いじめられっ子にとりついたのは、異世界帰りの経済ヤクザ。理想の未来はヒラ公務員だったのに、裏社会での成り上がりが止まらない―蝉原勇吾は怖すぎる― 作:閃幽零
28話 金の卵と偽物の刻印。
クラブというのは、僕には一生縁のない場所だと思っていた。
重低音が腹の底まで響いてくる。
天井から吊るされたミラーボールが回るたび、フロアの人波に光の粒が散っていく。
煙草と酒と香水が混ざり合った空気。
汗だくで踊る客たち。
DJブースからは、知らない外国語のラップが爆音で流れていた。
そのフロアを見下ろす形で、VIPルームがある。
ガラス張りの個室。
革張りのソファ。
テーブルの上には、手をつけていないボトルが並んでいる。
僕は、そこに座っていた。
隣に愛羅。
後ろに凪が立っていて、
正面に夜間。
夜間は、アタッシュケースをテーブルに置いた。
開けると、札束が整然と並んでいる。
「総長……今日の上がりです」
「明らかに多くない?」
僕は、一瞥してそう言った。
「蝉原が……僕が提示した額は売り上げの5パーセントなんだけど。このクラブ、月に億の売り上げでも上げてるの?」
「偉大なる総長への上納が5%というのは、示しがつきません。99%は納めさせていただきます」
「そんなことしたら、秒で潰れると思うんだけど……」
僕は、フロアに視線を落とした。
下では、客たちが音楽に合わせて揺れている。
楽しそうに。
無邪気に。
「金の卵を産むガチョウを締めあげるのはバカのすることだって蝉原が言って……ぁ、いや……ま、とにかく5パーでいいから」
「しかし、この刻印を最初に頂いた者として、示すべき道義というものがありますので」
夜間は、左腕の袖をまくった。
そこには、悪魔の紋章が刻まれている。
ディアブロの刻印。
後ろに立つ凪が、ギリっと奥歯をかみしめた。
凪はずっと、夜間に嫉妬のまなざしを向けている。
「……見せびらかすなカスが……腕を切り落としてやろうか……ああ、ダメだ。あいつの腕は総長のだ……くそが……くぅ」
あの日以来、その刻印は、コミュニティの中で特別な意味を持つようになっていた。
蝉原に認められた証。
刻印持ちはコミュニティの中でも別格の存在として扱われ、刻印を貰うために全員が競い合う……という構図が、いつの間にか出来上がっていた。
正直、そのノリ、だいぶキモいと思う。
「総長には俺の全部を捧げる。そういう約束でしたので」
「いや、あのね……」
あの日以来、夜間は蝉原に心酔したようで、誰よりも忠実な配下として動いている。
ちなみに夜間は、ケンカだけじゃなく、経営者としての手腕もかなりのもので、このクラブの売り上げは右肩上がりらしい。
「アネゴ!」
ふいに、VIPルームのドアが開いた。
夜間の配下が、一人の男を引きずるようにして入ってくる。
「どうした」
「こいつの腕、みてくだせぇ」
引きずられてきた男の腕に、刻印があった。
ただし——よく見ると、線が雑で、形が微妙にずれている。
本物じゃないと一目でわかる。
「こいつ、ハリケーンの下部組織にいる鳥谷ってやつなんすけど……この糞野郎、自分は刻印持ちだと吹かして、女をナンパしてやがったんです」
「なん……だと……」
夜間の顔が、みるみる険しくなった。
凪の顔もビキビキと血管だらけになる。
フロアから漏れてくる音楽が、やけに場違いに響く。
「「……殺す」」
静かな声が重なった。
凪と夜間が飛び掛かろうとした……その時、
「そ、総長!!」
鳥谷が叫んだ。
僕の方を見て、
「あの、あの! 俺、役に立てます! なので、本物の刻印をくれませんか!」
「このゴミが……気やすく総長に――」
「殺す殺す殺す――」
「夜間、凪……うるさいよ」
僕が一声かけると、夜間と凪はすっと頭を下げて黙った。
フロアの爆音だけが、しばらく部屋を満たした。
僕は、鳥谷に、
「役に立てるというのは、どういう風に?」
「実は俺は賢いですよ! 小学校までは100点も取ってましたし。今は中卒で無職ですが、いずれはビッグになる男です! あと、親が銀行員でちょっとだけ金持ってるので、それなりの額を上納できます! 心配しなくても、うちの親はバカなんで、財布から金を抜いても気づきません!」
「おお……」
僕が、思わず天を仰いだ。
「想像以上にゴミだった……」
僕にも分かる。
この鳥谷がいかにダメなやつか。
親の財布どうこうは、もうそこまでの問題じゃない。
全体的にダメすぎて、どこから手をつければいいか分からないレベルだ。
「総長! 俺はあなたの右腕になれる! だから刻印を!」
「……うん、うん。わかった」
僕は、ゆっくりと頷いて、
「じゃあ上納してもらおうか」
「了解っす! じゃあ、いますぐ、親の財布から——」
「僕は、君が稼いだ金しか受け取らない」
にっこりと、笑う。
「漁船は常に人手不足だって言っていたから、助かるよ。労働力に感謝」
「え、いや、あの……」
鳥谷の顔が、みるみる青ざめていく。
僕は夜間に目を向けた。
「連れていって。あと、こういうバカが湧かないように注意喚起してくれると助かるよ」
「御意」
夜間が、鳥谷の腕を掴んだ。
鳥谷は何か言おうとしていたけど、VIPルームのドアが閉まって、その声はフロアの爆音に掻き消えた。
静寂が戻る。
テーブルの上のボトルが、ミラーボールの光を受けて鈍く光っていた。
愛羅が酒を飲みながら、
「あんなゴミ、殺せばいいのに」
「僕もそう思うけどねぇ……でも蝉原はそういうの好きじゃないから」
「あなたって、たまに永ちゃんみたいなこと言うわね」
『俺はいいけど、YAZAWAはなんていうかな』という有名なセリフは僕でも聞いたことがある。
一個人としての『俺』的には問題ないけど、矢沢〇吉というロックスター的には許容できない……という意味らしい。
今の僕のセリフには、確かに、そのノリが入っていた。
愛羅のツッコミがツボに入って、僕は笑った。
――数分して戻ってきた夜間が、
「総長、相変わらず、狂気的な采配ですね。総長には、そこらのヤクザには出せない気品がある」
「夜間さん……あなたは有能だけど、見る目だけはないね」
★
後日、夜間から報告があった。
「あのバカ、元気に頑張っているようですよ。頭はともかく、体力だけはそれなりにあるようで――」
「誰のこと?」
「偽刻印のバカです」
「……ぁあ」
蝉原は、マジで忘れていた様子。
あのバカの対処をしたのは僕だし、蝉原的にはなんの価値もない人間だったから、本当に忘れていたっぽい。
「あのバカ、まだ死んでないの? 生命保険に加入させたから死んでくれた方がありがたいのに、なんでまだ生きているのかな? 君たちの怠慢と言わざるをえないね」
「……も、申し訳ありません! 今すぐ、海に放り投げるように指示を――」
「冗談だ」
蝉原は、アベルの喉を撫でながら、どこか遠くを見るような顔で言った。
「にゃ」
アベルは、興味なさそうに一度だけ鳴いた。