僕のクラスには不登校気味の問題児がいる。
『城ケ崎ノア』
右目は赤、左目は金のオッドアイ。白髪の毛先にはカラフルな色が散りばめられている。
そんな目を引く容姿をしており、間延びした可愛らしいしゃべり方も相まって、クラスでの人気は高い。
コミュニケーションにも大きな問題はなく、彼女を問題児たらしめているのは、何よりもその性格。自分が興味のあること以外は一切しないという一点に尽きる。
一切というとやや大げさではあるが、本人の第一義である芸術活動以外は二の次三の次で、食事はおろか睡眠さえも誰かが強く促さなければ行わず、平然と絵を描き続けている。
そんな彼女だから、当然学生の義務である授業の出席の優先順位など下の下だろう。
では何故、ろくに学校に来ない彼女と僕が接点を持ったのかというと、単純に僕がこのクラスの委員長で、半ば彼女専属のプリントお届け係になったからである。
以上、回想終わり。
回数を重ね、もはや慣れた城ケ崎家への道を辿り、インターホンを押す。
顔パス、と言っていいほどスムーズにノアの部屋前まで通される。
ノックをしようが自分の世界に浸っている彼女には無駄なので、そのまま扉を開け部屋に入った。
「お邪魔するよ。ノア。今日のプリントだ」
「?、あ、いいんちょだ。おはよー」
「もう夕方だよ」
そんなやり取りをしながらプリントを机の上に置く。
部屋の中央にある、未だ真っ白なキャンパスに向かっていたノア。
そんな彼女の足元には、蛇、ウサギ、猫など鳥獣戯画から飛び出してきたような動物たちが各々くつろいでいた。
そう、彼女の絵は『生きている』
躍動感があるとか生命力を感じるとかいうレベルではなく、彼女がひとたび画材を用い絵図を描けば、たちまちこの世に具現化するのだ。
本人もこの現象をよくわかっていないらしく、ただ『魔法』と呼んでいる。
彼女のアートは唯一性を持ち、ストリートアーティスト『バルーン』としても活動していて、世界的評価も高い。
しかし、表舞台に出るのを嫌がっており、彼女の正体を知るのは家族を除けば僕だけらしい。
「相変わらず凄いな、ノアの絵は」
「ありがとー。でも本当に表現したいものはなかなか上手に描けないんだぁ」
「へぇ、君ほどの人でもそういうのがあるんだな。どんな題材なんだ?」
「な、内緒……」
頬を赤らめながらノアは言う。
彼女のいちファンとしては気になるが、今日はプリント以外にもうひとつ、重要な任務を仰せつかっているのだ。
「それは残念。ところでノア、君は今日何も食べていないそうじゃないか」
「そういえば、そうかも?」
「なぜ疑問形なんだ……君の母上から食事を摂るよう促せと言われていてね。一緒に来てもらうぞ」
「えぇー、あ、いいんちょがおんぶしてくれるならいいよ」
「何故そうなる。歩くぐらいはできるだろう」
「けちー本当に、ダメ?」
上目遣いでおねだりするノア。
くっ顔が良い。良すぎる。君が一番の芸術だろう。
しかし俺は負けない、これはプライドの問題だ。漢はプライドを最も尊ぶ生き物。このような要求には屈しない……!
「今回だけだからな!」
「やった。いいんちょはお堅いけど、何だかんだいうこときてくれるよね。すきー」
「なっ……!からかうんじゃない」
「ほんとなのになぁ」
ノアを背におぶり、突然の好き発言に思考が乱された僕は最後のつぶやきに気づくことなくリビングへ向かう。
途中おこなわれる彼女のいたずらに耐えながらようやく役目を終えた僕を待っていたのはさらなる地獄(あるいは天国)だった。
てっきりこのまま帰る流れだと思っていた僕。それを察したノアが一緒に食べたいと言い出し、彼女の母上もこれを快諾。
ここまではいい。しかし、いざ食事の段取りになったらノアは僕の膝上を占拠し、自分に食べさせることを要求。
いいんですか母上!あなたの娘さんとんだ魔女ですよ!
ノアの母上は微笑みを浮かべるだけで不干渉。形勢の不利を悟った僕だが、腐っても大和男児。
理不尽な圧力には屈しないのだ……!
