いじめられっ子にとりついたのは、異世界帰りの経済ヤクザ。理想の未来はヒラ公務員だったのに、裏社会での成り上がりが止まらない―蝉原勇吾は怖すぎる― 作:閃幽零
幕間 借金の取り立て。
龍星会の事務所は、いつ来ても空気が重い。
今は、借金回収の件で会議が行われていた。
愛羅の父である『黒崎』が葉巻をくゆらせながら、神妙な顔で、
「蝉原、お前がAIビジネスで儲けを出してくれているから、正直、金にはそこまで困っていない」
「でしょうね」
「しかし、借金の回収ができないとメンツにかかわる。『踏み倒しても何も言わない組だ』なんて評判が立ったら、極道は終わりだ。なにかいいアイディアはないか」
蝉原はニコリと微笑んで、
「集金部門を私に一任していただければ、対処しておきますが?」
「助かるよ」
黒崎は、ふうっと紫煙を吐き出した。
その横顔が、ほんの少しだけ安堵しているように見えた。
伝説のフィクサーと呼ばれた男が、高校生に仕事を丸投げして安心する。
……この光景、冷静に考えると、かなりおかしい。
★
その日の夕方。
僕たちは、愛羅と数人の子分を連れて、返済が滞っている債務者の家に向かった。
案内された先は、駅から遠く離れた、古びた木造アパートの一階。
ドアを開けたのは、げっそりと頬のこけた女の人だった。
僕たちの姿……というより、愛羅の後ろに並ぶコワモテの子分たちを見た瞬間、彼女の顔から血の気が引いた。
愛羅は返事も待たず、ずかずかと部屋へ上がり込んでいく。
部屋の奥、ランニングシャツ姿の男が缶チューハイを呷っていた。
その奥で、小さな子供がちょこんと座り、不安そうにこちらを見ていた。
「返済が滞っているぞ。ナメるなよ」
愛羅が低く凄む。
普通の人間なら、それだけで縮み上がる声。
だが、父親は、
「はっ! こちとら、先週、会社をクビになってんだよ。お前ら反社に払う金なんかねぇ」
酒臭い息を吐きながら、開き直った態度で吐き捨てた。
……ある意味、すごい度胸だ。
愛羅を前にして、その口が利けるなんて。
いや、度胸というより、酒のせいで、まともな判断力が残っていないだけかもしれない。
当然、愛羅はキレて、
「ブチ殺すぞ」
男の胸倉を掴み上げる。
ランニングシャツが伸びて、みっともなく首元がよれた。
「け、警察を呼ぶぞ」
「呼べよ。好きにしろ。極道ナメるな。どうなろうと必ず金は回収するし、お前にはケジメもつけてもらう」
凍てつくような声だった。
男の目が泳ぐ。
酒で濁った頭でも、ようやく状況のヤバさが伝わったらしい。
男は、しばらく唸っていたが、やがて、何かを思いついたように、下卑た笑みを浮かべた。
「……わ、わかったよ。じゃあ、俺の嫁を連れていけよ」
うーわ……最悪。
「まだ三十代だ。整えれば、それなりに見れる顔をしている。夜の店で十分、金を稼げる」
その言葉に、隣にいた奥さんが、絶望した顔で、
「……あんた……ほ、本気で言ってんの……?」
声が震えていた。
怒りじゃない。
もっと深い、何かが壊れる音がするような声だった。
「うるせぇ! 文句ぬかすなぁ! お前の稼ぎが悪いからこうなってんだろ!」
男は、そのまま奥さんを殴りつけた。
パンッ、と乾いた音。
奥さんの体が、あっけなく床に崩れる。
その一連の動きが、あまりにも慣れていた。
殴る方も。
殴られる方も。
この光景が、この家では日常なのだと、嫌でも分かってしまった。
それを見て、子供が泣きだした。
「うるせぇ、ガキ!」
男が、泣きじゃくる子供へ、無造作に足を振り上げる。
それを見て、僕は思わず、
「おいおい、それはダメでしょ――」
気づいたら、子供を庇うように、自分の体を割り込ませていた。
正義感とかじゃない。
なんか、もう、見てられなかっただけ。
「うぼっ」
振り抜かれた蹴りが、僕の腹に突き刺さる。
息が詰まった。
すごい激痛……
「てめぇ、モヤシ、邪魔すんな!」
男が、二発目の蹴りを放とうと足を振り上げる。
――そこで、体の主導権が入れ替わった。
痛みが、すうっと遠のいていく。
蝉原は振り上げられた男の足を片手で受け止めると、
「自分より弱い相手には何をしてもいい。非常に合理的な思想だ」
そのまま、流れるような動作で男の足首をひねりあげる。
ゴキッ。
骨が軋む、いやな音。
足首の関節が、あり得ない方向に曲がる。
「うぎぃ!」
つづけて手首。
ゴキ、ゴキッ、と、乾いた音が連続する。
「あいぃ! いでぇ! いでぇえええ!」
男が、床でのたうち回る。
手足がでたらめな方向を向いたまま、芋虫みたいに転がっている。
「とりあえず、一発はかえしておこうか」
そう言うと、蝉原は、男の胸倉を掴んで引き起こし、その顔面に容赦なく拳を叩き込んだ。
ゴシャッ。
鼻がひしゃげる音が響く。
「がぁあああ!」
飛び散る血。
男の絶叫が、狭い部屋に響き渡った。
蝉原は、血まみれで転がる男には目もくれず、愛羅から受け取った端末に視線を落とした。
画面をスクロールしながら、男の身辺情報にざっと目を通していく。
「えーっと……なになに……そこそこの腕があるシステムエンジニアだが、少額の横領がバレて、先週クビになったばかり、と」
会社は不祥事を表沙汰にするのを嫌い、自主退職を条件に穏便に済ませていたらしい。
