ギルドの掲示板の前で、レオは緊張した面持ちで立っていた。
細い指が、杖を握ったり離したりを繰り返している。
「大丈夫だよ、レオ。今日は簡単な討伐依頼だから」
エマが明るく声をかけた。
「ゴブリン三匹の群れだって。私とアレンだけでも何度か倒してるし、クロもいるしね」
「にゃ」
俺はアレンの肩から短く鳴いた。
(まあな。三匹程度なら、お前らだけでも十分だ)
「でも、僕はまだ……実戦で魔法を使ったことがなくて」
レオの声は少し震えている。
「最初は誰だってそうですよ」
アレンが穏やかに言った。
「僕も初めての討伐依頼では、足が震えてました。クロに助けてもらわなかったら、今ごろここにはいなかったかも」
「そんなことが……」
「あります。だから、レオさんも大丈夫」
(あの時は本当に冷や冷やしたけどな)
俺は尻尾を揺らしながら、あの日のことを思い出した。
あれからずいぶん経ったもんだ。
「じゃあ、行こうか」
エマが弓を背負い直す。
「森に入る前に、作戦を確認しておく?」
「はい、お願いします」
レオが真剣な顔で頷いた。
* * *
森の中は、少しだけ涼しかった。
秋の気配が近づいている。落ち葉が足下でカサカサと音を立て、木々の間から柔らかな陽射しが差し込む。
(いい天気だ。依頼がなければ昼寝したいくらいだな)
俺はアレンの肩から地面に飛び降りた。森の中では、自分の足で歩いた方が色々察知しやすい。
土の匂い、苔の匂い、それから──
(ゴブリンの匂い。近いな)
「止まって」
エマが小さく手を挙げた。
「前方、三十メートルくらい。たぶん三匹」
「わかるんですか?」
レオが目を丸くする。
「足音と、枝が折れる音。あとは匂い。クロも教えてくれてるしね」
俺は右の茂みをじっと見つめた。二匹。それから倒木の陰。もう一匹。
「にゃ」
「右の茂みに二匹……倒木の陰にも一匹いる」
エマが弓を構えながら言った。
「アレンは茂みの二匹をお願い。私は倒木の奴を狙う」
「了解」
(連携が板についてきたな)
俺は素早く木の上に駆け上がった。
「レオさんは、無理に前に出ないでください。後ろから援護をお願いします」
アレンが剣を抜きながら言った。
「は、はい……!」
レオが杖を握りしめる。指先が白くなっている。
(緊張してるな。まあ、初めてなら当然か)
ゴブリンが三匹、茂みから姿を現した。
緑色の肌に、汚れた布を巻きつけている。手には粗末な棍棒やナイフ。
「ギャッ!」
こちらに気づいたゴブリンが、叫び声を上げる。
「行くよ!」
エマの矢が真っ直ぐに飛び、倒木の陰から出てきたゴブリンの肩を射抜いた。
「ギャアッ!」
一匹がよろめく。
「はあっ!」
アレンが茂みの二匹に斬りかかる。長剣が弧を描き、一匹の棍棒を弾き飛ばした。
(いい動きだ。訓練の成果が出てる)
俺は木の上から戦況を見下ろしながら、いつでも飛び降りられるよう身構える。
「レオさん、今です!」
アレンが叫んだ。
「え、あ、はい! 『氷の矢よ――敵を穿て』!」
レオが杖を前に突き出す。
しかし。
杖の先端の青い宝石が一瞬光りかけて、すぐに消えた。
「『氷の矢よ――敵を穿て』!」
もう一度唱えるが、何も起こらない。
(出ない……? 緊張してるせいか?)
「ギャッ!」
その隙に、アレンが相手をしていたもう一匹のゴブリンが、横をすり抜けてレオへ向かって突っ込んでくる。
「ひっ……!」
レオが硬直する。
(しょうがないな!)
俺は木の上から飛び降りようとした──その時。
「レオさん!」
アレンが素早くレオの前に割って入った。
「大丈夫です! 僕が前にいます!」
「っ!」
「もう一度です! 落ち着いて、いつも通りに!」
レオが杖を握り直す。震える指に力を込めて。
「『氷の矢よ――敵を穿て!』」
杖の先端から、青白い光が走った。
だが。
氷の矢はゴブリンを大きく逸れ、後ろの木の幹に突き刺さる。バキッと音を立てて、樹皮が凍りついた。
「っ、外した……!」
レオの顔が青ざめる。
でも、威力は本物だ。幹に残った氷の痕は、ゴブリンに当たっていたらひとたまりもなかっただろう。
(魔法の威力は本物だ。……でも、実戦じゃまともに撃てないのか?)
「ギャアッ!」
ゴブリンがなおも迫る。アレンが長剣で受け止めた。
「もう一度……!」
レオが三度目の杖を掲げる。
「『氷の矢よ――敵を穿て!』」
今度は、ゴブリンの足元を狙った。氷の矢が地面に突き刺さり、周囲の落ち葉ごとゴブリンの足を凍りつかせる。
「ギャ……!?」
動きが止まった。
「はあっ!」
アレンがとどめの一撃を叩き込む。ゴブリンは悲鳴を上げて倒れた。
「一匹残ってる!」
エマの矢が最後の一匹の足を射抜いた。アレンがすかさず斬り伏せる。
ゴブリンは三匹とも地面に倒れた。
戦闘終了。
木々の間に、静けさが戻る。
「ふう」
アレンが剣を収める。
「みんな無事?」
「こっちは大丈夫。レオは?」
エマが弓を下ろしながら振り返る。
「っ、はあ……はあ……」
レオは肩で息をしていた。杖を握りしめたまま、その場にへたり込む。
「レオさん!」
「だ、大丈夫です……少し、力が抜けただけで……」
「最後の魔法、すごかったですよ」
アレンがしゃがみ込んで、レオの肩に手を置いた。
「魔法で相手の足を止めてくれたおかげで、すごく戦いやすかったです」
「でも、僕は二回も失敗して……」
「最初はそんなものです」
エマが笑いながら近づいてくる。
「私だって、初めてゴブリン見たときは弓を引く手が震えたもん」
「エマさんが……?」
「そう! だから、レオも大丈夫! それに、最後のはちゃんと当たったでしょ」
レオはしばらく俯いていたが、ゆっくりと顔を上げた。
「……ありがとうございます」
声はまだ震えている。でも、少しだけ笑っていた。
「それじゃあ、帰ろうか」
エマが背を向ける。
「今日の依頼は成功だし、報酬もらって美味しいものでも食べよう!」
「いいね!楽しみだね、レオ」
「は、はい……」
レオが立ち上がる。杖を握る手には、まだ力が入ったままだった。
(一回で上手くいく奴なんて、そうそういない。でも……)
あの威力、理論の正確さ。学院で優秀な成績だったというのも嘘じゃないんだろう。
(魔法の腕は本物だ。問題は……本番になると、それを上手く出せなくなることか)
それが今日わかったことだ。
(まあ、これからだな)
「にゃ」
俺はレオの足元を追い越し、先を歩くアレンたちのところへ駆けていった。
まだ課題はある。でも、一歩目としては悪くない。