「今回だけだからな!」
「ふふーちょろい」
「なにか言ったか?」
「ノア、まずはスープから飲みたいなぁ」
「了解だくそぅ」
様々な羞恥や葛藤を乗り越え、食事を終えた僕は帰る運びとなり玄関へ向かう。
その際ノアも着いてきてくれており、信頼を築けていることにあったかさを感じながら玄関の扉を開けようとしたらノアから声がかかる。
「いいんちょはさ……プリントが無くてもノアといてくれる?」
「?当たり前だ。君ほど目が離せないやつはそういない」
「そっか……あのね、いいんちょが毎朝迎えに来てくれるなら、ノア、学校行ってもいいよ?」
「それは本当か!?勿論いいとも。君が登校してくれるというのであれば、それぐらいは喜んでするとも」
「えへへ、やくそく、だよ……?」
「ああ!」
そして翌朝。
昨晩約束はしたものの、あの城ケ崎ノアが素直に登校してくれるかやや不安になりながら迎えた今日。
城ケ崎家の玄関前にはすでに彼女がいた。
「あ、遅いよーいいんちょ」
「す、すまん。しかし感心したよ。君がしっかり身支度を整えて待っていてくれるなんて」
「やくそくだからね。ノア、えらい?」
「ああ!今日の主役といっていいほど偉い!」
「ふふ、なにそれぇ」
そんなやり取りをしながら通学路を歩いていく。
家での彼女とのやり取りも楽しいものだが、やはり前向きに登校をしてくれたのは、学級委員長としての感動もひとしおだ。
学校生活に不慣れであろう彼女をサポートせねばと決意を新たにするのだった。
そんな事を考えていたものの、結論からいうとサポートは不要だった。
もともと問題だったのは登校しない事だったので、来さえしてしまえばその魅力的なキャラクターでクラスメイトを虜にし、一躍クラスの人気者となっていた。
考えてみれば当然だ。安堵と少しのモヤモヤを抱えながら、しかし過干渉してしまうよりもこの方がずっといいだろう。
そう自分を納得させ、離れた位置から彼女を見守っていると、後ろから声がかかる。
「あのお姫様を学校に連れてくるなんてやりますなぁ。王子様?」
「君か、からかわないでくれ」
派手な金髪を盛りに盛り、平成のティーン雑誌から飛び出してきたような風貌の彼女はわが校の生徒会長様だ。
本校の校風である『自由で健やかに』を体現した存在だといえるだろう。もう少し抑えてほしいのが本音だが。
そして、彼女が僕に声をかける時は決まってめんどくさい案件があるときなので、それを察しつつ問いかける。
「また何か面倒ごとですよね?放課後に生徒会室でいいですか?」
「さっすが委員長くん。話が早い。放課後、待ってるからね」
嵐のように去っていった生徒会長を見送りつつ、今日の予定を組みなおす。
残念だが、今日はノアと帰れないかもしれないな……
そんな思考に気を取られていたため、僕は前から突き刺さる視線に最後まで気づかなかった。
「というわけで、少し野暮用を頼まれてしまってな。登校初日ですまないが、遅くなりそうだから先に帰宅してくれて構わない」
「大丈夫、ノア、待ってるよ」
「しかしだな、あまり遅くなると君の母上も……」
「大丈夫だから」
「そ、そうか。なるべく早く終わるよう善処しよう」
ノアに先ほどの事を報告すると、帰ってきたのは普段からは想像できないほどの冷たい音だった。
気圧された僕はそれ以上言い募らず、彼女の怒りを買わないよう、可及的速やかに業務を終わらせることを約束した。
そう宣言しておいて不甲斐ない限りだが、作業が終わり、解放された頃には日がすっかり暮れてしまっていた。
もう流石に帰ってしまっただろうと思い、教室に戻った際、何もせず佇んでいたノアの姿は今までで一番の恐怖体験であった。
謝罪した際も彼女の受け答えはぼんやりしており、帰宅の道中も会話が続かず無言の時間が支配し、城ケ崎家へ近づくにつれて彼女の威圧感は右肩上がりになっていた。
「つ、ついたな。明日も迎えに来るから今日は夜更かしせずに早く寝るんだぞ」
「ねぇ」
「なんだ……?」
「今日も家、寄ってってよ」
「いやしかし、もう時間も……」
「いいから。ノアのとっておきの絵、見せてあげるから……」
「わ、わかった。拝見しよう」
僕の危険センサーが警報を鳴らしていたが、有無を言わせぬプレッシャーを放つノアには逆らえず、素直に従う。
そして、家の中に入ると感じる違和。人の気配がないのだ。
