いじめられっ子にとりついたのは、異世界帰りの経済ヤクザ。理想の未来はヒラ公務員だったのに、裏社会での成り上がりが止まらない―蝉原勇吾は怖すぎる― 作:閃幽零
幕間 同族嫌悪。
その夜。
都心にある、高級ホテルの、最上階のスイートルーム。
窓の外には、宝石箱をひっくり返したような、東京の夜景が、一面に、広がっている。
部屋の中には、静かなジャズが、控えめな音量で流れていた。
テーブルの上には、栓を開けたばかりの、年代物のワイン。
その一室のソファに、深く沈み込みながら、一人の男が、グラスを傾けていた。
モナルッポ・スピアーズ。
昼間の、たどたどしい日本語も、へらへらとした案内人の仮面も、今は、綺麗に、脱ぎ捨てられている。
ネクタイを緩め、ジャケットを無造作にソファの背に放り投げた、ラフな格好。
だが、その佇まいには、昼間の『間抜けな外国人スタッフ』とは、まるで別人のような、静かな貫禄があった。
モナルッポは、スマホに送られた『蝉原の雄姿を映した監視カメラの映像』を見ながら、
「ヒュゥ!」
敬意を込めた口笛混じりに、
「いかすねぇ。あいつ、おぞましく有能だぜ。……なあ、キッツ」
部屋の入り口近く、影のように控えていた女に、そう声をかける。
モナルッポが唯一信頼しているエージェント、名前は『キッツ』。
昼間、テロリーダーとして、蝉原と対峙していた、あの女だった。
今は、マスクを外し、簡素な黒のスーツ姿で、微動だにせず、佇んでいる。
「はい……正直、対面して、ぞっとしました」
キッツは、感情の起伏をほとんど感じさせない、淡々とした声で、そう答えた。
「まさか、あの規模のテロで、被害者をゼロに抑えるとは」
配下四人を、瞬時に無力化した、あの手際。
そして、こちらが仕込んだ23個の爆弾を、気づかれることすらなく、すべて解除してみせた、あの読みの鋭さ。
彼女にとっても、それは、経験したことのない、異常な光景だった。
「しかも、あいつ、俺と同じタイプだ」
モナルッポは、グラスの中身を、くるりと、揺らしながら、そう続けた。
「普段は、ダメ人間の仮面を、かぶってやがる。……俺みたいに本気で隠そうとはしていないが……それは、俺よりも自分の腕に自信があるからだろうな。……あいつの仮面は、『自分を侮らせて虚をつく類のソレ』ではなく……」
「ではなく……なんなんですか?」
「……ただの遊びだな」
「ずいぶんとふざけた性格をしているようですね。モナ様と気が合いそうじゃないですか」
「いやぁ、どうだろうなぁ」
モナルッポは、しばらくの間、答えなかった。
グラスを、テーブルにそっと置き、ソファから、ゆっくりと立ち上がる。
窓際まで歩いていくと、両手をポケットに突っ込んだまま、
眼下に広がる『無数の光の粒』を、じっと見下ろした。
「俺は、今、ちょいと……同族嫌悪を感じている」
その声には、いつもの飄々とした軽さの中に、ほんのわずかな緊張の色が滲んでいた。
キッツは、それを見逃さなかった。
彼女は、これまで、何年も、このボスの傍で仕えてきた。
ボスが、こんな声色を出したのは初めてのこと。
いつも、余裕たっぷりに、周囲を見下し、飄々と笑っている、この男。
その男が、今、確かに、何かに動揺している。
「あと、あいつ、普通に、俺とお前がグルだって、気づいていたな」
モナルッポは、窓の外を見つめたまま、そう続けた。
「……そのようですね」
「確かにテストだったが、別にお遊びじゃなく、ちゃんと、プロのテロリストを仕込んだ……なのに、あの野郎、避難訓練呼ばわりしやがった」
モナルッポの口元が、静かに、吊り上がる。
「……面白い男だ」
その表情には、悔しさよりも、むしろ心の底からの、愉悦のようなものが滲んでいた。
「モナ様」
「なんだ」
キッツが、静かに、口を開く。
「あれを……部下に、できるでしょうか」
その問いに、モナルッポは、しばらくの間、答えなかった。
やがて、窓に映る、自分自身の顔を、見つめながら、
「最悪、俺が部下でもいいよ」
あっさりと、そう言い切った。
「この世界を、ひっくり返せるなら、俺は……別に、なんでもいいんだ」
その声は、決して、大きくはなかった。
けれど、そこには、これまでの、飄々とした軽さとは明らかに違う。
彼が、本当に、心の底から抱いている野心の重みが、確かに滲んでいた。
「……『天使』に支配されているだけの世界はつまらねぇ」
モナルッポは、そう言いながら、テーブルへと戻り、グラスを再び手に取った。
カタリ、と、氷がグラスの中で小さく音を立てる。
窓の外には、変わらず、東京の夜景が、静かに広がり続けていた。