再会 ~壊れた人形(ドール)は、最後の朝まで兄を愛した~ 作:ねこ飼いたい
オリジナル:SF/日常
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――そう言って死んだはずの妹が、今朝も僕にお茶を淹れてくれた。
妹の足音に、体温がない。
毎朝七時、狂いのない足音が廊下を近づいてくる。厚い絨毯を踏んでいるのに、湿った感じがまるでない。歩幅も歩数も、昨日とまったく同じ「十七歩」だと、玲司は気づいてしまった。
ドアが開く。時計を見なくても、七時ちょうどだとわかる。この数ヶ月、妹は一秒も遅れたことがない。
「おはようございます、お兄様。お薬のお時間です」
糊のきいた白いエプロンに黒いドレス。数年前、屋敷を襲った一族の抗争で玲司が両足を失ったあの夜から、彼女の姿は少しも変わっていない。最愛の妹、美月だ。
車椅子の上から見上げる玲司の背筋を、冷たい汗が伝う。
「今日はアールグレイにしました。心臓に障らないよう、早めに葉を引き上げています」
美月は音もなく車椅子の横にワゴンを寄せ、磁器のカップを置いた。すべてが整いすぎていて、逆に落ち着かない。
「……ありがとう、美月」
かすれた声で答えると、伸ばした指が小さく震えた。美月は気にする様子もなく、いつもの穏やかな笑みを浮かべるだけだ。
ふと、トレーを持つ彼女の指先が目に留まる。爪の生え際から、透明な液体がにじんでいた。昨日も同じ場所から同じ量だけにじんでいたのを、玲司は覚えている。
それに、ここ数日、美月の返事にはわずかな間がある。話しかけてから答えるまで、コンマ数秒、何かを待つような沈黙だ。
「美月、体調は悪くないかい? 指先が冷たいようだけど」
「いいえ、お兄様。何も」
美月はかすかに首を傾げた。瞳は澄んでいるが、瞬きの間隔が一定すぎる。
「私は、お兄様のお側におります。ただそれだけで満ち足りています。お兄様をお守りすること。私の身体は、そのためだけに存在しているのですから」
美しく、淀みのない言葉。玲司の胸に、鈍い罪悪感が刺さる。
あの惨劇の夜、瀕死だった美月は、天城家の地下にある技術――クローンという「容れ物」に、自らの意思で移ることを選んだ。培養された身体に、記憶と人格を転写した複製だった。
「俺はこの椅子に縛られ、君は俺のために用意された身体で、ここにいる。それは本当に、君が望んだことなのか?」
「お兄様、どうかお気になさらず。私は自分でこの身体を選びました。お兄様の隣にいること、それが今の私のすべてですから」
迷いのない微笑み。それが薬と神経調整によって固定された「幸福」だと知っているからこそ、玲司はさらに深く沈み込んだ。
その夜は激しい豪雨だった。雨が窓を叩き、遠くで雷が鳴っていた。
「外の警備網が切断されました。すべての回路が沈黙しています」
薄暗い広間で、美月は淡々と告げた。その肩に、恐怖の色はまるでない。非常灯の赤い光だけが彼女の瞳に映っていた。
「お兄様はここでお待ちください。すぐに片付けてまいります」
美月は一礼し、闇の中へ消えていった。玲司は自分の膝を握りしめ、暗闇を見つめるほかなかった。
長い回廊の奥、暗視ゴーグルをつけた武装した男たちが押し入ってくる。その前に、美月はエプロン一枚のまま、盾も持たずに立っていた。
「ここから先には、通せません」
「ただの人形だ。片付けろ」
銃声が回廊に響いた。美月は弾丸を避けながら踏み込み、袖口から薄い刃を滑らせる。だが今夜の相手は、これまでとは違った。組織立った銃撃が、確実に彼女を捉えていく。
肉の弾ける音がした。ドレスが裂け、血が壁に飛び散る。それでも美月は止まらず、先頭の男の喉を切り裂いた。
弾丸が次々と彼女の身体を貫く。右腕の関節が砕け、力なく垂れ下がった。それでも彼女は左手だけで、残った男たちを一人ずつ倒していった。
数分後、廊下には静寂が戻った。息絶えた男たちの中央に、美月が立っていた。
唯一生き残った男が、恐怖に顔をこわばらせて見上げる。右腕を失い、膝を撃たれても、美月はただ静かに彼を見下ろしていた。
「こいつ、痛みを感じていないのか……」
男は最後の力を振り絞り、隠していた刃を抜いた。大量の出血で、美月の反応がわずかに遅れる。
「死ね!」
男が刃を突き立てた。それは美月の背中を貫き、肺を深く傷つけた。
「美月――!」
