【悲報】男子校なのに悪友全員、美少女♂になった件 作:深紫Sιn姉
予鈴が鳴るまで、あと十分といったところか。
俺たちはベンチから立ち上がり、海側校舎から本館へと戻ることにした。
「お、そうだ。教室に戻る前に、ちょっと便所寄ってええか?」
「……え?」
前を歩いていた星乃がくるりと振り返る。
俺は思わず足を止めた。
「便所って……お前、トイレに行くのか?」
「当たり前じゃろ。人間だもの。我慢したら膀胱炎になるわい」
可憐な少女が、無邪気な顔で股間を指差す。
糸谷も、すでに男子トイレの方へと歩き出している。
……待て、待て待て! 頭ではわかっている。
そうだ、星乃は本来男だ。
男子トイレに入るのは当然の権利である。
だが、俺の視界には完全に「丸メガネの可憐な少女」が映っているのだ。
その美少女が、男子トイレに入っていく姿は、あまりにもシュールかつ背徳的すぎた。
「ほれ、自分も行くじゃろ? 連れションじゃ。連れション」
結局、俺はズルズルと男子トイレへと引きずり込まれた。
「あー、空いとる空いとる」
昼休みの男子トイレに、少女が堂々と足を踏み入れる!
その当人、星乃は全く悪びれる様子もなく並んだ小便器のど真ん中を陣取った。
そして、制服のズボンのチャックに手をかけ、ジッパーを無造作に下ろす。
俺は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
ここで一つの、重大かつ哲学的な疑問が生まれる。
俺の目には、星乃が完全な美少女に見えている。
ならば、その……『下半身の構造』はどうなっているのだろうか?
完全な女体化を果たしているのか。
それとも、あくまでガワだけが美少女で、中身は男のままなのか。
もし前者だとしたら、小便器の前に立って用を足すこと自体が不可能なはずだ。
俺は星乃の隣の便器に立ち、恐る恐る、本当に恐る恐る、いや、本当に嫌らしい気持ちはないからね? 横目でチラリと『それ』を確認すべく目を細めた。
ジョジョジョジョジョ……。
可憐な少女の股間から放たれる、力強い放物線。
そして、その放物線の根元には……!
「ふう、スッキリしたわい」
――ついてるー⁉︎
立派な、それはそれは立派なものが、そこには確かに存在していた。
顔は美少女……だが、股間にはモノがついていたのだ。
「…………」
俺は天を仰いだ。
ああ、なんてとんでもなく業の深い呪いなんだ!
「おい鈴宮。何ぼーっとしとるんじゃ?」
隣で不思議そうに首を傾げる星乃に向けて、俺は今日一番の深い溜息を吐き出した。
「……お前のせいだよ、バカヤロウ」
手を洗い、教室へと戻る廊下。
俺は前を歩く少女の背中を見つめながら、冷静に思考を巡らせていた。
江ノ島の女神は、なぜ俺にこんな幻覚を見せているのか。
そもそも、なぜ『星乃』だったのか。
糸谷でも東条でも結城でもなく、なぜこいつがターゲットになったのか。
俺は数瞬の思考の後、自分なりの仮説を組み立ててみた。
背が低く、華奢な体つき。
それを隠すように老人ぶった言葉遣いをする悪友。
俺の目に映るこの少女の姿。
それはまるで——あいつが一番見られたくない『弱さ』や『コンプレックス』そのものを、強制的にこの現象が見せつけているのではないか。
もし、そうだとしたら。
これは単なる神様の悪戯なんかじゃない。
もっと厄介で、面倒くさいもの。
『男のプライドの裏返し』だったのだ——。
■ ■ ■
五限、六限、さらには七限! と続いた午後の授業が、ようやく終わりを迎えた。
この学校では土曜日に授業がない代わりに、金曜日までびっしりと授業がある。
個人的には土曜日に学校がないのはありがたいが、疲労困憊とはこのことである。
教室に響き渡る号令とともに、それまで死んだ魚のような目をしていたクラスメイトたちの顔に、ようやく生気が戻る。
誰かが帰り支度を急ぐ音、部活へと向かう騒がしい足音、そそくさと掃除を始める音。
あちこちで巻き起こる喧騒を背に、俺は一人、重い足取りで教室を後にした。
自分のロッカー兼・下駄箱を開け、かかとを踏み潰し気味の靴を取り出す。
