幾つかの割れ目の先にあった空は、異様なほど晴れていた。
久しぶりの青空の下、広大な工事現場が広がっている。
建設途中の高層建築、その足元に積み上げられた鉄骨、放置された重機、途中まで舗装された道路……本来ならば人の声や機械音で満ちていたはずの場所は、今や不自然な静けさに包まれていた。
その静寂を、地面を叩き割るような轟音が引き裂く。
大型の四足歩行エーテリアス、アーマーハティの突進。
頭部を低く下げながら巨体が地面を踏み砕いて距離を詰めるその姿は、全速力の装甲車両そのものだった。
まともに正面から受ければ、生半可な防御などあってないようなものだろう。
その進路上に、ホロが立っている。
その服装は以前の和服から一転……比較的動きやすい洋服(具体的には百鬼あやめ公式サイト立ち絵衣装の上から八番目)を纏っていた。
彼女は目の前のエーテリアスに何も言わず、ただ、左腕を前へ差し出す。
小さなモーター音、白銀色の大型シールドが展開され、ホロの小柄な体躯を正面から完全に覆い隠した。
次の瞬間、アーマーハティがシールドに激突。
轟音。
その瞬間、ホロは僅かに身体を沈めると、シールド内部の機構を起動した。
物理運動反転装置、通称ディフレクターの効果は問題なく発揮され……衝突の瞬間、受け止めた運動エネルギーが反転させられる。
結果としてアーマーハティの巨体は、見えない壁に正面から殴り飛ばされたように大きく跳ね返った。
ホロはその隙を逃さずに右手の大型火砲、NCXEキャノンショットを構え、照準を合わせる。
発砲の閃光、砲声、数十発の巨大な散弾が、ほとんど一つの塊に見えるほど密集した状態で飛び出していく。
刹那的な時間の中で、至近距離にいたアーマーハティの巨体が一瞬で消えた。
装甲も、結晶も、肉体らしきものも、すべてが細かな光の破片へ変わり、七色の輝きを撒き散らしながら吹き飛んでいく。
アーマーハティを消し飛ばした散弾は、未だに運動エネルギーを保ちながら円錐形に拡散。
工事現場の奥にいたエーテリアスの群れが、逃げる暇もなく散弾の奔流へ呑み込まれた。
巨大な建設機材が吹き飛び、鉄骨が千切れる。
コンクリートの柱が粉砕され、無数の赤熱化した穴を穿たれながら崩れ落ちると同時に、エーテリアスの身体が次々と弾け光となって消えていく。
もし仮に、戦艦の主砲用散弾が存在すればこのような惨状になるのだろうという破壊を撒き散らしながら、火の粉と粉塵が巨大な雲となって空へ舞い上がった。
現場に、一瞬の静寂が降りる。
「……」
ホロは僅かに目を細め、周囲の気配を拾うことに集中した。
そして何事もなかったように武装を変更する。
新たに右腕に装備された武装は、複数の銃身が束ねられた重量級の回転式機関砲……FGZFハンドガトリング。
それを大型シールドの横から狙うように構えると、工事現場の奥へ向かって歩き出す。
そして、引き金を引いた。
凄まじい射撃音と共に、ガトリング砲が弾丸を吐き出した。
横に並んでいたエーテリアスが、まるで巨大な刃物で薙ぎ払われたように次々と吹き飛び、結晶質の身体へ無数の着弾痕を刻まれながら七色の光へ変わっていく。
ホロは悠長に歩きながら、ガトリング砲の火線を鞭のように振り回し、エーテリアスを破砕していく。
その後方から追随するヤタ……徒歩でついてくる彼女がいる以上、広範囲を吹き飛ばす爆発性兵器や、スラスターによる高速機動はなるべく避けている。
ホロが本来持っている火力や機動力からすれば、今のそれはかなり抑制された戦い方だった。
それでも、十分すぎるほどの火力があるので問題は無いのだが。
最後のエーテリアスが崩れ落ちたところで、ガトリング砲の回転がゆっくりと止まった。
ホロは銃口を下げ、周囲を見回す。
もう動くものがないことを確認すると、武器を虚空へ消した。
「……」
そのまま適当に歩き続けようとしたところで、後ろからヤタの声が飛んでくる。
「ホロ!」
ホロが振り返ると、ヤタは少し離れた場所にある、建設途中の建物を指差していた。
「こっち、ちょい見て!」
「どうしたの?」
ホロが近づいていく。