玲司は車椅子を回廊へ走らせ、目の前の光景に言葉を失った。
美月は壁にもたれ、座り込んでいた。胸の傷口から、絶え間なく血が流れ出ている。
「今、人を呼ぶ。手当てをすれば……」
美月は小さく首を振った。
「もう、薬は効きません。心臓が止まろうとしています」
声はかすれていた。呼吸のたびに、唇の端から血の泡がこぼれる。それでも彼女は、玲司の指先に触れようと手を動かした。
「俺がもっと強ければ、君にこんな身体を背負わせずに済んだのに」
玲司の目から涙があふれた。車椅子から崩れるように床に膝をつき、美月の冷たくなっていく手を握りしめた。
美月は、困ったような表情を浮かべた。それは、これまで見たことのない、不器用で生々しい表情だった。
「……だって、私はコピーですから」
瞳が頼りなく揺れる。
「でも、お兄様。お別れするのは、寂しいのですね」
「美月……? また地下に行けば、君はすぐに……」
「地下で眠る私には、今この胸にある『寂しい』という感覚は届きません。同期されるのは戦術の記録と、見た光景だけ。明日目覚める私は、『昨夜、一つの個体が機能を停止した』と、ただの記録として読むだけです」
美月はまっすぐ玲司を見つめた。瞳の奥から、光が急速に消えていく。
「ですから、今あなたの手を握っている『私』とは、もう二度と会えません。私はどこにも行かず、ただ消えてしまいます。でも――お兄様が無事で、本当によかった」
彼女は最後に、これまでのどんな笑顔とも違う、歪だが温かい笑みを見せた。それは、この屋敷で兄と過ごすうちに、彼女の中に生まれた、たった一つの「心」だった。
「み、づき……!」
それが最後の言葉だった。指先から力が抜け、頭が横に傾いた。
玲司は冷たくなっていく身体を抱きしめ、声を上げて泣いた。明日、同じ顔の妹が現れても、これほど自分を慕い「寂しい」と言ってくれた彼女には、もう二度と会えないのだ。
翌朝、昨夜の嵐が嘘のように、窓の外には青空が広がっていた。回廊の血痕も、跡形なく拭き取られていた。
玲司は一睡もできないまま、深い喪失感を抱えて食堂へ向かった。耳の奥では、昨日の美月の「寂しい」という声が、何度も響いていた。
食堂の扉を開けた瞬間、玲司の胸が激しく脈打った。
「おはようございます、お兄様。よくお眠りになれましたか?」
そこには、昨日と全く同じ美月が立っていた。
髪型も、着ているものも、昨日と寸分違わない。昨夜、血の中で冷たくなり、自分が抱きしめて泣いたはずのその少女が、何事もなかったかのようにトーストにバターを塗っている。
玲司の全身が凍りついた。
「……美月。昨日のことを、覚えているかい?」
美月は、昨日と同じ穏やかな笑みを浮かべた。
「はい。地下の記録から、昨夜の出来事はすべて脳に転写されています。お兄様にお怪我がなくて、安堵いたしました」
その言葉が、玲司の胸を冷たく刺した。
目の前の彼女は、昨日の出来事を「記録」としてしか覚えていない。あの廊下で涙を流しながら消えていった彼女の「寂しさ」は、もうどこにも存在しない。ここにいるのは、データを注ぎ込まれただけの、見知らぬ「美月」だった。
「お兄様?」
玲司は震える手を伸ばし、彼女の髪をそっと撫でた。美月は驚いたように目を丸くし、それから嬉しそうに目を細めた。
「まあ、珍しいことですね」
「……おはよう、美月」
かすれた声で、それだけ言うのが精一杯だった。
その日の午後、美月が買い出しに出かけた。その隙に、玲司は動き出した。
拭えない違和感があった。死の間際、美月は「同期はできない」とはっきり言った。脳が完全に停止した彼女から、どうやって新しい個体へ記録が移されたのか。
玲司は車椅子を漕ぎ、普段は立ち入りを禁じられている地下の研究施設へ向かった。
重い扉を開けると、冷たい空気と消毒液の匂いが澱んでいた。部屋の中央には、予備の肉体を保管するはずのガラスカプセルが並んでいる。
しかし照明は消え、カプセルの培養液はどれも黒く濁り、腐敗していた。
玲司は端末を操作し、管理ログを呼び出した。画面に浮かんだ一行に、息が止まる。
『オリジナル遺伝子保存個体 天城美月 完全死亡』
美月のオリジナルは、数ヶ月前にすでに死亡していた。予備の肉体もすべて細胞が壊死し、新しい個体を作るラインはとうに停止していた。
「では……今朝の美月は、どこから来たんだ?」
