カス性格バトル 作:匿名の筆者
「岩ってやつは、どうしてこうも絶妙に腹の立つ位置に陣取っているのか」
「いや、本当に」
鎮座する巨岩を前に、愛馬──【ドンドコ号】の鞍の上で、イヴォンドーは盛大に舌打ちをした。
昨日の彼女は確かに、この山道を疾走して自己記録を更新した。あの時と同じ、肺腑を洗うような爽やかな風を浴びていたというのに、曲がり角の先で待ち構えていたのは、栄光のゴールではなくただの厄介な障害物だった。
「ふざけんなボケがぁ! これで三回目だぞ、この山どうなってるんだぁ!」
遠い昔、城に攻め込まれ、無慈悲な降伏勧告を受けたある国の王はこう言ったという。
──『たとえこの身一つであっても、我は我であり、己が筋肉という絶対の武器がある』と。
その後の顛末として、彼は形勢逆転を狙ってステンドグラスを叩き割ったものの、直後の柵をオーパスクラスで飛び越えすぎて着地を盛大にミスり、ベランダから転落して哀れな星となった。
その歴史的教訓から導き出される生存戦略はただ一つ。如何なる困難も、たとえ高所からの転落という免れない死さえも乗り越えるような、そんな己の筋肉をもって物理的に排除するほかない。
「こんなもん、粉々に砕いてやるわぁ!見てろよ大岩、感じろよ大岩、数えろよ大岩、お前の罪をな!」
絶叫と同時に、イヴォンドーの肉体が爆発的な収縮を見せる。躍動する大腿筋はダイナミックな奔流となり、発達した広背筋が上半身全体の質量を押し上げる。
放たれたフロントキックは、ついに一撃で岩そのものを微塵に粉砕するに至った。
まず五十ほどの石に分裂した大岩は、次に数千の破片へと砕け散る。そして、数瞬おいて数十万もの塵になったのだ。
イヴォンドーにとって、これはあくまで日常の延長、いわば準備運動に過ぎない。なにせ相手は岩なのだから、加減をする必要すらなかった。
彼女が過去を振り返ることをもしするのならば、フロントキックは学生時代以来、あまり使っていなかった。
喧嘩を売ってきた愚か者どもに対し、彼女は常に全力で【教育】を施したものだ。鉄柵に服の裾を突き刺すだけでは飽き足らず、時には容赦なく衣服を引きちぎり、全裸にしてやったり、剥いだ衣服からすべての袖や裾を無くし、【夏らしさあふれる姿】へとリメイクしてやることが大半だった。
暴力さえ使わない、という己の中の縛り。
もっとも、その奔放すぎる青春の果てに、彼女は入学からわずか二ヶ月で優雅に退学処分を言い渡され、のちに伝説として語り継がれることになったのだが。
悔しさのあまり、学生時代のイヴォンドーが放ったフロントキックは、極めて高威力。
すべての蹴り技の中で最も体重を乗せやすく、極限の破壊力を生み出すフロントキックの威力は爆弾にも匹敵するだろう。
当時から身長百九十センチ、体重百キログラムを優に超えていたその肉体は、周囲から巨人と揶揄されていた。
退学後もその恵体をもって校門をへし折り、社会にプレッシャーをかけることなど容易いお茶の子さいさいだった。
当時の校長はこう震え声で独り言を呟き、後悔している。
──「あの足跡は、最初こそ大型の獣の仕業だと思っていた。だが、それが青銅を確実に凹ませ、校門に深いクレーターを刻んでいると気づいたとき、背筋が凍る思いがした。なぜ破城槌さえも使わずに……最も強いはずの門のストッパーが、校門を蹴った衝撃で根元から粉砕されるばかりか、蝶番までもが壊れ、倒れたのか。犯人は分かっていたが、報復の恐怖のあまり誰も声を上げられなかった」
恐怖こそが、イヴォンドーという女の経歴に刻まれた最初の勲章である。
彼女の肉薄した筋肉が放った、蹴りは岩の深部までも瞬時に捉え、内部からズタズタに引き裂いた。表面にダメージが現れた時には、既に破壊されている。
「いいや。良く考えれば数えるまでもない!たったひとつの罪だった!」
「私の行き先を遮ったそれだけなのだ……ォォオウアアアアア!!!!」
大岩に勝利した。その絶叫が、衝撃波となって塵を襲撃する。
もはや人を捨てた咆哮によって塵が辺りには舞い、吹き飛んでいく。周囲の鹿や兎、さらには野生化した凶暴な豚の家族たちまでもが轟音を聞いて泡を食って逃げ惑う。
鳥に至っては最初の岩砕きのみで気絶し、枝から墜落済だ。
だがしかし、イヴォンドーの愛馬、【ドンドコ号】だけは、逃げもせず怯えもせず、ただ静かにその光景を見据えていた。
ドンドコ号の齢は、すでに百を超えている。
通常の馬であれば、老衰どころかとうの昔に白骨化して風に吹かれている頃合いだが、死なない。
【不老】の加護を持つ馬──文字通り、老いることを知らない。
全盛期の肉体と狂気的なタフネスを維持したまま強くなり続け、今や少々の地滑りや野獣の襲撃などではまばたき一つしない。
我が蹄で何者も踏み潰し、我が突進でこの世界のすべてを轢き飛ばすことができると、イヴォンドーに出会う前は本気で考えていた。馬並みの知能の境界を優に超えたプライド高き獣にとって、人間など踏み台に過ぎなかったはずなのだ。
しかし、出会ってからはすっかり屈服し、主君と呼ぶに値する背中を見上げるのみとなっている。
が、当然ながら馬の言葉などイヴォンドーは解せず、意思疎通はあえなく徒労に終わっている。ゆえに、この圧倒的な破壊劇をただ傍観するのも、ドンドコ号にとってはすっかり慣れた日常であった。
「征くぞドンドコ号! 今晩は草ではなく肉を喰らおうぞ!」
人間は生肉を食らって無事で済むものなのか? という疑問はさておき、イヴォンドーは目にも止まらぬ早さで素手で胴体を引き裂き、血抜きをものすごい速度で済ませる。
新鮮なうちに、ドンドコ号が頭蓋骨を叩き割り脳を啜る。
馬は本来草食だ。しかし、ドンドコ号が肉を喰らうに至ったのには、弱者への嫌悪がある。わざわざ頭を下げ、草を食み、怯えるなど、兎のように弱々しい。
覇者として、草など食まぬことを選んだ馬であるからには、馬の常識を捨てるべきだ。もはや如何なる常識もこのコンビには通用しない。
ドンドコ号
体高:1.9メートル
体重:約1トン
同じ種族の親兄弟など全ては蹄によって踏み潰し、全ての馬の覇者として君臨するに至った。が、これで種族としてはドンドコ号の一匹のみとなり、詰んだ。
しかし、それはドンドコ号が死なない限り種が永続し、さらには永劫同じ数を維持することと同義である。