着弾によって一部が崩壊した建物の一角には、工事用の資材とは明らかに違うものが残されていた。
簡易ベッドや携帯式の照明、空になった消耗品の容器。
壁際には工具や小型の機材がまとめて置かれ、さらに奥にはまだ未開封の物資まで残っている。
…………人が生活していた痕跡だった。
「……ここ、誰かいたんだ」
「うん」
ヤタは周囲を見回す。
「しかも、そんなに前じゃないと思う」
床に積もった埃は薄く、物資もほとんど手つかずのままだった。
ホロは棚から一つの保存食を手に取り、表面についた粉塵を指で払う。
「じゃあ、ここにいた人たちは?」
「たぶん……」
ヤタは入口の方へ視線を向けた。
「慌てて出ていったんじゃないかな?……ほら、普通ならこんなに物を残していかないっしょ」
確かに、生活拠点を捨てるにしては残されているものが多すぎる。
武器や貴重品だけを持ち出したというより、そこにいた人間が突然、最低限の荷物だけを持って逃げたように見えた。
「最近のホロウ、何か変なことが起きてるらしいんだ」
ヤタが言う。
「変なこと?」
「うん。移動性空間錯乱とか、なんかホロウ内の空間構造がぐちゃぐちゃになるとか……そういう災害」
「それで………ここも災害に巻き込まれて?」
「たぶんね」
ホロは無言で拠点の中を見回し、自分がさっきまで歩いてきた道を振り返る。
「…………それって、もし巻き込まれたらどうなるの?」
「……分からない」
ヤタは肩をすくめた。
「でも、ウチらも気を付けるのに越したことは無い、かもね」
ホロはしばらく考え、それから小さく頷いた。
そして、まだ残されている物資へ視線を向ける。
「とりあえず、使えそうなもの探そっか」
二人は、放棄された拠点の中へ足を踏み入れていった。
ヤタが物資を漁っている間、ホロは一人、建物の壁際を眺めていた。
コンクリートの壁に描かれた、いくつもの線と文字……スプレーか何かで乱雑に描かれたグラフィティだった。
「治安悪そうなヤツだ…」
ホロには何が描かれているのか、そこにどんな意味があるのかも分からない。
ただ、この世界に来てから見慣れた標識や広告とは明らかに違う、誰かが何かを誇示する目的で意図的に残したものだということだけは分かった。
「……ホロー、どしたー?」
視界の隅、床に置かれた箱を覗き込んでいる姿勢のヤタの声が響く。
ヤタは顔をホロの方に向け、彼女の視線の先を見る。
その瞬間、ヤタの表情が僅かに変わった。
「……あー」
「知ってるの?」
「うーん、たぶん……山獅子組のマークかも」
「山獅子組?」
「うん。犯罪組織」
ホロの顔が露骨に引きつった。
「……犯罪組織」
「ま、似たようなのを見たことがあるだけだけど」
ホロは改めて建物の中を見回す。
簡易ベッドに大量の保存食、工具や燃料らしき容器をはじめとしたDIY用品。
そして、壁に残されたグラフィティ。
「……ここ、ヤクザとかギャングの拠点だったりする?」
「ヤクザ?……まあ、ヤクザといえばヤクザか……」
ホロの視線が忙しなく動く。
「待って……ホロ達、今、ヤクザの家に空き巣してる?うわ……後でオイゴルァ!されたらどうしよ……」
明らかに不安そうなホロを見て、ヤタは呆れたように息を吐いた。
「……ホロ……」
「なに?」
「防衛軍と治安局の総力を遥かに凌駕するバ火力をバカスカ使いまくってるのに、今更ヤクザ相手にビビる?」
少し後、ヤタは箱から取り出した保存食の包装を開き、それから周囲に残されていた小さな鍋やフライパン、調味料らしきものを次々と集め始める。
「……よし、これならなんとかなる」
「なんとか?」
「食べ物って、ちょっと手を加えるだけで結構変わるから」
そう言って、ヤタは乾燥肉を手に取り、匂いを嗅いだ。
「何もしなくてもお腹は減るし……なら、なるべく美味しくしたいじゃん?」
まるで長年そうしてきたかのように、手際よく簡易調理器具を並べていく。
ホロはその様子を眺めながら首を傾げた。
「ヤタ、料理できるんだ」
「料理ってほどじゃないよ」
「そういう割には、手慣れてる」
「こういうの、得意なんだよ」
ヤタは少しだけ笑った。
「貧乏飯って、工夫すると結構楽しいんだよね」