最近の反応の遅れ。爪の生え際からにじんでいた液体。すべては、肉体が限界を迎えていた兆候だった。今朝、髪を撫でたときの、あの冷たさを思い出す。
部屋の隅に、錆びた作業台があった。近づくと、鉄錆と血の匂いが混ざり合っていた。台の上には、細い外科用のメスや糸が散らばっている。
玲司は昨夜のシステムログを開いた。最後の数行が、画面に浮かぶ。
『昨夜 三時〇〇分 残存パーツの回収プロセス開始』
『昨夜 四時十五分 廃棄個体への肉体パーツ強制縫合、再起動成功』
玲司の全身が震えた。
昨夜、回廊で抱きしめていた美月の亡骸は、処理班に片付けられたのではなかった。彼女は機能停止する直前の脳に刺激を送り、自分の死体を地下室まで引きずって戻ったのだ。そして、腐敗しかけていた過去の廃棄個体から使える皮膚と関節を切り取り、自分の身体に縫い合わせた。
逃げなければ。
そう思った瞬間、背後の暗闇から、足音が聞こえた。
規則正しい、けれどどこか重い足音。買い出しに出かけたはずの彼女が、なぜここにいるのか。
「お兄様」
背後から声がした。いつも通り澄んだ、けれどかすかに震える声。
「こんな冷たい場所へいらしたのですね。さあ、暖かいお部屋へ戻りましょう」
玲司は車椅子を振り返らせた。そこに立っていたのは、今朝見送ったはずの美月だった。
しかし、その姿は痛々しいものだった。衣服の隙間から、黒い糸で不器用に縫い合わされた跡が覗いている。頭部と首、胴体の皮膚の色がわずかに違い、死んだパーツを無理やり針で固定しているのが一目でわかった。歩くたびに、首元の縫い目から黄色い体液がにじみ、エプロンを汚していく。
玲司は恐怖に身をすくめた。しかし彼女の顔を見た瞬間、それは胸をかきむしられるような痛みに変わった。
美月の瞳は濁り、薄い膜が張ったようだった。焦点は定まらず、反応の遅れは今朝よりもずっと長い。脳の細胞が崩壊しているのは明らかだった。それでも、彼女の表情に恐ろしさはなかった。
美月は、切ないけれどひたむきな笑みを浮かべていた。
「お兄様、驚かせてごめんなさい。もう大丈夫です。少し、服を汚してしまったので、繕うのに時間がかかりましたの」
彼女は、自分の身体がどれほど異形になっているか、気づいていないようだった。あるいは壊れかけた脳が、都合のいい幻を見せているのかもしれない。それでも彼女は、自分が「元通りの美月」だと信じ切っていた。
「私は美月ですよ、お兄様。あなたのたった一人の妹です」
美月は一歩ずつ近づき、玲司の前にひざまずいた。濁った瞳から涙を流しながら、彼の手をそっと握った。その手は氷のように冷たかったが、握る力には確かな愛おしさがあった。
「私の代わりは、もうどこにもありません。地下の機械も、みんな眠ってしまいました。私が壊れたら、誰もお兄様をお守りできなくなってしまいます。それだけは、嫌だったのです」
彼女を動かしていたのは、防衛のプログラムではなかった。
――お兄様を、ひとりにしてはいけない。
ただそれだけの純粋な想いが、死んだ身体を無理やり繋ぎ合わせ、彼女をここまで歩かせたのだ。
「今日は、お兄様の好きなアールグレイを、上手に淹れられましたの。冷めないうちに、ご一緒しましょう」
彼女は玲司の身体をそっと抱き上げた。その腕から伝わるのは、腐敗していく肉体の冷たさと、命を懸けて兄を慕う想いの、両方だった。
この子はもう、人間ではない。以前の美月の姿すら保っていない。それでも彼女は、たった一人、自分を守るためだけにここにいる。
玲司はこみ上げる涙を抑えられず、彼女の首の縫い目を見つめながら、冷たい肩に顔を埋めた。
「……そうだね、美月。お茶にしよう。君の淹れてくれたお茶が、一番美味しいからね」
「はい、お兄様」
美月は嬉しそうに目を細めた。
歩くたびに骨のきしむ音を響かせながら、二人は地下室をあとにした。
終わることのない、優しく、壊れた日々が、また静かに始まる。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※本作は、人間と生成AIが共同で執筆した短編小説です。
制作工程は以下の通りです。
①原案・あらすじ:人間
②プロット作成:AI
③プロット修正:人間
④プロットから本文作成:AI
⑤本文修正:人間
④〜⑤を繰り返しながら、作品を完成させています。
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