───たった今、目覚めた。
その事実だけが、確実に自覚できる一番最初の事だった。
掌から伝わる冷たい石畳の感触。
ゆっくりと身体を起こすと、乾いた砂埃がさらりと舞い上がり、静寂だけが耳に届く。
「…………ここは……?」
思わず漏れた声に、自分で小さく首を傾げる。
ずいぶんと高く、澄んだ声だった。
……はたして自分はこんな可愛らしい、ともすればアニメの中の住人のような声だっただろうか?
そんな違和感を抱きながら周囲を見回す。
……そこは、街だった。
おそらく、どこかの国の「主要都市」クラスの規模はあるかもしれない大きな都市。
高層建築が林立し、整然とした道路が果てまで続いている。
車道には放置された車両が何台も並び、信号は機能を失ったのか何も灯してはいない。
そして───誰も居ない。
人の気配も、生活音も、風に揺れる衣擦れさえない。
街そのものが、ある瞬間に生物を除いて切り取られ、取り残されたような……不自然な静けさだった。
そして、それ以上に目を引いたのは───
「……何、これは……」
道路を突き破るように群生する、黄緑色に発光する巨大な結晶。
街路樹の代わりに生えた植物、もしくはビルの壁を侵食する寄生生物。
炭素塊にも鉱石にも見えるその結晶内部から、淡い光が静かに漏れ出ていた。
辺りを見渡せば、大小様々な結晶柱が都市の至る所から伸び、静かに黄緑光を脈動させている。
見た目は綺麗だ。
そう思う一方で、本能が警鐘を鳴らしている。
触れてはいけない……理由は分からないが、そう感じた。
反射的に一歩下がり、今度は空を見上げる。
本来あるべき青空はほとんど見えない。
空一面を覆うように、重量感のある雲が重なり、その間を浮遊するコンクリート片や廃材が風を受けてゆらゆらと流されていた。
巨大な炭を砕き、その破片を空というキャンバスに振り撒いたような光景。
時折、都市の寝息なのか、空間そのものが波打つ。
世界が………軋んでいる?
「どこ、ここ……なに……連れてこられた……?」
独り言だけが、静かに街へ吸い込まれていく。
返事を返すのは、静かに吹き抜けていく風のみ。
どうすればいいのか分からず、とりあえず歩き始めようとしたが────その途中で、不意に装飾過多な袖が視界へ入った。
「……??」
黒い……和服?
赤い装飾に、某歌ロイド等でありがちな長く口の広い袖。
腰には幅広の帯、歩くたびに帯飾りが小さく揺れる。
私は思わず立ち止まった。
「もしかして……コスプレしてる?」
服を摘まむと、ちゃんとした高級感のある柔らかい布地。
見覚えは……………………無い。
「コスプレ趣味とか……あったっけ?」
答えてくれる人はいない。
…………無意識に、手が髪へ触れる。
さらり。
長く、白い………そのまま頭の方へ指を伸ばす。
「……?」
何かに触れた。
柔らかく、温かい、そして動く。
「??」
恐る恐るもう一度触る。
ピクッ────動いた。
「………????」
慌てて頭へ両手を伸ばす。
そこに感じるのは、明らかに髪の毛とは異なる手触り。
強いて言うなら、犬猫を撫でた時に近い感触。
とりあえず引っ張ってみるが、自らの頭皮が引っ張られている感覚のみが帰ってくるだけ。
「????????」
軽い混乱。
それと同時に、後ろで何か重たいものが揺れた。
頭を動かして視線だけで振り返ると、そこでは、黒いメッシュ混じりの長い白い尾が、ゆっくり左右へ揺れていた。
「し、尻尾……?」
思わずその場でしゃがみ込んだ。
「夢……VR……?」
しかし、冷たい石畳の感触はあまりにも現実のそれとしか思えない。
訳も分からず、しばらく歩く。
人気のないビルへ入り、割れたショーウィンドウの前で足を止めた。
ひび割れたガラスが、ぼんやりと自身を映している。
「………………」
そこに映っていたのは……誰?
白い髪に赤い瞳、そして狐の耳。
全体的な姿は、幼さを残した少女の物。
黒と赤を基調にした華やかな衣装を纏い、呆然と立ち尽くしている。
自分は……私は、ガラスへ手を伸ばした。
「……いや、いやいや」
ぽつりと呟く。
「流石にこんなファンタジックな格好はしてなかった……でしょ……」
そう思う。
…………そう思うのに……
「……んんっ?」
じゃあ──本当は、どんな姿だった?
