21章 Dランクの日々
秋の朝の光が、窓の外で揺れる色づきかけた木の葉を通して、ちらちらと部屋の中へ落ちてくる。
俺は机の上で丸くなりながら、アレンがギルドカードを眺めているのを見ていた。
カードの端には、少しだけ擦れた跡がある。Dランクに上がってから、いくつもの依頼をこなしてきた証みたいなものだ。
「今日は何にしようかな」
アレンがカードをしまいながら呟く。
(すっかりDランクが板についてきたな)
最初こそ嬉しそうに何度も眺めていたカードも、今ではただの仕事道具だ。それが逆に、こいつらがこのランクに慣れてきた証拠なんだろう。
「にゃあ」
俺があくび交じりに鳴くと、アレンが手を伸ばして俺の耳の後ろを撫でた。
「クロも暇そうだね。今日はちょっといい依頼、あるといいな」
くすぐったい。でも、まあ、悪くはない。
* * *
ギルドの朝は、いつも通りの喧騒に包まれていた。
掲示板の前で依頼書を吟味する冒険者たち。カウンターで書類を捌くマリアの早口。奥のテーブルではダンが別の冒険者と馬鹿でかい声で笑っている。
「お、アレン。今日も元気そうだな」
ダンが俺たちに気づいて、分厚い手を振ってきた。その隣には、銀髪のエルフ――ライラが優雅に茶を啜っている。このふたり、朝からギルドで屯ってることが多い。ベテラン同士、情報交換でもしているんだろう。
「おはようございます、ダンさん。ライラさんも」
「おはよう、アレン。クロも」
ライラが俺に微笑みかける。このエルフ、いつ見ても年齢不詳だ。見た目は若いのに、目がすごく落ち着いている。
「Dランクの依頼、だいぶこなしてきたみたいだね」
「はい。ゴブリンの集団討伐も、最近はだいぶ慣れてきました」
「とはいえ、油断は禁物だぜ」
ダンが真面目な顔で腕を組みながら言う。
「Dランクになると、ホブゴブリンが混ざった群れが来ることもある。あいつらは普通のゴブリンより頭も体も一回りでかい。今のお前たちなら大丈夫だと思うが、単なる数じゃない戦いになるぞ」
「わかってます。備えはしておきます」
アレンは素直に頷いた。
「あ、アレン!」
ギルドの入り口から、エマが駆け込んできた。背中にはいつもの長弓、腰には矢筒。今日も赤毛が元気いっぱいに跳ねている。
「ごめん、寝坊した!」
「またあ?」
アレンが呆れた顔で言う。訓練を提案するほうが寝坊するという、なんともエマらしい矛盾だ。
「だって昨日遅くまで弓の練習してて……って、あ、ダンさん、ライラさん! お、おはようございます!」
ペコリと頭を下げるエマに、ライラがくすりと笑った。
「エマ、今日の午後、少し射撃場へ来なさい。新しい狙い方を教えるわ」
「ほんとですか! やった!」
エマは最近、暇を見つけてはライラのところへ通っている。弓だけでなく、斥候としての動き方も少しずつ教わっているらしい。右手には新しい指サックがはまっていて、人差し指と中指の付け根には、弦を引き続けた硬い跡が残り始めていた。
「さてと」
エマが俺を見て、目を輝かせた。
「クロ、今日もよろしくね!」
* * *
カウンターでは、マリアがにこやかに依頼書を広げていた。おさげ髪の受付嬢は、俺たちが近づくとすぐに顔を上げる。
「あら、黒猫団。おはよう」
「おはようございます、マリアさん」
「今日はどうする? ゴブリン討伐なら、北の森で小集団の目撃情報が入ってるわ。数は五、六匹。ボス格は確認されてないけど、油断しないでね」
「わかりました。それでお願いします」
「報酬は銀貨十五枚。討伐確認が取れれば追加で五枚。いいわね?」
「はい」
エマが横から口を挟んだ。
「あ、マリアさん。この前の依頼の報告書、アレンの字、読めました?」
「……ええ、まあ。なんとか」
マリアがちょっとだけ遠い目をした。
「アレン、あなた、もうちょっと字を丁寧に書いたほうがいいわよ。『ゴブリン三匹討伐』が『ゴブリン三匹詩集』に見えたんだから」
「ええっ!?」
(詩集て)
俺は思わず吹き出しそうになった。エマは腹を抱えて笑っている。アレンは耳まで真っ赤だ。
だってこいつの字はいつも右上がりの走り書きで、前世で言うなら医者の処方箋みたいな代物なのだ。
「ちゃんと直しておいたから、今日はそのままでいいわ。次からは気をつけてね」
「は、はい……すみません」
