ギルドの裏手にある小さな訓練場に、俺たちは集まっていた。
朝の空気は冷たいが体を動かせばすぐに汗ばむ。アレンとエマは軽い防具を身につけ、レオはいつもの青いローブ姿で杖を握っている。
(さて今日はどんな訓練になるやら)
俺は訓練場の隅の木陰に陣取り尻尾をゆっくりと揺らしながら三人を見守ることにした。
「おはよう三人とも。今日はレオの魔法の使い方を詰めるって聞いたが……俺も参加していいか?」
声をかけてきたのはダンだった。熊のような体格のベテラン冒険者は、鎧を着ていない。代わりに手には人の胴ほどの木製の標的を一本持っていた。
「ダンさん! おはようございます!もちろんです!」
アレンが嬉しそうに頭を下げる。
「おはようございます、ダンさん」
レオも深く頭を下げた。
「よろしくお願いします、ダンさん」
エマも長弓を背負ったまま、にっこりと笑う。
ダンは訓練場の中央に歩み出ると、杭を地面に打ち込み、そこへ標的を固定した。
「的は動かねえ。だが実戦じゃお前らは動く。今日は敵を倒す訓練じゃねえ。仲間が動いてる中でどうやって安全に魔法を通すか覚えろ」
ダンは三人の顔を見渡し、それから俺に目を向けた。
「クロ。今日はお前が一番働くぞ」
「にゃあ?」
(俺が? なにさせられるんだ?)
「クロお前は好きに走れ。的の周りをうろついてろ」
「にゃあ」
(俺だけ雑じゃない?)
文句を言っても通じない。俺は腹を決めて訓練場の中央へ歩き出した。
ダンが説明を続ける。
「アレンは標的の正面に立って剣を振れ。エマは三人とクロを全部見ろ。撃てる瞬間をレオに教えろ。レオ、お前は合図があっても自分で安全だと思えなきゃ撃つな」
「はい」
三人が頷く。
「よし、じゃあまずはやってみろ」
* * *
アレンが標的の正面に立ち剣を構える。俺は標的の周りをぶらぶらと歩き始めた。
レオが杖を構え詠唱を始める。杖の先が青白く光る。
「氷の」
その瞬間、俺が標的とレオの間を横切った。
「っ!」
レオの声が止まる。杖先に集まっていた青白い光が霧散した。
「撃てません」
「それでいい」
ダンが即座に言った。
「今みてえに危ねえと思ったら撃つな。まずはそれができりゃ十分だ」
(無理もねえ。俺だって氷の矢を頭上に飛ばされるのは御免だ)
「だが今のお前はクロが横切って初めて気づいた。最初から味方の位置を見てたわけじゃねえ。もう一回だ」
二度目。アレンが標的の正面に立つ。
レオが杖を構える。だが今度はアレンが邪魔だ。アレンの肩越しに標的が見えるだけで、正面からは撃てない。
レオが右へずれようとする。だがそこへ俺がいた。
左へ動こうとする。だがそこには、全体を見るため位置を変えていたエマがいる。
結局撃てない。
「止まれ」
ダンが腕を組む。
「分かったか。レオ一人に安全な場所を探させても遅えんだよ」
ダンはアレンを見た。
「前衛のお前が射線を作る。敵の真正面に立ちっぱなしになるな。レオがどこにいるか見て撃たせる瞬間だけ横へ抜けろ」
「はい!」
アレンが表情を引き締める。
「エマもだ。敵を見るだけじゃなく、レオがどこを見てるか、クロがどこにいるかまで見ろ」
「わかった」
エマも真剣な顔で頷く。
「レオ。お前は味方の動きを見ろ。敵だけを見てるから味方の位置が分からなくなるんだ」
「はい……」
三度目。
アレンが標的の正面に立つ。
「レオ、僕が右に退く!」
アレンが右へ抜ける。だが俺がまだ射線に入っていた。
「まだ! クロがいる!」エマの声が飛ぶ。
俺は慌ててその場を離れた。
「今、空いた!」
だがレオが躊躇して撃つのが遅れる。
「遅え!」
ダンが声を上げる。
「敵ならもう動いてるぞ!」
(まあそうだな。実戦じゃ敵は待ってくれん)
「もう一回だ!」
四度目。
アレンが標的の前。
エマは少し下がって全体を見ている。
俺は標的の左をうろついている。
アレンが右へ抜ける。
俺も射線から外れる。
エマの声。
「クロも抜けた! 射線空いた!」
レオが杖を構える。今度は躊躇しない。自分の目でアレンの位置を確認し、俺がいないことを確かめ、杖を振る。
「氷の矢!」
青白い光が一直線に飛び標的の中央に突き刺さった。白い霜が板の表面を一気に走る。
「ど真ん中だ」ダンが頷く。
「……当たった」レオが呟く。
