秋の日差しが石畳の上に白く落ちている。
ギルドの一階は、朝からそれなりに混んでいた。依頼書を眺める若い冒険者、酒場で朝食をとるベテラン、掲示板の前で相談する三人組。人と木の匂いが混ざるこの空間は、いつ来ても騒がしい。
俺はアレンの足元から半歩離れカウンターの近くに座り込んだ。尻尾を前足に巻き付け耳だけをあちこちへ向ける。
「はい、それではDランクの黒猫団三名、西の丘の薬草採取とゴブリン一頭の討伐ですね。道中のゴブリンは小柄な個体が一頭確認されているだけですが、無理はなさらず」
マリアが手際よく依頼書を差し出す。アレンが受け取りエマが確認しレオが復唱する。その横でリリアが書類の束を抱えて立っていた。
「リリア、ありがとう」
アレンが声をかける。リリアは一瞬視線を逸らしてから小さくため息をついた。
「別に。私の仕事だから」
彼女はそう言って依頼書の控えを帳簿に書き写す。
手つきにはもう入りたての頃のぎこちなさはない。ここはもう彼女の場所の一つだ。
「リリアって書類書いたりとかそういうの得意なのほんと凄いよね...!」
エマが目を丸くしながら呟く。
「別に……親の手伝いで小さい頃から慣れてるだけよ」
リリアは少し照れながら答えて、アレンを見た。
「……アレンあんた昨日の訓練かなりハードだったんでしょ。身体、大丈夫なの?」
「え? ああ、うん。ちょっと筋肉痛だけど平気だよ」
「それならいいけど。依頼で何か怪我したら、必ず救護室に行きなさいよね」
「大げさだなあ」
「大げさじゃないのよ」
リリアの声がわずかに尖る。俺は床から見上げて二人のやりとりを眺めていた。
(まだまだ不器用だなぁ)
リリアは本心ではアレンが心配なのだろう。だがそれを「うるさく小言を言う」形でしか出せない。その結果、肝心のアレンには心配していることが半分くらいしか伝わっていない。
実に効率の悪い愛情表現ではあるが、本人が選んでいる以上口出しはしない。
「本当に大丈夫だから。リリアこそギルドの仕事無理しちゃだめだよ」
「ふん。あんたに言われなくてもしてないわよ」
「リリアは昔から頑張り屋だから。気を付けないとだめだよ」
唐突なアレンの言葉にリリアは返事を返せず、無言で頷く。耳は赤いが。
(お前はそういうとこだぞ、アレン)
無自覚に撃ってそ知らぬ顔。ほんと罪作りな男だ。
* * *
黒猫団が西の丘へ向かうとギルドの中は少しだけ静かになる。
俺は今日はアレンたちに同行していない。いや正確には同行しなかった。
リリアが午前の受付を終えたあと、救護室を手伝うと聞いて今日はこっちに残ることにしたのだ。
アレンの仕事は三人で十分に回っている。レオもだいぶ落ち着いてきたしエマという最高の目がいる。薬草採取とゴブリン一頭程度なら俺がいなくても問題ない。
一方でリリアが救護室で何をしているのか俺は少し気になった。
「なんであんた私の仕事についてくるのよ」
リリアは眉を寄せてギルドの奥へ続く廊下を歩く。手には包帯と数種類の傷薬が入った籠を抱えている。
「にゃあ」
俺は短く鳴いてとりあえず彼女の前を歩いてやる。
「猫に先導されるのも変な気持ちね。……まあいいけど」
リリアは口を閉ざし俺の尾の先を目で追いながら歩き始めた。
ギルドの救護室は一階の奥まった場所にある。木枠の寝台が三つと包帯や薬草を入れた棚。白衣を着た男が一人窓辺で杖を磨いていた。ゼドだ。
「先生、今日も手伝わせてください」
リリアが言うとゼドはゆっくりと振り返る。
「ああ。助かるよ。さっき街の外でゴブリンにやられた奴が来てる。手当てを頼めるか」
「はい」
リリアが寝台のひとつへ歩み寄る。そこには右腕に浅い切り傷を作った若い冒険者が座っていた。
「このくらいなら。……腕出してください」
リリアは傷口を水で洗い薬草の粉を振ってから包帯を巻いていく。以前ほど手元に迷いはない。
(ほぉ...今までに教わってきたことがちゃんと役に立ってるじゃないか)
「きつくないですか?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとな嬢ちゃん」
「これも仕事ですから」
そう答えながらもリリアはほんの少しだけ嬉しそうだった。
その時だった。救護室の扉が開き別の大柄な男が肩を借りながら入ってくる。
「ゼド先生! こいつハイランドハウンドに脇腹をやられて!」
見ると男の防具の下から血が滲んでいた。仲間の手を借りねば歩けないほどの深さだ。
「寝かせろ。俺が診る。」
ゼドが即座に寝台へ誘導し傷口に手をかざす。淡い光がその手のひらから漏れ深い傷がゆっくりと塞がっていく。苦しそうに顔を歪めていた男の表情がわずかに緩んだ。
治癒魔術だ。
リリアは今日はその手元をじっと見つめて、何かを考えていた。
淡い光を見つめていたリリアが、やがて口を開いた。
「……先生」
「ん?」
「治癒術って私にもできるの?」
ゼドがリリアを見る。
「誰にでもってわけじゃない。魔力の扱いには向き不向きもある。だが、才能があるかどうかなんてやってみなきゃ分からんさ」
「……そうですね...ありがとうございます」
リリアはそれだけ言ってもう一度ゼドの手元へ視線を戻した。
窓から差し込む光が彼女の栗色の髪を透かしていく。
俺は棚の下に座りその横顔を眺めていた。
剣を振るわなくても魔物を倒せなくても誰かの役に立つことはできる。
* * *
夕方。
アレンの家にまたリリアが来た。
玄関を開けるとリリアが腕いっぱいの鍋を抱えていた。どうやらまたご飯を作ってきてくれたらしい。
今日はエマとレオは先に宿へ戻ったので、夕食はアレンと俺の予定だった。
「シチューまた作ってくれたの?」
「余りものの整理だからね。特に意味はないわよ」
「でもこれ二人分だよね」
「……一人分を作るほうが難しいわよ」
リリアは顔を背け台所へ立つ。俺はアレンの横をすり抜けて彼女の足元に座った。
「あのね、アレン」
リリアが薪の匂いのする台所で振り返る。
「私たぶん他の子達みたいには戦えないわ」
「え?」
アレンがきょとんとする。
「剣も使えないし魔法だって使ったことない。あんたたちみたいに魔物と正面から戦うなんて無理」
リリアは小さな鍋を火にかけた。しばらくするとことこと静かな音が鳴り始める。
「でも……」
「でも?」
「……なんでもない」
「リリア?」
「なんでもないって言ってるでしょ。ほら皿出して」
「うん」
アレンが食器棚へ向かう。その背中をリリアはじっと見ていた。
シチューの匂いが家の中に満ちていく。
この家の夜は今日も穏やかに更けていった。