いつも出迎えてくれるノアの母上は姿を見せず、リビングも真っ暗で静まり返っていた。
その様子を気にも留めず、僕の腕を掴みずんずんと奥に進むノアに尋ねる。
「なぁ、君の母上はどうしたんだ?姿が見えないが……」
「…………」
ノアは答えず更に奥に進む。
いつもは彼女の部屋がある二階に上がるのだが、階段を素通りし、扉で隠された梯子を降り、地下へと下る。
膨れ上がる恐怖心。悪魔に捧げれられる生贄のような心持ちになりながら、さりとて抵抗することもできず、ドナドナされることしばし、とうとう目的地と思しき扉の前にたどり着く。
「入って」
「あ、ああ。楽しみだなぁ。あのバルーンのとっておきを見られるなんてさ」
入室を促された僕は、努めて明るく返す。
そんな空元気を振りまく僕を出迎えたのは、大量の『僕』だった——
壁一面に飾られた大量の僕の絵、その一枚一枚の視線が僕を捉える。
家具すらもなく、僕で溢れた空間。そして中央に置かれている真っ白なキャンパスが存在感を放ち、異様さを引き立てている。
「前、言ったよね。ノア、本当に表現したいものは上手く書けないって」
「あ、ああ……それが僕ってことでいいのか?」
「そうだよ。きみ。きみだけが、ノアの表現したいもの」
「それは嬉しいが、何故だ……」
「わかんない?ノアの世界はね、すごく狭いの。大好きな家族がいて、あとは同じくらい大好きなお絵かきがあるだけ。それだけだったのに、ある日きみがノアの世界に入ってきたの。」
無機質だったノアの音に、次第に感情が乗っていき、表情に笑みが浮かぶ。
「最初はただ邪魔だった。好きなものだけでできたノアの世界に勝手に入ってきてお説教してくる異物。でもね、その言葉がノアを想ってくれているものだってわかったらとってもドキドキしたの。家族以外で、等身大のノアを見てくれる人。どんなにノアが無視をしても、理解しようと歩み寄ってくれて、ノアの事を知ろうとしてくれて、あったかい人。そんなあなたが大好きなの」
そこまで語ったノアの喜色満面だった顔に影が差す。
「今日学校にいったのだってね。家で接するきみだけじゃない、普段のきみをみたかったからなの。それだけだったのに、興味もない人に囲まれて嫌だったなぁ。きみだけを見て、きみだけと話して、きみだけと触れ合いたかった。でも、それだけなら我慢できたんだぁ。でもね。あれはダメ。きみがノア以外の女の子と仲良くするなんて絶対許せない!!!」
その場面を想起したのかノアが取り乱し地団太を踏み髪を振り乱す。
あまりの変貌ぶりに僕が反応できずにいると、能面のような真顔を張り付けたノアが語りだす。
「でもね、ノアも悪かったかなぁって思ってるの。面倒をみてくれるきみに甘えて、ノアも奥の自分を見せてなかった。だから知ってもらおうと思ってこの部屋につれてきたんだぁ」
「それが、なぜこの部屋を見せることに繋がるんだ?」
「ノアの魔法ね、描いた絵にはほぼ自動で魔法がかかっちゃうの。だから本当の絵は下手なまま……でもね、液体を使わない書き方なら魔法がかからないって最近気づいたの。魔法のかかってない、ノアの本当の絵で描いたきみ、それを見てもらえればノアがどれだけきみを好きかわかってもらえるって……」
相変わらずの無表情だが、彼女の体が震えていることに気づく。不安なのだ。
家族以外に初めて信頼できる相手ができて、でもそいつには自分が知らない人間関係がある。
ちょっとしたきっかけで自分の前からいなくなるんじゃないかと。
気持ちはわかる。なんて言わないが理解はできた。
なら、僕のやることは決まっている。
「なぁ、この絵、ノアが全部描いたんだろ?」
「?そうだよ」
「よく描けてるよ、流石は世界のバルーンだ。特にここにホクロがあるなんて自分でも気づかなかった。良く見てくれていたんだな」
「あ、ありがと……」
「で、これだけ僕を見てくれていたのに、僕がノアを見ないのはフェアじゃないよな?だからさ、僕にも君をよく見せてくれないか?」
「?」
「あー、つまりだな……僕も君が好きだ。付き合ってほしい」
「うぇ!?ほんとにほんと?」
「ああ、漢に二言はない」
「やったー!もうきみはノアのだからね」
「ノアも僕のだからな」
「えへへ、もちろんだよ」
ノアと熱い抱擁を交わす。彼女の体にもう震えはなかった。
「ふふ、これを使わなくてよかったぁ」
そんな少女の呟きは、背後の蛇と一緒に闇へと溶けていった。