その言葉だけは、妙に泰然自若だった。
高価な食材や立派な調理場なんて知らなくても、手元にあるものだけでどうにかする。
保存食をそのまま食べるのではなく、火を通して、少し味を足して、食べられるものにする。
それがヤタにとっては、特別な技術というより、ごく当たり前の生活の知恵なのだろう。
「ホロも手伝う?」
「……うん」
ホロは少し考えてから頷いた。
そして、壁に描かれたグラフィティをもう一度だけ振り返る。
「……もし今、ヤクザの人たちが帰ってきたらどうしよう」
「そん時はホロが蹴散らせばいいじゃんね。砲弾かミサイルかは任せるけど」
そして、日が落ちた。
崩れた建物の一角、辛うじて壁の一部だけが残っている部屋の跡で、二人は何やら作業をしていた。
正確には、ヤタが何かをしている横で、ホロが自走カーゴを弄っている。
「……これくらいでいいかな」
放棄されていた標準型の自走カーゴ、その荷台部分に大量の水を張り、ホロは水面を覗き込む。
カーゴは本来、資材や物資を運ぶためのものらしく、多少の衝撃や熱に耐えられるよう頑丈に作られているうえ、荷台にはそれなりの気密性もある。
人間が一人、二人入るには少々狭いものの、ドラム缶風呂のような使い方をするには十分すぎる容積だった。
「これ、ほんとに大丈夫なの?」
「たぶん」
「たぶんかぁ……」
ヤタが不安そうにカーゴの底を覗き込む。
その下には、拾ってきた木片や廃材が適当に突っ込まれ、小さな焚き火が作られていた。
ぱち、ぱち、と乾いた音を立てながら火が燃え、その熱がカーゴの底をじわじわと温めている。
「熱くなってきた?」
「まだちょっとぬるい」
ホロが水に指を入れて確かめる。
夜のホロウは静かだった。
昼間のようなエーテリアスの気配も今は遠く、崩壊した街並みの向こうには、現実の夜空とはどこか違う暗闇が広がっている。
その暗闇を背景に、小さな焚き火だけが二人の周囲を照らしていた。
ヤタはその火のそばに座り込み、昼間に拾ってきた荷物を整理している。
そして、適当に集めていた荷物に紛れていたスーツケースの一つに手を付けた。
「さてと……何が入ってるかな───」
ヤタが何気なく蓋を開けると、一瞬、動きが止まった。
「……え?」
中に入っていたのは、札束だった。
何重にも束ねられた大量の紙幣が、隙間なく詰め込まれている。
見ただけで、それなりどころではない金額なのだと分かる。
「……」
ヤタは息を呑んだ。
そして数秒ほど、その札束をじっと見つめる。
「……ディニーだ」
「ディニー?」
ホロが振り返り、スーツケースを覗き込む。
しかし、札束を見て驚きはするものの、特に感慨は湧かなかった。
ホロにとっては、この世界の通貨そのものが馴染みのないものだ。
価値がどれほどなのかも、これだけあれば何が買えるのかも分からない。
「……いっぱいあるね」
「いっぱいどころじゃないよ」
ヤタは札束を一つ持ち上げる。
しばらく眺めていたが、やがて何かを吹っ切るように息を吐いた。
「……ま、いっか」
次の瞬間、札束が焚き火へ放り込まれる。
「えっ!?」
ホロが思わず身を乗り出す。
紙幣は火の中であっという間に端から黒く縮れ、赤い炎を上げながら灰へ変わっていく。
「ちょ、ちょっと待って!お金でしょ、それ!燃やしていいの!?」
「まぁ…………いいんじゃない?」
「いや良くないでしょ!」
ホロは炎の中で燃えていく札束とヤタを交互に見る。
金銭的な価値そのものは理解できなくても、紙幣を燃料として使うのが普通ではないことくらいは分かる。
どうだ明るくなつたろう処ではない。
「なんか……ものすごく勿体ないことしてない?」
「してるかもね」
ヤタはそう言いながら、残った札束を一瞥する。
それから、カーゴの下で燃えている火を見る。
「………ま、ね」
少しだけ笑った。
「ホロウの中じゃ使う場所もないじゃん」
ホロは何も言えず、燃え尽きていく札束を眺めた。
やがてヤタは立ち上がると、温まり始めたカーゴの水へ手を入れる。
「ふふ、これなら贅沢なお風呂になりそうだ」
ヤタは嬉しそうに笑った。
ホロもカーゴを覗き込み、焚き火の火加減を確かめる。
