朝方、いつも通りギルドを訪れると、マリアがいつもより少し硬い表情で依頼書を見ていた。
「おはようございます、マリアさん。」
「あら、おはよう。よく来てくれたわ」
マリアの硬い表情が、アレン達を見て少しだけ和らぐ。
「実は、昨夜から西の街道でグレイウルフが目撃されてるの」
「グレイウルフ?」
エマが目を見開く。
「確か、普通のウルフより一回り大きいやつだよね?」
「ええ。グレイウルフ単体ならDランク上位相当よ。ホブゴブリンより少し弱いくらいだけど……」
マリアが依頼書を一枚取り出した。
「これが今回の依頼。確認されているのは三匹。報酬は銀貨三十枚」
アレンが依頼書を受け取る。俺も肩越しに覗き込んだ。
『西街道グレイウルフ討伐 対象:三匹(Dランク上位) 報酬:銀貨三十枚』
「三十枚か……」
アレンが小さく呟く。銀貨三十枚なら、当分は食費の心配をしなくて済む。
「ただし、グレイウルフは群れで連携して狩りをするわ。三匹も揃えば、Dランク上位のパーティでも苦戦するわ。編成次第じゃCランクでも油断できない相手よ」
マリアの声が低くなる。
「グレイウルフは初めてですけど……三匹なら、今の僕たちでも挑戦できると思います」
アレンは依頼書を握りしめた。
「私もやるよ」
エマが頷く。
「クロにも索敵してもらえるし、まずは様子を見よう」
「にゃ」
俺も短く鳴いて同意した。
(三匹か。ゴブリンよりは強いだろうが、数は少ない。やれるだろう)
マリアは少し不安そうだったが、覚悟を決めたように頷いた。
「わかったわ。でも、くれぐれも無理はしないでね。危ないと思ったら、すぐに撤退すること」
「はい!」
* * *
西の街道へ向かう道中、俺たちはほとんど口を聞かなかった。
アレンもエマも、それぞれの思いに沈んでいるらしい。
(グレイウルフ三匹か……)
俺は先頭を歩きながら、過去の記憶を掘り返していた。
この世界に来てから、まだグレイウルフとはまともに戦っていない。
(三匹なら、正面からでもなんとかなりそうだが……)
アレンの成長は見えた。エマの実力も上がっている。
(でも、油断は禁物だ)
「クロ」
アレンが呼ぶ。
「なにか、気づいたことがあったら教えてくれるか? いつもみたいに」
「にゃ」
俺は短く鳴いて、しっぽを立てた。
(任せとけ。俺には俺のやることがある)
敵を見つける。隙を作る。そして、二人を無事に帰す。
それが俺の役目だ。
* * *
現場に着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
西街道は、ローベスの町から西へ続く脇道だ。商隊がよく通る街道から外れた場所に、薄暗い森が広がっている。
「ここだね」
エマが足を止め、弓を構える。
俺も鼻をひくつかせた。
(いた)
風に乗って、強烈な獣臭が漂ってくる。普通のウルフより濃くて、鼻が曲がりそうなほど生々しい匂いだ。
それに、足音。地面を叩く爪の音が、近づいてくる。
「三匹……だね」
エマが呟く。
「私が感じるだけでも三匹。情報通りだ」
「わかった。警戒を続けよう」
アレンが剣の柄を握りしめた。
「エマが後衛で援護。僕が前に出る。クロは、いつものように頼む」
「了解」
「にゃっ」
俺はアレンの肩から飛び降り、茂みに身を隠した。
(さあ、来い)
心臓が早鐘を打ち始める。
さすがに、普段のゴブリン討伐とは緊張感が違う。
(まずは様子を見るんだ)
* * *
最初に姿を現したのは、灰色の巨狼だった。
通常のウルフより一回りは大きい。鋭い牙、硬そうな毛皮。そして、知性を感じさせる黄色い目。
「大きい……!」
アレンが息を呑む。
ワオオォン!
一匹が天に向かって遠吠えした。すると、左右からもう二匹が姿を現す。
「来るよ!」
アレンが叫ぶのと同時に、先頭のグレイウルフが地面を蹴った。
速い!
ゴブリンとは比べものにならないスピードで、灰色の塊がアレンに襲いかかる。
「うわっ!」
アレンが剣で受けるが、衝撃で大きく後退する。
(くそっ、一撃が重そうだな!)
