アルム村の空気は、戦いの直後特有の匂いがしていた。
踏み荒らされた畑から立つ土の匂いと、薄く残る獣の臭い。
だが、その中に少しずつ、人間の生活の匂いが戻り始めていた。
村人たちが冒険者に駆け寄り、感謝の言葉を口にする。
「畑は荒らされちまったが、命があっただけ奇跡だ」
村の長が、皺だらけの手でゴードンの手を握っていた。
「あんたたちが来てくれなかったら、俺たちは全滅してたかもしれねえ」
「辛うじて、間に合ったってぐらいだがな」
ゴードンが低い声で言う。
「見張り台の被害は大きい。復旧には時間がかかるだろう」
「畑もだ。でも……生きてりゃなんとかなる」
幸い、村人に死者は出なかったらしい。負傷者は数名出たようだが、命に別状はなかった。
(生きてりゃ、か)
俺はアレンの足元で小さくあくびをした。
確かにそうだ。死んでしまったら、畑も家も意味がない。
でも、生きていたって、恐怖は残る。
村人たちの目には、さっきまでの出来事がまだ焼きついているようだった。
* * *
ローベスに戻ったのは、夕暮れ近くだった。
ギルドの中は、事後処理で慌しかった。
マリアが報告書をまとめ、ゴードンが詳細を聞き取っていく。
俺たちは一息つく間もなく、今回の件を整理するための会議に放り込まれた。
「整理しよう」
ゴードンが机を叩く。
「今回の群れは、明らかに異常だった」
ダンが腕組みをして言う。
「指揮系統がはっきりしてた。普通のゴブリンにそんな知恵はない」
「三つ眼の印だ」
アレンが口を開く。
「前に戦ったゴブリンにも同じ印がありました。それに、オーガの件を調べた時も、荷馬車の近くで三つ眼の印が描かれた布を見つけています」
レオが考え込むように呟いた。
「同じ印が、別々の場所で何度も……」
レオが杖を机の端に置く。
「今回の男と、以前目撃した男が別人なら、少なくとも複数の術者が同じ術を使っていることになります」
「組織ってことか?」
ダンが問う。
「断定はできません。でも、あり得る話です」
レオの声は冷静だ。
「あの文献には、術式そのものは欠損していました。誰かがそれを復元し、共有しているのかもしれない」
(一人なら、まだいい)
(でも、同じ術を使う奴が何人もいるとなると……話が違うぞ)
俺は背筋が薄く寒くなるのを感じた。
「死んだ男の持ち物は?」
ゴードンが問う。
「これだ」
ライラが小さな革袋を置く。
中身は貧相だった。
小銭いくばくか、粗末な手帳、そして──
小さな金属片。
黒い鉄の板に、三つの穴が開いている。
まるで、三つ眼の印のようだ。
「これは……」
レオがそれを手に取る。
「何かの部品でしょうか」
「わかるのか?」
「いいえ。少なくとも、僕が知っている魔具の部品ではありません」
レオが金属片を机に戻した。
チャリ、と乾いた音が響く。
「ただ……わざわざ持ち歩いていた以上、何か意味はあるはずです」
ダンが舌打ちする。
「手掛かりなしかよ」
「地図はないのか?」
ゴードンが問う。
「ない。手帳も、ほとんどが暗号か何かの数字列だ」
「意味は?」
「さっぱりだ」
レオが金属片をじっと見つめる。
「詳しいことは、もっと調べないとわかりません。でも……単なる略奪や破壊が目的とは思えません」
* * *
会議が終わった後、俺たちはいつものテーブルに戻った。
マリアが遅れてやってきて、金貨八枚と銀貨十枚をテーブルに置く。
「今回の討伐報酬と、ギルドからの特別手当ね。大変だったけど、よく頑張ったわ」
「ありがとうございます」
アレンが金貨を数える。
俺はテーブルの上で丸くなりながら、仲間たちを見渡した。
戦いが終わった後の空気は、少しだけ違う。
「あの……」
レオが口を開いた。
「今回は、ありがとうございました」
レオの声は小さい。
「僕が……また撃てなくなったせいで、危険な目に遭わせてしまって」
「そんなことないよ」
エマが首を振る。
「最後の氷壁、すごく助かったし」
「でも……」
レオが唇を噛む。
「今回はアレンさんが射線を作ってくれたから撃てただけです。まだ、一人では……」
俺は耳をピクリと立てる。
レオの顔には、以前のような絶望感はない。
だが、迷いはまだ消えていない。
「それで、いいんだと思います」
アレンが言った。
「え?」
「一人で全部できる必要なんてないですよ」
アレンは笑う。
「僕だって、エマさんやクロがいなかったら何度も負けてます。剣だって、エマさんの弓だって、得意な距離がある」
アレンが自分の剣を見る。
「今のレオさんは、広い射線があった方が魔法を撃ちやすいですよね。なら、それを作るのは僕の仕事です」
アレンは手を差し出した。
「だから、これからもよろしくお願いします」
レオはアレンの手を見つめ、それから眼鏡を外して目元を拭った。
「いいんですか……?」
レオが掠れた声で尋ねる。
「もちろんだよ!」
エマがすぐに答えた。
「私も、これからもレオと一緒に冒険したい」
レオはしばらく二人の顔を見つめていた。
「……はい。ありがとうございます」
そして、アレンの手を握り返した。
エマがクスクスと笑った。
「じゃあ、もうそこ空けとかなくていいね」
「え?」
「ほら、あの椅子」
エマが顎でしゃくる。
テーブルの隅、ずっと空いていた場所。
レオは少し迷ってから、その椅子に腰を下ろした。
木の軋む音がする。
(ようやく埋まったか)
俺はその音を聞きながら、目を細めた。
最初に会った時は、ずいぶん面倒くさそうな奴だと思った。
一緒に依頼を受けて、失敗して、逃げるようにいなくなって。
それでも戻ってきて、今度は震えながら魔法を撃った。
そして今、ここに座っている。
まだ完璧じゃない。恐怖も迷いも消えてない。
でも、それでいい。
「おなかが空いた!みんなで食べに行こう!」
アレンが立ち上がる。
「もう? 今折角座っていい感じだったのに」
エマが呆れたように、だが楽しそうに笑っている。
「いや、だってお腹減ったし」
「はは……僕も少し」
レオも笑う。
俺はテーブルから飛び降り、立ち上がるアレンの足元へと寄り添った。
「にゃあ」
短く鳴くと、アレンが俺を抱き上げた。
「クロも一緒に行こう」
三人と一匹が、夜の街へと歩き出す。
ギルドを出る直前、俺は一度だけ振り返った。
カウンターの奥では、ゴードンがまだ羽ペンを走らせている。
「ゴードンさん、まだ仕事?」
エマが声をかける。
「ああ。王都に報告を送る」
ゴードンは紙から顔を上げなかった。
「三つ眼の印、操られた魔物、複数の術者……これはもう、ローベスだけの問題じゃねえ」
ゴードンは手を止め、一枚の報告書を封筒に収めた。
燭台の火が揺れ、壁に映る影が揺らぐ。
まるで、何かが動き出したかのように。