上履きから履き替えながら周囲を見渡すが、まだ『彼ら』の姿はないようだ。
おそらく授業が長引いたか、そんなところだろう。
俺たち五人は、全員が見事にクラスがバラバラだ。
にもかかわらず、登下校から昼休みまで、示し合わせたように集まって行動している。
ロッカー近くの壁に寄りかかりながら、俺はふと、疑問ともつかない回想にふけった。
――そもそも、なんで俺たちはこの五人でつるんでいるのか。
その出会いは中学時代にまで遡る。
誰かに特別なリーダーシップがあったわけでもない。
共通の熱中できる部活があったわけでもない。
ただ、中学一年生の時に『海風学院』での初めてのクラスが一緒だったからだ。
また登下校の電車が被っており、自然と波長の合うもの同士惹かれ合ったのだ。
それだけの関係だった。
ツッコミ気質で口うるさいが、どこか抜けている星乃。
常に独自の世界観に生きている、厨二病の糸谷。
真面目ぶっているようで、一番タチの悪いストッパーの東条。
誰にでも爽やかに接するが、根は底知れぬマイペースの結城。
性格も趣味もバラバラなのに、なぜか一緒にいると居心地がいい。
誰かがアホなことを言えば誰かが乗り、誰かが突っ込む。
そんな生産性のないやり取りを何年も繰り返してきた、まごうことなき悪友たちだ。
「おーい、鈴宮。待たせたのう」
ふと、廊下の奥から声がした。
顔を上げると、星乃が自分の教室から出て歩いてくるのが見えた。
「おう……」
俺は片手を上げて応えようとし、そして、すぐに顔を引きつらせた。
俺の視界の中央、周囲の他の男子生徒たちに混ざって、相変わらず『蜂蜜色の可憐な少女』がちょこんと近づいてきている。
丸メガネの奥の琥珀の瞳が、俺を見つけて嬉しそうに細められた。
……ダメだ。
放課後になっても、やっぱりバグは直っていない。
俺は深呼吸をして、必死に理性を総動員した。
落ち着け、あれはただの星乃だ。
ちんちくりんの悪友だ、それ以外でもそれ以上でもない。
「ほれ。あとは残りの三人をしばらく待つかのう」
美少女……星乃が、隣の壁に背を預けて「ふぅーっ」と息を吐いている。
「それにしても」
ふと星乃がその可憐な顔をこちらに向けてきて、雑談を始めた。
「今日提出の課題、結局自分は終わったのかの?」
「まあ、一応。答え見ながらだったけど、何とか」
「そかそか、ワシは六限が自習になってな。そこで終わらせたわけよ」
「なるほど、それは羨ましい」
互いに視線を合わせるでもなく、隣の教室の引き戸を眺めている。
ただそれっきり、俺たちは静かになる。
「…………」
「…………」
俺たちの間に流れる沈黙は決して気まずいものではない。
長い期間、腐れ縁のような間柄において発生するごく自然の沈黙なのだ。
ちらりと横にいる星乃を見てみる。
やっぱりなんというか、性癖の詰め合わせパックみたいな容姿になっている。
まるで物語によく登場してくるロリ系とでも言おうか?
悪くない……むしろ好ましいが、いかんせん中身を知っているばかり変な気分だ。
それに、この姿が星乃自身のコンプレックスの具現化とすれば、すべての辻褄が合う。
星乃は昔から、このむさ苦しい男子校という環境下において、自分の背が低く、体が小さいことをずっと気にしていたに違いない。
周りの野郎どもが成長期を迎えてどんどん縦にも横にもデカくなり、声変わりで男らしい野太い声になっていく中、自分だけがちんちくりんで声も高いまま。
舐められたくない、子ども扱いされたくない、男として弱く見られたくない。
思春期の男子のプライドとして、それはある種、当然の感情だ。
事実、アイツは糸谷にいちごオレを飲んでいることを指摘されて、ムキになっていた。
だからこそ、あいつは自らを大きく、あるいは周囲より達観して見せるために、あの『ワシ』だの『〜じゃ』だのという、奇妙なキャラを演じるという自己防衛を無意識に張っていたのだ。
だが、俺が祈った江ノ島の女神ってやつはとことん残酷だったらしい。
