レイウルフ討伐から、三日が経った。
エマの左肩の傷はだいぶ塞がり、包帯も薄いものに変わっている。ゼドによれば、あと数日もすれば問題なく動かせるらしい。
「おはようございます、マリアさん」
朝のギルドに、アレンが顔を出す。俺はいつものように、アレンの肩の上から見下ろしていた。
「あら、おはよう。今日はどうするの?」
「訓練をしようと思います。ライラさんとダンさんにお願いしてあって」
「そう。エマちゃんの肩は大丈夫なの?」
「はい。まだ痛みは残ってるみたいですけど、軽く動かすくらいなら問題ないって」
マリアは少しだけ眉を下げて、それから笑った。
「わかったわ。でも、無理はさせないでね」
「もちろんです」
アレンが頷く。俺はしっぽをゆらりと振った。
(三日もじっとしてたんだ。そろそろ体を動かさないと、逆に鈍るってもんだ)
* * *
ギルドの裏手にある訓練場は、今日も秋の陽射しに照らされている。
先に来ていたライラが、エマを手招きした。
「エマ、肩の具合は?」
「だいぶ良くなりました。今日は動かしても大丈夫です」
「そう。でも、まだ無理はしないこと。今日は動き方の確認だけよ」
ライラが腰に手を当てて言う。
「この前、教えた足運びを覚えてる? もう一度やってみましょう」
「はい!」
エマが短剣を腰に差す。ライラから譲り受けたという護身用の短剣は、彼女の細い腰にしっくりと収まっていた。
「いい? 近づかれた時、弓は捨てないで。最悪の場合は弓そのものも使うの」
ライラが実演してみせる。
相手役のダンが木剣を振るう。ライラは弓を斜めに構え、迫る木剣にそっと当てた。
ガッ、というより、カッ、という軽い音。
「受け止めちゃ駄目よ。弓が壊れるわ。ほんの一瞬、剣筋を逸らせればそれでいいの」
ライラが弓で木剣の軌道を横に流し、そのまま身体を右へ逃がす。ダンの脇を抜けた瞬間、腰の短剣がするりと抜かれて、ダンの喉元に当てられた。
「うおっ、相変わらず速えな」
ダンが苦笑する。
「これが弓使いの『最後の一線』よ。決して攻撃のためじゃない。間合いを取り直すためのもの。弓で逸らして、短剣で牽制して、その隙に距離を取る」
エマが目を輝かせて頷く。
「じゃあ、足運びだけやってみましょう。今日は弓は使わないわ。また傷が開いたら意味がないからね」
「はい!」
エマは弓を置いて、ライラの動きを真似た。ダンがゆっくりと木剣を振るう。それに合わせて、エマは右へ、左へと身体を逃がす。時に身を沈め、半歩下がって間合いを取る。
(動きは悪くないな)
俺は訓練場の隅で丸くなりながら、二人の練習を眺めていた。
「そう、その調子。肩が治ったら、今度は弓を持ってやりましょう」
「ありがとうございます!」
エマの声に、張りが戻っている。怪我をする前よりも、むしろ強くなった声だ。
(怪我をしたからこそ、見えるものもあるってことか)
「よし。じゃあエマは少し休め」
ダンが木剣を肩に担ぎ、今度はアレンの方へ向き直った。
「さて、次はお前だ、アレン」
* * *
「アレン、お前は前衛だ。後ろの奴が狙われたら、どうする?」
「間に入ります」
「正解だ。ただし、相手の注意を引くことも重要だ」
ダンが地面から小石を拾い上げ、ぽんと放った。
「大声でも、石を投げるでもいい。剣が届かねえなら、使えるものは何でも使え」
「石を投げる……」
「別に倒す必要はねえ。こっちを向かせるだけでいい。大切なのは、相手に一瞬でも『邪魔された』と思わせることだ」
ダンが豪快に笑う。
