いじめられっ子にとりついたのは、異世界帰りの経済ヤクザ。理想の未来はヒラ公務員だったのに、裏社会での成り上がりが止まらない―蝉原勇吾は怖すぎる― 作:閃幽零
31話 誓いの手。
いやぁ、しかし……まさか、ほんと……断るとはねぇ……
別に、セックスしようって言ったわけじゃないんだしさぁ……
蝉原だって、別に、この場でベロチューしようなんて思ってないでしょ……
ちょっと軽く、チュってするぐらいじゃないの?
いや、蝉原の塩梅とか知らないけど……
なんにせよ、ほんと、いい根性をしているよ。
というか、狂った性根をしている。
目だけじゃなく、心までイカれているらしい。
なんてことを思っていると、蝉原が、スンとした態度で、
「俺に、恥をかかすのかい?」
「……」
その瞬間、藍川の纏う空気が、一段重くなった。
言葉はない。
ただ、彼女の目がバキバキになっていく。
わずかに開いた指先が、微かに、震えているのが分かった。
心なしか、前傾姿勢になって……臨戦態勢になっているような……
『ナメんなよ。最悪、やってやるぞ』という、
彼女の無言の迫力に気圧(けお)されそうになる。
……すごいな。
蝉原相手に、よくそんな目ができるものだ。
てか、どんだけキスが嫌なんだよ。
蝉原にキスしてもらえるのは、普通にガチで光栄なことだと思うんだけどなぁ……
ハクがつくよ?
クラスSガールズに入れるかもよ?
……見てれば分かると思うけど、クラスSガールズになることにデメリットはないよ?
むりやり夜の相手をさせられる、とかもないしさ……
なんだったら、蝉原が手を出さなさ過ぎて、みんな、キレてるぐらいだからね?
藍川の態度に、クラスSガールズの面々が、いっせいに、
『なんだ、その目は』とばかりに、藍川を睨みつける。
子分たちも、『おいおい、総長に対してその態度は』と、
ピリついた空気を纏いはじめた。
蝉原は、それを見て、
「はは」
と、楽し気に笑うと、藍川のもとまで、ゆっくり歩み寄っていく。
蝉原が近づくたび、藍川の殺気が、一段、また一段と、膨れ上がっていく。
やばくない、これ。
今にも、飛びかかってきそうなんだけど……
目の前まで来ると、蝉原は、
「手、出しな」
と、短く命じた。
藍川は、しばらく、蝉原を睨んだままだった。
クラブの照明が、彼女の頬に、赤や青の光を、代わる代わる映していく。
すごいな。
蝉原の命令を無視して、ガン飛ばしてるよ……
――そこで、夜間が、
「総長の命令が聞けんのか、藍川ぁあああ!」
と一喝したことで、しぶしぶ、ゆっくりと、手を差し出す。
蝉原は、その手の甲に、軽く、チュ、とキスをして、
「いい根性している。今後も、頑張って」
そう言いながら、彼女の頭を、くしゃくしゃと撫でた。
藍川は、しばらく、蝉原を睨んだまま固まっていたが、やがて、軽く会釈だけして、
「……用事があるので。今日は帰ります。失礼します」
そう言い捨てて、その場を去っていった。
その足取りは妙に早く、
この場に一秒もいたくない、という強い信念を感じた。
彼女の背中が完全に見えなくなったところで、
愛羅が、腕を組んだまま、ぽつりと呟いた。
「……蝉原。あれは、本当に、大丈夫なのか」
「なにが?」
「あの目。……あたしも、それなりに修羅場をくぐってきたつもりだが、あそこまでの殺気は、見たことがない。……もしかしたら、あんたの命を狙うかも」
その一言に、隣で聞いていた凪も、深く頷いた。
「同感です。……あの女、いつか総長を刺しますよ。あたしが保証します。あたしに、あいつの処分を命令してください。あのふざけた態度のケジメをとらせます!」
二人とも、真剣な顔だった。
冗談で言っているようには、まるで見えない。
むしろ、本気で心配している顔だった。
なんだったら、僕も同じ意見だった。
夜間が、慌てたように、
「すいません、総長……まさか、総長に、あんな態度をとるとは。……あとで、しめておきますので」
「何もするな」
「……ぇ」
「命令だ。あいつには、何もするな」
「……か、かしこまりました。総長が、そう仰るのであれば」
夜間は、まだ、少し納得がいっていない顔をしながらも、頭を下げた。
(いいの、蝉原……あの子、ガチでやばそうじゃない? 君が彼女の手にキスしたのを、強姦ぐらいに思っているんじゃない?)
(くく……そうかもね)
心の中で、そんな軽口を叩き合いながら、僕は、まだ絶叫を続けている子分の歌声を、ぼんやりと聞いていた。
かなり音質のいいカラオケの爆音と、上品な酒とホステスの香水の匂いが、混ざり合って漂っている。
なんだかんだ、平和だ。
ちょっと反抗的な配下がいるのも、それはそれでいいスパイスだろう。
こういう夜も、悪くないと思う。
ずっと、こんな温かい時間だけが続けば、どんなにいいか……