レオが去ってから三日が経った。
アレンの右腕は、もう包帯が取れていた。
ゼドさんの薬と回復魔法のおかげで、骨には異常がなく、動かすのにも支障はないらしい。
ただ、紫色の痣だけがまだ残っていた。
俺たちはいつものようにギルドに来ていたが、掲示板を見る気にはなれなかった。
エマもアレンも、何となく視線を泳がせている。
テーブルの隅には、空いた椅子が一つ。
誰も座らないその椅子が、妙に目についた。
(あいつ、大丈夫かな?)
俺は窓の外を見る。宿の方角だ。
レオはあのまま宿に戻り、ずっと部屋にこもっているらしい。
エマが一度見に行ったが、「一人にしてください」と言われたそうだ。
(まあ、無理もないか)
自分を信じてくれた仲間を危険に晒したのだ。レオみたいな真面目な奴ほど、そういうのは重くのしかかる。
「ごめんね、アレン」
エマが唐突に言った。
「え?」
「私がレオを連れて行こうって言ったせいで、アレンが怪我したようなものだから」
「エマのせいじゃないよ」
アレンは首を振った。
「僕がもっと前に出て、しっかり止めていればよかったんだ」
俺は心の中で小さく息をついた。
こいつはいつもそうだ。誰かが傷つくと、すぐに「自分が悪い」「自分が守ればよかった」と考える。
他人が傷つくのは嫌だけど、自分が傷つくことには妙に鈍い。
優しいのはわかるし、悪いことじゃない。でも、見ているこっちがハラハラするんだよな。
「ねえ、アレン」
エマが頬づえをつく。
「レオのこと、どう思う?」
「どうって……」
アレンが少し考える。
「もう少し待ってあげた方がいいんじゃないかな。レオさんなりに考えがあるはずだし」
「そうだけど……あのまま終わらせたくないんだよね。折角一緒に出来そうだったのに」
「うん。僕もそう思う。でも、無理に連れ戻しても意味がない。レオさん自身が納得しないと」
(正論だな)
俺は尻尾を揺らす。
技術はある。頭もいい。でも、心が追いついていない。
それが今のレオだ。
その時。
「おい、そこの二人」
低い声がした。
振り返ると、ダンが立っていた。
熊のような大柄な体に鋼鉄の鎧。背中には大盾。
いつもの威圧感のある顔だ。
「ダンさん」
アレンが背筋を伸ばす。
「お前ら、西街道の廃屋で失敗したそうだな」
ダンが腕組みをして言った。
「はい……」
アレンが俯く。
「理由は聞いた。魔術師が怖気づいて魔法を使えなかったんだろ?」
ダンの視線が鋭い。
「それは……」
エマが口を開きかけたが、ダンは手で制した。
「怒ってねえよ。よくある話だ。学院出たばかりの魔法使いには、たまにある」
ダンが少しだけ口角を上げた。
「だがな、お前らが失敗したのは、魔法使いのせいだけじゃねえ」
「え?」
「仲間を信じるのはいい。だが、自分の身は自分で守るのが冒険者の鉄則だ。いつ何時、誰が動けなくなるかわからねえんだからな」
ダンの声は重い。
「お前らがその魔法使いを過信して、そいつが動けなかった時のことを考えてなかった。それも敗因の一つだ」
アレンとエマは黙り込んだ。
(確かに)
俺も思う。俺たちは「レオの魔法があるから大丈夫」という前提で動いていた。
だからこそ、レオが動けなくなった時に崩壊した。
「で、その魔法使いはどうするんだ?」
ダンが問いかける。
「放っておくのか? それとも引き戻すのか?」
ダンがアレンを見る。
「お前らが決めることだ。だがな」
ダンが一度言葉を切り、俺を見た。
「魔法使いが撃てねえなら、そいつだけの問題だと思うな」
「え?」
「仲間が動けねえなら、動ける状況を作るのも連携ってもんだ」
ダンが俺をちらりと見る。
「お前らには、そこに妙に頭の回る猫までいるんだろ」
(なんだよ、急に)
俺は居心地が悪くなって、あくびをした。
「四人揃って戦うなら、四人で戦い方を考えろ」
ダンが言った。
「連携……」
アレンが呟く。
「まあ、いいか。説教はこれくらいにする」
ダンが背を向ける。
「頑張れよ、若いの」
ダンはそのまま去っていった。
* * *
その日の夜。
俺はアレンの家を抜け出して、宿の方へ向かった。
レオの部屋がある宿屋だ。
二階の窓を見上げる。明かりがついている。
(あいつ、まだ起きてるな)
俺は塀を伝って窓枠に飛び乗った。
窓は少し開いていた。
隙間から中を覗くと、レオが机に向かって本を読んでいた。
杖は机の上に置かれている。
でも、目は活字を追っているようでいて、どこか遠いところを見ているようだった。
「にゃ」
俺は小さく鳴いた。
レオが顔を上げる。
「クロ……?」
俺は窓から部屋の中へと飛び込んだ。
「どうしてここに……」
レオが驚いた顔をする。
俺は何も言えないので、レオの足元にすり寄った。
毛並みを擦り付ける。喉を鳴らす。
レオがしゃがみ込み、俺の頭を撫でた。
指先が少し震えている。
「君には、迷惑をかけたね」
レオの声は小さい。
「僕が魔法を使えていれば、君たちはあんな目に遭わずに済んだ」
俺はレオの手に頭を押し付ける。
(違う。お前は実戦も2回目だ。そんなすぐに動けるわけがない)
でも、言葉は届かない。
「僕は……怖いんです」
レオがぽつりと言った。