俺はすぐに飛び出した。
狙うは目だ。
俺はグレイウルフの顔面に飛びつき、爪を立てる。
「ギャンッ!」
グレイウルフが苦痛に顔を歪め、アレンから離れた。
「アレン、大丈夫!?」
「大丈夫! ありがとう、クロ!」
アレンが体勢を立て直す。
でも、休んでる暇はない。
残る二匹が、左右から同時に襲いかかってきた。
* * *
それからは、必死の戦いだった。
グレイウルフの連携は、ゴブリンなんかより遥かに洗練されている。
アレンが正面の一匹に剣を振るうと、右の一匹が背後へ回り込む。アレンが振り返ると、今度は左の一匹がエマへ向かって駆け出した。
「くそっ、回り込まれる!」
アレンが焦りの声を上げる。
俺は動き回って、敵の注意を引いたり、足元を撹乱したりしたが、こいつらはまるで一つの生き物みたいに動きやがる。
一匹を追えば、別の一匹が隙を突く。
そっちへ意識を向ければ、今度は最初の一匹が飛び込んでくる。
(なんだこいつら……! 三匹しかいないのに、七匹のゴブリンよりやりづらい!)
エマの矢が正確にグレイウルフの体を捉えるが、硬い毛皮に弾かれてしまう。
「硬い! 矢が通らない!」
「急所を狙って!」
アレンが叫ぶ。
「無理! 動きが速すぎて狙いがつかないよ!」
(このままじゃ、じり貧だ)
俺は必死に頭を回転させた。
(どうする? どうすれば、この状況を打開できる?)
こいつらの強さは、一匹一匹じゃない。
三匹で連携して、初めて脅威になるんだ。
(なら――連携させなきゃいい)
そのとき、ふと視界に入ったものがあった。
グレイウルフの群れから少し離れた場所に、川が流れている。
川沿いには切り立った崖が続き、崖と川の間には細い岸辺が伸びていた。
(あそこなら――横から回り込めない。一度に相手にする数を減らせる)
俺はアレンの足元へ駆け寄り、鳴いた。
「にゃっ! にゃっ!」
そして、川のほうへ走り出した。
「クロ? どうしたの?」
アレンが戸惑う。
俺は一度振り返り、また川へ向かって走った。
(ついてこい! 頼む、わかってくれ!)
「アレン、クロがなにかわかったみたい!」
エマが叫ぶ。
「川だ! 川岸なら左右から回り込まれにくい!」
アレンの目が開かれる。
「川まで走る! エマ、離れるな!」
* * *
俺たちは川へ向かって走った。
グレイウルフたちは俺たちを逃がす気はないらしく、互いに距離を取りながら追ってくる。
(よし、きた!)
川岸に着いた俺は、くるりと振り返った。
岸辺は狭く、通路のようになっている。これなら、一度に二匹以上は来られないはずだ。
「エマ、岩陰に位置取って!」
アレンが指示を出す。
「エマ、崖を背にして! これなら横からは来られない!」
「了解!」
エマが岩陰に移動し、弓を構える。
アレンは剣を構えた。
グレイウルフたちが川岸に現れた。
連携を活かせないことに苛立っているのか、低い唸り声を上げている。
(こい、こい……!)
先頭のグレイウルフが飛びかかってきた。
「今だ!」
アレンが叫ぶ。
グレイウルフが着地する瞬間に合わせてアレンが剣を突き出す。
「ガアッ!?」
体勢を崩したグレイウルフに、アレンが剣を振るった。
ザシュッ!
剣が硬い毛皮を裂き、深々と胸を貫いた。
グレイウルフが一度大きく痙攣し、そのまま水辺に崩れ落ちる。
「一匹!」
エマの歓声。
だが、仲間がやられたことに激昂したのか、残る二匹のグレイウルフがほとんど同時に狭い岸辺へ飛び込んできた。
「来るよ!」
「落ち着いて! 一匹ずつ仕留めるんだ!」
アレンが叫ぶ。
「エマ、足元!」
「任せて!」
エマが矢を放つ。
今度は毛皮に弾かれなかった。
体勢を崩したところへ放たれた矢は、前足の付け根に深く突き刺さる。
「ギャンッ!」
バランスを崩したところへ、アレンが横薙ぎに剣を振るう。
俺も負けていられない。
(今だ!)