マリアは笑いながら依頼書を手渡してくれた。
「じゃあ、気をつけて行ってきてね。無理はしないこと」
「「はい!」」
アレンとエマの声が重なる。
俺はふたりの足元をすり抜けて、ギルドの出口へ向かった。外では秋の陽射しが、石畳をあたたかく照らしている。
(さて、と。今日も一日、頑張りますか)
* * *
道中、俺はふたりの少し前を歩きながら、風に乗ってくる匂いを拾っていた。
土の匂い。落ち葉の匂い。それから、街道のあちこちに残る人間や馬の匂い。
(うん、今のところは異常なし、と)
「クロが先に行くと、なんか安心するよね」
エマが後ろでそんなことを言っている。
「うん。クロがいれば、変な気配にもすぐ気づくし」
アレンが応じる声には、迷いがない。
(そこまで信頼されると、こっちも気合い入るな)
俺はしっぽを立てて、構わず前を進んだ。
森の入り口に着いたのは、それから小一時間ほど経った頃だ。
「ここからは、私が前に出るね」
エマが弓を手に持ち、姿勢を低くした。アレンはその少し後ろで、いつもの剣の柄に手をかけている。
「ゴブリンは五、六匹って話だったけど、あくまで目撃情報だからね。もっといるかもしれない」
「わかってる。周囲の確認は怠らないようにするよ」
「クロ、なにか感じる?」
エマが小声で訊いてくる。
俺は耳を立て、空気を吸い込んだ。森の奥から、微かに獣臭が混ざった空気が流れてきている。
「にゃっ」
短く鳴いて、森の奥へ顎を向ける。
「了解。こっちだね」
エマが先導し、俺たちはゆっくりと森の中へ足を踏み入れた。
* * *
「いた」
エマが囁き、木の陰に身を潛めた。
俺も彼女の足元で身を低くする。耳をピンと立てると、前方からガサガサという物音と、ギャアギャアという甲高い声が聞こえてきた。
「……四匹。ただ、西側にもう一匹、東の茂みに二匹かな。合計七匹」
「目撃情報より多いね」
「うん。でも全部ゴブリン。ホブゴブリンはいないみたい」
(七匹か。よく見えてるな)
ライラに仕込まれているだけあって、索敵もずいぶん板についてきたらしい。
「どうする? 一気にいく?」
エマがアレンに判断を委ねる。アレンは少し考えるように眉を寄せてから、静かに言った。
「うん、まずはエマが西の一匹を仕留めて。それで気づいた連中がこっちに来るから、僕が前で食い止める。クロは敵の動きを撹乱してほしい。連携でいこう」
「了解」
俺は「にゃ」と短く返事をして、エマの足元から離れた。
(さて、と。いつもの連携、いくか)
エマが矢をつがえる。
弦が、ぎりりと軋む音。
彼女が静かに息を吸い込むと、風がぴたりと止まった気がした。
「――っ!」
放たれた矢は、迷いのない軌道を描いて、西側にいたゴブリンの首を正確に射抜いた。ゴブリンは声も上げずに崩れ落ちる。
「ギャッ!?」
残りのゴブリンたちが一斉にこちらを向いた。六匹。手には錆びた短剣や棍棒を持っている。
「来るよ!」
アレンが剣を抜き、前に出る。
(よし、いくか)
俺は茂みから飛び出し、いちばん手前にいたゴブリンめがけて駆け出した。
* * *
「ギャアア!」
ゴブリンが俺めがけて棍棒を振り下ろす。
が、遅い。
(そんな大振り、見え見えだっつの)
俺は空中でくるりと身をひねってかわすと、そのままゴブリンの顔面に飛びついた。
爪を立てて目元を引っ掻く。
「ギャッ!」
ゴブリンが悲鳴を上げて顔を押さえた。視界を塞がれてよろめいたところへ、アレンの剣が横薙ぎに走る。
ざん、と肉を断つ音。一体、沈黙。
「ナイス、クロ!」
「にゃっ!」
俺はすぐに次の標的へ向かう。
二匹目のゴブリンがアレンの背後から襲いかかろうとしていたので、足元を駆け抜けて爪で足首を裂いてやった。
「ギャンッ!」
バランスを崩したゴブリンに、エマの矢が突き立つ。わき腹を深々と貫かれて、そいつはそのまま倒れ伏した。
「サンキュー、クロ!」
「にゃ!」
(礼ならアレンにも言っとけ。こいつら、だいぶ噛み合うようになってきたな)
ふたりの呼吸が、以前よりずっと合っている。アレンが前に出ればエマが援護し、エマが狙いをつければアレンが敵の注意を引く。
「クロ、右!」
エマの声が飛ぶ。
見れば、三匹目のゴブリンが俺めがけて短剣を突き出してきていた。
(――っと、まだ終わってない!)
