いじめられっ子にとりついたのは、異世界帰りの経済ヤクザ。理想の未来はヒラ公務員だったのに、裏社会での成り上がりが止まらない―蝉原勇吾は怖すぎる― 作:閃幽零
1話 侵入者。
今日も、僕の身体は蝉原のものだった。
ちなみに、今は授業中で、
蝉原は、担任に座っている。
「だから……地中海性気候は……夏に雨が多く、冬は乾燥するのが、特徴で……ハァ、ハァ……こ、これが、ケッペンの気候区分でいう、Cs……」
教卓の上で四つん這いになっている先生に、どかっと腰を下ろしている蝉原。
先生は、苦しそうに、しかし、しっかりと授業をしている。
「……先生、そこ間違っていませんか? 地中海性気候は、夏は乾燥して、雨が多くなるのは冬の方ではないかと」
蝉原がそう言うと、椅子(先生)は、
「も、申し訳……ありません」
「いいんですよ、先生。誰にだって間違いはあります。間違ったら謝罪して訂正して反省する。それが人のあるべき姿。ですよね?」
「はい……その通りです……蝉原総長」
(……ねぇ、蝉原……もういいんじゃない?)
この状況が普通にいたたまれなくて、そう声をかけると、
蝉原は心の中で、
(人間はそう簡単に反省しないよ。この教師の授業は週に2コマ程度。週に100分ぐらいはケジメをつけてもらわないと)
教室の生徒たちは、もうとっくに『偉大なるフィクサー蝉原総長閣下』の奇行に慣れきっていて、特に騒ぎもせず、それぞれノートを取ったり、こっそりスマホをいじったりしている。
いつも通りの昼休み前の授業風景。
セフィアさんも、しっかりこっちをガン見している。
なんて平和なんだ……
★
四限目も終わりに差し掛かった頃。
「ねえ」
授業を聞かず窓の外を眺めていた滝本が、
「なんか、グラウンドに変な人いるんだけど」
(変な人? セフィアさん?)
窓の外に目をやる。
校庭の真ん中を、一人の男が、まっすぐにこちらへ向かって歩いてきていた。
彫りの深い顔立ちの外国人。
着ているのは、季節外れの薄汚れたジャケット。
そして、その頭の上に。
黒い、輪っかのようなものが、ふわふわと浮かんでいた。
まるで、堕ちた天使の輪っかみたいに。
(えぇ? ……蝉原、あれ、なに? ソニーかな? ソニーの新商品かな? 磁気で浮く的な?)
「……あれは……まさか、ダークリングか?」
蝉原は担任から降りて、その男を睨んでいた。
その男の目は、どこか焦点が合っていなかった。
虚ろなのに、ギラギラしている。
明らかに、まともじゃない。
(だーく……え? なんて?)
「……もう、この一手とは、予想よりだいぶ早いな。……ビビりどもが、チビりやがって……」
ボソっと、そう呟く。
いつもの余裕がある声ではない。
「モナルッポならもう少し抑えられると思ったが……買いかぶりだったかな……いや、というより……」
(えっと、よくわかんないけど……あれ、知り合い?)
蝉原は、僕の言葉を無視して、スマホで夜間を呼び出し、
「夜間。いまから送る映像の男を今すぐ洗え。で、なんでもいいから分かったら情報を回せ」
画面には、別枠で、校庭の防犯カメラの映像が表示されている。
型落ちの監視システムは、何年もファームウェアが更新されていないらしく、拍子抜けするほどあっさりと管理者権限が取れた。
ログも残さず、静かに。
蝉原は、学校の監視カメラの映像をすべて夜間に転送しながら、
「ウゼェな……ちっ」
僕以外の誰にも聞こえない小さい声でそうつぶやきつつ、教室を飛び出した。
★
校舎の入り口前。
靴箱のところで、謎の黒ワッカ男と対峙する蝉原。
蝉原は、ワッカ男を睨みながら、
「ストップだ。イっちゃってるお兄さん……悪いが、帰ってくれないか? ここにはカタギのガキしかいないんでね。あと、教師もいるが、それはノーカンで」
あえて、無理して笑みを浮かべる蝉原。
前に聞いたことがある……心の余裕は体の余裕。
焦っている時ほど笑ってみせるのが、蝉原なりの武の真髄。
ワッカ男は、虚ろにギラついた目で、蝉原をじっと見つめてから、
「……蝉原勇吾だな」
「かもしれないね」
「ワタシはグエン」
「丁寧な自己紹介、いたみいるねぇ」
「貴様を殺し……ワタシは英雄になる」
「俺を殺したぐらいじゃ英雄にはなれないよ。その称号はもっと重い」
「死ね」
そこで、グエンが飛びかかってきた。
人間離れした速度。
地面を蹴り上げて、一気に間合いを詰めてくる。
「ヒュゥ、いかすねぇ」
あえてノリよくよけながら、
「悪いが、寝ててくれ」
そう言いながら、蝉原は、グエンの顎にアッパーを叩き込んだ。
えげつない切れ味の拳。
普通の人間なら、一撃で意識を失う威力。
手ごたえもばっちりで、グエンの身体は、ズワっと天を仰いだ。
だが、
すぐに、ギロっと、蝉原を睨み返してくる。
「がぁああ!」
まっすぐに、殴り掛かってきた。
「ちっ……だいぶ汚染されているようだな……」
そう言いながら、蝉原は、ギリギリのところで回避する。
グエンが振り回した拳が、靴箱に直撃した。
グシャリ、と、鉄製の靴箱が、ダンプカーにでも轢かれたみたいに、無残に潰れる。
「……直で当たったら死んじゃうねぇ……」
仕方なく、蝉原は、本気の本気でいくことにした。
相手の関節を極めようと、素早く飛びかかる。
腕を取り、肘の関節を逆に決めにいく――はずだった。
手応えのないまま、するりと、グエンの腕が抜ける。
まるで、骨と関節という概念そのものを無視しているみたいな動き。
「おいおい、マジかよ」
あっさりと振りほどかれて、蝉原は受け身を取りながら回転し、靴箱の残骸の上に着地した。
蝉原の動きを、グエンは、虚ろな目でじっと観察していた。
獲物を品定めするような、それでいて何かに怯えるような、奇妙な目。
グエンは、
「聞いていた話と違う。このガキ、強すぎる。人の動きを逸脱している。……このままでは殺せない」
自分自身に言い聞かせるように、そう呟いた。
そして、靴箱の前に立ったまま、ゆっくりと、胸の前で両手を合わせる。
まるで祈りを捧げる信徒のように。
「神よ……偉大な神よ……ワタシに力を……」
その瞬間、グエンの身体の輪郭が、ぐにゃりと滲んだ。
頭上に浮かんでいた黒い輪が、ひときわ強く光を放ち、そこから流れ出した闇のような光が、彼の全身を包んでいく。
異臭がした。
焦げたゴムと、何かが腐ったような匂い。
もう……何が何だか、意味が分からない。
最近のソニーはすごいな。