俺は水に入って体勢を崩したグレイウルフの顔に飛びつき、目を狙って爪を立てた。
「ギャアア!」
苦痛にのたうち回るグレイウルフの喉元に、アレンが剣を突き立てる。
「二匹目!」
だが、最後の一匹はその隙を逃さなかった。
岩の隙間を縫って飛び出し、エマへ襲いかかる。
「エマ!」
「えっ……!?」
エマが弓で防ぐが、鋭い爪が肩口を裂く。
肩口が裂け、服の上から血がにじむ。だが、腕は動く。
「大丈夫! まだやれる!」
エマが牙を食いしばり、近距離から矢を突き刺した。
* * *
残った一匹との戦いも、決して楽ではなかった。
仲間をすべて失い、それでも逃げる素振りすら見せない。黄色い目に浮かぶのは、怒りか、それとも執念か。
俺が足元を走り抜けると、奴の視線がわずかに下がった。
その瞬間をエマは見逃さない。肩の痛みに顔をしかめながら放った矢が前脚を射抜き、体勢を崩したところへアレンが踏み込む。
「これで――終わりだ!」
振り下ろされた剣が、最後のグレイウルフを捉えた。
やがて巨体が水辺に崩れ落ちる。
夕陽が川面を茜色に染めていた。
「はあ……はあ……」
アレンが膝に手をついて、荒い息を吐いている。
エマも、矢筒の矢をほとんど使い切って、肩で息をしていた。
アレンが荷物から布を取り出し、エマの肩を手早く縛る。
浅い傷だが、血はまだにじんでいる。
「終わった……のか?」
「みたいだね」
「にゃあ」
俺は濡れた体を振って、水滴を飛ばした。
冷たい水が心地よかった。
(お疲れ様)
俺は二人に近づき、足元にすり寄った。
「クロもお疲れ様」
アレンが俺を抱き上げて、額を押し付けてくる。
「ありがとう。君が川岸へ誘導してくれなかったら、囲まれて本当に危なかったかも」
(まあな。感謝しろよ)
「にゃ」
「クロ、すごかった! あの作戦、どうやって思いついたの?」
エマが目を輝かせて訊いてくる。
(猫の勘だよ)
……なんて言っても通じないから、ただ喉を鳴らしておいた。
* * *
ギルドに戻ると、マリアが駆け寄ってきた。
「無事だったの!? グレイウルフ、どうだった?」
「苦戦しました。でも、なんとか討伐できました」
アレンが討伐部位の入った袋をカウンターに置く。
マリアが中身を確認して、安堵のため息をつく。
「よかった……。あなたたちならなんとかなると思ってたけど、やっぱり心配だったわ」
マリアが感心したように頷く。
「でも、グレイウルフの連携は大変だったでしょ? グレイウルフの群れは本当に厄介だから」
「ええ。正直、三匹しかいないのに七匹のゴブリンより怖かったです」
アレンが苦笑する。
マリアは、エマの肩の血に気づいた。
「あら、エマちゃん、怪我してる!」
「あ、これは大丈夫です。浅い傷なので……」
「だめよ。すぐに救護室へ行って消毒してきなさい」
マリアに促されて、エマは救護室へ向かった。幸い傷は浅く、消毒と包帯だけで済んだらしい。
マリアは安堵して、また笑顔になった。
「はい、これが報酬の銀貨三十枚。今日はゆっくり休んで」
「ありがとうございます」
銀貨の入った袋を受け取ると、アレンの顔にようやく笑顔が戻った。
「今日はクロに豪華なご飯を買って帰ろう」
「にゃ!」
(そりゃ楽しみだ)
俺はアレンの腕の中で、また喉を鳴らした。
* * *
その夜、アレンの家の食卓には、焼き魚と干し肉のスープが並んだ。
「いただきます」
アレンが手を合わせて、魚に箸を伸ばす。
俺も自分の皿から、身をほぐした魚をつまんだ。
(うまい)
やっぱり、勝利のご飯は格別だ。
「ねえ、アレン」
エマがスープを啜りながら言った。左肩には包帯が巻かれている。
「今日の戦い、思ったより大変だったね」
「うん。グレイウルフの連携はすごかった。三匹しかいないのに、七匹のゴブリンよりやりづらかったよ」
「あのまま正面から戦い続けてたら、たぶん勝てなかったね」
「うん。次からは、連携されないように気をつけよう」
アレンが真面目な顔で頷く。
「あと、地形も大事だね。今日は川岸があったからよかったけど、場所が違っていたら……」
「うん。次はもっと気をつけよう」
二人が顔を見合わせて、少し痛い顔で笑う。
(グレイウルフ三匹か)
数が少ないからって、油断は禁物だ。
敵の強さは、数だけじゃない。連携と、地形次第でいくらでも変わる。
それでも、三人で状況を見て、三人で動いて、ちゃんと帰ってきた。
強くなるってのは、剣が強くなるだけじゃないらしい。
「にゃあ」
俺は満足して、残っていた魚を一口かじった。
(さて、明日はもう少し楽な依頼にしてくれよ)