もっと背が高かったのか、地味な黒髪だったのか?
社会人、学生、それとも無職のヒキニート?
というか、そもそも女だった?
何一つ……何一つ思い浮かばない。
思い出そうとするほど、頭の中は真っ白になっていく。
息が浅くなり、鼓動だけが速くなる。
「私……」
名前は………言えない。
自分の顔、家族の顔、住んでいた場所、年齢、仕事。
好きなものと、嫌いなもの。
何も────思い出せない。
ガラスに映る少女を見つめながら、ゆっくりと唇を震わせる。
「……私は……」
そこで初めて、その事実を理解する。
「……記憶が、無い」
私は、自分が誰なのか知らない。
なぜここにいるのかも、この街が何なのかも……この姿になった理由も。
何一つ分からない。
静まり返った都市に、私の声だけが小さく響き、やがて誰にも届くことなく消えていった。
ひび割れたガラスに映る“自分”である少女を、私はまじまじと見つめる。
白銀の髪に、頭の上には白い獣耳。
澄んだ赤い瞳。
少なくとも自分のものではない……けれど、その顔を見つめているうちに、不意に胸の奥がざわついた。
「……」
なんとなく身体を左右に振って見せると、ガラスの中の彼女もまた同じように身体を揺らす。
…………知っている。
この雰囲気、このデザイン、どこで見たのだろうか。
記憶がぼやけた霧の向こうから、断片だけが浮かび上がる。
「えっと……」
私は額に手を当てる。
「……動画?」
自分に関する事は何一つ覚えていないのに、それ以外の政治、経済、文化、社会についての事柄は、いとも容易く急速に記憶として溢れ出てくる。
「………あぁ、あれだ」
思い出した。
有名なVTuber事務所………その中でも有名どころである……
「こんこんキツネの人、だ」
しかし……
「いや、少し違う……」
例のその人は青い瞳だった筈だし、それに……視線を服へ落とす。
黒を基調に、赤をあしらった特異な和装。
今度は別の誰かが頭をよぎる。
「あの和装鬼娘……」
同じ事務所にいた、角の生えた和装の女の子のV。
そういえば、この赤い瞳はその子に似ている。
「なんで……?」
なぜそこを混ぜた…?
何でこうなったのだろうか、全く意味が分からない。
「んんん~~……ん……んん??」
変な疑問を前に唸る私は、自らの声色に少しの違和感を感じ、何度か「あー」「えー」と声を出してみる。
「…………」
同じ事務所の狼娘のやつじゃん。
……落ち着いて聞いてみると、自分の声質はその子によく似ている。
「えぇ……何故に……?」
思わず素っ頓狂な声が漏れる。
白狐っぽい見た目に鬼っぽい服、そして狼っぽい声。
「闇鍋じゃん。まぁでも全く何も無いよりは……」
自分で言っていて意味が分からない。
とはいえ、こうもスラスラと情報を思い出すあたり、自分は所謂Vのファン、もしくはリスナーだったんだろうか?
とはいえ、これを切っ掛けに記憶を呼び覚ませるかもしれない………との思考は、唐突に止まった。
ガラスに映る自分、その背後。
誰もいなかったはずの道路に
────────黒い人影が立っていた。
「…………」
何度か瞬きするが、その人影は消えない。
見間違いではない。
それは、確かにこちらを向いている。
けれど……何かがおかしい。
体表面が街中に生えていた緑色の結晶と同じ質感をしており、黒い岩肌の隙間から蛍光色の光が脈打つように漏れている。
概ね全身が、鉱物を人間型に無理やり繋ぎ合わせたような異様な姿。
顔らしき場所には目も口もなく、ただブラックホール様の球状の“虚空”だけが浮かんでいる。
「…………え?」
ガラス越しに“ソレ”と目が合った気がして、ぞわり、と全身の産毛が逆立った。
ゆっくりと振り返る…………身長は、二メートル近い
人型だが、人間とは決定的に違う。
生き物などとは言えない、何か別の法則で組み上げられた異形。
その左腕だけが異様に肥大化し、街中に生えていたものと同じ蛍光色の結晶が顕著に突出し、一振りの巨大な刃を形作っていた。
刃先が毒々しい黄緑色に淡く発行する。
次の瞬間、異形の身体が爆発するように踏み込んできた。
「────っ!?」
風が唸る。
結晶の刃を真上へ振りかぶり、獲物を断ち切るためだけに造られた機械のような正確さで、一直線に、私へ飛びかかってきた。
────死ぬ……!?
