いじめられっ子にとりついたのは、異世界帰りの経済ヤクザ。理想の未来はヒラ公務員だったのに、裏社会での成り上がりが止まらない―蝉原勇吾は怖すぎる― 作:閃幽零
28話 悪運の使い方。
早朝、三時過ぎ。
河川敷は、まだ完全な闇の中にあった。
街灯の間隔が広すぎて、光の輪と輪の間に、真っ黒な穴みたいな暗がりができている。
老人たちの散歩道として有名な道だけど、当然、この時間に歩いている老人なんて、この世に存在しない。
その暗がりの中を、カイが、ぜぇぜぇと喉を潰しながら走っていた。
蝉原はその横を涼しい顔で並走している。
「そ、総長……もう……勘弁……」
一時間ほど走ったところで、カイは、足をもつれさせながら、蝉原に泣きついた。
膝に手をついて、涎(よだれ)とも汗ともつかない液体を、盛大に垂らしている。
「まだ一本しか走っていないじゃないか。目標は10キロを100本」
蝉原の声は、どこまでも涼しい。
蝉原だって、もう10キロ以上走っているのに、呼吸ひとつ乱れていない。
蝉原が毎日鍛錬を積んだおかげで、僕の身体が凄まじく鍛え上げられている。
「すいません……でした……俺が……間違ってました……どうか、許して……」
カイは、その場に崩れ落ちるようにして、土下座の体勢に入った。
夜露で湿ったアスファルトに、額を擦りつける。
「何か勘違いをしているようだから、最初にハッキリ言っておく」
蝉原は、しゃがみ込んで、カイの視線と同じ高さまで顔を下げた。
「しおらしく謝れば許してもらえる……なんて、そんなナメたことを、二度と考えるな。それが何より不快だ」
「はぁ……はぁ……ぜぇ、ひぃ……ハァ……」
「10キロを100本だ。走り切るまで、俺はお前の話に耳を傾けない。死ぬ気で走れ」
カイは、しばらく、地面に這いつくばったまま、動かなかった。
やがて、嗚咽混じりに、
「ぅ……ぅう……」
と、みっともなく泣きだす。
それでも、蝉原は、表情ひとつ変えず、ただ、冷めた面で見下ろしているだけだった。
僕は、心の中で、そっと呟く。
(マジで1000キロ走らせたりしたら……死ぬんじゃない?)
(たかが1000キロ走っただけで死ぬヘタレは死ねばいい)
(……うわぁ)
(カイみたいな社会をナメ腐ったゴミは、説教しようが殴ろうが塀にブチ込もうが鼻で笑うだけだ)
(だから……走らせるの?)
(トレーニング方法自体はなんでもいい。逃げられない地味で過酷な有酸素運動は拷問であると同時に、肉体の細胞を大幅に変化させてくれる。人の細胞は3か月で全部入れ替わるって聞いたことないかい?)
(あるような……ないような……)
(これは実験だよ。1000キロ走った時、このカスがどうなるのか……俺の興味はそこにある)
「総長……俺、反省しました……生まれ変わります……だから、どうか、もう……」
「次、口を開いたら殺すぞ」
そう言いながら、蝉原は、懐から取り出した拳銃をカイの額につきつける。
ちなみに、これはマジのやつじゃなくてモデルガンなんだけど、
カイにはマジモンにしか見えないだろうね。
「走るか、死ぬかだ。えらんでいいよ。……こんな贅沢な選択肢をあげるなんて……優しいね、俺は」
蝉原のイカれた目を見て、もう言葉に意味はないと、流石のカイも悟った様子。
一度しっかりとうなだれてから、
カイは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔のまま、
それでも、ふらふらと立ち上がり、また走りだした。
並走しながら、蝉原は、
「そう、それでいいんだよ。走り切れたらご褒美をあげるよ」
と、必要以上に優しい声音でそう言った。
★
二時間ほど見守ったのち、蝉原は、カイの監視を子分の一人に任せて、その場を離れた。
向かった先は、最近契約したばかりの高層マンションの一室。
ちなみに、セフィアさんと同じマンションだった。
(なんで、わざわざ同じマンションにしたの?)
尋ねてみたけど、理由は教えてくれなかった。
どうせ、また、はぐらかされるんだろうな……
と思っていたら、案の定、蝉原は何も答えず、
鼻歌交じりにエレベーターのボタンを押した。