るわ!」

 

翔大は真っ赤になりながら怒鳴り返したが、その顔にはどこか嬉しそうな苦笑いが浮かんでいた。

 

「キャハハ! ダーリン、お友達がたくさん応援してくれて良かったっちゃね!」

 

モナが隣で弾けるような笑顔で手を叩く。

 

頼りない中途半端なヒーローからの脱却。呆れつつも背中を押してくれる親友たちと、隣で輝く最高のヒロインに見守られながら、翔大の「本気の強さ」を目指す新たな日々がスタートするのだった。

 

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