逢魔時——
昼と夜の境界線。時間の感覚が曖昧になり、この世ならざるモノと混じりあう時。
僅かな陽光さえも遮るようにカーテンを閉じられた部屋に、両手を合わせて向かい合う男女がふたり。
なにやら儀式めいているようでいて、ともすれば異界への扉を開くためのものに見えるが、実態は異なる。
いや、儀式という部分は当たっていると言えるだろう。これは、ふたりの片割れの少女が、安堵を得るためのルーチンワークであるのだから。
祈るように目を閉じ、眉間にしわを寄せる少女を視界に収めながら、片割れのもう一人である俺はこれまでの経緯を回顧する。
俺のプロフィールなどはどうでもいいだろうから、ただ一点、目の前の少女とは幼馴染で、彼女の姉含めそれなりに付き合いが長い、という事だけ承知してもらえれば支障はない。
そして目の前の彼女、『黒部ナノカ』について。今の状態に至る原因であるため、少しばかり時間を頂く事をご容赦いただきたい。
まず彼女との付き合いが長い事は前述したとおりだ。性格は明るく前向きで、少しぬけているところがあり、独特な言い回しを好む癖はあったが、総じて人に好かれるタイプの少女だった。
変わってしまったのは、彼女の姉が国の適性検査とやらに引っ掛かり、役人に連れていかれた時からだ。
姉に随分なついていたのもあり、その落ち込み様はひどいもので——
明るさは消え。
口を閉ざし。
他人との関りを拒絶するように部屋に籠った。
そんな彼女の部屋の前で呼びかけ続けたかいもあり、まだ不安定ではあるが、日常生活を送れるようにまで持ち直した。
そして現在。
日課と化した黒部家の訪問。その帰る段取りとなり、ルーティーンの両手合わせ中である。
なぜこのような習慣が生まれたかというと、彼女がまだ殻に閉じこもっていた頃、俺にできることはないか尋ねたところ、返ってきたのがこの要求である。
大切な家族が急にいなくなった寂しさは察するに余りある。俺は快諾し、毎日続けた結果、止め時を失ったわけだ。
多少の気恥ずかしさはあるが、彼女の安心に繋がるのなら否はない。
そうして手を合わせることしばし、満足したのか彼女はゆっくりと眼をあけ、表情を和らげながら口を開いた。
「今日も無事に過ごせたようね。安心したわ」
「こっちのセリフだ。というよりほぼ一緒にいただろう」
「ええ。でも常に一緒に居られるわけではないもの。貴方に触れてようやく落ち着けるわ」
「まぁ、君が安心できるなら何よりだ」
「……ねぇ、毎日付き合ってくれるのは嬉しいのだけれど、いいの?【幻視】のことは話したでしょう?」
「問題ない。俺のプライベートは寂しいものだしな」
「そう……ありがとう」
「ああ」
先ほどの情報にひとつ付け加えると、この両手合わせは人肌によるリラックス効果もあるにはあるが、主な理由としては彼女の魔法【幻視】が関係する。
幻視とは己が触れた対象物の過去を読み取るそうで、自分が関知しない俺の生活を把握したいのだという。
話を聞いたときは少し引いたが、何のことはない、不安なのだ。
失う恐怖を知ったばかりの彼女は近しいものが居なくなるという事に過敏になっている。
そこに思い至れば断るなどありえない。
「ところで、ひとついいかしら?」
「なんだ」
「今日、家にくる前、随分楽しそうに話し込んでいた子がいたけれど」
「幻視か……誤解だ。彼女とは委員会が同じだから業務の連絡をしていたんだ」
「本当の事を言ってちょうだい。あの子、随分と女の子らしくて可愛いわよね。もしかして——いたっ」
「落ち着け。さっき言った通り何もない。今の俺は君が一番大事だ」
「……よかった」
幻視で見た情報をもとにヒートアップした彼女をデコピンで止める。この魔法も万能ではなく、過去が見えるといっても断片的なものも多いそうで、不確かな情報を得た彼女は未だ精神が安定していないのも相まってこういった暴走をするようになっていた。
今が異常な状態とわかっていても、こうして好きな相手に独占欲を向けられることに喜びを覚えてしまっている俺は——
相当、人間として終わっているのだろう。
そうしたやり取りを挟みつつ帰宅の準備を終え、玄関に到着。
彼女との別れを惜しみながら帰路に就く。
背後から決して途切れることのない、粘り気のある視線を感じながら。
翌日、約束していた道具屋巡りに付き合うべく、黒部家の前まで来ていた。
チャイムを押そうとした瞬間にまるで来るタイミングがわかっていたかのごとく扉が開く。
「待っていたわ」
「いつもながら流石の早さだな。扉の前で待機でもしてるのか?」
「そんなわけないじゃない。貴方と私は通じ合っている
「……ああ、そうだな」
「ええ、早速行きましょう」
彼女の独特な言い回しが出てくる時は相当テンションが上がっている証拠である。
いきなりのフルスロットルに面食らいながらも、意気揚々とした表情に癒されながら先を行く彼女に追い付き並ぶ。
その時、車道側に立った俺の腕を掴み彼女が口を開く。
「ちょっと待って、貴方はこっち」
「え」
そう言うや否や流れるような動作で自分と俺の位置を入れ替える。
逆では?
