いじめられっ子にとりついたのは、異世界帰りの経済ヤクザ。理想の未来はヒラ公務員だったのに、裏社会での成り上がりが止まらない―蝉原勇吾は怖すぎる― 作:閃幽零
35話 禅問答。
応接室、というには殺風景すぎる部屋だった。
窓のない、コンクリート打ちっぱなしの一室。
龍星会のビルの一角だけど、今日はヤクザの匂いがしない。
代わりに、糊のきいたスーツの匂いがする。
テーブルを挟んで座る女。
名前は氷室(ひむろ)。
役職は検事。
眼鏡の奥の目は、一切の感情を見せない。
「単刀直入に言います。蝉原さん、あなたは裁かれるべきだと思っています。世間や政治家の中には、あなたのことを、社会を効率的にまわすための必要悪だという者もいる。私はそうは思わない。悪は悪。法の下で平等にさばかれ、塀の中に入るべき」
「ずいぶんと頭の硬い御方だ」
「ウチの上司ですら、あなたのことは慎重に扱うべき……などとのたまっている。信じられない話。あのハゲは検事失格」
「人の身体的特徴を侮蔑するのは正義感のある行動なのですか?」
その言葉に、彼女はムっとした。
蝉原は、本当に、人を狂わせるのがうまい。
「……先週、未成年者を狙った薬物事件を担当しました。被害者の証言が、突然、翻った。理由を辿ったら、龍星会の名前が出てきました。そして、担当刑事は、それ以上の捜査を止められた。……上からの圧力がかかったんですよ」
「……」
「だから今日は、正式な取り調べじゃありません。私個人が、私自身の目で、あなたという人間を見定めに来ただけ。記録にも残りません」
蝉原は紅茶を一口飲んで、
「見てみてどうです? なかなかいい男でしょう? 少々、ベビーフェイスなのがたまに傷。いっそのことナイフで刻んでスカーフェイスにしてみようかと思っているのですが、いかがです?」
「……」
蝉原の軽口を一睨みで返し、
「来てよかった。色々と確信できましたよ。証拠はまだですが……近い将来、必ず裁きの場に引きずり出します」
「一つだけ、検事さんに伺いたいことがあります」
「なんでしょう」
「雷で人が死んだとき、法はそれを裁きますか?」
「……は?」
「裁きませんよね。自然現象だから。誰の意志でもない、ただの現象だから」
「何が言いたいんです」
「俺は神なんですよ、検事さん。概念として、雷と同じ階層にまで昇華された存在だ。だとすれば、俺の行為もまた、裁きの対象になる『出来事』ではなく、ただの『現象』ということになりませんか?」
氷室は、しばらく沈黙してから、
「極めて愚かな言い訳ですが……仮に、あなたが神だとしても、今のロジックは成立していない。詭弁ですね」
「ほう。その心は?」
「雷には意図がない。あなたの悪事には明確に意図がある。それを現象とは呼ばない」
鋭い指摘だと思った。
僕は、心の中で蝉原に、
(なかなかいいアンサーじゃない? さあ、このディスにどう返す? 蝉原選手)
蝉原は、にこりと微笑んで、
「いい指摘ですね。では、逆に伺いますが――雷に意図がないと、誰が証明したんです?」
「……は?」
「もし神がいて、場所を選んで雷を落としているとしたら? 誰がそれを否定できます? あなたは、雷に意図がないことを、科学的に完全に証明できますか?」
「それは……」
「できませんよね。人には無理だ。……しかし、俺は証明できます」
蝉原は、両手を広げて、自分自身を示した。
「俺は神だから。神は実在し、選んで現象を起こす。俺の存在が証明となる」
氷室の表情が、初めて、わずかに揺れた。
「……屁理屈にしても、悪質ですね」
「検事さん、俺の悪質な屁理屈を、論理的に完全否定できますか? できないなら、それは、法廷では『合理的な疑い』として扱われるべきでは?」
「……」
「俺は神であり……現状は、この肉体を媒体にして借りているだけにすぎません。神が雷で人を裁く時における空のようなもの」
氷室は、ペンを置いて、しばらく蝉原を見つめた。
「本当に悪質な……その発言は、雷で亡くなった方々への冒涜だ」
「俺が神なら冒涜にはならない。人は神に、『おお、神よ』と祈ることしかできないし、してはいけない」
「もう結構。あなたが口にしたことは、所詮、すべてがただの言葉遊び。……逆に伺います。あなたが本当に神だというなら、それを証明してみせてください」
蝉原は、少しだけ考える素振りを見せてから、
ニコリと笑みを浮かべ、
「検事さん、調べさせていただきましたが……あなたは先日、飼っていたハムスターを亡くされていますね。名前は『プリン』。そのご遺体を、ご自宅の庭に埋葬された」
「……なぜ、そんなことを……」
氷室の声が、わずかに硬くなる。
「これが、そのご遺体です」
蝉原は、懐から、小さな布に包まれたものを取り出した。
「……っ、まさか、掘り起こしたんですか」
氷室の声に、初めて、明確な怒りと殺気が滲んだ。
「……殺されたいんですか、あなた。これは流石に看過でき――」
「どうか、落ち着いて。さあ……静かに、見ていてください」
蝉原は、布をそっと開き、小さな亡骸に指先をかざす。
指先に魔力を集める。
青白い光が漂う。
……アベルの時と同じだ。
しばらくすると、亡骸が溶けるように消えていき、そこから、小さな光がふわりと浮かび上がる。
光は、丸っこい小動物の形になった。
半透明の。
ハムスターは、ふんふんと鼻を動かしながら、まっすぐに氷室の方へと近づいていく。
「……」
氷室の顔から、表情が消えた。
「……プリン……?」
呆然と、その名を呼ぶ。
ハムスターは、差し出された彼女の指先に、小さな前足をちょこんと乗せた。
「ば……ばかな……」
声が、震えていた。
これまで一切の動揺を見せなかった氷室の、初めての、本当の表情だった。
「間違いなく、あなたが愛したプリンですよ」