巨大な結晶の刃が視界を埋めるように迫る。
咄嗟の反応が間に合わない……避けられない、そう判断した瞬間だった。
金属が噛み合う、小さな音。
「……!」
気付けば、右手には一挺のライフルが握られていた。
黒を基調とした直線的な外装に、特徴的なキャリングハンドル、そして円筒形の長いハンドガード。
………おおよそ「AR-15」もしくは「M16」と呼ばれるような外見のライフルがそこに在った。
どこから現れたのか、いつのまに握ったのか………考える余裕は、一瞬たりともない。
身体は勝手に動いた。
ストックを肩へ当て、照準を合わせる。
その一連の動作が、まるで何千回も繰り返してきた日課であるかのように自然と行われた。
「っ!!」
引き金を引く。
乾いた連続音が静寂を引き裂き、激しい反動が肩を幾度も殴り付ける。
暴れ狂う銃口と、薬莢が石畳で跳ね回る甲高い音。
私は夢中で引き金を握り続けた。
「んんっ……!」
思わず声が漏れる。
滅茶苦茶な照準、弾道は上下左右へ散っていく。
それでも多数の弾が発射されている事には変わり無く、そのうち一発が異形の肩へ着弾した瞬間。
───バガッッ
石が砕けるような音が響いた。
異形の身体は弾丸を受け止めるでも、小さな穴を空け貫通されるでもなく。
着弾した一点から、アイスクリームをディッシャーで掬ったかの如く抉り飛ばされた。
それで動きが止まった異形に対し、次々と数十発の弾丸が直撃していき……遂には粉々に砕け散る。
飛び散った破片は地面へ落ちることなく、空中で七色の光を放ちながら輪郭を崩して、消えていった。
ノイズが走る古い映像、あるいは、破損したデジタルデータのように、異形は細かな光の粒へ変わり、空気へ溶けるように消滅した。
「……な、何が……」
……とはいえ、何が起きたのか考察している暇はなかった。
ガシャリ、と結晶が擦れる音に気がつき、反射的に振り向く。
路地の奥、ビルの影、高架の上……何時の間にかそこら中に、同じ異形が現れていた。
「まだ居るの……?!」
半ば悲鳴を上げながら銃口を振り回す。
激しい発砲音と着弾の火花、近い敵から順に弾丸のシャワーを浴びせかける。
弾が乱雑に直撃する度に石英の割れるような乾いた音が響き、異形は七色の光を撒き散らしながら崩壊していく。
何十個もの空薬莢を撒き散らしながら横凪ぎに、一体づつ順に消滅させていき………やがて引き金を引く指が止まる。
辺りは静まり返り、硝煙だけがゆっくりと漂っていた。
「…………」
荒い呼吸を繰り返し、肩が上下する。
鼓動がうるさい。
誰も居ないか、恐る恐る辺りを見回す。
……さっきまで異形が立っていた場所には、砕けた欠片すら残っていなかった。
まるで最初から存在しなかったかのように、静かな街だけが広がっている。
「な……」
震える手でライフルを握り直すと、今になって、その重さがはっきりと伝わってきた。
使い込まれたように手へ馴染む。
「なんで……」
使い方は、身体が覚えていた。
誰かに教わった心当たりなど無いのに。
それでも撃てたのは、もしかしたらそういう土地に居たのかもしれない。
「……どういうこと?」
小さく漏れた声は震えていた。
ライフルを胸の前へ構えたまま、腰は引け、足取りもおぼつかない。
それでも視線だけは、異形が消えた場所を一つひとつ確かめるように動いていく。
どこからか、また現れるか分からないという恐怖が喉を締め付けるが、身体だけは必要な確認のために動く。
そして、静寂だけが戻った都市の中で、困惑と警戒の入り混じった息を吐いた。
「……あれは、一体……何だったんだろう……ゾンビ?」
その時だった。
静まり返った街のどこかで、乾いた金属音が鳴った。
「っ!」
考えるより早く身体が反応する。
反射的にライフルを構え、音のした方向…………数十メートル先で路肩へ斜めに乗り上げた廃車へ銃口を向けると、息を吸う間もなく引き金を絞っていた。
轟音が再度街へ響き、銃口から吐き出された弾丸は一直線に廃車へ降り注ぐ。
まず前輪が爆ぜるように吹き飛んだかと思えば、続けざまに運転席のドアが蝶番ごと引き千切られ、ぐしゃりと音を立てて宙を舞う。
ボンネットが内側から蹴り上げられたように勢いよく跳ね上がり、フロントガラスは無数の亀裂を走らせながら粉々に砕け散る。
