いじめられっ子にとりついたのは、異世界帰りの経済ヤクザ。理想の未来はヒラ公務員だったのに、裏社会での成り上がりが止まらない―蝉原勇吾は怖すぎる― 作:閃幽零
29話 サイバールーム。
なぜ、このマンションを選んだのか。
それは教えてくれない。
けど、ここで、蝉原が何をしているのかは、知っている。
なんせ、誰よりも近い場所で、ずっと見ているからね。
部屋のドアを開けると、そこは、生活感のかけらもない空間だった。
ベッドと最低限の家具以外、ほとんど、何もない。
ただ、一室だけ、様子が違った。
複数のモニター。
サーバーラックらしき黒い箱。
配線が、床を這うように、無数に張り巡らされている。
いかにも、サイバールームって感じ。
蝉原は、椅子に腰かけると、迷いのない指使いで、キーボードを叩きはじめた。
タン、タタン、タン、と、乾いた音が、静かな部屋に響く。
「よし……モナルッポは、想定通りの動きをしてくれそうだ」
何が『よし』なのか、僕にはさっぱり分からない。
でも、蝉原の目には、この画面の情報から、はっきりとした答えが見えているらしい。
蝉原は、複数のモニターの情報を同時に処理していく。
左側には、地図上に散らばった無数の光点。
どうやら、モナルッポ配下とおぼしき人間たちの、通信基地局の履歴らしい。
いつ、どこで、誰と、どれだけの長さ電話をしたか。
――それが、時系列順に、無機質に並んでいく。
中央のウィンドウには、折れ線グラフ。
名前も知らないペーパーカンパニーの口座残高が、上がったり下がったりを繰り返している。
蝉原は、その増減のタイミングと、さっきの通信履歴を、指先一つで、平然と重ね合わせていた。
「……この着金、『ノヴァ・トレーディング』からだね。で、その三日後に、シンガポールの番号と二十分通話……根回しの順番は、ノヴァからキッツ、キッツから現地の実行班あたりか」
誰に話しているわけでもない独り言。
僕には、何がなんだかわからないけど、蝉原にはモナルッポの動きが手に取るように分かるらしい。
右端の小さなウィンドウには、過去半年分の、モナルッポの発言や行動記録が、日付順にずらりと並んでいた。
どの取引でどっちに転んだか、誰を切り、誰を拾ったか。
その一つ一つに、蝉原は、赤や青の付箋みたいな印をつけていく。
「人間の行動には、必ず癖が出る。……こいつは、追い詰められると、まず身内を切る。というより、もしもの時に切るための身内を複数人囲っていると言った方が正確かな。……ただし、キッツだけは守ろうとしている。本当に信用している少数だけを大事にするタイプ。その方が信頼できるね」
金の流れと、人の動きと、過去の行動パターン。
その三つを重ね合わせるだけで、蝉原には、モナルッポの次の一手どころか、その奥にある感情まで、透けて見えているらしい。
さすが、スーパーハッカーは格が違った……
「これで、300人委員会に流す情報を、かなり精密にコントロールできる」
(なんでやねん)
心の中で、思わず、そんなツッコミを入れる。
どういう理屈でそうなるのか、真剣に聞いてみたけど、
「その辺は、こっちに任せておいてよ」
と、いつもの調子で、あっさりはぐらかされてしまった。
蝉原は、キーボードを叩きながら、独り言のように、ぶつぶつと、次々に呟いていく。
「龍星会の勢力ももう少し伸ばさないとね……一度、こっちからアクションを仕掛けるか。……カジノと風俗の方もそろそろ動かないとな……あっと、そろそろ解散総選挙だ。鷹宮を当選させるために動かないとな……あのオッサンは勝手に勝つだろうが、こっちが動いた痕跡は残しておかないと」
どうやら、まだまだ、蝉原は暗躍し続けるつもりらしい。
すでに、大金も、美女も、地位も、名誉も、人望も、人が望むものは、ほとんど全部、手に入れているはずなのに。
それなのに、蝉原は、いつも『こんなものじゃ話にならない』という顔をして、誰も予想できない高みを、淡々と目指し続けている。
僕も、何か協力してあげたいけど……
僕じゃ、何もできない。
パソコンだって、まともに触れない。
なんて、ちょっとだけ、しょんぼりしていると、
「君は、非常に大きな協力をしてくれているよ」
キーボードから目を離さないまま、蝉原が、そう言った。
(びっくりするぐらい、僕、何もしてないけど?)
思わず、そう言い返す。
僕は、ただ、蝉原の中で、実況とツッコミをしているだけの、無力な傍観者だ。
「少しだけ、本音を語ろうか」
蝉原の指が、一瞬だけ、止まった。
「ここまで、すべてがうまくいっているのは……君の悪運のおかげだ」
(……ぇ)
思ってもみなかったセリフに、思考が、一瞬、止まる。
「もちろん、運がマイナスに傾いていたとしても、どうにかなるように、色々と計算はしていた。俺一人だけでも、ここまで、たどり着くことはできていただろう」
蝉原は、画面を見つめたまま、静かに続ける。
「だが、その道中で、色々と、不安分子を抱える羽目になっていたと思うよ。それはそれで、面白い展開だったろうけど……ただ、正直、今の俺は、最短コースを進みたい気分でね」
(……)
「俺と、君が組めば、最強だ。誰も、俺たちの覇道を邪魔できない」
よく分からないけど、僕も、何かの役に立っているのだろうか。
正直、そんな実感は、これっぽっちもないけど……
蝉原がそう言うのなら、たぶん、間違いないのだろう。
蝉原は、嘘をつかない。
いや、正確に言えば、平気で、いくらでも嘘をつく悪人だ。
でも、こういう類の言葉に関しては、絶対に嘘をつかないって、僕は、もう、よく知っている。
窓の外は、まだ、真っ暗だった。
でも、その暗がりの向こうで、蝉原は、今日も、誰にも見えない場所で、着実に、次の一手を積み上げ続けている。