「戦う時のクロの動きを思い出せ。あの猫は飛びついて目を潰したりするよな。お前は剣士だ、もっといい武器があるだろ」
アレンが考え込む。そして、腰の投げナイフに手を触れた。
「投げナイフでもいいんですか?」
「当然だ。ただし倒そうとするな。狙うのは敵を倒すことじゃねえ。注意を引くことだ」
「注意……」
「肩でも足元でもいい。外したって構わねえ。敵が『何か飛んできた』と思ってこっちを向けば十分だ」
アレンが何度か頷き、そして剣を構え直した。
「剣でも、できますよね」
「お、なんだ?」
「突くより先に、弾く、叩く。相手の体勢を崩してから、間に入る」
「その通りだ」
ダンが嬉しそうに笑う。
ダンとアレンの木剣がぶつかる乾いた音が響く。
カッ、カッ、ガッ。
アレンの動きは、三日間の休養でむしろ研ぎ澄まされていた。頭の中で繰り返し、戦い方を考えていたのだろう。
こいつのいいところは、考え続けられることだ。
(まあ、考えすぎて動けなくなることもあるけどな)
俺は小さくあくびをした。
* * *
訓練が終わり、ギルドに戻ると、マリアが紅茶を用意して待っていた。
「お疲れ様。訓練はどうだった?」
「厳しかったです。でも、たくさん課題が見つかりました」
アレンが汗を拭いながら言う。
「私、怪我したことも無駄じゃなかったかもって思いました」
エマがぼそりと呟く。
「えっ?」
アレンが驚いた顔で振り返る。
「怪我しなかったら、ライラさんに短剣を習おうって思わなかった。怪我したから、自分の弱点がわかったんだよ」
エマが腰の短剣に手を当てて、少し照れたように笑った。
「弓は友達、短剣はボディーガード。ライラさんがそう言ってた」
「それ、ライラさんっぽいね」
アレンが笑う。
「ダンさんにも教わったんだ。前衛は、ただ前に出るだけじゃないって」
「グレイウルフの時、エマが狙われたのに、動くのが遅れた」
アレンが拳を握りしめる。
「でも、次は大丈夫だ。三人で、もっと上手くやれる」
「にゃ」
俺も短く鳴いて、二人の間に割り込んだ。
エマの短剣、アレンの新しい動き。そして俺の索敵。
黒猫団は、少しずつ形を変えている。
三日間、じっと傷が癒えるのを待った日々も、無駄じゃなかった。それぞれが考えて、それぞれが備えを見つけた。
* * *
その夜、アレンの家で俺たちは揃って夕食を取った。
メニューは野菜の煮込みスープと、干し肉の香草焼き。質素だが、温かい。
「いただきます」
三人(内一匹)で手を合わせる。
「ねえ、アレン」
エマがスープを啜りながら言った。左肩の包帯は、もうずいぶん薄くなっている。
「グレイウルフ、三匹で大変だったけど、無事に終わってよかったね」
「うん。でも、まだまだだよ。次はもっと上手く戦いたい」
「私も。ライラさんみたいに、弓と短剣を使いこなせるようになりたいな」
「僕はダンさんみたいに、前衛として後ろを守れるようになりたい」
二人が顔を見合わせて笑う。
あの時の俺たちは、グレイウルフ三匹に追い詰められた。
でも、今は少し違う。
エマは近づかれた時の対処の仕方を覚えた。
アレンは、前に立つだけが前衛じゃないと知った。
傷はまだ残っている。
それでも、その傷のおかげで見えたものもあった。
(失敗したって、次に同じ失敗をしなきゃいい)
そうやって少しずつ、こいつらは冒険者になっていくんだろう。
「にゃあ」
俺は満足して、干し肉を一口かじった。
(さて、次こそ怪我人なしで帰ってこようぜ)
秋の夜は、静かに更けていく。
窓の外では、月が丸くなっていた。