さっきまで燃えていた大量のディニーは、もう灰になっていた。
ぱち、と火の粉が跳ねる。
やがて、カーゴの中の水は適温の湯になっていた。
崩れた部屋の跡には、夜の冷たい風が吹き込んでいる。
壁も天井も大部分が失われているため、風呂と呼ぶにはあまりにも開放的だったが、それでも焚き火の熱と湯気が周囲を柔らかく包み込んでいた。
ホロはヤタと並んで湯に浸かり、肩まで身体を沈める。
昼間に走り回った疲労が、湯の中へ溶け出していくようだった。
身体から力が抜け、腕も、脚も、何も考えずに湯へ預けてしまえる。
目を覚ましてからずっと頭の中を占領していた疑問が、湯気と一緒に薄れていくような感覚があった。
決して何かが解決したわけではないが、それでも今だけは、それでいいような気がした。
ホロは目を閉じたまま、ゆっくりと息を吐く。
湯の表面が小さく揺れ、その波紋が隣のヤタの身体へ触れて消えた。
そのとき、視界の端に見慣れた質感の結晶が小さく見えた。
ホロが視線を向けると、そこにあるのはヤタの腕………湯の中から出ているその腕に、小さな結晶が生えている。
皮膚から直接伸びている黒い結晶は、焚き火の明かりを鈍く反射している。
ホロがしばらくそれを眺めていると、ヤタも視線に気付いたらしい。
一瞬だけ腕を引こうとする、けれど、途中で諦めたように力を抜いた。
「……これが侵食。エーテル侵食ってヤツ」
ホロは結晶とヤタの顔を交互に見る。
原作知識の不足故に、意味は理解できても、その深刻さまでは分からない。
だから、ひとまず神妙な顔を作った。
「……そうなんだ」
ヤタはその反応を見て、少しだけ苦笑して結晶の生えた腕を湯の中へ沈める。
大丈夫だということを示すように、いつもの調子で肩を竦めた。
ヤタのエーテル適性はかなり高く、まだ余裕がある。
なんせ怪しい組織の被験者に選ばれるくらいなんだから、ヤバいよ?………とかいう話だった。
ホロはそれ以上、聞かなかった。
ヤタが隠したそうにしているものを、わざわざ引っ張り出す理由もない。
代わりに二人は、明日のことを考え始めた。
「明日はさ、何処に行こっか?」
そんな話をしているうちに、ヤタはふと思いついたように空を指した。
太陽だ、太陽の方向へひたすら進んでみよう。
そんな、あまりにも単純な作戦だった。
ホロは一瞬だけ、太陽は東から昇って西へ沈むのだから、結局どこかで一周して戻ってくるのではないかと思ったが、そもそも此処は、そんな単純な場所ではない。
道を歩いているだけで距離や方向が意味を失うことさえあるのだから、太陽を追いかけ続けた先に何があるのかなど、誰にも分からない。
ならば、試してみてもいい……そんな程度の気軽さだった。
ホロは空を見上げる。
そこで、昼間には見えなかったものに気付いた。
星空。
崩れた建物の残骸越しに、果てのない暗闇が広がっている。
その中に無数の星が浮かんでいた。
ホロウという異常な空間の中にあるとは思えないほど、静かで、綺麗だった。
ヤタもいつの間にか話すのを止めていた。
二人とも湯に浸かったまま、ただ空を見上げる。
風が吹き、湯気が流れる。
焚き火が小さく爆ぜる音と共に、ホロウの雲間に浮かぶ星が瞬く。
しばらくして、一筋の光が夜空を横切った。
ホロの身体がぴくりと動く。
反射的に両手を胸元で合わせ、目を閉じた。
願い事を終えて目を開けると、ヤタが不思議そうにこちらを見ている。
「ホロ?……どうしたの?」
「あ、えーと……私の知ってる習慣で……」
ホロは少し照れたように目を逸らしながら、その意味を説明した。
ヤタはしばらく黙っていたが、やがて空を見上げる。
その横顔には、昼間のような明るさが戻っていた。
次の流れ星を待つ。
それだけのことなのに、二人とも妙に真剣だった。
やがて、また一筋の光が流れると、今度はヤタも両手を合わせた。
二人並んで目を閉じる。
何を願ったのかは、互いに尋ねなかった。
湯の中で身体を温めながら、二人はしばらくそのまま星空の下にいた。
二人の行き先は、ホロウの暗闇のように何も決まっていない。
それでも、二人の夜は不思議なくらい穏やかだった。