星乃がひた隠しにしてきた『小さくて、か弱くて、男らしくない自分』という無意識の弱音を強制的に引っぱり出し、あろうことか【ロリ系の可憐な美少女】という、最も庇護欲をそそる形で俺の視界に可視化させてしまったのだ。
間違いない、これこそが『アオハルシネーション』のメカニズム。
あいつの心のバグが、俺の目のフィルターを通して出力されているのだ。
「……ふふっ、見えたぞ。事件の全貌が」
俺はロッカーの前で、名探偵さながらに口元に不敵な笑みを浮かべた。
原因がわかれば、解決策は至ってシンプルだ。
あいつに「お前は立派な男だ」と自信を持たせてやり、そのちっぽけなコンプレックスを俺が正面から粉砕してやればいい。
そうすれば、このふざけた美少女フィルターもたちまち崩れ去るはずだ。
「なんじゃ自分、さっきから壁に向かって一人でニヤニヤと。気持ち悪いやつじゃのう」
星乃がドン引きしたようなジト目を向けてくるが、全く気にならない。
今の俺は、悩める友を救う心優しき救世主だからだ。
「お待たせ。鈴宮、星乃」
「ふん、我としたことが遅れをとったか。物理の教師め、無駄な詠唱が長すぎるのだ」
「兄さんたち、お集まりですね」
ちょうどその時、結城、糸谷、東条の三人が連れ立ってこちらへ歩いてきた。
どうやら廊下で偶然合流したらしい。
これでいつもの五人が揃った。
俺は一つ気合を入れるように深呼吸する。
そして、「よし、帰るか」と先陣を切って歩き出した。
■ ■ ■
朝来た道を、ただ逆に戻るだけの退屈な帰り道。
海が近い逗子の町は、夕暮れ時になると特有の空気を纏う。
西日が民家の屋根をオレンジ色に染め、吹き抜ける潮風には、少しばかりベタつくような塩気と磯の匂いが混じっている。
俺たち五人は、決して広くはない歩道を、横に広がってダラダラと歩いていた。
前から歩行者や自転車が来るたびに臨機応変に道を空け、通り過ぎればまたすぐに広がって、意味のない駄弁りを再開する。
「今日の小テスト、散々だっただね。特に古文」
結城が、爽やかな笑顔のまま絶望的な報告をする。
「ふん。古の言霊など、今の我々には不要なのだ。赤点さえ回避できればそれでいい」
「兄さん、またそうやって……。少しは真面目にやらないと、後で困るのは自分ですよ」
糸谷の強がりに、東条が四角メガネを押し上げながらため息をつく。
いつもの光景、いつもの会話。
ただ一つ、俺の隣で「そうじゃそうじゃ」と相槌を打つ存在のガワが、とてつもなく愛らしいことを除けば、完璧な日常だ。
通り道にある橋のかかった小さな川に差し掛かったところで、川面を覗き込む。
すると、水面を漂う落ち葉が、なぜか『上流』へと向かってゆっくりと流れていた。
入学したての頃は、この奇妙な現象がずっと不思議だった。
だが、ある時になってようやく気がついた。
この川は海と非常に近い。
だから、満潮の時間が近づくと、川に海の水が逆流して流れ込んでくるのだ。
小さな川だからこそ、潮の満ち引きの影響をダイレクトに受ける。
自然の摂理――原因さえわかれば、なんてことはない当たり前の現象だ。
――そう、原因さえわかれば。
俺は隣で同じように川を見つめる少女……もとい、星乃を見た。
背が低く、華奢な体つき、それを隠すための老人口調。
「よし……」
俺は小さく呟き、覚悟を決めた。
特別な舞台なんていらない。
このいつもの帰り道で、俺がこいつの悩みを解き放ってやる。
「そういえば星乃!」
「んえっ?」
俺は急に大声を出し、隣にいた星乃の肩に、勢いよくガシッと腕を回した。
「お前、最近なんかガタイ良くなったよな! ほら、この腕の筋肉とかさ、結構たくましくなったんじゃないか⁉︎」
「な、なんじゃ自分、急に……!」
気の置けない男友達に対する、いつものスキンシップのつもりだった。
だがどうしてだろう? 華奢な肩は俺の腕の中でビクッと震え、俺を見上げる琥珀の瞳は、戸惑いと恥じらいで潤んでいるように見える。
ちくしょう、あざとすぎる! 中身は男のはずなのに!
「いやいや、照れるなよ! お前はやればできる男なんだから、なっ!」
バシンッ! バシンッ!