俺は耳をピクリと立てる。
「たぶん、魔物がじゃないんです」
レオは自分の手を見つめる。
「僕の魔法は、エマさんの弓みたいに狹い隙間を狙えるものじゃない。少し狙いがずれただけで……近くにいる人まで巻き込んでしまうかもしれない。それを考えると……手が動かなくなるんです」
(仲間を傷つけるかもしれない、か)
アレンに当てるかもしれない。
その恐怖が、魔法を封じていた。
「でも……不思議なんです」
レオが俺を見る。
「僕は冒険者になりたかった。家のことはもうどうでもいい。自由に生きたかった。それなのに……いざ戦場に出ると、自由に魔法が撃てない」
レオが自嘲気味に笑う。
「滑稽ですよね。自由になりたかったのに、一番大事な場面で自分を縛ってしまうなんて」
俺は何も言えなかった。
ただ、レオの手に頭を押し付け続けた。
(こいつはアレンともまた違う、困ったやつだな)
俺はふと思った。
レオは、自分の攻撃が仲間に当たるのが怖くて撃てない。
アレンは、仲間が傷つくくらいなら自分が傷つけばいいと思って前に出る。
どっちも仲間を大切にしている。でも、その欠点の出方がまるで違う。
(世話の焼けるやつらだ)
* * *
翌朝。
ギルドに入ると、マリアが慌てた様子で受付に立っていた。
「大変! 農村アルムから急報よ!」
マリアの声に、ギルド内の冒険者が一斉に振り返る。
「何があったんですか?」
アレンが駆け寄る。
「ゴブリンの群れが現れたの! それも……数が異常に多いって!」
マリアが震える声で言った。
「異常に多い?」
「三十匹以上はいるかもしれないって! それに……奇妙な行動をとってるらしいの」
マリアの顔が青ざめている。
「まるで……誰かに操られてるみたいに動いてるって」
(操られてる?)
俺の背筋に寒気が走った。
嫌な予感がする。また、三つ眼が絡んでるんじゃないだろうな。
「ゴードンさんが招集をかけたわ! Dランク以上の冒険者はすぐに集合して!」
ギルド内が騒然となる。
冒険者たちが武器を手に走り回る。
(大規模討伐か)
俺はアレンの足元で身構えた。
その時だった。
ギルドの扉が開いた。
「待ってください!」
声がした。
振り返ると、そこにいたのは──レオだった。
杖を握りしめたレオが、息を切らして立っていた。
眼鏡の奥の目は赤い。寝てないのがわかる。
「レオさん……?」
アレンが目を丸くする。
「宿まで騒ぎが聞こえてきました。何かあったのかと思って来てみたら……」
レオが息を整えながら言う。
「今、魔物が操られているように動いていると言いましたか?」
レオがマリアに詰め寄る。
「え、ええ。アルムからの報告ではそうだけど……」
レオの表情が変わった。
「似た記述を読んだことがあります」
「似た記述?」
「学院の資料室にあった古い文献です。ゴブリンは群れを作りますが、三十匹もの群れが統率された動きをするのは普通じゃありません」
レオの声は早口だ。
「文献に、魔物の意思を奪い、術者の命令に従わせる術があると書かれていました。操られた魔物は、普段では考えられないほど大きな群れを作り、命令されたように動くと」
(魔物を操る術……?)
嫌なものが頭をよぎった。
あの三つ眼の印だ。
(まさか……あれと関係してるのか?)
「禁術と書いてありました。ただ、文献にはそこまでしか書かれていなくて、詳しい術式までは残っていませんでした」
レオは一度息を呑む。
「今回の件がそれだとは断定できません。でも、少なくとも調べる価値はあります」
アレンとエマは顔を見合わせた。
「一緒に行かせてください」
レオが言った。
「僕の知識がなにかの助けになるかもしれません」
レオの声は震えている。でも、一歩も引かない目をしている。
「お願いします。僕を連れて行ってください」
(おいおい、大丈夫か?)
俺は内心でツッコミを入れたかった。
でも、レオの目を見て、黙った。
あれは「魔法を使える」という自信じゃない。
「自分の知識が必要だ」という使命感だ。
アレンは少しだけ黙った。
それから、レオの杖ではなく、その顔を見る。
「わかりました。一緒に行きましょう」
「アレンさん……」
「でも、無理に魔法を使わなくていいです」
アレンは自分の右腕に残った痣を見て、それから笑った。
「今度は、レオさんが動けなくなっても戦えるように、僕たちも考えます」
レオが目を見開いた。
「僕と、エマさんと、レオさん。それから……」
アレンが俺を見る。
「クロ。みんなで戦うんですから」
(おい。しれっと俺を一人に数えたな)
俺は心の中で呟いたが、まんざらでもなかった。
「うん!」
エマも笑顔を見せる。
「ありがとうございます」
レオが深く頭を下げた。
そして俺たちは、ゴードンの元へと駆け出した。
(さあてと)
俺は走りながら鼻を鳴らした。
嫌な予感がする。また三つ眼が絡んでるんじゃないだろうな。
レオは知らない。俺たちがこれまで見てきたあの印のことも、灰色の外套の男のことも。
でも、レオの知識と俺たちの経験が噛み合えば、何かが見えるかもしれない。
俺は前を走るレオを見た。
(今度は撃てるのか? レオ)
その答えは、たぶんすぐにわかる。