翌日のギルドは、いつもと同じ匂いがした。
木の床と、古い羊皮紙と、冒険者たちの汗の匂い。
俺はアレンの肩の上で、あくびを噛み殺していた。
(平和な朝だ。)
「おはようございます、マリアさん」
「あら、おはよう。今日は依頼を探しに来たの?」
「はい。僕たちに合う依頼があれば」
アレンが掲示板を見上げる。エマも横から覗き込む。
「採取依頼が多いね……薬草と、キノコと……」
「護衛依頼もいけるかも」
二人が相談していると、不意にエマが声を上げた。
「あっ! レオだ!」
「レオ?」
アレンが首を傾げる。
俺は耳をピクリと立てた。
(レオ? ああ、あいつか)
以前、酒場の隅で分厚い本を読みふけっていた少年。エマが「資料室によくいる変わった子」と言っていた奴だ。
エマが指さす先には、その少年がいた。
黒髪を短く刈り込み、細い銀縁の眼鏡をかけている。痩せ型の体には、少しサイズの合わない青いローブ。手には学院支給らしい木の杖。
周りの革鎧や汗臭い冒険者たちの中で、そいつだけが浮いていた。
(相変わらず、本屋の棚から抜け出してきたみたいな野郎だな)
「おーい、レオー!」
エマが手を振る。
少年はこちらに気づき、少し驚いたような顔をしてから、歩み寄ってきた。
「やあ、エマさん。お久しぶりです」
声は丁寧で、少し硬い。
「お久しぶり! 王都から戻ってきたんだって?」
「ええ。昨日着きました。こちらのギルドでしばらく活動しようかと」
「あ、ごめん。紹介するね! レオ・グレイブ。王都の魔法学院を出た魔法使い!」
エマが胸を張って言う。
「魔法学院……!」
アレンが感嘆の声を上げる。
「魔法学院を出た人に会うのは初めてです。本物の魔法使いなんですね」
「いえ、そんな……学院を出たばかりですし、魔法が使えるということでDランクで登録されましたが実戦は殆どしていなくて」
レオが照れくさそうに眼鏡の位置を直す。
(なるほど。冒険者としては俺たちと同じくらいか)
「僕はアレンです。Dランクの剣士です」
「アレンさんですね。エマさんから話は聞いています。前衛として頼りにしていると」
「いえ、まだまだです」
アレンが頭をかく。
「あ、見て! 私、短剣も持ってるんだ! ライラさんに教わったの!」
エマが腰の短剣を見せる。
「なるほど。弓使いが近接された場合、生存率を高めるには合理的ですね。距離を取り直すまでの時間を稼ぐなら、短剣の方が扱いやすい」
レオが答える。
(こいつ、理屈で物事を考えるタイプっぽいな)
「その子が噂のクロですか」
レオが俺を見る。
「噂?」
「ええ。ギルドでよく聞きます。随分と賢い猫だとか」
レオがしゃがみ込み、俺をじっと見る。銀縁の奥の目が、真剣に俺を観察している。
(めっちゃ見てくるな。照れるぜ)
ただ「賢い猫だ」で済ませず、俺の目や仕草まで一つずつ確かめるように見ている。
(学者肌ってのは、猫まで研究対象にするのか?)
「にゃ」
俺は短く鳴いて、そっぽを向いた。
「あはは、クロってばツンってしてる」
エマが笑う。
「それで、レオ。もう依頼は受けてるの?」
「いえ、まだです。適切な依頼を探しているところですが……」
レオが困ったように眉を下げる。
「実戦経験を積みたいのはやまやまなんですが、僕一人では心もとなくて」
「じゃあさ、今度一緒に依頼受けない?」
エマが提案する。
「僕たちなら前衛も後衛もいるし、レオの魔法があればもっといろんな依頼を受けられると思うんだ」
「えっ、よろしいんですか?」
レオが目を見開く。
「もちろんです」
アレンが頷く。
「魔術師と組むのは初めてなので、勉強になりそうですし」
「でも、僕は足手まといになるかもしれません。学院では魔法の訓練はしていましたが、本物の魔物を相手にした経験はほとんどないので」
レオが視線を落とす。
「そうだ!」
エマが急に手を叩いた。
「せっかくだし、レオの魔法見せてよ!」
「今からですか?」
「うん! 一緒に依頼を受けるなら、どんな魔法が使えるのか知っておきたいし」
「それは確かにそうですね」
アレンも頷く。
俺たちはギルドの裏手にある訓練場へ向かった。
レオは少し離れた場所に置かれた木製の的の前に立つと、杖を構えた。
さっきまでの頼りなさそうな雰囲気が、すっと消える。
「では……」
杖の先端が、淡い青色に輝いた。
「『氷の矢よ――敵を穿て』」
次の瞬間。
ヒュッ――!
青白い氷の矢が一直線に飛び、木製的の中心を貫いた。
バキッ!
的の中央から氷が広がり、表面が白く凍りついていく。
「うわっ!」
アレンが目を丸くした。
「すごい!」
エマが駆け寄る。
「ど真ん中じゃん!」
「これくらいなら、学院でも何度も練習しましたから」
レオが照れたように眼鏡を直す。
(なるほど)
俺は凍りついた的を見上げた。
威力もある。狙いも正確だ。
少なくとも、火力という意味ならアレンやエマよりずっと上だろう。
「これならゴブリンくらい余裕じゃない?」
エマが笑う。
「いえ。動かない的と魔物では違いますから」
レオはそう答えながらも、少し嬉しそうだった。
「でも……やってみたいです」
レオが自分の杖を見つめる。
「学院で学んだことが、本当の戦いでも通用するのか」
さっきまでとは違う、少しだけ期待の混じった声だった。
「では、ちょうどいい依頼があれば、一度ご一緒してみましょうか」
レオが穏やかに笑う。
「まずは簡単な依頼から、実戦での動きを確認してみたいです」
「うん! じゃあ、明日は簡単な依頼を探そう!」
「はい」
レオが頷いた。
その顔には、さっきまでより少しだけ自信が浮かんでいた。
(まあ、あれだけ撃てるなら大丈夫だろ)
もっとも――動かない的と、襲いかかってくる魔物が同じなわけもない。
こいつが実戦でどう動くのか。
それは、明日になれば分かることだ。
「にゃあ」
俺は短く鳴いて、しっぽを振った。