車体へ刻まれた弾痕は真っ赤に灼け、金属が溶け始めるほどの熱を帯び、白い煙を細く立ち上らせていた。
───カチャッ
引き金の感触が変わった。
「あっ……」
弾切れ。
薬室が空になったことを知らせる乾いた音だけが響き、街は再び静寂を取り戻す。
どうやら勘違いだったようで……肩で息をしながら周囲を見回し、異形が現れないことを何度も確かめると、ようやく少しだけ緊張を解いた。
「はぁ……はぁ……」
鼓動はまだ速く、手も震えている。
「……」
なんとなく……本当になんとなくだった。
身体が、次に何をすればいいか知っているような感覚に従い、左手でマガジンキャッチを押し込む。
カチリ、と小気味よい音が鳴り、長い箱型のマガジンが重力に従って掌へ滑り落ちた。
勿論、マガジンは空になっている為、マガジンフォロワーが露出している。
…………しかし、その僅か一秒後。
「……え?」
僅かに重量感が増す感覚と共に、マガジンリップ……弾倉の入り口から黄色の金属色が覗き、そこには新品の弾薬がぎっしりと並んで詰まっていた。
「……いきなり装填された?」
思わず裏返し、横からも眺める。
何の変哲も無いマガジン。
しかし見間違いではない、弾は入っている。
それも一発や二発ではなく、最初から何も撃っていなかったかのように。
「え、でも……」
私は確かに撃った。
数える余裕はなかったけれど、少なくとも何十発も。
……いや待った、そもそも私は何発撃った?
このタイプのマガジンには精々30発しか装填出来ない筈だ……さっき撃った弾は明らかに100を超えている。
「どういう……こと?」
そもそも、M16……5.56mm弾に車を滅多打ちに壊す威力などあっただろうか。
タイヤが破裂する程度ならまだしも、ドアを吹き飛ばし、ボンネットを跳ね上げ、着弾した場所が赤熱化するなんて、記憶を頼れずとも、弾頭が本来有する筈のエネルギー量から考えれば有り得ないと、知識としておかしい事くらいは把握できる。
震える指先でマガジンを元に戻し、カチリ、と小気味よい音を響かせて装填を終えると、改めてライフル全体へ視線を落とした。
黒を基調とした無骨な外装は、やはり見れば見るほど現実のM16系列に近い。
しかし、細部には見覚えのない部品が組み込まれ、僅かに全体的な印象を異なものとしている。
何となく、マガジンハウジングの左側面へ目を向ける。
本来なら社名やモデル銘が刻印されているそこには、白い文字でいくつかの刻印が並んでいた。
───『E.D.F PA-11』
「EDF……?」
声に出した瞬間、頭の奥で何かが繋がった。
これは実在する軍隊の略称ではない、だが、自分はこれを知っている。
「Earth Defense Force………“地球防衛軍”」
巨大な蟻、空を覆う円盤、都市を破壊する怪獣。
そして、それら生身で薙ぎ倒していく兵士達。
「…………PA-11」
それは、地球防衛軍において最も最初に使うことになるだろう武器の名前。
全長10メートル級の巨大甲殻生物を容易く“破壊”可能な“最低レベル”の武器の名前。
「じゃあ……」
もう一度、ひび割れたガラスへ映る自分を見る。
Vの外見を無造作に混ぜたような見た目、しかしよく考えると、この三人は地球防衛軍とコラボしていた。
それモチーフの装備品もある。
「……つまり?そういうこと?」
だとしても、じゃあ、何故そのようになったか、という疑問は一向に晴れそうに無い。
それに、此処が何処かも全く検討がつかない。
見上げれば、空は相変わらず不気味な雲で覆われ、結晶は静かに発光を続けている。
人の気配はなく、さっき襲ってきた異形が何者だったのかも分からない。
何一つとして分からないまま、分かったことといえば、妙な姿になった自分がゲームの武器を持っていて、その武器が異様に強いという、現実味の欠片もない事実だけだった。
「……困ったな……」
ぽつりと漏らした声は、広い街路へ吸い込まれ、静かに消えていく。
この場で立ち止まっていても、答えが空から降ってくるとは思えない。
誰かが、あるいは、この街について分かるものが残っているかもしれない。
そう自分へ言い聞かせるように小さく息を吐くと、ライフルを抱え直し、時折周囲へ視線を巡らせながら、人気のない都市の奥へ向かってゆっくりと歩き始める。
その足音だけが、静まり返った街に規則正しく響いていた。