「もともとがクズ気質だから、どの会社でも揉め事を起こして、長くは続かない。典型的なゴミ人間。いるんだよねぇ、こういうのが、どこにでもゴロゴロと」
蝉原は、心底つまらなそうに言った。
その間も、男は床でわめき続けていた。
痛いだの、殺されるだの、うるさいことこの上ない。
「よし、決めた。こいつは今日から、うちでエンジニアとして働いてもらう」
「こんなゴミを雇うのか?」
愛羅が眉をひそめる。
「ちょうど人手が必要だったからね。借金もこっちで肩代わりして、給料から自動的に引いていく形にしよう」
「そんな甘い対応でいいのか? 横領するやつは何度でもするぞ」
「甘い? そうかな……そうでもないと思うけど」
そう言いながら、蝉原は、男に目を向けて、
「うちで働くための条件その1。とりあえず、離婚してもらう。2、親権はもちろん放棄で、面会はガキが望むときだけ。3、嫁に1000万の慰謝料を払え。それは借金に上乗せ。以上だ。おっけー?」
「ふ……ふざけ――」
蝉原は、答えを待たずに、懐からナイフを抜き、その切っ先を男の眼前へ突きつけた。
男の目が、限界まで見開かれる。
切っ先と眼球の距離は、数ミリもない。
瞬きをしたら、まつ毛が刃に触れそうなほどの距離。
「最後の条件。ここから先、俺に一言でも文句を垂れたら、お前の体をあますことなく切り刻んで金に換える。その際の手術では麻酔を使わないように指示させてもらうから、そのつもりで」
「……」
「これ以上、俺を怒らせない方がいい」
部屋の温度が、二、三度下がった気がした。
蝉原の異常な覇気に押され、男は脂汗を垂れ流しながら、こくこくと何度も頷いた。
さっきまでの威勢は、もうどこにもない。
「このカスを連れていけ。今日から働かせる。勤務時間は朝5時から23時までの週6だ」
子分にそう命令する蝉原。
男の顔から、一切の血の気が引いた。
えっぐい雇用形態……
手足の関節を戻された男は、子分たちに両脇を抱えられ、ずるずると引きずられていった。
閉まるドアの向こうで、男の情けない声が遠ざかっていく。
★
急に静かになった部屋の中で、蝉原は、床にへたり込んだままの奥さんへ向き直った。
「1000万あれば、どうとでもなるだろ。あんたも働いているみたいだしな」
「は……はい。ありがとうございます……」
蝉原は、彼女の前に片膝をつくと、
彼女の腕や、母親にしがみつく子供の体を、さりげなく確認した。
「アザが多いな。今まで、散々DVくらってきたか?」
「……はい」
小さく、消え入りそうな声だった。
蝉原は、それ以上、何も聞かず、
「金が足りなくなったらいつでも言いにこい。いつでも貸してやる。その分だけ、あいつの借金に上乗せだ」
その言葉に、奥さんは、一瞬ぽかんとして――
それから、堰を切ったように、涙をこぼし始めた。
「……ありがとうございます……本当に……ありがとうございます」
何度も、何度も、頭を下げながら。
胸に抱いた子供ごと、体を折り曲げるようにして。
涙声だった。
今までよっぽど辛かったんだろうな。
殴られて、罵られて、最後には、夜の店に売り飛ばされそうになって……
なんで別れなかったんだろ。
(世の中ってのは不条理なことばかりでね)
僕の疑問に、蝉原が静かに答えた。
(別れたくても別れられない人間がいる。金がない。逃げ場がない。誰も助けてくれない。……そういう檻は、鉄格子よりもよほど頑丈にできている)
蝉原の仕事を見ていると、それを痛感する。
法律は、この人を助けなかった。
警察も、役所も、学校も、誰も。
この最悪の状況を終わらせたのは、皮肉なことに、借金の取り立てに来たヤクザだった。
ずっと涙を流しながら、蝉原にお礼を言っている彼女を見ながら、僕は思った。
蝉原はもしかしたら、こういう人たちを助けるために、ヤクザになったんじゃないだろうかって。
……今思えば、無規制AIを使ったビジネスも、
蝉原が率先して管理者となることで、ブレーキ役を担っているのかも……
ああいうハイテクな犯罪ツールは、蝉原が作らなくたって、いずれ誰かが作る。
とんでもないクズが管理者になったら、被害者の数はきっと今の比じゃない。
この予想が当たっているのか、それとも単なる僕の願望か……
蝉原の『本当の腹の中』は分からないけど……
でも、もしかしたら……
★
アパートを出たところで、愛羅が、
「蝉原……あんたは少し優しすぎる。カッコイイと思うし、美しいとも思う。けど、極道としては――」
「あの女が何の仕事をしているか、知っているか?」
「え、えっと……確か……」
「区役所で戸籍関係の窓口をしている。あれだけ飴を与えておけば、今後、こちらの命令通りに動いてくれるだろう。風俗で小金を稼がせるよりも、そっちの方が遥かに価値が高い」
かなり怖い事を言っているなぁ……
ただ……
もし、あの人が専業主婦だったとしても、
何かしらの理由をつけて助けていたんじゃないのかな……
なんてことを考えていると、蝉原は、僕に主導権を返してきた。
……え?
どういうタイミング?
と思っていると、
そこで、愛羅は僕の腕に抱き着いて、
「あんたは本当に最高にイカしているな」
そう言いながら、僕の頬にキスをした。
「このあとウチにこない? お酒でも飲みながらベッドで――」
「あ、いや、あの……僕、未成年なんで……」