いじめられっ子にとりついたのは、異世界帰りの経済ヤクザ。理想の未来はヒラ公務員だったのに、裏社会での成り上がりが止まらない―蝉原勇吾は怖すぎる― 作:閃幽零
2話 ダークリングはあまりよくないかも。
光に包まれたグエンは、まるで、映画でよく見る薬物中毒患者みたいに、瞳孔が開ききった目で、
「ぁー……あー……うぅ……」
と、意味のないうめき声をあげながら、先ほどよりも明らかに俊敏な動きで、蝉原に襲い掛かってきた。
その右ストレートは、もはや人間の速度ではない。
ギリギリのところでそれを避けながら、蝉原は、わずかに眉をひそめて、
「ダークリングを使い過ぎるのは、やめた方がいいんだけどねぇ……ま、言っても聞かないよねぇ」
軽口の裏に、確かな焦りが滲んでいた。
なんとか対処しようと、蝉原は次々と技を繰り出す。
足払い、肘打ち、関節技――けれど、どれも決定打にならない。
「レベルにして100前後ってところか。……今の俺の『カスみたいに低下した戦闘力』じゃあ、この数値差は跳ね返せねぇ……いやだねぇ」
ボソっと、そう呟く蝉原の声には、珍しく、本物の苦々しさが混じっていた。
暴れるグエンの拳が、空振りのまま、コンクリートの壁に叩きつけられる。
ズン、という重い音とともに、壁に蜘蛛の巣状のヒビが走り、次の瞬間、ガラガラと崩れ落ちた。
(……に、人間じゃない)
あれが直撃したら、蝉原の身体なんて、一瞬で潰れてしまう。
崩落の音を聞きつけたのだろう。
廊下の奥から、教頭が、慌てた様子で駆けてきた。
「な、な、なにごとかね?!」
状況を理解していない、間の抜けた顔。
蝉原は、グエンへの注意を一切逸らさないまま、
「消えろぉお! 邪魔だぁああ!!」
怒鳴りつけながらも、グエンのヘイトをしっかりと自分に引きつけ続ける。
「教頭! 殺されたくなかったら、他の生徒と教師を避難させろ! 俺がいつまでも持つと思うな! ぼおっとするな、行けぇええええ!!」
「は、はいぃ!」
顔面蒼白になった教頭が、転がるようにその場を逃げ出していく。
その背中を見送りながら、蝉原は、小さく舌打ちした。
「……『カタギにはなるべく手を出さない』なんて厄介なアリア・ギアスを組むんじゃなかったな」
(……ありあ……ん?)
「余計なことを気にしなくていい。こいつを殺すのに集中させろ」
と、そこで、
『総長……大丈夫ですか?』
イヤホン越しに、夜間の声が響く。
「調べはついたか?」
グエンの拳を紙一重で躱しながら、蝉原は短く返す。
『はい。いま、データを送りま――』
「口で言え。呑気な状況じゃねぇ」
『はっ』
一瞬の間のあと、夜間の声が続けた。
『もともと、技能実習生として日本に来ていたみたいです。真面目に働いていたようですが、理不尽な理由……人種差別とか、シンプルないじめとか……で、最後には冤罪で不当解雇。……とにかく職を失って、借金と、帰国費用の問題で、かなり追い詰められていたようで』
「……それで?」
『そこで、行方不明になっています。掴めた情報は、ここまでです』
夜間の報告は、それで終わった。
「OK、学校の近くで待機してろ。何かあったら連絡する。車で来い」
拳を避け続けながら、蝉原は、胸の内でそっと呟いた。
(おそらく、そこに付け込んだのが、300人委員会だろう。噂によると、人身売買や傭兵斡旋もやっているらしいからな。傭兵として戦地に送られ、死ぬまで特攻。300人委員会の便利な兵隊ってところだろうな。……ふん、この世の地獄を体現したような男じゃないか)
(えっと……どうするの?)
(生い立ちはどうでもいい。ほぼ確で300人委員会の仕業だ……ということで……ブチ殺す。俺のシマを荒らしたゴミを放っておいたら、俺が俺でなくなる)
僕は、目の前で唸り声をあげながら拳を振り回している男が、ただの悪意の塊ではなく、誰かに利用され尽くした末の、哀れな駒に過ぎないかもしれないと聞かされて、何も言えなくなった……が、
蝉原は関心なさそうだった。
他者の心に無頓着で、どこまでも冷酷で、自分の悪意を満たすことだけが命の全部……
本当かな。
最初から、300人委員会の仕業だと思っていたんじゃないの?
なのに、なんで調べさせたの?
『どうしようもないクズなら殺そう、そうじゃなかったら』……とか考えたんじゃないの?
分からない。
蝉原の本当の気持ちはわからない。
でも、少なくとも、さっきの『生い立ちはどうでもいい』ってセリフが嘘だってことだけは分かる。
グエンの拳を躱しながら、蝉原は、
わずかなスキをつき、
「アベル! 異次元砲!!」
その声に応えるように、それまで完全に気配を消していたアベルが、宙に姿を現す。
小さな黒猫の幽霊。
いつもは蝉原の肩や膝の上で丸まっているだけの、のんびりとした存在。
けれど、今は違った。
「にゃあ!」
愛らしい鳴き声とは裏腹に、その口から、太く凝縮されたエネルギーの奔流が放たれる。
まるで、魔法版のかめはめ波みたいだ。
光の奔流が、まっすぐにグエンの胴体を撃ち抜いた。
「ぐぁああ!」
吹き飛ばされ、地面を転がるグエン。
その隙を逃さず、蝉原は、すかさず追撃する。
「カンファレンスコール!!」
グエンの右目の前に、黒い球が出現した。
球の表面から、ビュっと、細い黒のレーザーが迸る。
ジュウウ、と、肉の焼ける音。
グエンの右目が、レーザーの先で、黒く焦げていく。
「ぎゃぁあああああああああああ!!」
絶叫が、校庭に響き渡った。
(あ、これ……い、いけるかも、蝉原!)
思わず、心の中で叫ぶ。
「もう、弾切れだけどなぁ……アベルも俺も、現段階じゃ、これ以上の魔力は使えねぇ……」
蝉原の声は、思いのほか冷静だった。
せっかくの一撃も、決定打にはならない。
その事実を、誰よりも蝉原自身が、一番分かっていた。
片目を失ったグエンは、しばらくその場にうずくまっていた。
「ぐ……ぐぅうう!」
苦悶の声をあげながら、それでも、再び、胸の前で両手を合わせる。
「神よぉおおおお!!」
また、祈る。
今度の黒い輝きは、先ほどよりも、明らかに強かった。
(あれ……もしかして、多分だけど、祈るほどに体が強くなって……そして、頭がおかしくなる感じ……?)
心の中で、僕は、そう推測する。
(正確には汚染されるんだがな……まあ微々たる違いだな)
光が収まった時、グエンの右目は、何事もなかったかのように元通りになっていた。
ただし、その目には、もう正気の色は、欠片も残っていなかった。
全身の筋肉が、ひと回り膨れ上がる。
両手の先に、空気が歪むようなエフェクトと共に、何かが形作られていく。
半透明の二丁マグナム。
まるで、それ自体が生きているみたいに、ドクン、ドクンと脈打っている。
その異様な武装を見て、蝉原は、心底うんざりした顔で、
「ラインを超えて、魔力開眼したか……幻想双銃の召喚……勘弁してほしいね」