森の空気は、まだ朝露の匂いを含んでいる。
俺はアレンの肩の上で、耳を立てた。今日も首輪はつけていない。鈴の音で敵に気づかれるのを防ぐためだ。
「エマ、右の茂みに気配は?」
アレンが剣を構えたまま、背後に声をかける。
「今のところ、鳥の羽音だけ。でも風はこっちからだから、匂いで気づかれるかも」
「了解」
しばらく進むと、エマが足を止めた。
「左前方、三匹。木陰に隠れてる」
「わかった。正面から行く」
アレンは短剣を抜き、茂みの影から飛び出した。
「ギィッ!」
木陰に潛んでいたゴブリンが武器を手に跳び上がる。
俺はアレンの肩から地面へ飛び降りた。一匹がアレンの左へ回り込む――と、同時に、エマの矢がそのゴブリンの足を射抜いた。
(いいぞ)
アレンは正面のゴブリンの剣を弾き返し、そのまま一閃。
ゴブリンが崩れ落ちる。
間髪入れず、アレンは二匹目へ駆けた。
エマもその動きに合わせて弓を引き絞る。
(撃てない)
アレンの背中が、ちょうど射線を塞いでいた。
その隙に、残る一匹が横へ回り込む。
(まずい)
俺は地面を蹴り、その足に爪を立てた。
「ギャッ!?」
ゴブリンがひるむ。
「サンキュー、クロ!」
アレンの剣が一閃し、二匹目が倒れる。
残った一匹は仲間を失ったのを見ると、森の奥へ逃げていった。
「怪我は?」
「大丈夫。でも、今の――」
エマが弓を下ろしながら近づいてくる。その顔は少しだけ曇っていた。
「アレン、二匹目に斬りかかった時、私の射線、塞いでた」
「え? そうかな」
「うん。私、矢を放てなかった」
「ごめん、気づかなかった」
「次は気をつけて。私も、もっと撃ちやすい位置を考えるから」
「わかってる。次は注意する」
アレンは素直に頷いた。
* * *
ギルドへ戻ると、ダンが壁際の長椅子に座って待っていた。
「おう、どうだった」
「三匹です。逃げた一匹は追いませんでした」
アレンは剣を鞘に戻しながら答える。
「ふむ。怪我はねえな」
「でも、一箇所だけ、アレンと動きが合わないところがあって」
エマが口を挟んだ。
ダンの視線がアレンへ向く。アレンは小さくうなずいた。
「エマの矢を、一瞬だけ遮ってしまって」
「ほう。それで?」
「自分では気づきませんでした」
「まだ自分じゃわからねえか」
ダンは短く息を吐くと、軽く肩をすくめた。
「エマが言ってくれたから、わかったんです」
「まあ、わからんよりはマシだな」
ダンの言葉は絶妙だ。決して褒めすぎない。猫の耳で聞いていても、そこには「まだ足りねえ」という続きが隠れている。
「もっと自分の位置を意識しろ。前へ出たあと、一歩だけでも引いてみろ。それだけでエマの矢は撃ちやすくなる」
「一歩、下がる」
「そうだ」
アレンはしばらく考え込んでから、顔を上げた。
「わかりました。今度、試してみます」
「おう。やればできるようになるさ」
ダンはようやく笑った。
* * *
カウンターの中では、リリアが書類を整理していた。
「おかえり。今日は怪我はない?」
「うん。三匹退治してきたよ」
アレンが報告書を差し出す。リリアはそれを受け取りながら、一瞬だけ俺の方を見た。
(こいつ、なんだかんだ俺のことも気にしてるんだよな)
「報告書はここに出して。次の依頼はどうするの?」
「まだ考えるよ。ちょっと反省もあるし」
「反省?」
リリアが怪訝そうな顔でアレンを見る。
「今日、エマの射線を一度だけ塞いじゃったんだよ」
「ふうん。でも、エマさんがちゃんと指摘してくれたんでしょ?」
「うん。そうなんだ」
「ならいいじゃない。次に気をつければ」
リリアはぶっきらぼうに言いながら、報告書をファイルに挟んだ。
そこへ、ダンが近づいてきて、受付カウンターにもたれかかった。
「口でわかったじゃ意味はねえ。身体で覚えろ」
「はい!」
「いい返事だ。よし、時間があるなら訓練場へ来い。さっきの『一歩下がる』ってやつを、身体に叩き込んでやる」
「はい!」
アレンは即答した。
(付き合わされるのは俺もか)
俺は尻尾を床に叩きつけ、グルーミングを始めた。訓練前には毛並みを整えるに限る。
* * *
夕暮れの町を、アレンとエマと俺の三人で歩く。
「今日の反省会、長かったね」
エマが苦笑しながら言った。
「ダンさん、熱心だからなあ」
アレンは疲れた顔で笑い返す。
「『一歩下がる』だけで、あんなに練習すると思わなかった」
「でも、最後の方はちょっと掴めた気がしなかった?」
「うん。まだ実戦でできるかはわからないけど」
「じゃあ、次はそれだね」
エマが少しだけ笑顔を見せた。
「今日よりは、ちょっとだけマシになってたと思うよ」
「そうかな」
「うん。最初の頃より、ずっとね」
エマが空を見上げた。
「まだ一歩目だけどね」
アレンは空の返事をせず、しばらく歩いた。
「次は、射線を塞がないようにする。それと、一歩下がるのを試してみる」
「うん。私はアレンが下がった瞬間を狙って、矢を放つよ」
「頼りにしてる」
短いやりとりの後、アレンがふと足を止めた。
「にゃあ」
俺はアレンの足元で、一度だけ鳴いた。
(少しはマシになったか)
エマが俺の頭を撫でながら、アレンを見る。
「当たりそうになったらちゃんと避けてよ?」
「努力はするけど、当てないでね」
アレンが笑いながら答えると、エマもふっと笑った。
(頭ではわかっていても、体はすぐには動かない。それはよく知っている)
俺は尻尾を一度だけ揺らした。
一歩ずつでいい。
一人一匹が歩く道は町の灯りに照らされていた。
拙い文章ではありますが、感想等いただけますと大変励みになります。
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