そう口から出かかったものの、主人を守ろうとする小型犬のような彼女の可愛さにそんな野暮は腹の中に引っ込んだ。
その後のナノカ犬、もとい黒部ナノカの活躍は凄まじく。
彼女の希望で入った料理道具を揃えた店では——
「そっちは刃物コーナーよ。近づいてはダメ。こっちのボウル類を見ましょう」
「はい」
裁縫道具店においては——
「それ以上進んではダメ、こっちでフェルトを見ましょう」
「はい」
喫茶店にて——
「お互いにシェアするのが最も合理的よ。よってこの『カップル限定フォーチュンラブセット』を提案するわ」
「はい」
とにかく俺の行動に逐一気を配り守ろうとしてくれた。
その姿は本人には申し訳ないがとても可愛らしく、また、最後に訪れた喫茶店ではさもこうするのが最善ですよといった体で、顔を赤らめながらカップルセットを提案した彼女の可愛さは天元突破しており、最早KAWAIIの語源といってもよいだろう。
なので俺がイエスbotになるのも致し方ない事なのだ。
そうして時間は矢のように過ぎ去り、気づけば日も沈みかけとなっていた。
日中さんざん騒いだ影響か、帰り道はお互いに口数も少なく歩いていく。
そして、黒部家の前にたどり着き、今日の終わりを感じていると彼女が口を開いた。
「今日はありがとう」
「こちらこそだ。君の元気な姿を見られてなによりだよ」
「……優しいわね。ねぇ、何で今日は貴方に色々注文を付けたか解る?」
「慣れないエスコートを頑張ってくれた……わけではないんだよな?」
「えぇ、私の【幻視】については以前話したと思うけれど、ひとつ、黙っていたことがあるの」
そうして彼女は表情を硬くし、重々しく語り始める。
「この瞳は、過去だけでなく未来も映すの。親しい人に触れた時に限ってだけれどね。そして視た。貴方が今日死ぬ未来を」
「……っ」
「黙っていてごめんなさい。でも、不確定な情報を話して万が一、私の知らない未来に変わるのだけは避けたかったの」
「そうか……今日のところは大丈夫なのか?」
「えぇ、私が見た分は、だけれど」
「今日お礼を言うのは俺の方だったみたいだな。ありがとう」
「まだお礼は早いわ。言ったでしょう、私が見た分は、と」
そう言いながら彼女はこちらに手のひらサイズの猫のぬいぐるみを差し出した。
「これは?」
「見た目通りのぬいぐるみよ。盗聴器付きとカメラ付きのね」
改めて俺の手にぬいぐるみを握らせると彼女はハイライトの消えた瞳でこちらを射貫く。
「私は貴方の未来を視て思い知ったの。大切な人だろうと前触れも理由もなくあっけなくいなくなるんだって。姉だけじゃない、貴方も、全てのひとにそれは起こりうる。そして貴方を失くさないために考えたわ。私の幻視は確かに様々な情報を得られるけれど、限定的。ならそれ以外の手段をもって完全にすればいい」
「それの答えがコレか」
「そうよ。受け取ってくれるわよね?」
狂っている。姉がいなくなり、俺の死を幻視して病んだ心はストッパーを外し、目的のためならば相手の全てを監視することさえ是としてしまっている。
本来であればぬいぐるみを受け取らず、話し合いを重ね、健全な安心を彼女に与えることが正しいのだろう。
だが、俺もまた狂っており、彼女に生活を握られることに喜びを抱いていて。
抱いて、しまっていた——
「勿論だ。これからもよろしくな」
「貴方なら、そう言ってくれると思っていたわ」
逢魔時の斜陽はふたりの男女の影を絡ませる。
決して解けぬ繋がりとなって。
日付も変わろうかという深夜。姉と私と彼が映った写真を前に、今日も私は懺悔する。
姉の想い人を想ってしまった事
自身の傷心を利用し、彼の関心をひいた事
未来など、姉のあの時しか視えた事がないのに、彼を独占するために嘘をついた事
日々増えていく罪に自己嫌悪を募らせながら、今日も私は懺悔する。
「ごめんなさい。必ずお姉ちゃんの仇は取るから……監獄島に招待されるその時までは、彼との夢に浸ることを許してください」
弱くてごめんなさい
ずるくてごめんなさい
私だけ救われようとしてごめんなさい
少女の懺悔は続く
彼女の意識が途切れるまで
いつか監獄島に導かれるまで