いじめられっ子にとりついたのは、異世界帰りの経済ヤクザ。理想の未来はヒラ公務員だったのに、裏社会での成り上がりが止まらない―蝉原勇吾は怖すぎる― 作:閃幽零
5話 切り札。
龍星会の事務所は、珍しく静かだった。
幹部も配下も、誰もいない。
椅子に腰を下ろした蝉原だけが、薄暗い室内にぽつんと座っている。
「300人委員会はエインヘリヤルという超人部隊を持っていてな」
独り言のような声で、蝉原が言った。
「そこに所属している連中は全員、グエンより上だ」
(今後は……そのエインヘリヤルが、僕らを殺しにくるってこと?)
「間違いなくな」
(大丈夫なの?)
「それは俺を怒らせた300人委員会に言ってやるべきセリフだな」
いつも通りの、涼しい返し。
でも、今回ばかりは、素直に笑えない。
(いつもの強気で頼もしい限りだけど……本当にいける? だって、エインヘリヤルはグエン以上なんでしょ? グエン、相当エグかったよ? 君ですらギリギリの勝利だったのに……)
「問題ない」
蝉原は、短く言い切った。
「そのための準備を、ずっとしてきた。グエンの時は不意打ちされたから対応が遅れたけど……もう二度と好きにはさせない」
と、その時、
事務所のドアが、静かに開いた。
入ってきたのは、セフィアさんだった。
またいつものストーカーか……と思いきや、雰囲気が違った。
頭上に、黒い輪が浮かんでいる。
グエンが持っていたものと、同じ形をしたリング。
表情は、いつも通り、何も映していない。
なのに、僕でも分かるぐらい……空気が、研ぎ澄まされていた。
殺気、というものを、これほど明確に感じたのは、初めてだった。
これは……どういう状況なんでしょう……
「あなたを殺す」
静かな声だった。
怒りも、憎しみも、何もない。
公務員ぐらい事務的な宣言。
それを受けた蝉原は、ニタリと、口角を上げた。
「悪いがそれは無理だ」
「……わたしは強い。グエンよりも……あなたよりも」
「かもしれないけど、関係ない」
「?」
セフィアさんの無表情に、ほんの僅かな、亀裂のようなものが走った気がした。
「この教室で、君と初めて顔を合わせた時……より前から、君の解析は進めていた」
「……」
「君には俺の切り札になってもらう」
「……不可能。私の命令権限は、カイザリオン猊下直轄。あなたにいじれるものではない」
「それが出来るんだなぁ」
蝉原は、楽しそうに肩をすくめた。
「なぜできるかは……企業秘密ということで」
その瞬間、僕の中で、何かが、ざわりと揺れた。
自分の奥にある何かに触れられたような気がした。
言葉にはできない不快感。
蝉原は、セフィアさんをまっすぐに指さして、
「俺の命令に従え」
短い、静かな一言だった。
次の瞬間、
セフィアさんの身体が、ぶるぶると震え始めた。
頭上の黒い輪が、激しく明滅する。
まるで、何か巨大なものが、内側から塗り替えられていくような……そんな震え方だった。
やがて、彼女は、ゆっくりと、片膝をついた。
「……命令権の移譲を……確認」
その声は、いつもより、わずかに低かった。
「これより……あなたに従います」
沈黙が落ちた。
(え? どういうこと? これ、どういう状況?)
思わず、心の中で叫ぶ。
「彼女は、エインヘリヤルのリーダーだ。300人委員会の命令で俺を殺しにきた」
(ボケだと思いたいけど……ま、たぶん、事実なんだろうね……状況的に……)
「けど、俺の色気がハンパなさすぎて濡れてしまった。それだけの話さ」
(……それは、流石にボケだよね。やめてくれない? このマジで混乱必須の状況で、謎のボケてくるの……え、どこまでが本当? 彼女がエインヘリヤルっていうのも嘘?)
「それは本当」
(じゃあ彼女が君に従った理由は? 君の色気が半端ないのは認めるけど、それは、彼女が300人委員会を裏切った理由じゃないよね? なんで、彼女は、君に従うの?)
「坊やだからさ。若さゆえの過ちと言ってもいい」
蝉原は、雑にそう言いながら立ち上がった。
膝をついたままのセフィアさんを、静かに見下ろしてから、
「こい、セフィア」
そう言いながら、事務所の出口へと歩き出す。
「いまから……300人委員会を殺しにいく。俺の剣になれ」
「……承知しました」
セフィアさんは、静かに立ち上がり、一度だけコクっと頷いてそう言った。
その目に、何が宿っていたのか、僕には分からなかった