「やったね!」
アレンが駆け寄って、レオの背中を平手で叩く。
「いい射撃だったわよ、レオ」
エマも笑顔で近づいてくる。
「にゃあ」
(なかなかやるじゃないか三人とも)
俺は少し離れた場所から尻尾を立てて眺めた。
ダンが近づいてきてレオの頭を軽く小突いた。
「調子に乗るな。今のは何回も練習して、合図があって、敵も動かない上でのようやくの一発だ。これが本番で同じように撃てるようになるまで、まだ時間がかかる」
「はい……重々承知しています」
「だが、今のを覚えとけ。アレンが前を張る。エマが全体を見る。レオが最後に確認して撃つ。誰か一人が上手けりゃいいんじゃねえ。三人で撃った一発だ」
ダンの言葉に三人が顔を見合わせ、少し誇らしげに笑った。
「クロみてえに勝手に動く奴がいてもな」
ダンが俺の方を見てニヤリと笑った。
(俺の動きを見るのも訓練のひとつってわけか)
俺はひげをぴくぴくさせながら、小さくあくびをした。
* * *
訓練が終わり、日が傾き始めた頃。
俺たちはギルドの酒場の隅のテーブルにいた。木のコップに入った果実水と小さなパンがいくつか並んでいる。ダンは用事があるからと先に帰って行った。
「今日の訓練、すごくよかったね」
エマが長弓を壁に立てかけながら言った。
「うん。レオの氷の矢どんどん良くなってるよ」
アレンが笑いながら言う。
「でも、まだアレンが射線を作ってくれないと撃てないんですけどね」
レオが苦笑いして眼鏡を押し上げた。
「それでいいんじゃない? 私たち、そうやって戦っていこうって決めたんだから」
エマの言葉にレオがはっとしてそれから小さく頷いた。
「そうですね。……でもいつかはもっと自分から動けるようにしたいです」
「うん。焦んなくていいよ、レオ。僕もまだまだだし」
アレンが自分の手の平を見つめる。訓練場で剣を振ったせいで少し荒れた、でも着実にマメが厚くなった手だ。
「アレンはもう強いんじゃない?」エマが茶化す。
「ぜんぜん! まだダンさんに何度も転がされてるし……」
アレンが耳を赤くする。
「ふにゃあ」
(まったく、素直でかわいいやつらだな、ほんと)
俺はアレンの膝の上で温めてもらった山羊乳を舐めていた。訓練場の土の匂いがまだ鼻の奥に残っている。
「そういえばクロ今日いっぱい走らされたね」
エマが俺の頭を撫でようとして、俺は少し身を引いた。
「にゃっ」
(いや、そこは耳じゃなくて、あごを……って、違う。俺はそんなに甘くないぞ)
結局エマの指があごの下をくすぐると、思わずゴロゴロと喉を鳴らしてしまった。あ、やばい。
「あはは、クロ、素直〜」
エマに笑われ、俺はバツが悪くて顔を伏せた。
「……あの、一つ聞いてもいいですか」
レオが真面目な顔で切り出した。
「ん?」
アレンが顔を上げる。
「クロは、どうしてそんなに敵のいる場所や人の言葉がわかるんですか?ただの猫にしては賢すぎるというか……」
アレンとエマが同時に俺を見た。俺は目を閉じて、しっぽをゆっくりと動かす。
「なんだろうね。クロは小さい頃からすごく賢かったよ。」
アレンが俺の背中をそっと撫でた。
「私もそう思う。時々クロって、人間みたいな目するよね」
(お。鋭いな)
「前世は偉い魔法使いだったんじゃないかなー」
(惜しい。ただのくたびれた社畜だ)
レオは眼鏡を直して俺の目をのぞき込んだ。
「いつか、クロのことをもっとよく観察させてくれませんか。もしかしたら、魔力感知の一種かもしれないし」
「にゃあ」
(勘弁してくれ。観察される趣味はない)
レオの顔は学者のそれになっていた。少しだけ背中が冷えたのは気のせいではないはずだ。
「レオがクロを取ったら、アレンが怒るよ」
エマが笑いながら言う。
「取ったりしませんよ! ただ、観察を……」
「だめだよ、レオ。クロは僕の相棒なんだから」
アレンが俺を抱き上げて、レオから遠ざけた。
「にゃあ」
(心配しなくても俺はお前の相棒だよ)
三人の笑い声が酒場の片隅に響いた。
窓の外は茜色。今日もローベスは平和だった。
今日できなかったことが、明日にはできるようになる。
そうやってこいつらは、少しずつ強くなっていくんだろう。
(まあ、俺も付き合ってやるか)
アレンに抱きかかえられたまま、俺はのんびりと目を閉じた。