あの日、町へ戻った俺たちはその足でギルドへ向かい、森の入り口でゴブリン三匹に遭遇したことを報告した。報告を受けたギルドは翌日から東の森の巡回を増やしたらしい。月光草一株と報告料を合わせて銀貨一枚。依頼自体は失敗だったが、情報だけはちゃんと役に立った。
それから一週間ほどが経った。
アレンは毎朝庭で木剣を振る。
俺は窓辺の特等席からその様子を眺めていた。拾われた頃より身体も少し大きくなり、ソファから庭へ飛び降りるのもだいぶ楽になった。
「いち! に! さん!」
アレンの掛け声が朝の空気を切り裂く。手にした木剣を何度も何度も振り下ろす。額には大粒の汗が浮かんでいる。
まだ構えは安定せず、振り下ろした勢いで足が流れることも多い。それでも一週間前よりは、少しだけましになっていた。
(まあ、努力は認めてやってもいいか)
「にゃあ」
俺は一声鳴いて窓辺から飛び降り、庭に出てアレンの足元にすり寄った。
「あ、クロ。おはよう。見ててくれたんだね」
アレンは木剣を置いて俺の頭を撫でた。その手は汗で湿っていた。
俺は台所の方を見てしっぽを立てる。
「あ、もうこんな時間か。すぐに朝食を用意するよ」
山羊乳を飲み終える頃、向かいで硬いパンをかじっていたアレンがぽつりと言った。
「クロ、僕ね、もっと強くなりたいんだ」
「にゃあ?」
「この前のゴブリンの時、僕はクロに助けてもらわなかったらどうなってたか……。僕は、まだまだ弱い」
アレンはパンを握りしめながらうつむいた。
(おいおい、自分を責めてるのか)
俺はアレンの膝の上に飛び乗って彼の手を舐めた。
「クロ……慰めてくれてるの?」
(まあ、そんなところだ)
俺はゴロゴロと喉を鳴らした。
「ありがとう。……うん。落ち込んでるだけじゃ、強くなれないよね」
アレンは顔を上げた。
「今日、ギルドに行ってダンさんに剣術を教えてもらおうと思うんだ」
(ダンか)
アレンが何度か話していたベテラン冒険者だ。両親とも知り合いだったらしい。
「にゃあ」
* * *
「よお、アレン。今日はどうした? また薬草採取か?」
ギルドの酒場でダンは空になったエールのジョッキを脇へ押しやった。熊みたいな巨体に無精髭。
「ダンさん、お願いがあります。僕に剣術を教えてくれませんか」
アレンはダンの前に立つと深々と頭を下げた。酒場にいた他の冒険者たちがちらちらとこちらを見ている。でも、アレンは気にしなかった。
「剣術? そりゃまた急にどうした」
「この前、ゴブリンに遭遇したんです。森の入り口で三匹に。クロが助けてくれなかったら——」
アレンは言葉を詰まらせた。
「なるほどな。それで強くなりたいってわけか」
ダンはジョッキを置いてアレンの顔を見た。それからにやりと笑う。
「……まあ、お前の親父には世話になったしな。いいぜ。明日の朝、裏庭へ来い。ただし俺の指導は厳しいぞ。泣き言は一切なしだ。それと、二日鍛えたら一日は身体を休めろ。無理に続けても身体を壊すだけだからな。それでもいいか?」
「はい! よろしくお願いします!」
アレンは勢いよく頭を下げた。
(見た目のわりに、無茶させるタイプじゃなさそうだな)
* * *
翌朝、ダンの指導が始まった。
場所はギルドの裏庭だ。地面は固く踏み固められていて、ところどころに的や訓練用の人形が置いてある。
「まずは基本からだ。剣を構えろ」
アレンは緊張した面持ちで木剣を手に取った。
「もっと腰を落とせ。肩の力を抜け。剣だけ振るんじゃねえ、身体ごと使え」
ダンはアレンの構えを細かくチェックしていく。
「次は素振りだ。俺の動きをよく見て真似しろ」
ダンが手本を見せる。大柄な身体から振り下ろされる木剣が空気を切り裂いて鋭い音を立てた。
「はい! いち!」
アレンは必死に真似ようとするが、どうしても動きがぎこちない。重心がぶれて振り下ろした後にふらつく。
「……お前、一人で素振りしてたな?」
「はい。毎朝」
「やっぱりな。力みすぎだ。腕だけで振る癖がついてる。努力するのは悪くねえが、間違った振り方を百回やりゃ、間違った癖が百回分つく。まずは全部直すぞ」
「だめだ。振り下ろした後に身体が流れてる。足を止めろ」
「こ、こうですか?」
「まだ甘い。もう一度!」
ダンの声が昼前まで続いた。アレンは何度も何度も素振りを繰り返した。汗だくになり息も絶え絶えになりながら、それでも諦めなかった。
(こいつ、本当に根性あるな)
アレンの手にはすでにマメができ始めていた。でもダンはマメが潰れる前に訓練を止めた。
「よし、今日はここまでだ。初日としては上出来だ。明日は筋肉痛で動けなくなるかもしれん。そういう日は無理せず座学で体の使い方を学べ。いいな?」
「はい! ありがとうございました!」
* * *
それから約一ヶ月。
アレンの訓練はダンの指導のもと、二日鍛えて一日休む周期で続いた。身体を休める日は、戦闘の基礎を教わることもあった。
「いち! に! さん!」
百回目の木剣が振り下ろされる。足はぶれなかった。一ヶ月前なら百回を終える頃にはその場に座り込んでいた。それが今では息を整えるだけで済んでいる。
(なかなか様になってきたじゃないか)
「よし、百回終わった。次は投げナイフだ」
アレンは木剣を置いて投げナイフを手に取った。接近する前に敵の注意をそらす牽制手段としてダンから教わったのだ。庭の隅にある古い木の的に向かって投げる。
「えいっ!」
ナイフは的の端に突き刺さった。真ん中には程遠いけど、教わり始めた頃は的にも当たらなかった。
「くそ、まだ真ん中に当たらない」
アレンは外れたナイフを拾い集める。その手には新しいマメがいくつもできていた。でも、どれも潰れてはいない。
十回、二十回と続けるうちに。
「やった! 真ん中に当たった!」
ナイフが的の中心に突き刺さった。アレンは飛び跳ねて喜んだ。
「クロ、見てたかい!? 真ん中に当たったよ!」
「にゃあ」
(見てたぞ)
俺はアレンの足元にすり寄って頭をこすりつけた。
「えへへ、ありがとう。まだダンさんとの模擬戦では一本も取れないけど、前よりは少しだけ強くなれた気がするんだ」
アレンはしゃがみ込んで俺の耳の後ろをかいた。
(くぅ、そこは反則だろ……)
でもまあ、こういうのも悪くない。
「さて、今日はここまでにしようか。最近きみと遊ぶ時間もなかったからね」
アレンは古い毛糸玉を取り出した。俺がこの家に来たばかりの頃、アレンが作ってくれたおもちゃだ。もうぼろぼろになりかけている。
「にゃあ!」
俺は毛糸玉に飛びついた。
「あっ、クロ、そっち行ったよ!」
転がった毛糸玉を追って俺はソファの下へ頭を突っ込む。
背後でアレンが笑った。
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