いじめられっ子にとりついたのは、異世界帰りの経済ヤクザ。理想の未来はヒラ公務員だったのに、裏社会での成り上がりが止まらない―蝉原勇吾は怖すぎる― 作:閃幽零
6話 天使抹殺。
その日のうちに、蝉原はセフィアさんと一緒にスイスに飛んだ。
チケットの手配から出国・到着まで、蝉原は一切の迷いなく動いた。
――セフィアさんが先導し、僕たちはジュネーブ郊外の、どこにでもある古い石造りの建物の前に立つ。
観光客が素通りするような、地味な外観。
けれど、セフィアさんが特定の順番で石壁に触れると、足元の床が静かに沈んでいく。
エレベーターのような降下。
どこまでも、深く。
ようやく地面が止まった時、目の前には、長い廊下が続いていた。
壁も天井も、磨き上げられた石。
照明は一切なく、代わりに、床に埋め込まれた淡い光の筋だけが、奥へ奥へと伸びている。
ここが、世界の本丸。
蝉原は、感慨を一切見せずに、歩き出した。
★
廊下の途中で、彼らは来た。
エインヘリヤルの面々。
全員、頭上にダークリングを浮かべている。
ただし、纏っている気配の密度が、グエンとは比べ物にならない。
身にまとっている鎧や武器が、禍々しく輝いている。
(これ、たぶん……全員、グエンより強い……よね?)
心の中で呟く。
答えは、蝉原ではなく、現実が返してきた。
セフィアさんが、前に出た。
一歩。
たった一歩、踏み込んだだけだった。
次の瞬間には、廊下に、折り重なった人影が転がっていた。
全員、静かに気絶している。
(セフィアさん、つっよ……)
「彼女は世界最強の超人だからね」
蝉原は、足元の気絶した超人を軽々と跨ぎながら、涼しい顔で言った。
「エインヘリヤルの中でも、ぶっちぎりのトップ。彼女を味方にすることが、この世界の攻略方法だった。だから俺は、ここまでずっと、それだけに集中してきた。それ以外にやってきたことは、全部、『大事な電話中にやるペン回し』みたいなもの」
などと言いながら、蝉原は、廊下に転がったエインヘリヤルの装備を、次々と剥ぎ取り始めた。
ダークリング。
腕力を底上げする籠手。
光を纏った短刀。
それらを、手慣れた動作で自分の身につけていく。
そして、それぞれの装備に向かって、静かに指を走らせた。
エアウィンドウが展開される。
蝉原は、ほんの数秒で操作を終える。
(なにしたの?)
(ストッパーを解除して、俺仕様にしておいた)
とんでもないことを、いつだってサラっと言ってのける。
そこに痺れる、憧れる。
★
本部の扉は、重く、静かに開いた。
円卓。
無数の席。
そこに座った権力者たちが、一斉にこちらを見た。
誰もが、青白い顔をしていた。
廊下での出来事は、既に伝わっていたのだろう。
そして、円卓の最奥。
この世界の支配者。
――ジャッジメント・カイザリオン。
立ち上がったその姿は、人の形をしていながら、明らかに人ではなかった。
左右非対称に並んだ複数の目。
背から伸びる、関節の多すぎる腕。
全身から溢れる光は、冷たく、鋭く、この場の全てを圧していた。
普通に気持ち悪い。
こんなのを天使と呼んでいいのか……
天使って、かわいらしいものじゃないの?
そこで、カイザリオンの視線が、まずセフィアさんに向いた。
「セフィア・ローズよ」
低く、抑揚のない声。
「なぜ裏切った」
「……わたしの支配者は、あなたじゃない」
セフィアさんは、静かに答えた。
カイザリオンの複数の目が、今度は蝉原へと向く。
「蝉原勇吾……いったい、何をした?」
「俺に惚れない女はいない。それだけの話ですよ、猊下」
「……ふざけたことを」
カイザリオンの全身から、光の密度が跳ね上がった。
「もったいないが……セフィア・ローズは破壊する。そして蝉原勇吾、貴様も」
「できるかな?」
「できないとでも? 私は天使だ。改造人間とマフィアに負ける天使など、存在しない」
次の瞬間、カイザリオンが動いた。
速い。
グエンとは、比べ物にならない。
セフィアさんでさえ、その初撃を完全には捌けず、廊下の壁まで吹き飛ばされた。
壁に激突したセフィアさんが、それでも無言で立ち上がる。
返す刀で、カイザリオンに向かっていく。
二人の戦闘が、本部を揺さぶった。
床が砕け、天井から石片が降ってくる。
権力者たちが、悲鳴を上げながら、席を離れて壁際に逃げていく。
蝉原は、その混乱の中で、静かに動いた。
音を殺して。
気配を消して。
カイザリオンの死角を、一歩ずつ、詰めていく。
セフィアさんが、カイザリオンの正面で、全力の一撃を叩き込んだ。
天使の身体が、わずかに、後退する。
その一瞬、
蝉原は、跳んだ。
神器で固めた全身。
ストッパーを外したダークリングが、頭上で強い光を放つ。
そして、右手に握ったナイフが、カイザリオンの首筋に、深く、静かに、吸い込まれた。
「ばか……な……」
カイザリオンの複数の目が、ゆっくりと、蝉原を捉える。
「このわたしが……人間に……」
「一つだけ教えておこう。俺は人間じゃない……ヤクザだ」
蝉原は、ナイフを引き抜きながら、静かにそう言った。
「ふん。何が天使だ、ハリボテのカスが……グエンの方が遥かに強かったよ」
カイザリオンの身体が、光の粒子になって、崩れていく。
やがて、その光が集まり、一つの形を成した。
それは鍵だった。
古い、重厚な、金属の鍵。
床に落ちたそれを、蝉原は拾い上げる。
周囲では、権力者たちが、震えながら声を上げていた。
「ひ、ひぃ……!」
「ま、まさか……!」
「天使が……カイザリオン猊下が……殺された……!」
「ばかな……ばかな……!」
蝉原は、その声を聞きながら、一度だけ、振り返った。
「ぴーぴーうるさい連中だ」
心底、つまらなそうに、そう言った。
「そんなザマで、世界の支配者を気取っていたっていうんだから、笑わせる」
そして、手の中の鍵を、静かに砕いた。
乾いた音が、本部に響く。
次の瞬間、空中に、亀裂が走った。
亀裂は広がり、光を溢れさせながら、一つのゲートを形成していく。
蝉原は、そのゲートを、静かに見上げた。