いじめられっ子にとりついたのは、異世界帰りの経済ヤクザ。理想の未来はヒラ公務員だったのに、裏社会での成り上がりが止まらない―蝉原勇吾は怖すぎる―   作:閃幽零

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25話 必殺、猫パンチ。

 

 25話 必殺、猫パンチ。

 

 夜間は、気室の前に立つと、心底つまらなさそうに首を鳴らした。

 

「無駄な時間だ……意味がない」

 

 言い終わるより早く、踏み込んだ。

 

 すばらしい速さ。

 素人目にも分かるほど、洗練された踏み込みだった。

 

 気室は、咄嗟に腕を上げてガードする。

 けれど、その上から叩き込まれる拳の重さに、両足が浮いた。

 

「ぐっ……!」

 

 吹き飛ばされて、地面を転がる。

 会場のあちこちから、息を呑む音が聞こえた。

 

 気室は、すぐに立ち上がった。

 歯を食いしばり、両拳を構える。

 膝が震えているのが、遠目にも分かる。

 

「お、おう……まだ……」

 

 強がりにもなっていない、小さな声。

 それでも、足を止めなかった。

 そのままどうにか殴り掛かろうとするが、足がふらついて、ちゃんと拳を振ることができない。

 腰の入っていない猫パンチが盛大に空ぶる。

 

 夜間は、

 

「……はぁ」

 

 と、タメ息をついてから、腰の入った連打を開始。

 左、右、また左。

 気室はガードに徹するしかなかった。

 まともに受けるたび、骨に響くような鈍い音がする。

 

 武術に長けた愛羅の強さとは全く違う。

 

 愛羅の強さが、『磨き抜かれた技術』だとすれば、

 夜間の強さは、『まっすぐな暴力』って感じ。

 

「あぁっ……うっ……」

 

 崩れ落ちそうになる身体を、なんとか踏みとどまらせる。

 誰かに何かを証明したいわけじゃない。

 ただ、ここで簡単に倒れたくない。

 そんな意地だけが、気室の足を支えているように見えた。

 

 けれど、意地だけで埋まる実力差ではなかった。

 

 夜間の蹴りが、がら空きになった脇腹に突き刺さる。

 

「がはっ……!」

 

 膝から崩れ落ち、そのまま地面に倒れ込んだ。

 立ち上がろうとするが、力が入らない。

 

 それを見て、蝉原が、ボソっと、

 

「……30秒こえたか。やるね。10秒で気絶するかと思ったけど」

 

「す、すいません、総長」

 

 倒れたまま、悔しそうに、それでも声を絞り出す気室。

 その様子に、蝉原は薄く笑って、

 

「謝る必要はないよ。君がボコられている姿を見て俺は満足だ」

 

「そ、総長……」

 

 気室の顔が、絶望に染まりかける。

 

「冗談だよ、気室。もう君に悪感情は抱いていない。オモチャにはさせてもらうけどね」

 

 その軽い口調に、気室は、複雑そうな顔をしながらも、小さく頷いた。

 怒っているわけでも、納得しているわけでもない。

 ただ、蝉原という男の理不尽さに、すでに慣れきっている顔だった。

 

 ★

 

 夜間が、バキバキと指の関節を鳴らしながら、前に出る。

 

「さあ、蝉原。さっさとかかってこい……どっちがてっぺんか決めよう。今日、キングが変わる」

 

「悪いけど、カスを相手にしているヒマはない」

 

 蝉原は、興味なさげに肩をすくめると、

 

「君の相手はうちのペットで十分だ」

 

 そう言って、ずっと自分の膝の上に乗っていたアベルへ視線を送る。

 

 アベルは、一度、

 

「にゃ」

 

 と鳴くと、そのまま、シュっと膝から飛び降りた。

 会場のあちこちから、戸惑うようなどよめきが起こる。

 

 誰もが、最初は冗談だと思ったのだろう。

 けれど、アベルは、迷いなく夜間の前まで進み出ると、二本足でぴょこんと立ち、シュシュ、と小さなシャドーボクシングを始めた。

 

 あまりにも場違いな光景だった。

 あれだけ静まり返っていた会場の空気が、一瞬で困惑に変わる。

 

「……は?」

 

 夜間自身も、何が起きているのか理解できないという顔をしていた。

 数千人の前で、子猫がシャドーボクシングをしている。

 あまりにもコミカルすぎる現場。

 

「……随分と芸達者な猫だ。面白いよ。だが、冗談はここまでにしよう。蝉原。さっさと、かかって――」

 

 夜間が、苛立たしげに足を踏み出した瞬間だった。

 

「にゃー!」

 

 小さな鳴き声と共に、アベルの前足が一閃する。

 

 ズドン、という、およそ猫の体格からは想像もできない重い音が響いた。

 

 夜間の体が、まるで見えない壁にでも弾かれたかのように、宙に浮く。

 そのまま、十メートル近く吹き飛び、壇上の柱に背中から激突して、ずるずると崩れ落ちた。

 白目を剥き、口の端から、うっすらと泡を吹いている。

 

 一拍の沈黙のあと、会場が爆発した。

 

「あのバカ、子猫に殴られて泡ふいてやがる!」

 

「いや、あの猫強すぎねぇか? いくら総長のペットとはいえ……」

 

 爆笑と、戦慄と、若干の同情が入り混じった声が、会場中に響き渡る。

 蝉原は、満足そうにアベルを抱き上げて、その喉を撫でた。

 

「芸達者って褒めてもらえてよかったな」

 

「にゃあ」

 

 アベルは、『興味ないね』みたいな顔で小さく鳴いた。

 

 ……あ、ちなみに、今日もセフィアさんはずっと蝉原を見てたよ。

 そんなことは言うまでもないよね。

 

 

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