いじめられっ子にとりついたのは、異世界帰りの経済ヤクザ。理想の未来はヒラ公務員だったのに、裏社会での成り上がりが止まらない―蝉原勇吾は怖すぎる― 作:閃幽零
幕間 藍川視点。
私は藍川ハカナ。
ディアブロコミュニティ、レディースB班担当。
クラブを出て、人気のない裏路地に入った瞬間、私は、壁に背中を預けて、崩れ落ちた。
膝から、力が抜けていく。
総長にキスされた手の甲を、そっと、自分の唇に押し当てる。
「やば……すぎる……」
声が、震えていた。
指先も、震えていた。
総長が、あまりにもカッコよすぎて、正直、あの場で、意識を飛ばしかけた。
必死に、平静を装わないと、立っていられなかった。
変な顔をしていないか、ずっと不安だった。
だらしない顔だけは、絶対に見せられない。
「ああ……美しい……あの目……あのオーラ……なんで……なんで、あそこまで、素敵になれるの……人じゃない……神……夜を照らす神様……」
心臓が、おかしい。
いつもの倍近い速さで、脈打っている。
いつもは、遠くから見ているだけで、十分だった。
この距離感を、崩さないように、必死に、自分を律してきた。
なのに、今日は――
あの人の唇が、私の手に、触れた。
死ぬかと思った。
いや、多分、一瞬、死んでいた。
「……顔、出てなかった、よね……?」
総長の前で、だらしない顔を見せるわけにはいかない。
そう、必要以上に気を張って、必死に、無表情を保とうとした――結果。
『藍川ぁ! なんだ、あの態度は!』
夜間さんに、怒られてしまった。
確かに、あの時の私は、自分の心を抑えすぎて挙動不審だった。
偉大な総長の前では完璧じゃないといけないのに……
夜間さんが怒るのも無理はない……
……ごめんなさい。
あとで、ほかの皆にも、ちゃんと謝っておかないと。
そこで、私は、壁に額を押しつけたまま、ずるずると、その場にしゃがみ込む。
「総長……総長……ぁ……総長……好き……」
あふれてくる。
止まらない。
総長は、私の全て。
私の、命そのもの。
あの人のためなら、誰でも殺すし、死ねと言われればすぐに死ぬ。
それぐらいの覚悟は、とっくに、決まっている。
――ただ、その気持ちを、あの人の前でだけは、絶対に、悟られるわけにはいかない。
だって、私は、総長の隣に立てるような女じゃない。
愛羅さんは、東龍会の総裁令嬢で、武も教養もある、正真正銘のお姫様。
滝本さんは、フォロワー何百万人もいる、輝いてるアイドル。
凪さんだって、あんなにまっすぐに、堂々と、想いを叫べる。
セフィア・ローズとかいう、あの女は……ちょっと、よくわからないけど、とんでもない美人なのは確か。
私には、なにもない。
人を殺してきた過去と、死体の処理が得意なことぐらいしか。
こんな女が、あの人の隣に並んだら――きっと、あの人の価値を、下げてしまう。
私なんかより、もっと相応しい女の子が、いくらでもいる。
だから、いい。
私は、ただ、遠くから、あの人の背中を見ていられれば、それでいい。
告白なんて、絶対にしない。
迷惑になるだけだから。
それに、もし、告白して、困った顔をされたら――
私、その場で、死んでしまうと思う。
比喩じゃなくて、本当に。
心臓が、止まる自信がある。
だから、今日も、私は、必死に、表情を消す。
好きという感情を、誰にも見つからないように、奥底に、押し込める。
――ただ、一つだけ。
もし、いつか、あの人が、本当に困って、誰も助けられない時がきたら。
その時だけは、迷わず、この命を、差し出すつもりでいる。
それだけが、私が、あの人にあげられる、唯一のもの。