ぎりぎりで身をかわしながら、俺は低く唸ってゴブリンを牽制する。そいつがひるんだ一瞬の隙に、アレンが踏み込んで剣を振り抜いた。
戦闘は、それからすぐに終わった。
最後の一匹が倒れたとき、アレンは肩で息をしながらも、構えを解かなかった。
「終わった?」
「みたいだね」
エマが矢をつがえたまま周囲を確認する。
「クロ、どう?」
「にゃあ」
俺はあたりの匂いを嗅いで、耳を澄ませる。
(うん、大丈夫そうだ。増援も潛伏もなし)
短く鳴いて、しっぽをゆっくり振った。ふたりが同時に、ほう、と息を吐く。
「よし、じゃあ討伐部位の回収しよっか」
「うん」
エマがナイフを取り出し、アレンが死体を見張る。このへんの手際も、ずいぶん慣れてきた。
(なんだかんだで、こいつらも様になってきたなあ)
俺は少し離れた木の根元に座って、ふたりの作業を眺めていた。落ち葉の上を、風がさらさらと転がっていく。
* * *
ギルドへの帰り道、アレンがふと思い出したように言った。
「七匹いたけど、思ったより落ち着いて戦えたね」
「うん。最初に一匹減らせたのが大きかったかな。でもホブゴブリンが混じってたら、ああはいかなかっただろうな」
エマが弓を背負い直しながら、少しだけ真面目な顔で応じる。
「それはその時考えようよ。今日はちゃんと勝てたんだから」
「そっか。そうだね」
アレンが照れくさそうに笑った。
エマもつられて笑って、それからちら、と俺を見る。
「クロもいるし、三人ならなんとかなるでしょ」
「にゃ」
(三人扱いしてくれるのは嬉しいが、俺は猫だからな?)
だが、まあ、悪い気はしない。
俺はしっぽをピンと立てて、ふたりの前をスタスタと歩いてやった。
石畳に映る俺の影は、子猫だった頃よりずいぶん長くなっている。アレンの影も、エマの影も、初めて会ったときより、なんだか頼もしくなった気がした。
夕暮れの町に、ギルドの鐘がゆっくりと鳴り響く。
今日の依頼も無事完了。銀貨二十枚の報酬は、アレンの家計を少しだけ潤してくれるだろう。
カウンターでマリアが討伐証明を受け取って、にこりと笑った。
「お疲れさま。七匹だったんだって?」
「はい。ちょっと多かったですけど、なんとか」
「へえ。最近のあなたたち、本当に安定してきたわね」
マリアはそう言いながら、銀貨を数えて袋に落としていく。ちゃりん、と心地よい音が響いた。
「次はもう少し難しい依頼にしてみる? それとも、まだしばらくゴブリンで数をこなす?」
エマとアレンが顔を見合わせる。
「どうする?」
「うーん……もう少し今のままでいいかな。でも、そろそろホブゴブリンも視野に入れたいかも」
「そう。じゃあ、ちょうどいい依頼が出たら声をかけるわね」
「お願いします」
(まあ、明日のことは明日考えればいいか)
今日のところは依頼完了。
あとは帰って飯を食って寝るだけだ。
そんなの日々も、悪くない。