俺は励ますつもりで、星乃の背中を手で叩いた。
「い、痛いんじゃが⁉︎ ちょ、やめんか!」
星乃が抗議の声を上げる。
何だか罪悪感がマッハで跳ね上がるが、ここで引いては男が廃る。
「よし星乃、お前、ちょっとこれ持っててくれ」
俺はそう言うと、おもーい自分のリュックを、強引に星乃に押し付けた。
だがしかーし。
「アホか。自分のカバンくらい自分で持たんか」
ドンッ! と、重いカバンが俺の胸ぐらに勢いよく押し返された。
「ぐふっ⁉︎」
その力強さは、紛れもなく男子高校生のそれだった。
俺はよろめいて二、三歩後ずさる。
視界に映る星乃の姿は、相変わらず庇護欲をそそる小柄な美少女のままだ。
だが、その細い腕から放たれたパワーは、俺が押し付けた重いカバンを難なく突き返すだけのしっかりとした筋力(物理)を伴っていた。
俺は混乱した。
ガワは完全に美少女なのに、中身のステータスはいつもの星乃のままだ。
華奢な少女が、片手で重いカバンを軽々とバレーボールのトスのように弾き返してきたような、凄まじい視覚と物理法則のバグ。
「な、なんてパワーだ……」
「当たり前じゃろ。ワシをヒョロガリ扱いするでないわ。それより自分、さっきからワシにベタベタと触りおって、なんや気持ち悪い」
星乃は可憐な顔をしかめ、本当に迷惑そうに自分の肩や背中を払っている。
「おい、鈴宮……」
背後から、ひどく呆れたような声が聞こえた。
振り返ると、糸谷、東条、結城の三人が、妙なものを見るような目で俺を眺めていた。
「どうした?」
「どうした? ではない。汝、ついに疲労で脳がやられたか? 急にベタベタ星乃に絡みに行き、挙句の果てに自分の荷物を押し付けようとするとは……奇行にも程があるぞ」
糸谷が、やれやれといったふうに肩をすくめる。
「ええ……兄さん、さっきから動きが不審ですよ。いくら暇だからって、星乃をオモチャにして遊ぶのはやめてあげてください」
東条が呆れたように四角メガネを押し上げた。
「あ、あはは……」
結城はいつもの爽やかな顔に、少しの苦笑を浮かべている。
「い、いや。俺はただ、こいつの男らしさをだな……!」
「男らしさ? 自分、今日はいつにもましてホンマに訳がわからんなあ?」
星乃が、本気で意味がわからないという顔でツッコミを入れてくる。
……完全に空回った。
男らしさを取り戻してやろうとアプローチをかけた結果、俺は『見た目は美少女だが筋力は一般男子高校生の謎生物』にカバンを跳ね返され、さらには周囲のダチから『急にベタベタ絡み始めたヤバい奴』としてドン引かれただけだった。
「もしかして鈴宮はアレかな? 最近は多様性の時代っていうから――」
「俺はGでもBでもないからね? 本当だからね?」
「否定すればするほど疑わしいというものよ……。古今東西、英雄色を好むともいう」
「兄さん、他の人にソレやったら現行犯逮捕ですよ」
「はぁ……まさか鈴宮がアッチ側の人間じゃったとはな」
「皆さん⁉︎ どうかこの鈴宮を信じてください⁉︎」
全力で弁明する俺をよそに、四人は「やれやれ」と遠慮なく笑い合う。
やがて、そんな他愛のない会話を続けながら、俺たちは逗子駅の改札前へと到着した。
このカオスな空気をなんとか日常に戻したい。
「おい糸谷、なんとか言ってくれよ。俺は至ってノーマルな――」
すがるように糸谷の顔を見た、その瞬間。
俺の視界が、ぐにゃりと奇妙に歪んだ。
「ん……んんんん⁉︎」
目の前に立っていたのは、見慣れた男の姿ではなかった。
――腰まで伸びた、夕陽に輝く美しく白銀の髪。
――制服のシャツを軽くほどいた魅惑的な雰囲気。
――右目に眼帯を巻いて暁に輝くは紅い瞳。
「…………は?」
間の抜けた声を漏らす俺に、『厨二な少女』はふっと小馬鹿にした笑みを浮かべる。
「ふっ、鈴宮よ。汝の狂気もそこまでいくと哀れなものであるな」
しかし声のトーンは変わらない、口調も仕草も完全にいつもの糸谷だった。
「二人目かよ……!」
俺はただ一人、それはもう深々と天を仰いだ――。
次回第三話は、8/5(水)21:10に投稿予定です。
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