翌日のギルドは、少しだけ騒がしかった。
掲示板の前には何人かの冒険者が集まっていて、ひそひそと話している。
「どうしたんだろう?」
アレンが首を傾げる。
「西街道の廃屋にゴブリンが巣食ったみたいなのよ」
マリアが書類をめくりながら言った。
「五匹から六匹。Dランク依頼だけど、狹い場所だから少人数だと厳しいかもね」
「五、六匹か……」
アレンが少し考える。
「外なら僕とエマでも何とかなる数だけど……廃屋の中だと、エマが射線を取りにくいよね」
「そうだね。狹いと私の弓が使いにくい」
エマが腕組みをする。
「でも、レオが入口から足を止めてくれたら、かなり楽になるかも」
「僕がですか?」
レオが目を丸くする。
「そう! 昨日の氷の矢、すごかったじゃない。あれがあれば、一度に数匹止められるでしょ?」
エマの言葉に、レオは少し顔を輝かせた。
「はい。やれます」
レオの声には、昨日とは違う力がこもっていた。
(一度に数匹、ねえ。昨日は一匹止めるので精一杯だったけどな)
俺は内心で首を振った。
昨日の最後の成功からの自信と、最初の二回の失敗を取り返したいという気持ち。
どちらもが彼の中であるのだろう。少し気負っているのが表情で見て取れる。
「無理ならすぐに撤退しましょう」
アレンが釘を刺す。
「それでよければ、受けようか」
「うん! レオ、いける?」
「はい。お任せください」
レオが杖を握りしめる。眼鏡の奥の目は真剣だ。
俺は少し不安を覚えたが、鳴くことしかできなかった。
* * *
西街道沿いの廃屋は、かつて倉庫として使われていたらしい古びた石造りだった。
入り口は一つ。窓はなく、薄暗い。
「作戦はシンプルだよ」
エマが弓に矢をつがえながら言った。
「アレンが入り口を塞いで、一度に出てこられる数を抑える。私が後ろから矢で援護する。レオはアレンの隙を見て魔法。クロは中の数と動きを確認して」
「わかりました」
レオが杖を握りしめる。
(グレイウルフの時と同じだ。狹い場所を使って、数の利を潰す)
俺は不安を感じながらも、アレンの足元についた。
グレイウルフより弱いゴブリンなら、入り口さえ押さえればなんとかなるはずだ。
「行くよ!」
アレンが廃屋の扉を蹴り開けた。
中から、腐った木と黴と、それから濃い獣の匂いが吹き出す。
(五、六匹か。匂いの強さからして、報告通りくらいだな)
暗闇の中から、黄色い目がいくつも光る。
「ギャッ!ギャギャッ!」
ゴブリンたちが一斉にこちらへ向かってくる。
「来るよ!」
アレンが剣を構えて入り口を塞ぐ。
狹い入り口のおかげで、一度に襲ってくるのは二匹程度だ。
エマが矢を放つ。暗い中に飛んだ矢が、一匹の肩を射抜く。
「くっ!思い切りよく突っ込んでくるな」
アレンが剣を振るって牽制するが、次から次へと押し寄せてくる。
「レオ! お願い!」
エマが叫ぶ。
「は、はい! 『氷の矢よ』──」
レオが杖を振る。
だが、アレンは目の前でゴブリンと切り結んでいる。
狹い入り口で、アレンとゴブリンが入り乱れている。
レオの視線が、アレンとゴブリンの間を何度も往復する。
その顔が、みるみる青ざめていった。
(まさか……昨日外したのを気にしてるのか?)
昨日、レオの氷の矢はゴブリンを大きく外れ、木の幹に突き刺さった。
今、その場所にいるのは木じゃない。アレンだ。
「……っ!」
レオの手が止まった。
「レオさん!」
「撃てない……」
レオの声が震える。
「外したら……アレンさんに当たる……!」
(馬鹿野郎! 撃たなきゃアレンがやられるだろうが!)
「ギャアッ!」
隙を見たゴブリンがアレンの右腕を棍棒で殴った。
「ぐっ……!」
アレンの手から長剣が弾かれる。
「アレン!」
「くそっ……!」
俺はとっさにゴブリンの顔に飛びついた。爪で目を狙う。
「ギャッ!」
「アレン、下がって!」
エマが弓を横から叩きつけるように使い、近づいたゴブリンの棍棒を逸らす。
だが、数が多い。弓使いが前衛に出るのは最悪の状況だ。
「レオ! 何してるの!」
「っ、ううっ……」
レオは杖を抱えて、震えていた。
口をパクパクさせているが、言葉にも魔法にもなっていない。
(やっぱりだ。こいつ、実戦になると動けなくなる!)
俺は舌打ちしたい気持ちを抑えて、ゴブリンの目を必死に掻きむしった。
「撤退する!」
アレンが叫んだ。
左手で剣を拾い上げる。
「エマ、レオさんを!」
「わかった!」
エマがレオの腕を掴み、廃屋から引っ張る。
アレンは左手で剣を拾い上げると、刃を敵へ向けた。まともに振れる状態じゃない。ただ、近づかせないための牽制にはなる。
なんとか広い通りへ飛び出すと、俺たちは一気に距離を取った。
* * *
ローベスに戻り、救護室でアレンの腕の治療を受けた後、俺たちはギルドの隅の席に座っていた。
アレンの右腕には包帯が巻かれている。
マリアに依頼失敗の報告をしたのはアレンだ。報酬は当然ゼロ。治療費だけが残った。
「ごめんなさい、アレン。私が無理させたせいで」
エマが俯く。
「エマさんのせいじゃないよ」
アレンは苦笑いした。
「僕がもっと上手くやればよかったんだ」
俺は黙って、テーブルの向かいに座るレオを見た。
今回の失敗を、誰か一人のせいにするのは簡単だ。
でも、俺たちはレオが撃つことを前提にしていた。
そして、そのレオは撃てなかった。
結果だけ見れば、それだけのことだった。
レオは杖を膝に置いたまま、動かない。
「レオさん……」
アレンが声をかける。
「僕は辞めます」
レオが絞り出すように言った。
「え?」
「僕は、冒険者に向いてなかったんです」
レオの声は震えていた。
「僕は、できると言いました」
レオが俯いたまま言う。
「氷結魔法で敵の足を止められる。援護できる。そう言ったのに……何もできなかった」
「レオさん……」
「僕が魔法を使える前提で、アレンさんは前に出た。エマさんもそれを信じた。それなのに僕は……怖くなって、杖を振ることすらできなかった」
レオが立ち上がる。
眼鏡の奥の目元は、赤くなっていた。
「迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「待ってよ、レオ!」
エマが声を上げた。
レオの足が、一瞬だけ止まる。
だが、振り返らない。
「すみません。少しの間でしたが、本当にありがとうございました」
そのままギルドを出ていった。
「レオ……」
アレンが包帯の巻かれた手を伸ばすが、その背中は止まらなかった。
俺はテーブルの上から、その背中を見送った。
(あいつ、このまま終わるつもりか?)
でも、声がかけられるわけでもない。
技術は本物だ。知識もある。だが、いざとなると魔法が撃てなくなる。
理屈で、知識で、割り切れないものが、確かにそこにあったから。
「にゃあ……」
俺は小さく鳴いて、あくびを噛み殺した。
明日からどうするかは、あいつ次第だ。